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ᒪove Stories 〈第二幕〉 ほぼ❁✿✾ ✾✿❁︎
Love to give you8
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八月。
歌舞伎座の看板に「納涼大歌舞伎公演」と大きく掲げられた。
今年の納涼歌舞伎は八月の第一土曜から始まり、千穐楽は月末の水曜日と言う約一ヶ月間の公演だ。一部から三部まであり、それぞれ違う演目が設けられている。
悠理と楓真が舞台に立つのは午前十一時からの第一部の一番始めだ。若手で歌舞伎界の人間でない悠理が舞台を踏むと言うこともあったが、若い客の入りを多く期待しての時間当てで、狙った通り、客には若い世代も多く含まれていて、チケットは毎度完売していた。
重鎮や贔屓客は若い初見の観覧者への不安もあったようだが、楓真が出ている番組の効果だろう。どの客もしきたりを守って楽しんでいて、それもまた柳田楓真の名を上げた。
勿論悠理も。現代の人間は初めて見る悠理の歌舞伎。しかも女形姿。中性的な雰囲気があるのは周知の事実だが、化粧を施し、可愛らしい衣装を身に着けてしなやかな演技をする悠理はため息が出るほどに可憐で、評判が評判を呼んでいた。
そして千穐楽。
客席には何度も通ってくれた彬がいて、sakusi-doのメンバーや権藤の姿があった。また、以前悠理が在籍していた菊川プロダクションの菊川社長が湯島華子の隣に座っている。
開演前には楓、彬、権藤に菊川と湯島が百合の楽屋に勢揃いする一幕もあった。
それぞれが顔を合わせたのは一瞬で、なにも起こりはしなかったが、それでも百合と楓は嬉しかった。
今日、本当の意味で過去の夢が叶うのだ。大好きな江戸湯島の面々が客席で観てくれているのだから。
開演直前、百合と楓は両手を取り合い、力を込めた。
「今日で最後だね、楓」
「うん……百合、表彰があるわけでも誰かが認定するわけでもないけど、間違いなく最高の舞台だった。俺が自信を持って言う。百合は間違いなくナンバーワンだ」
「楓も。俺達二人で、ナンバーワンだ。最後の舞台。頑張ろう」
二人で目線を合わせ、うん、と頷く。百合のとびきりの笑顔が楓には眩しい。できるのなら時を止めて、いつまでも、いつまでも見ていたいと思った。
でも。
「「行こう」」
声を重ね、手を一度解いて、並んでからまた片方を繋いで、前だけをまっすぐ見て舞台へと向かった。
柝の音が響き、舞台の始まりを知らせる。鳴り物が鳴り、三味線に合わせて長唄が唄われる。
幕がゆっくりと上がり、百合の姿が現れると、大向う(かけ声担当)の声が響いて客席から割れんばかりの拍手が上がった。
一部前半で描かれるのは、踊り子「百合」が華屋と言う劇団で主役を目指す場面と、清一との初々しい恋。それを影で見るのは魔手。
魔手は美しいテノールボイスの歌声で呪詛をかけ、清一と百合の競い相手に災いをふりかけて行く。
江戸の頃よりも歌声が洗練され、その狂おしさを感じた観客は息を呑んでいた。
中盤のダンスシーン。やはり楓のダンスはひときわ迫力があり、このシーンは芸能関係のニュースに必ず取り上げられている。
そして終盤。
魔手が思い余って百合の名を叫びながら首を絞める場面。魔手が百合を求める心が観客にひしひしと伝わり、客席からは嗚咽が漏れた。
「私は百合を心底愛していたのだ。なのになぜ、私のものにならない……!」
これまでの上演とは違う台詞。半分に割れた仮面の下から涙がとめどなく流れる。
「ああ、魔手様。私も貴方をお慕いしていました。早くにお伝えしていれば良かった。そうすれば貴方は罪を犯さずに済んだのに……」
百合もまた、台詞をアレンジする。
手が仮面に伸びる。江戸でもこの一ヶ月の舞台でも仮面がひとりでに割れる流れだったが、今日は百合の手が仮面を外した。
現れたのは同じく火傷で爛れた顔だが、そこには苦悩の表情はなく、愛する者を見る慈しみ溢れた表情があった。
「なんて優しいお顔。魔手様、貴方の真実の姿を見ることができて良かった」
「百合……」
「魔手様、もう泣かないで下さい。百合は本当に貴方を愛していました。だから、大丈夫。貴方はこの先も誰かに愛される人です。魔力に頼らず、自信を持って人を愛して……」
百合が事切れる。
魔手は叫び、激しい後悔に苛まれ、何度も何度も「百合を愛していた」と繰り返した。そして、清一に討たれる前に自身で胸に剣を突き刺し、血を吐きながら百合に口づけをして、横たわる百合を胸へと抱き寄せる。
誰にされるのではなく、自分で自分に決着を付ける為に。
江戸での別れの日の上演と同じに、楓は本当に唇を重ね、百合を強く抱き締めた。
