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第一章
第二話 才能を浴びて躍る心
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「我ながら良い出来」
やってみると意外と夢中になるものだな、と水野は完成した水墨画の作品を眺め、それなりに満足していた。
周りの同級生は、開始直後こそ軽くお喋りをしながらも楽しそうに製作をしていたが、三十分も経たない内に飽きてしまったらしい。今や真剣な表情で机に向かっているのは、水野を含めた数人だけだった。ほとんどの生徒は適当に課題を終わらせ、シャープペンシルの先で机に何かを掘っていたり、余った半紙で複雑なマルバツゲームをしたり、ペンケースを枕代わりにして眠りこけたりと、各々が好きなように過ごしている。そういえば、美術室の手洗い場がいっぱいだからと、廊下の手洗い場へ筆とバケツを洗いに行った連中は、今どうしているのだろう。かなりの時間を掃除に費やしているが、ひょっとしたらどこかで暇を潰しているのかもしれない。
授業で課題が出された時、彼らがそれに興味を失くした場合の取り組み方は、異常に早い。今回もそうだった。相変わらず集中力が壊滅的に欠けている連中だ。もはや美術室にすらいない。この場に残っているクラスメイトも大半が喧しい。こう見えて彼らは、人や場面を選んで騒いでいる強かさがあり、なおさら質が悪かった。生徒に厳しい体育教師の授業や、教育委員会の学校視察など、権力を持った大人の前では割と大人しいのだ。その時のように静かにしてくれればいいのに、と優等生の水野は思う。彼らにとって、二時間連続の美術の授業が退屈だとしても、水野にとっては充実した有意義な時間だったのだ。
「おい見ろよ。奇跡的になんか、エロくね?」
「どこがだよ」
「いいか? ここが女の足で……」
水野の斜向かいの位置で写真を漁っていた根津が、親友である小松のために説明を始める。水野は不愉快極まりないといったように顔を顰めた。
今回の課題は風景画で、好きな写真を見ながら普段は気に留めない自然を描く。不真面目な彼らが、唯一まともに完成させた作品といえば、ふざけた書道の作品ばかり。その文字も下品なものが多い。知能指数の程度が知れている。
しかも最悪なのは、高齢女性の美術教師がそれを注意しないことだ。なんなら、教師のくせに下ネタを容認している節がある。男子生徒なら楽しそうなもんだが、女子生徒はかなり気まずいし、大層不快だ。他クラスの女子生徒なんか、聞いたことない下品な言葉の羅列に精神が参ってしまい、不登校になりかけたぐらいだ。女子生徒からはそんな辛口な評価を受ける教師だが、根津とは変に気が合うのか、会うたびに小学生並のくだらない口喧嘩をしている。それも、「うっせえ! ババア!!」「うっせえ! ジジイ!!」「死ね! ババア!!」「お前が死ね! クソジジイ!!」などと、不適切な言葉の掛け合いでじゃれていたのだ。
この学校に通う生徒も生徒なのだが、教師も教師だ。なぜか両者とも変に真面目なところがあるお陰で、普段の授業ではたまに大きく話が脱線するものの、生徒の気分さえ乗れば、なんとか学期末テストに間に合うくらいには授業が進んでいる。とはいえ、教師なら生徒にもっと他に教えることがあるだろうに。だからこの学校は、周辺の中学校よりも荒れていると言われているのだ。
「先生、できました」
「うん。よし! 水野、それを隣の部屋に運べ」
「はい」
いくら普通の教室より広い美術室と行っても、机やら美術教材やら、美術部が製作した作品やらで、先にこの授業を受けたクラスと合わせて、二クラス分の水墨画を乾かすスペースは残っていなかった。一方、隣の美術準備室には美術室より半分の広さに、木製の絵画作品乾燥棚が二台ある。けれど、根津を筆頭とした彼らが、悪ふざけの産物を大量生産するせいで、その棚に置き場はもうない。乾いていない作品を動かすわけにもいかず、仕方なく床に新聞紙を敷き、その上で棚からあぶれた作品を乾燥させているのだ。
