愛を生かすための呪い

藤崎 柚葉

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第二十八話

解けぬ魔法の種明かし《後編》

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「佐奈が……僕を呪った?」
 とても信じられない。いや、信じたくない話だ。
 ──廉斗くんが声に出せないのなら、私が代わりに証明してあげる。だから、廉斗くんも行動で……口移しでいいから、伝えたいことを教えて。
 潮の香りと濡れる肌。呪いをかけられた日、佐奈とのあのキスの味は忘れたことがない。彼女はたしかに自分のために涙してくれた。そこに下心などなかったはずだ。
 佐奈からの贈り物は、自分と共に罰を背負っていくという覚悟ある言葉と、この先どんな困難をも跳ね返せるような勇気をくれる精一杯の抱擁だった。ゆったりと流れる時間の中で、ほんの一瞬、ふたりが永遠に溶け合うような感覚に陥った。矛盾した表現だろうが、これが廉斗の本心だ。彼は互いのために慈しみの感情を抱いたまま、彼女と一つになれる気がしていたのだ。あれが愛ではないのなら、いったい何だと言うのだろうか。 
 廉斗はあの時、確信を持って佐奈から無償の愛を感じ取っていた。それを何も知らない悦子に否定されては、黙っていられるはずがない。だが、あいにく悦子は全ての出来事を詳細まで知っていて、尚且つ彼らを手の平の上で踊らせていたのだ。
「そうよ。田口家の女は、それができる」
 悦子は言う。佐奈のそれは、自覚なき略奪行為だったと。挙げ句、佐奈を「愛を貪る者」と罵った。
 そんなことはない。廉斗とて、そう言いたかった。だが、彼は恋人の全てを知っているわけではない。特に、一番呪いと関わりがありそうな佐奈の家庭の事情は、認識を改める必要がある。
 廉斗は佐奈の両親が、娘を心から愛しているものだとばかり思っていた。高校三年生の終わり頃に、初めて彼女の両親と顔を合わせた時も、平塚家は一般家庭のように冗談を交えて談笑していたのだ。両親を亡くしてしまった廉斗が羨ましくなるほど、彼女たちの仲はで、特に違和感はなかった。
 佐奈から両親の離婚の話を聞かされていない以上、平塚家の事情に他人の自分が首を突っ込むのはした方が良いだろう。誰しも他人に触れられたくない部分はあるものだ。気を抜けば膨張しそうな、一抹の寂しさを押し殺した廉斗は、悦子と佐奈の母親のトラブルが根深いものだと勘付いていた。そしてそれが、男の自分がとやかく言えるものではなさそうなことも、なんとなく理解していた。
「あのは、母親と同じ罪を重ねているのよ。あの特殊な呪術は連鎖する。それも、女だけに……。まるで伝染病みたいにね」
「女性だけ? それってつまり、何かを奪う能力を引き継ぐことができるのは、女性だけが可能ってことですか?」
「私が知る限りはそうね。瀧夜叉姫から受け継がれた呪術の内、今回のような被術者の愛にまつわる何かを奪う能力は、田口家特有のものよ。それも、女にしか受け継がれていない。術者が誰かを呪うことができるのは、一度きり。ただし、その効力は半永久的に続くわ。なぜなら、あの家系の呪いは他人にも伝染していくからよ。私はね、あの子の母親から呪術が伝染したの」
 そこまで言い切ると、悦子の唇がわなわなと震える。それは、彼女の感情が爆発する前触れだった。
「とばっちりもいいところだわ! あいつのおかしな能力のせいで大切なのものを奪われたのに、今度は自分がその能力を授かるなんてね!」
 胸に手を当ててヒステリックに叫ぶ悦子は、術者が相手の大切なものを奪う呪いは、一度しか使えないと言った。けれど、それでは話の辻褄が合わない。本人の話によれば、悦子は夫と子どものふたりを、佐奈の母親である静江に奪われたらしいのだ。
 もしや、術者が被術者から奪えるものには、数や範囲の制限がないのだろうか。そんな疑問も頭に浮かんだが、廉斗は最も気になることを感傷に浸る悦子に尋ねた。
