断罪?どうぞご自由に。――婚約破棄を完璧に受理して国庫を整理したら、国王陛下に泣きつかれて次期宰相に指名されました。

折若ちい

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29話 事後処理は迅速に(アフターケア・マーダー)

王都防衛戦の熱狂が冷めやらぬ翌朝。アステリア王宮の第一会議室には、重苦しい沈黙と、アイリスが叩くタイプライターの規則的な音だけが響いていた。

円卓の対面に座るのは、ディードリッヒ帝国から急遽派遣された「全権委託公使」たちだ。彼らの顔は一様に蒼白で、手元の資料を持つ指が微かに震えている。それもそのはず、彼らの目の前には、廃嫡されたカイル皇太子が負った「負債」と、アステリア王国への「損害賠償請求書」が、辞書のような厚みで積み上げられていたからだ。

「……補佐官閣下。……この、賠償金額の桁は、何かの間違いではございませんか? 帝国の国家予算三〇年分に相当しますが……」

アイリスは、眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細め、タイプライターの手を止めた。

「間違い? ……失礼な。私の計算にミスなど存在しませんわ。……内訳を御覧なさい。王都の石畳一枚の修繕費、兵士たちのメンタルケア費用、そして何より、我が国の通貨『ネオ・アステル』の信用を毀損したことによる『機会損失』。……これらを時価換算すれば、むしろ妥当――いえ、格安の提示ですわ」

「……しかし、これほどの金額、今の帝国には支払えません!」

「ええ、存じております。……ですから、支払えない分は『現物』で納めていただきますわ」

アイリスは、あらかじめ用意していた別の書類を滑らせた。そこには、帝国領内にある主要な鉱山、魔導研究所、そして大陸横断鉄道の「経営権譲渡契約書」が記されていた。

「……これは、実質的な帝国の『解体』ではないか!」

「言葉が過ぎますわ。……私は『非効率な経営』を、我が国の『高度な管理下』に置くことで、大陸全体の幸福度を上げようとしているだけです。……帝国を倒産デフォルトさせ、数千万の民を路頭に迷わせたいのですか? それとも、私の軍門に下り、安定した雇用と通貨を手に入れたいのですか?」

アイリスの声は、慈悲深い聖女のようでありながら、その内容は帝国の首筋に突き立てられた鋭利なナイフそのものだった。
 公使たちは、隣に控えるルキウス(すでにアステリア側の人間として冷笑を浮かべている)の視線に耐えきれず、震える手で批准印を押し、部屋を後にした。

「……お見事です、アイリス様。これで帝国の経済的独立は名実ともに消滅しましたね」

ルキウスが優雅に一礼する。

「……ルキウス様。あなたの裏工作がなければ、これほどスムーズにはいきませんでしたわ。……帝国の残務整理、引き続きお願いしますわね。……カイル殿下の『その後』も含めて」

王宮の地下監獄。
 魔力を封じられた特殊な独房に、カイル・ヴァン・ディードリッヒは座り込んでいた。
 かつての絢爛豪華な軍服は剥ぎ取られ、簡素な囚人服を纏った姿は、驚くほどに「ただの人間」に見えた。

鉄格子越しに、アイリスが現れる。

「……アイリス。……私を笑いに来たのか?」

「笑う? ……そんな非効率な感情に、私の時間は使いませんわ。……カイル殿下。……いえ、現在はただの『カイル氏』でしたわね」

アイリスは、冷たい床に座る彼を見下ろした。その瞳には、もはや以前のような「敵対心」すらなく、ただの「不良在庫」を見るような無関心さが漂っている。それが、カイルにとってはどんな拷問よりも辛かった。

「……君は、私を殺さないんだな」

「殺せば、帝国に殉教者アイコンを与えることになりますわ。……あなたはこれから、私の構築する『新世界経済圏』の広告塔として働いていただきます。……かつての帝国皇太子が、アステリアの経済システムの素晴らしさを各地で講演して回る。……これほど説得力のある宣伝はありませんわ」

「……っ、ふふ……。……最後まで、私を『資源』として使い倒すつもりか。……本当に、君という女性ひとは……」

カイルは、自嘲気味に笑い、壁に頭を預けた。

「……いいだろう。……君が作ったその冷たくて美しい世界、最前列で見せてもらおう。……いつか、君がその計算機を叩き壊して、私の胸に飛び込んでくる日を夢見ながらね」

「……その確率は、一〇〇億分の一以下ですわ。……おやすみなさい、カイル氏」

アイリスは、振り返ることなく地下牢を後にした。

その夜。
 王宮のバルコニーで、アイリスは一人、夜風に吹かれていた。
 
「……アイリス。……まだ働いてんのかよ」

聞き慣れた、無骨な声。
 ゼノスが、包帯の巻かれた腕で二つの温かいカップを持って現れた。中には、アイリスが好む苦味の強いコーヒーではなく、甘い香りのココアが入っていた。

「……ゼノス。……糖分は、脳の活性化に必要ですからね」

アイリスは、彼からカップを受け取った。温もりが指先から伝わり、張り詰めていた神経が、わずかに弛緩する。

「……なあ、アイリス。……本当に、これで良かったんだよな? ……帝国を飲み込んで、世界を一つにして。……これからは、戦いくさがなくなるのか?」

「……戦はなくなりません。……ただ、剣の代わりに『金』と『情報』で殴り合うようになるだけです。……でも、ゼノス。……少なくとも、子供たちが飢え死にする確率は、二八パーセント減少させることができますわ」

アイリスは、カップの淵から夜景を眺めた。

「……十分だ。……その二八パーセントのために、俺はこれからも、貴様の横で剣を振るってやる。……誰も貴様の邪魔ができないように、世界一高い『壁』になってやるよ」

ゼノスは、不器用にアイリスの肩を抱き寄せた。
 アイリスは一瞬、拒絶しようと計算したが――。

「……非効率な、体温の共有ですわね」

そう呟きながら、彼女はそっとゼノスの胸に頭を預けた。
 

 
 だが、アイリスはまだ知らない。
 帝国の崩壊によって生じた「力の空白」を埋めるべく、海の向こうの魔導大国「ルヴェン連合」が、かつてない規模の『関税障壁』という名の宣戦布告を準備していることを。
 
 氷の女宰相と、黄金の守護騎士。
 二人の戦いは、ついに大陸を越え、全世界を巻き込む「グローバル経済大戦」へと突入していく。
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