(三百年分の、俺の思いだ……)
やがて腕の力を抜き、静かに目を閉じる。魔手は百合の上に重なるようにして最期を迎えた。
百合はさっきまで自分に移っていた楓の体温、息遣いが急速に失なわれて行くのを感じた。体は重なっていると言うのに、不思議な感覚
────舞台が暗転し、幕が閉じて行く。
一時の静寂。
そして。
「わあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──!!」
割れんばかりの歓声と鳴り止まない拍手。
一旦幕の裏側で体を起こし、互いの血糊を拭き取った主役二人が立ち上がった。
再び幕が上がる。他の共演者も二人を挟んで並び、賞賛の中、皆で深くお辞儀を捧げた。
「お疲れ、悠理」
舞台からはけ、楽屋に戻る通路で楓が微笑んで握手を求めた。
──違う、楓じゃない。悠理は咄嗟にそう感じ取る。
さっき、舞台の上。
幕が降り切ったあと、薄く目を開けると、楓の頰を濡らしていた涙が乾いて筋だけが残っているのが見えて、そのあと、楓の体を包んでいた熱気みたいなものが、天井へと昇って行くのが見えた。
あの時、なんとも言えない寂しさが寄せ、その熱気を掴みたいと思った。今、その理由がわかった気がする。
(楓の魂が還って行ったんだ……)
「悠理、疲れたか?」
変わらず声は優しく、悠理への気遣いに溢れている。が、目の前にいるのは間違いなく楓真だ。
「うん。少しね。でも心地よい疲れだ……楓、もお疲れ様」
楓、と小さく呼んでみる。
聞き取れなかったのか、悠理の思い違いで、まだ楓は楓真の中にいるのか、目の前の楓真はこくこくと頷いて微笑む。
だが、すぐに楽屋に体を向け、どんどん前に進んで行った。
「楓!」
百合はその後ろ姿にもう一度声をかけた。
だが、彼は振り向かず、通路から迎え出たマネージャーと談笑し、楽屋へと姿を消した。
「楓、本当のさよならだね……」
涙が一筋流れた。
けれど江戸での千穐楽で、舞台の端で一人、楓を見送って流した涙とは違う。
寂しいけれど、大きな仕事をなし終えたような、万感の思いに似た、そんな涙だった。
二人が主演を務めた「華屋怪奇奇談」は、連日満席で公演を終え、その後もシネマ歌舞伎として映画館で上映された他、ディスク化されてセールスも好評となっている───映像化された公演としては、名実ともにナンバーワンの売上げとなリ、記録が塗り替えられることはなかった────
Love to give you end
歌舞伎座の看板に「納涼大歌舞伎公演」と大きく掲げられた。
今年の納涼歌舞伎は八月の第一土曜から始まり、千穐楽は月末の水曜日と言う約一ヶ月間の公演だ。一部から三部まであり、それぞれ違う演目が設けられている。
悠理と楓真が舞台に立つのは午前十一時からの第一部の一番始めだ。若手で歌舞伎界の人間でない悠理が舞台を踏むと言うこともあったが、若い客の入りを多く期待しての時間当てで、狙った通り、客には若い世代も多く含まれていて、チケットは毎度完売していた。
重鎮や贔屓客は若い初見の観覧者への不安もあったようだが、楓真が出ている番組の効果だろう。どの客もしきたりを守って楽しんでいて、それもまた柳田楓真の名を上げた。
勿論悠理も。現代の人間は初めて見る悠理の歌舞伎。しかも女形姿。中性的な雰囲気があるのは周知の事実だが、化粧を施し、可愛らしい衣装を身に着けてしなやかな演技をする悠理はため息が出るほどに可憐で、評判が評判を呼んでいた。
そして千穐楽。
客席には何度も通ってくれた彬がいて、sakusi-doのメンバーや権藤の姿があった。また、以前悠理が在籍していた菊川プロダクションの菊川社長が湯島華子の隣に座っている。
開演前には楓、彬、権藤に菊川と湯島が百合の楽屋に勢揃いする一幕もあった。
それぞれが顔を合わせたのは一瞬で、なにも起こりはしなかったが、それでも百合と楓は嬉しかった。
今日、本当の意味で過去の夢が叶うのだ。大好きな江戸湯島の面々が客席で観てくれているのだから。
開演直前、百合と楓は両手を取り合い、力を込めた。
「今日で最後だね、楓」
「うん……百合、表彰があるわけでも誰かが認定するわけでもないけど、間違いなく最高の舞台だった。俺が自信を持って言う。百合は間違いなくナンバーワンだ」
「楓も。俺達二人で、ナンバーワンだ。最後の舞台。頑張ろう」
二人で目線を合わせ、うん、と頷く。百合のとびきりの笑顔が楓には眩しい。できるのなら時を止めて、いつまでも、いつまでも見ていたいと思った。
でも。
「「行こう」」
声を重ね、手を一度解いて、並んでからまた片方を繋いで、前だけをまっすぐ見て舞台へと向かった。