「じゃあ、あなたはその一回で誰を呪ったんですか?」
 底気味悪い静寂が訪れる。悦子は何も答えない。代わりに目を細めて意味深な微笑みを浮かべるだけだった。その微笑は、何か大事を成し遂げて満足げな、けれど、まだ何か他に隠しているような、ぞっとするほと澄んだ美しい悪意が潜んでいた。
「あなたも呪いについてよく調べてみるといいわ。そうすれば、少しは恋人の気持ちが分かるかもしれないわよ? 女はね、是が非でも愛を獲得しようとする欲深い生き物なの」
 果たして、佐奈の母親から呪術を引き継いだ悦子は、誰に呪いをかけたのか。成海か、美香か、それとも口振りからして佐奈か……。それか、呪術を自分に授けたかたきを呪い返したかもしれない。
 そもそも、佐奈が呪術師としての能力を覚醒させているとしたら、それは血脈けつみゃくの影響が大きい。佐奈には素質があったのだ。彼女の血に潜む、いにしえから続く呪う力を呼び覚まさせるきっかけを与えたのが誰で、それがどんな出来事だったのかは、この際どうだっていい。今は追求しても意味がないのだ。
 仮に佐奈の呪術師としての血の覚醒が叔母の呪いによるものだとして、叔母の話が真実なら、佐奈は自分に流れる血の秘密に気付いていたのだろうか。──恐らく、それはないはず。
 彼女の愛し方は終始一貫している。むしろ、日増しに大きくなる彼女の優しさに、自分は十分な対価を払えていない。
 廉斗は契約から始まった恋人関係から、本物の愛を見つけていた。そう思っていた。
「どうして、佐奈が僕に呪いを? 僕から愛のある言葉を奪っても、悲しむのは彼女ですよ」
 このまま叔母のペースに乗せられては、何も解決しない。そう考えて、話を元に戻す。
「あなたは、血筋だけを根拠に話をして──」
「佐奈ちゃんがよ。愛を貪るあのは、本当の愛を知らないわ。だって、あの女の娘だもの」
 悦子は小馬鹿にするように鼻で笑う。
 叔母はどうしても佐奈の母親に一矢報いたいらしい。なんて執念深いひとだ。廉斗は不快感で唇の両端を締め付けた。
 悦子曰く、愛を貪る者とは、自分の人生をかけたいと思えるほどの相手と出会っても、自分らしさを表現できず、相手の気を引く努力の仕方を間違えるのだそうだ。
「知っているだろうけど、呪いには読み方が二つあるわ。『のろい』と『まじない』……。そう、人を呪うことは犯罪ではないの。言い換えれば、呪い合うことは罪にはならない。それが、ふたりの愛の証明なら尚更ね」
 ──愛は呪いじゃないよ。
 違う。佐奈との関係は、そんな醜いものではない。そう言いたかったが、黒い感情が廉斗の愛を信じる心を覆い、ドロリとした何かが身体を支配していく。そのドロリとした何かは、叶わない相手に片思いをしている時のような不安感であり、それは彼の自己肯定感に直結していた。自分は彼女について何も知らない。どこまで行っても他人という関係から抜け出せず、寂しさが消えない。生じた衝動は、佐奈との信頼関係が綻び始めた合図でもあった。
 誰かを呪うことが罪ではないのなら、愛が呪いではないのなら、罪とは、完全な悪意からしか産まれないものなのだろうか。世の中が善も悪も、そんな純粋な想いで満ち溢れていて、単純な構造をしているとしたら、叔母と自分のような、自分と姉妹のような、こんな複雑な関係は生まれていない。
 廉斗は悦子の口車に乗せられ、あるべき自分の姿を見失う。悦子の言葉は、佐奈から与えられた愛情で満たされていた廉斗の心に、決して小さくはない穴を開けた。早急にこの穴を塞がなければ、自分は孤独だと思い知らされてしまう。家族から見放された、あの頃のように……。空っぽな箱を抱えて生きることの恐怖に再び襲われる廉斗は、薄く開いた唇で危うい呼吸を繰り返す。急にここだけ酸素が薄くなったようだった。
「それに……もしかすると、あの子がかけた呪いは、あなたのためかもしれないわ」
