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其の二の一
①
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「まったくありがてぇこって」
「いや、何。こっちの方こそありがたいというものですよ」
芝居小屋の裏の方で、挨拶をしているのは芝居茶屋の文吉。挨拶を受けているのはこの芝居小屋の座長で役者の風雷桐三郎である。
正月明けの今日は、新年の挨拶と大きな商売に有り付けたそのお礼にと、たくさんの土産を持っての訪問だった。
「うちみたいに新参者の小さな小茶屋では細々やっていくしかないような状況でして、それを通りすがりに声をかけてくれたこの風雷座さんには、どれだけお礼をしたらいいか分かりませんよ」
「それを言うなら、こんな静かな場所で芝居小屋を立ち上げた私どもだって同じでございますよ。こんなところまで来てくださるお客様がいなさる。その方たちに一流の味を提供してくださるようなお茶屋さんは他の有名芝居小屋さんでもうすでに手一杯。私共も将来はお上に許しを得て大芝居となることが夢なもんだから今から一流の味が欲しいところなんですよ。となるとそれに見合うようなお茶屋さんを探さなきゃいけない、ってところで大河屋さんに出会ったってことですよ。」
満面の笑みで話す文吉に、物腰は柔らかいがどこか心ここにあらずなような通り一遍とも感じる話し方をする桐三郎。その身体つきはお役者というには少しばかり外れ、どちらかと言うとがっしりした身体だ。その顔だちもまた筋肉質ではあるが、人好かれするような役者にはもってこいの顔立ちであった。
文吉の方はと言うと、長年小さい商売でコツコツと銭を貯め、立ち上げた芝居茶屋で一旗あげたいと思う中年に差し掛かった男だった。
芝居茶屋と言うのは芝居とは切っても切れないもの。
美味しい食事と幕間の休憩場所を提供する大切な食事処である。
こうした茶屋は、芝居を一日がかりで観る為には欠かせないものだった。
大きな芝居小屋には料亭のような大茶屋。
一般庶民が楽しめる小茶屋。
芝居小屋にはそれぞれ決まった専属の芝居茶屋がたくさんあった。
この大河屋も大きな芝居小屋にお世話になりたいと思ってはいたが、なかなか入り込むには至難の業。どうにか小茶屋としてやっていきたいと小さな芝居小屋の近くで営み始めたところ、ひょんなことから風雷座に出会ったのだった。
「いやぁ本当にありがてぇ。私らも大きな茶屋になれるかも知れねぇし。こんなところに常設の芝居小屋ができるなんざぁ、誰も気づかなかったってぇもんだ。」
「私どもだって、気づいてもらえなきゃ商売上がったりですよ。大河屋さんにはこれからもっと私共の為に活躍してもらわなきゃいけないし。本来なら、こちらの方から挨拶に伺わなくちゃいけないのに、こうしていらしてくださって、まことに申し訳ないことです。」
「しかし、私らの力が無くたってもう評判になってますよ。それはそれは色男のお役者さんがいるって。ここ何日かの間に瞬く間に広まっちまった」
「ありがたい事です」
ここで少し2人の間に沈黙があった。
文吉は商売柄か沈黙が怖かった。
その沈黙の空気が気まずくなる前に何か話題はないものかとくるくると頭の中を巡らせる。そして文吉はかねてからの疑問を桐三郎に聞いてみた。
「だけど、お上からのお許しが出る前にこの小屋を建てて、しかも引幕や花道、回り舞台まである。誰にも何にも言われないんですかい」
この頃の江戸では、常設の芝居小屋にはお上のお許しが必要で、お許しがある芝居小屋にはその証拠としての櫓が掲げられていた。
引幕もお上よりお許しを得た芝居小屋だけが使う事ができたのだったが、この風雷座には引幕があった。
