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其の三の六
①
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さて、一夜にして消えた芝居小屋の話に戻る。
その噂は、あっという間に江戸中を駆け巡った。
お上から許しも得ずに櫓を立てて芝居をしたのでお上に潰されたんだとか、路銭を支払っていないとか。
前にも言ったように当時の江戸では、幕府に許しを得ている芝居小屋以外が芝居をする為には路銭と言われる興行税を弾左衛門なるものに支払わなければならなかったのだが その弾左衛門に金を払わなかったので追い払われたんだとか、さもそれが真実と思えるような話も含めさまざまな噂が流れた。
噂は尾ひれを引いて広まっていく。
芝居を観ていたはずのお客達が、気が付いてみたら音羽の野っぱらに呆けた顔をして並んで座っていて、皆、自分達が芝居を見に来ていた事さえも覚えていないという考えられない話もあった。
そんなこんなで、芝居を観に来たものがこぞって狸にばかされたのが本当ではないか、と言う話に噂は落ち着く事となった。
この話が、後に語られている数々の江戸の七不思議の中に入っていたかどうかは、この時点ではまだ分かるはずもない。
「まったく残念だ。こちとらナナ太郎さんとかまいたちとの一騎打ちに立ち会うことと期待していたのに。知らない間にすっかり事は済んじまって、かまいたち一座はあっという間に尻尾を巻いて逃げちまったって」
そんなことをブツブツと言いながら日本橋を渡っていたのは、人の姿に化けている馬場先濠の河童の平次郎だ。
良くも悪くも御祭り騒ぎが好きな江戸っ子の河童。
かまいたちが一座を構えていたと言う音羽までわざわざ様子を見に行った帰りという次第だ。
「ちっ、かまいたちの奴、なんの痕も残さないで。慌てて逃げたと言うから逃げ残った手下でも隠れているかと思ったんだが。悪人は逃げ足が速いやね。それにしても人間共の噂の広がる速さときちゃあ、かまいたちの風にも負けないぜ。」
日本橋を渡ったところで若い男女の姿がちらりと平次郎の目に入った。だが、平次郎の頭の中は、音羽のかまいたちの事でいっぱいだったので、二人の近くまで来ても誰とはわからず、下を向き加減で二人の横を通り過ぎようとした。
突然、若い男の方が平次郎に声をかけた。
「平次郎さん、でしたよね」
平次郎の目の前にお可奈と為松が立っていた。
「ひょっ!」
独り言に集中していた平次郎、突然、自分の名前を聞いたので返事をする声がひっくり返ってしまい、ついでに尻もちまでついてしまった。
「大丈夫ですか」
慌てて駆け寄るお可奈と為松である。
お可奈と為松は平次郎の両の手をそれぞれの手で取って、助けようとしたが「おいおい、ありがてぇこったがこれじゃあ返って立ち上がれねえよ」と言ったので、お可奈と為松は二人同時に手を引っ込めた。
そんな二人の様子を見て平次郎はにっこりと笑った。
「まあったく、仲の良いこったな」
「そんなんじゃないです!!」
むきになっるお可奈に、ますます平次郎は意味ありげに二人を見て、今度は声を出して笑い出した。
「アハハハすまんすまん。それで? 今日は二人揃ってどこへ行きなさる? また、なにやら妖しいものでも探しに行きなさるのか?」
「いえ、今日はナナ太郎さんの長屋を訪ねようと思ってるのですが」
為松はからかわれてはいけないと思ったのか平次郎の目を見つめて静かに言った。
「ナナ太郎さんの?」
一瞬、平次郎の顔がこわばったように見えた。
「この間のお礼に行こうと思っています」
為松の言葉の通り、為松の手にはナナ太郎への土産物と思われる菓子の包みがあった。
平次郎の表情に戸惑いを見たように感じたお可奈と為松。
何かまずい事でもあるのかしらと平次郎の次の言葉を待つ二人だった。