柝の音が響き、舞台の始まりを知らせる。鳴り物が鳴り、三味線に合わせて長唄が唄われる。
幕がゆっくりと上がり、百合の姿が現れると、大向う(かけ声担当)の声が響いて客席から割れんばかりの拍手が上がった。
一部前半で描かれるのは、踊り子「百合」が華屋と言う劇団で主役を目指す場面と、清一との初々しい恋。それを影で見るのは魔手。
魔手は美しいテノールボイスの歌声で呪詛をかけ、清一と百合の競い相手に災いをふりかけて行く。
江戸の頃よりも歌声が洗練され、その狂おしさを感じた観客は息を呑んでいた。
中盤のダンスシーン。やはり楓のダンスはひときわ迫力があり、このシーンは芸能関係のニュースに必ず取り上げられている。
そして終盤。
魔手が思い余って百合の名を叫びながら首を絞める場面。魔手が百合を求める心が観客にひしひしと伝わり、客席からは嗚咽が漏れた。
「私は百合を心底愛していたのだ。なのになぜ、私のものにならない……!」
これまでの上演とは違う台詞。半分に割れた仮面の下から涙がとめどなく流れる。
「ああ、魔手様。私も貴方をお慕いしていました。早くにお伝えしていれば良かった。そうすれば貴方は罪を犯さずに済んだのに……」
百合もまた、台詞をアレンジする。
手が仮面に伸びる。江戸でもこの一ヶ月の舞台でも仮面がひとりでに割れる流れだったが、今日は百合の手が仮面を外した。
現れたのは同じく火傷で爛れた顔だが、そこには苦悩の表情はなく、愛する者を見る慈しみ溢れた表情があった。
「なんて優しいお顔。魔手様、貴方の真実の姿を見ることができて良かった」
「百合……」
「魔手様、もう泣かないで下さい。百合は本当に貴方を愛していました。だから、大丈夫。貴方はこの先も誰かに愛される人です。魔力に頼らず、自信を持って人を愛して……」
百合が事切れる。
魔手は叫び、激しい後悔に苛まれ、何度も何度も「百合を愛していた」と繰り返した。そして、清一に討たれる前に自身で胸に剣を突き刺し、血を吐きながら百合に口づけをして、横たわる百合を胸へと抱き寄せる。
誰にされるのではなく、自分で自分に決着を付ける為に。
江戸での別れの日の上演と同じに、楓は本当に唇を重ね、百合を強く抱き締めた。
(三百年分の、俺の思いだ……)
やがて腕の力を抜き、静かに目を閉じる。魔手は百合の上に重なるようにして最期を迎えた。
百合はさっきまで自分に移っていた楓の体温、息遣いが急速に失なわれて行くのを感じた。体は重なっていると言うのに、不思議な感覚
────舞台が暗転し、幕が閉じて行く。
一時の静寂。
そして。
「わあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──!!」
割れんばかりの歓声と鳴り止まない拍手。
一旦幕の裏側で体を起こし、互いの血糊を拭き取った主役二人が立ち上がった。
再び幕が上がる。他の共演者も二人を挟んで並び、賞賛の中、皆で深くお辞儀を捧げた。
「お疲れ、悠理」
舞台からはけ、楽屋に戻る通路で楓が微笑んで握手を求めた。
──違う、楓じゃない。悠理は咄嗟にそう感じ取る。
さっき、舞台の上。
幕が降り切ったあと、薄く目を開けると、楓の頰を濡らしていた涙が乾いて筋だけが残っているのが見えて、そのあと、楓の体を包んでいた熱気みたいなものが、天井へと昇って行くのが見えた。
あの時、なんとも言えない寂しさが寄せ、その熱気を掴みたいと思った。今、その理由がわかった気がする。
(楓の魂が還って行ったんだ……)
「悠理、疲れたか?」
変わらず声は優しく、悠理への気遣いに溢れている。が、目の前にいるのは間違いなく楓真だ。
「うん。少しね。でも心地よい疲れだ……楓、もお疲れ様」
楓、と小さく呼んでみる。
聞き取れなかったのか、悠理の思い違いで、まだ楓は楓真の中にいるのか、目の前の楓真はこくこくと頷いて微笑む。
だが、すぐに楽屋に体を向け、どんどん前に進んで行った。
「楓!」
百合はその後ろ姿にもう一度声をかけた。
だが、彼は振り向かず、通路から迎え出たマネージャーと談笑し、楽屋へと姿を消した。
「楓、本当のさよならだね……」
涙が一筋流れた。
けれど江戸での千穐楽で、舞台の端で一人、楓を見送って流した涙とは違う。
寂しいけれど、大きな仕事をなし終えたような、万感の思いに似た、そんな涙だった。
二人が主演を務めた「華屋怪奇奇談」は、連日満席で公演を終え、その後もシネマ歌舞伎として映画館で上映された他、ディスク化されてセールスも好評となっている───映像化された公演としては、名実ともにナンバーワンの売上げとなリ、記録が塗り替えられることはなかった────
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