お上からお許しをもらっていない芝居はいわゆる小芝居と言い、緞帳を使い、回り舞台や花道もなく舞台だけに屋根があり、寺の境内や敷地などで興行日数も百日と決められていたのだが、この風雷座においてはほとんどすべてが整っていた。
人寄せの太鼓を叩く櫓こそないが、気がついた時には立派な小屋が忽然と建っていたのだった。
突然の質問に少し驚いたような桐三郎だったが、そこは座長。動じる様子は見せずに小さい声で文吉に耳打ちした。
「もう、秘かにお上からの許しは出ているんですよ。まだ、内緒の話なんですがね。そのうち櫓が上がりますから見ていておくんなさい」
「そりゃあ楽しみでございやすね。まったく、先日の大きな雷が私らの転機と言うか。あれからとんとん拍子に事が運んだように感じますよ。何か神様が、今からお前の天下だよって言ってくれたような気がしてね」 耳打ちされた文吉も自然と小声で答える。
「雷ですか……」
桐三郎の眉がピクリと動いた。
しかし、微妙な変化に文吉は気づかずに話を続けていた。
「どっかに落っこちたような勢いのあの雷。あの晩、あのものすごいのが一回こっきり鳴っただけでしたねぇ」
「そうでしたっけ」
「あれっ?知らねえですか?」
「さあて……」
とぼけた様子で調子よく小茶屋の文吉と話をしているこのお役者の風雷桐三郎。
実は、柔らかい物腰とは裏腹に、お役者という皮をかぶった魔物である。
この風雷座の一座の連中も、桐三郎の手下の妖怪どもだ。
妖術を使いこの芝居小屋を一晩で作り上げ、獲物を狙ってここに巣食ったと言うのが彼らの正体だった。
もちろん、お上のお許しが秘かに出ているなどという話はあろうはずもない。
桐三郎には思うところがあり、妖怪である桐三郎が日の当たる真昼間に人目にさらされるような芝居などと言う危ない橋を渡っているのである。
桐三郎の本当の狙い。
それは、ナナ太郎の肝の中にある勾玉。
あの、空から見たナナ太郎の懐の神々しいあの輝きを見たその日から、桐三郎の心は勾玉の光に魅入られていた。
どうしても手に入れたい。
桐三郎の腹のうちは勾玉を手に入れる為にどす黒く渦巻いていた。
「いや、何。こっちの方こそありがたいというものですよ」
芝居小屋の裏の方で、挨拶をしているのは芝居茶屋の文吉。挨拶を受けているのはこの芝居小屋の座長で役者の風雷桐三郎である。
正月明けの今日は、新年の挨拶と大きな商売に有り付けたそのお礼にと、たくさんの土産を持っての訪問だった。
「うちみたいに新参者の小さな小茶屋では細々やっていくしかないような状況でして、それを通りすがりに声をかけてくれたこの風雷座さんには、どれだけお礼をしたらいいか分かりませんよ」
「それを言うなら、こんな静かな場所で芝居小屋を立ち上げた私どもだって同じでございますよ。こんなところまで来てくださるお客様がいなさる。その方たちに一流の味を提供してくださるようなお茶屋さんは他の有名芝居小屋さんでもうすでに手一杯。私共も将来はお上に許しを得て大芝居となることが夢なもんだから今から一流の味が欲しいところなんですよ。となるとそれに見合うようなお茶屋さんを探さなきゃいけない、ってところで大河屋さんに出会ったってことですよ。」
満面の笑みで話す文吉に、物腰は柔らかいがどこか心ここにあらずなような通り一遍とも感じる話し方をする桐三郎。その身体つきはお役者というには少しばかり外れ、どちらかと言うとがっしりした身体だ。その顔だちもまた筋肉質ではあるが、人好かれするような役者にはもってこいの顔立ちであった。
文吉の方はと言うと、長年小さい商売でコツコツと銭を貯め、立ち上げた芝居茶屋で一旗あげたいと思う中年に差し掛かった男だった。
芝居茶屋と言うのは芝居とは切っても切れないもの。
美味しい食事と幕間の休憩場所を提供する大切な食事処である。
こうした茶屋は、芝居を一日がかりで観る為には欠かせないものだった。
大きな芝居小屋には料亭のような大茶屋。
一般庶民が楽しめる小茶屋。