「えっ? それって、どういう意味──」
「果たして、奪われたのは愛の言葉だけかしらね?」
 自分の唇に人差し指を置き、廉斗に向かって首をかしげる。本来なら、女が男を焦らすために試しているような、甘えているような仕草だが、悦子のそれは相手を完全に見下していた。
「ははっ、あははっ!」
 悦子は突然声を上げて笑った。廉斗は先ほどの質問と併せて、現状が理解できない。どこに面白い要素があったというのだろうか。
「揃いも揃って馬鹿ね! ここで私があんたに全ての答えを教えるわけないでしょう!? あんた、恋人のことも、呪いのこともまだ何も分かっちゃいないわ! なんて無様なの!」
 演技を止めた魔女は、邪悪な本性を現す。しかし、その狂った笑い声を止める者がいた。
「ざまあみろ! あんたはせいぜい自分が犯した罪の重さと、偽りの愛に苦しめば──」
「うわーん! ママー! あの人、怖いよー!」
 途端に悦子の顔が引き攣った。彼女が恐る恐る顔を向けた先には、幼稚園児くらいの少女がしゃがんでいる若い女性に抱き着いていた。
茉尋まひろ、ママがいるから大丈夫だよ」
 小さな背中を撫でて息子をあやす母親は悦子と目が合い、怯えた表情をした後、すぐに視線を逸らして、娘を正面から抱えたまま、正面の出入り口から病院に入って行った。
 廉斗はここで叔母の驚くべき姿を目にした。悦子は去っていった母親の後ろ姿を悔しそうに見つめていたのだが、その表情は泣きそうなほど苦しげに歪んでいた。
「叔母さん……」
 初めて叔母がまともに傷付いていると発覚したのだ。この人の過去に、何があったのだろうか。廉斗は自身にかけられた呪いのことを一瞬だけ忘れ、思わず悦子に声をかける。
「黙りなさい」
 振り返った悦子はあからさまに表情を取り繕い、余裕がありそうな不気味で妖艶な笑みをたずさえていた。
「あんたは彼女を想う度、血の出るような痛みに耐えなさいよ。それでもあのと共に生きることを選ぶなら、この呪いを破ればいいわ。でもね、忘れないで。これが佐奈ちゃんが望んだ愛の形よ」
 ふたりとも玄関前の空いた横のスペースにいたが、人の出入りが増えてきた。
 悦子は病院の玄関に向かって足を動かすと、その場で立ち止まったままの廉斗に最後の強がりを見せた。
「その呪いを解くヒントが知りたい? どうしても私とあのの会話の全てが知りたかったら、今度はあんたから私に会いに来なさい。あんたはそこで私に土下座して、姉さんを死なせたことについて謝るの。私たちの決着はそこでつけましょう? 佐奈ちゃんとの愛がまやかしだってことも、私が証明してあげる」



 あれから数日後。廉斗はやっと決心がつき、自分に呪いをかけた自覚があるのか、佐奈に確認しようとしていた。
「もしもし、佐奈?」
「廉斗くん。どうしたの? 今なら時間が取れるから、ゆっくり話しても大丈夫だよ」
 久しぶりの電話だ。佐奈は廉斗の考えを先読みしたようで、気を遣わせないように言葉を選んでいる。
「……いや、ずっと君に会えていなかったから、声が聞きたかっただけなんだ」
 けれど、廉斗はここ一番で佐奈に呪いについて聞くことができなかった。彼は自分に隠し事をしていた彼女に不信感を抱き、佐奈にも、自分の恐怖心にも、向き合えなくなっていたのだ。それは裏切られたという思いと似ていたが、今のところはまだそこまで深い憎しみではない。しかし、それが愛憎になるまでどれほどの猶予が残されているのか、誰も知り得なかった。
「あとさ……もうすでに勉強が以前より忙しくなっているんだ。六年生の中でも一番に教科数の多い年で、薬物治療や衛生とか専門的な科目が出てきて、佐奈に会う余裕がなくなると思う。バイトもシフトを減らすつもりだよ。十一月に研究室を選べるんだけど、そこでもテストの順位が影響してくる。どうしても入りたい研究室があるんだ。だからさ、勉強も本格化するし、なかなか会えないと思うけど、今みたく時間を見つけて連絡するよ」