作品が完成したら、まずそれを乾かさなければいけない。墨を薄めるために使用したバケツの水捨てや、汚れ防止で机の上に敷いた新聞紙などの片付けは、その後だ。
水野はニタニタと厭らしく笑う根津たちから逃げるように、引き戸一枚隔てて隣接した美術準備室に向かう。そこに近付くにつれ、クラスメイトの数は減っていく。ここは元々、生徒の人数に対して広い教室だ。生徒は黒板がある前に詰めて座るため、奥は空席が目立つ。美術準備室は廊下とは逆の、手洗い場側にあるため、水野は手洗い場へと近付いた。
生徒が座る机の一番奥には、海野がいた。やはり海野はマイペースだ。単純に絵が苦手で作業が遅いのか、それとも相当な力作なのか、海野の周囲には誰もいない。水野は足を止めずに、通り道から海野の手元をちらりと覗く。
「うますぎ……」
波打ち際の海の風景と、海に向かって枝を張り伸ばす松の木は見事な出来栄えだった。水野はその荒々しい美しさの再現に感嘆し、思わず海野の横で立ち止まった。すると、ピクッと肩を揺らした海野の手が止まる。
「あ、邪魔してごめん。海野って、水墨画の才能あるんだね。すごいよ。周りがうるさいけど、最後まで頑張って」
「う、うん。……ありがとう」
海野は顔を向けることこそしなかったが、気分を害したわけではなかったようだ。水野は海野が恥ずかしそうに背中を丸めたのを見てそれを感じると、自分が絵を完成させた時よりも高揚した気持ちで美術準備室へと向かう。
海野はよくクラスメイトから「つまらない奴」なんて言われているが、とんでもない誤解だ。あんな特技があったなんて知らなかった。海野は遠慮深く、真面目な性格もあり口下手だが、話しかけられればちゃんと受け答えをする。容姿も不潔なんてことはなく、髪は柔らかそうなマッシュヘアーで、ワックスを使わないところに中学生らしさがある。重ための前髪から覗かせる小さめな垂れ目と、長い睫毛も可愛らしい。褒められ慣れていないところも好感が持てる。
「もっと早く話しかけとけば良かったな……」
水野は異性の友達がいない。片山ですら、友達とは言えないのだ。
水野はこの夏、またひとつ、大切にしたい宝物を得たような気がした。
やってみると意外と夢中になるものだな、と水野は完成した水墨画の作品を眺め、それなりに満足していた。
周りの同級生は、開始直後こそ軽くお喋りをしながらも楽しそうに製作をしていたが、三十分も経たない内に飽きてしまったらしい。今や真剣な表情で机に向かっているのは、水野を含めた数人だけだった。ほとんどの生徒は適当に課題を終わらせ、シャープペンシルの先で机に何かを掘っていたり、余った半紙で複雑なマルバツゲームをしたり、ペンケースを枕代わりにして眠りこけたりと、各々が好きなように過ごしている。そういえば、美術室の手洗い場がいっぱいだからと、廊下の手洗い場へ筆とバケツを洗いに行った連中は、今どうしているのだろう。かなりの時間を掃除に費やしているが、ひょっとしたらどこかで暇を潰しているのかもしれない。
授業で課題が出された時、彼らがそれに興味を失くした場合の取り組み方は、異常に早い。今回もそうだった。相変わらず集中力が壊滅的に欠けている連中だ。もはや美術室にすらいない。この場に残っているクラスメイトも大半が喧しい。こう見えて彼らは、人や場面を選んで騒いでいる強かさがあり、なおさら質が悪かった。生徒に厳しい体育教師の授業や、教育委員会の学校視察など、権力を持った大人の前では割と大人しいのだ。その時のように静かにしてくれればいいのに、と優等生の水野は思う。彼らにとって、二時間連続の美術の授業が退屈だとしても、水野にとっては充実した有意義な時間だったのだ。
「おい見ろよ。奇跡的になんか、エロくね?」
「どこがだよ」
「いいか? ここが女の足で……」
水野の斜向かいの位置で写真を漁っていた根津が、親友である小松のために説明を始める。水野は不愉快極まりないといったように顔を顰めた。
今回の課題は風景画で、好きな写真を見ながら普段は気に留めない自然を描く。不真面目な彼らが、唯一まともに完成させた作品といえば、ふざけた書道の作品ばかり。その文字も下品なものが多い。知能指数の程度が知れている。