芝居小屋にはそれぞれ決まった専属の芝居茶屋がたくさんあった。
この大河屋も大きな芝居小屋にお世話になりたいと思ってはいたが、なかなか入り込むには至難の業。どうにか小茶屋としてやっていきたいと小さな芝居小屋の近くで営み始めたところ、ひょんなことから風雷座に出会ったのだった。
「いやぁ本当にありがてぇ。私らも大きな茶屋になれるかも知れねぇし。こんなところに常設の芝居小屋ができるなんざぁ、誰も気づかなかったってぇもんだ。」
「私どもだって、気づいてもらえなきゃ商売上がったりですよ。大河屋さんにはこれからもっと私共の為に活躍してもらわなきゃいけないし。本来なら、こちらの方から挨拶に伺わなくちゃいけないのに、こうしていらしてくださって、まことに申し訳ないことです。」
「しかし、私らの力が無くたってもう評判になってますよ。それはそれは色男のお役者さんがいるって。ここ何日かの間に瞬く間に広まっちまった」
「ありがたい事です」
ここで少し2人の間に沈黙があった。
文吉は商売柄か沈黙が怖かった。
その沈黙の空気が気まずくなる前に何か話題はないものかとくるくると頭の中を巡らせる。そして文吉はかねてからの疑問を桐三郎に聞いてみた。
「だけど、お上からのお許しが出る前にこの小屋を建てて、しかも引幕や花道、回り舞台まである。誰にも何にも言われないんですかい」
この頃の江戸では、常設の芝居小屋にはお上のお許しが必要で、お許しがある芝居小屋にはその証拠としての櫓が掲げられていた。
引幕もお上よりお許しを得た芝居小屋だけが使う事ができたのだったが、この風雷座には引幕があった。
お上からお許しをもらっていない芝居はいわゆる小芝居と言い、緞帳を使い、回り舞台や花道もなく舞台だけに屋根があり、寺の境内や敷地などで興行日数も百日と決められていたのだが、この風雷座においてはほとんどすべてが整っていた。
人寄せの太鼓を叩く櫓こそないが、気がついた時には立派な小屋が忽然と建っていたのだった。
突然の質問に少し驚いたような桐三郎だったが、そこは座長。動じる様子は見せずに小さい声で文吉に耳打ちした。
「もう、秘かにお上からの許しは出ているんですよ。まだ、内緒の話なんですがね。そのうち櫓が上がりますから見ていておくんなさい」
「そりゃあ楽しみでございやすね。まったく、先日の大きな雷が私らの転機と言うか。あれからとんとん拍子に事が運んだように感じますよ。何か神様が、今からお前の天下だよって言ってくれたような気がしてね」 耳打ちされた文吉も自然と小声で答える。
「雷ですか……」
桐三郎の眉がピクリと動いた。
しかし、微妙な変化に文吉は気づかずに話を続けていた。
「どっかに落っこちたような勢いのあの雷。あの晩、あのものすごいのが一回こっきり鳴っただけでしたねぇ」
「そうでしたっけ」
「あれっ?知らねえですか?」
「さあて……」
とぼけた様子で調子よく小茶屋の文吉と話をしているこのお役者の風雷桐三郎。
実は、柔らかい物腰とは裏腹に、お役者という皮をかぶった魔物である。
この風雷座の一座の連中も、桐三郎の手下の妖怪どもだ。
妖術を使いこの芝居小屋を一晩で作り上げ、獲物を狙ってここに巣食ったと言うのが彼らの正体だった。
もちろん、お上のお許しが秘かに出ているなどという話はあろうはずもない。
桐三郎には思うところがあり、妖怪である桐三郎が日の当たる真昼間に人目にさらされるような芝居などと言う危ない橋を渡っているのである。
桐三郎の本当の狙い。
それは、ナナ太郎の肝の中にある勾玉。
あの、空から見たナナ太郎の懐の神々しいあの輝きを見たその日から、桐三郎の心は勾玉の光に魅入られていた。
どうしても手に入れたい。
桐三郎の腹のうちは勾玉を手に入れる為にどす黒く渦巻いていた。
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