 結果、この約束は破られた。事実として、ふたりとも学習する教科が多くなっていたのだが、廉斗は意図して佐奈に時間を割こうとしなかった。それは如実に電子データとして現れる。廉斗から佐奈への連絡回数はどんどん少なくなっていき、やがて途絶えてしまう。それは、綻んだ糸が千切れるように前兆が分かるようなものではなく、ある日突然ぷつりと切れたのだった。
 廉斗のこの行動の裏には、この春に日本で誕生した呪具が大いに関係していた。恭平はその呪具が及ぼす人体への危険性を知り、どうにかして自分の身の回りだけでも広めないようするべく、四月の時点で情報と仲間を集めて注意喚起を行おうと画策していた。
「そっか……。私もそうするね。こっちも八月から十月にかけて、特別支援学校で心理支援の実習があるの。その前に、私たちは六月から七月のテスト期間を乗り越えないとなあ……。大変だこりゃ」
 電話越しで佐奈のわざとらしく困ったような声が聞こえてくる。その後に流れた擽ったい笑い声が、廉斗の鼓膜に撫でるように触れる。今はただ、何も考えず、この柔らかい声を抱きしめていたい。触れられなくても、肝心な愛の言葉が言えなくても、この胸に愛しい人の面影を抱いて明日を迎えるのだ。
「そうだね。お互い身体を壊さないように、僕たちの健やかなる成長を願っているよ」
「ふふ、何それ? 廉斗くんってば、相変わらず面白い言い方をするね。じゃあ、私も健やかなる時も病める時も、私たちふたりの成長を祈っているね」
 ふざけ半分の誓いのような祈りの言葉も、彼らを縛る呪いとなり得る。
 世の中の構造は複雑だ。彼らは善意と悪意が混ざるそこを、己の智力を振り絞ってくぐり抜ける必要があった。
 同年六月、いよいよふたりに国家の魔の手が忍び寄る。

《二〇二一年・二月十七日~五月二十一日》
 医療従事者等の先行優先接種が開始。続いて、四月十二日から高齢者の優先接種が開始される。
 政府が衆目を避けて公表したところによると、ワクチン接種開始から約三か月強の五月二十一日までに、八十五人が接種後に死亡していた。死因は突然死が最も多く、年齢問わずワクチンを接種した当日の内に嘔吐して口から白い泡を出したまま急死したり、既往症のない健康な老人が接種翌日の入浴中に突然死するケースが見られた。その他の死因では、既往歴や持病のない若者が接種から五日後、くも膜下出血で死亡していたことが判明する。
 当初、医師集団による「予防接種ワクチン分科会副反応検討部会」はそれら全ての死亡事例について「情報不足のため、ワクチンとの因果関係は評価不能」と発表していた。しかし、後に一部の遺族が約二年もの間、必死の思いで集めた千枚以上にも及ぶ書類によってようやくが、ワクチン接種によるものだとして、正式に厚生労働省の薬事・食品衛生審議会で認定される。ただし、死亡認定されたのは「予防接種健康被害救済制度」での話であり、この制度で認定された死亡者の内、六割超えが国に副反応疑いとして報告されておらず、さらに「情報不足のため評価不能」の事例の再評価が全く行われていなかった。
 なお、ワクチンとの因果関係を事実上は否定した副反応検討部会の専門家の過半数が、新型ウイルスワクチンを開発した製薬会社から巨額の寄付金などを受け取っており、残りのメンバーは国立感染症研究所と日本医師会に所属していた。この事実を突き止めたワクチン薬害を追うジャーナリストが、厚生労働大臣の定例記者会見の場で、ワクチン接種による健康被害と共に幾度となく報告しようとも、大臣は「審議会が重大な懸念は認められないと判断しているので、承認しているワクチンは全て安全である」との答弁を続けている。
 ごく少数の日本人がこれらワクチンの不都合な事実に辿り着くまで、一般国民へのワクチン接種が始まってから、実に三年もの歳月を要したのだった。
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