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第1話 結界師の仕事は、もう辞めます
王都を囲む巨大な結界。その維持管理を一手に引き受けていたのは、伯爵家長女である私、エルサだった。
魔力消費が激しく、一度の維持で数日は寝込むような重労働。それを私は、感謝も報酬も受け取らず、ただ「婚約者であるカイル様のため」と信じて数年間続けてきた。
だが、その努力が報われることはなかった。
私が全身に魔力の枯渇による倦怠感を抱えながら邸宅の扉を開けたとき、広間に響いていたのは、私の耳を疑うような甘い声だった。
「ねえ、カイル様。お姉様のものは、全部私にちょうだい?」
声の主は、異母妹のシャーリーだ。
視線の先には、婚約者である騎士団副長のカイルが、私の妹を熱っぽい眼差しで見つめ、その腰に手を回していた。
「……当然だ、シャーリー。あんな地味でつまらない女、結界師という肩書き以外に何の価値もない。俺が愛しているのは君だけだ」
「うふふ、嬉しい。じゃあ、婚約者も、結界師の地位も、全部私のものね?」
心臓が冷えるような感覚だった。
激務で衰弱した体に、追い打ちをかけるような光景。それでも、不思議と涙は出なかった。あまりに滑稽すぎて、絶望という感情さえどこかへ飛んでいってしまったからだ。
私はゆっくりと足音を立てて広間へ入った。
二人が私に気づき、顔を凍りつかせる。カイルは慌てて手を離すこともせず、むしろ私を蔑むような目で睨みつけた。
「エルサ……! お前、盗み聞きとは悪趣味だな」
「盗み聞き、ではありませんよ。自分の家に帰ってきただけです」
私は淡々と告げる。カイルは鼻で笑い、私に向かって言い放った。
「ちょうどいい。お前に婚約破棄を言い渡す。シャーリーを俺の婚約者とする。……それから、お前がやっている『結界維持』の任務だが、今後はシャーリーが引き継ぐ。術式をすべて引き渡せ」
シャーリーが背後から、勝ち誇ったような笑みを浮かべて私の服の裾を掴んだ。
「お姉様、ごめんなさいね? お姉様よりも私の方が、カイル様もお父様も……みんなに愛されているの。結界師の仕事なんて、お姉様には重すぎたでしょう? 私が楽にしてあげるわ」
王都の結界を維持するには、高度な演算と膨大な魔力が必要だ。シャーリーの魔力では、せいぜい一区画を維持するのがやっとだろう。ましてや、私が構築した幾重もの複雑な術式を彼女が理解できるはずもない。
二人の身勝手な主張を聞きながら、私はふと、数日前に隣国の魔塔主から届いたスカウトの手紙を思い出した。
『君の術式は芸術品だ。我が魔塔で、正当な報酬と待遇で働かないか』と。
今まで、この家族とカイルを信じて断り続けていたけれど。
――ああ、もう、何もかもどうでもいいや。
私は二人をじっと見つめ、静かに、そして誰よりも冷徹に微笑んだ。
「承知いたしました。カイル様。……婚約破棄も、結界師の辞任も、すべてお受けします」
「……あ?」
「ただし、これから先、この王都に何が起きても、私は一切関知しませんので。……どうぞ、お二人で仲良く、その身の丈に合わない『結界』とやらを維持して、魔獣に怯えて暮らしてくださいね」
私はその場で指を鳴らし、王都全域を管理していた魔力回路の接続を、躊躇いなく完全に遮断した。
途端、王都を包んでいた薄い光のベールが、パリン、と音を立てて砕け散った。
空に揺らめく結界が消えゆくのを背に、私は荷物をまとめるため、迷わず自分の部屋へと踵を返した。
魔力消費が激しく、一度の維持で数日は寝込むような重労働。それを私は、感謝も報酬も受け取らず、ただ「婚約者であるカイル様のため」と信じて数年間続けてきた。
だが、その努力が報われることはなかった。
私が全身に魔力の枯渇による倦怠感を抱えながら邸宅の扉を開けたとき、広間に響いていたのは、私の耳を疑うような甘い声だった。
「ねえ、カイル様。お姉様のものは、全部私にちょうだい?」
声の主は、異母妹のシャーリーだ。
視線の先には、婚約者である騎士団副長のカイルが、私の妹を熱っぽい眼差しで見つめ、その腰に手を回していた。
「……当然だ、シャーリー。あんな地味でつまらない女、結界師という肩書き以外に何の価値もない。俺が愛しているのは君だけだ」
「うふふ、嬉しい。じゃあ、婚約者も、結界師の地位も、全部私のものね?」
心臓が冷えるような感覚だった。
激務で衰弱した体に、追い打ちをかけるような光景。それでも、不思議と涙は出なかった。あまりに滑稽すぎて、絶望という感情さえどこかへ飛んでいってしまったからだ。
私はゆっくりと足音を立てて広間へ入った。
二人が私に気づき、顔を凍りつかせる。カイルは慌てて手を離すこともせず、むしろ私を蔑むような目で睨みつけた。
「エルサ……! お前、盗み聞きとは悪趣味だな」
「盗み聞き、ではありませんよ。自分の家に帰ってきただけです」
私は淡々と告げる。カイルは鼻で笑い、私に向かって言い放った。
「ちょうどいい。お前に婚約破棄を言い渡す。シャーリーを俺の婚約者とする。……それから、お前がやっている『結界維持』の任務だが、今後はシャーリーが引き継ぐ。術式をすべて引き渡せ」
シャーリーが背後から、勝ち誇ったような笑みを浮かべて私の服の裾を掴んだ。
「お姉様、ごめんなさいね? お姉様よりも私の方が、カイル様もお父様も……みんなに愛されているの。結界師の仕事なんて、お姉様には重すぎたでしょう? 私が楽にしてあげるわ」
王都の結界を維持するには、高度な演算と膨大な魔力が必要だ。シャーリーの魔力では、せいぜい一区画を維持するのがやっとだろう。ましてや、私が構築した幾重もの複雑な術式を彼女が理解できるはずもない。
二人の身勝手な主張を聞きながら、私はふと、数日前に隣国の魔塔主から届いたスカウトの手紙を思い出した。
『君の術式は芸術品だ。我が魔塔で、正当な報酬と待遇で働かないか』と。
今まで、この家族とカイルを信じて断り続けていたけれど。
――ああ、もう、何もかもどうでもいいや。
私は二人をじっと見つめ、静かに、そして誰よりも冷徹に微笑んだ。
「承知いたしました。カイル様。……婚約破棄も、結界師の辞任も、すべてお受けします」
「……あ?」
「ただし、これから先、この王都に何が起きても、私は一切関知しませんので。……どうぞ、お二人で仲良く、その身の丈に合わない『結界』とやらを維持して、魔獣に怯えて暮らしてくださいね」
私はその場で指を鳴らし、王都全域を管理していた魔力回路の接続を、躊躇いなく完全に遮断した。
途端、王都を包んでいた薄い光のベールが、パリン、と音を立てて砕け散った。
空に揺らめく結界が消えゆくのを背に、私は荷物をまとめるため、迷わず自分の部屋へと踵を返した。
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