しかも最悪なのは、高齢女性の美術教師がそれを注意しないことだ。なんなら、教師のくせに下ネタを容認している節がある。男子生徒なら楽しそうなもんだが、女子生徒はかなり気まずいし、大層不快だ。他クラスの女子生徒なんか、聞いたことない下品な言葉の羅列に精神が参ってしまい、不登校になりかけたぐらいだ。女子生徒からはそんな辛口な評価を受ける教師だが、根津とは変に気が合うのか、会うたびに小学生並のくだらない口喧嘩をしている。それも、「うっせえ! ババア!!」「うっせえ! ジジイ!!」「死ね! ババア!!」「お前が死ね! クソジジイ!!」などと、不適切な言葉の掛け合いでじゃれていたのだ。
この学校に通う生徒も生徒なのだが、教師も教師だ。なぜか両者とも変に真面目なところがあるお陰で、普段の授業ではたまに大きく話が脱線するものの、生徒の気分さえ乗れば、なんとか学期末テストに間に合うくらいには授業が進んでいる。とはいえ、教師なら生徒にもっと他に教えることがあるだろうに。だからこの学校は、周辺の中学校よりも荒れていると言われているのだ。
「先生、できました」
「うん。よし! 水野、それを隣の部屋に運べ」
「はい」
いくら普通の教室より広い美術室と行っても、机やら美術教材やら、美術部が製作した作品やらで、先にこの授業を受けたクラスと合わせて、二クラス分の水墨画を乾かすスペースは残っていなかった。一方、隣の美術準備室には美術室より半分の広さに、木製の絵画作品乾燥棚が二台ある。けれど、根津を筆頭とした彼らが、悪ふざけの産物を大量生産するせいで、その棚に置き場はもうない。乾いていない作品を動かすわけにもいかず、仕方なく床に新聞紙を敷き、その上で棚からあぶれた作品を乾燥させているのだ。
作品が完成したら、まずそれを乾かさなければいけない。墨を薄めるために使用したバケツの水捨てや、汚れ防止で机の上に敷いた新聞紙などの片付けは、その後だ。
水野はニタニタと厭らしく笑う根津たちから逃げるように、引き戸一枚隔てて隣接した美術準備室に向かう。そこに近付くにつれ、クラスメイトの数は減っていく。ここは元々、生徒の人数に対して広い教室だ。生徒は黒板がある前に詰めて座るため、奥は空席が目立つ。美術準備室は廊下とは逆の、手洗い場側にあるため、水野は手洗い場へと近付いた。
生徒が座る机の一番奥には、海野がいた。やはり海野はマイペースだ。単純に絵が苦手で作業が遅いのか、それとも相当な力作なのか、海野の周囲には誰もいない。水野は足を止めずに、通り道から海野の手元をちらりと覗く。
「うますぎ……」
波打ち際の海の風景と、海に向かって枝を張り伸ばす松の木は見事な出来栄えだった。水野はその荒々しい美しさの再現に感嘆し、思わず海野の横で立ち止まった。すると、ピクッと肩を揺らした海野の手が止まる。
「あ、邪魔してごめん。海野って、水墨画の才能あるんだね。すごいよ。周りがうるさいけど、最後まで頑張って」
「う、うん。……ありがとう」
海野は顔を向けることこそしなかったが、気分を害したわけではなかったようだ。水野は海野が恥ずかしそうに背中を丸めたのを見てそれを感じると、自分が絵を完成させた時よりも高揚した気持ちで美術準備室へと向かう。
海野はよくクラスメイトから「つまらない奴」なんて言われているが、とんでもない誤解だ。あんな特技があったなんて知らなかった。海野は遠慮深く、真面目な性格もあり口下手だが、話しかけられればちゃんと受け答えをする。容姿も不潔なんてことはなく、髪は柔らかそうなマッシュヘアーで、ワックスを使わないところに中学生らしさがある。重ための前髪から覗かせる小さめな垂れ目と、長い睫毛も可愛らしい。褒められ慣れていないところも好感が持てる。
「もっと早く話しかけとけば良かったな……」
水野は異性の友達がいない。片山ですら、友達とは言えないのだ。
水野はこの夏、またひとつ、大切にしたい宝物を得たような気がした。
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