そんな空気が伝わってきたのか平次郎はすぐに表情を変えた。
「ナナ太郎さんか。今のうちならまだ商売に出かけていないと思うよ。あっしも丁度長屋にけえるところだ。一緒に道行するとしようかね。まあ三人じゃあ艶っぽくねえか、あははは。」
冗談めいて話している平次郎だが、心の中はナナ太郎への気づかいを考えグルグルと駆け巡っていた。
いけねえいけねえ、この二人に何かを気取られちゃあいけねえや。しかし、この二人ならナナ太郎に近づいても神様もきっと許してくださるだろう。むしろ人間としての修行の相手にはふさわしいのかも知れない。
その噂は、あっという間に江戸中を駆け巡った。
お上から許しも得ずに櫓を立てて芝居をしたのでお上に潰されたんだとか、路銭を支払っていないとか。
前にも言ったように当時の江戸では、幕府に許しを得ている芝居小屋以外が芝居をする為には路銭と言われる興行税を弾左衛門なるものに支払わなければならなかったのだが その弾左衛門に金を払わなかったので追い払われたんだとか、さもそれが真実と思えるような話も含めさまざまな噂が流れた。
噂は尾ひれを引いて広まっていく。
芝居を観ていたはずのお客達が、気が付いてみたら音羽の野っぱらに呆けた顔をして並んで座っていて、皆、自分達が芝居を見に来ていた事さえも覚えていないという考えられない話もあった。
そんなこんなで、芝居を観に来たものがこぞって狸にばかされたのが本当ではないか、と言う話に噂は落ち着く事となった。
この話が、後に語られている数々の江戸の七不思議の中に入っていたかどうかは、この時点ではまだ分かるはずもない。
「まったく残念だ。こちとらナナ太郎さんとかまいたちとの一騎打ちに立ち会うことと期待していたのに。知らない間にすっかり事は済んじまって、かまいたち一座はあっという間に尻尾を巻いて逃げちまったって」
そんなことをブツブツと言いながら日本橋を渡っていたのは、人の姿に化けている馬場先濠の河童の平次郎だ。
良くも悪くも御祭り騒ぎが好きな江戸っ子の河童。
かまいたちが一座を構えていたと言う音羽までわざわざ様子を見に行った帰りという次第だ。
「ちっ、かまいたちの奴、なんの痕も残さないで。慌てて逃げたと言うから逃げ残った手下でも隠れているかと思ったんだが。悪人は逃げ足が速いやね。それにしても人間共の噂の広がる速さときちゃあ、かまいたちの風にも負けないぜ。」
日本橋を渡ったところで若い男女の姿がちらりと平次郎の目に入った。だが、平次郎の頭の中は、音羽のかまいたちの事でいっぱいだったので、二人の近くまで来ても誰とはわからず、下を向き加減で二人の横を通り過ぎようとした。
突然、若い男の方が平次郎に声をかけた。
「平次郎さん、でしたよね」
平次郎の目の前にお可奈と為松が立っていた。
「ひょっ!」
独り言に集中していた平次郎、突然、自分の名前を聞いたので返事をする声がひっくり返ってしまい、ついでに尻もちまでついてしまった。
「大丈夫ですか」
慌てて駆け寄るお可奈と為松である。
お可奈と為松は平次郎の両の手をそれぞれの手で取って、助けようとしたが「おいおい、ありがてぇこったがこれじゃあ返って立ち上がれねえよ」と言ったので、お可奈と為松は二人同時に手を引っ込めた。
そんな二人の様子を見て平次郎はにっこりと笑った。
「まあったく、仲の良いこったな」
「そんなんじゃないです!!」
むきになっるお可奈に、ますます平次郎は意味ありげに二人を見て、今度は声を出して笑い出した。
「アハハハすまんすまん。それで? 今日は二人揃ってどこへ行きなさる? また、なにやら妖しいものでも探しに行きなさるのか?」
「いえ、今日はナナ太郎さんの長屋を訪ねようと思ってるのですが」
為松はからかわれてはいけないと思ったのか平次郎の目を見つめて静かに言った。
「ナナ太郎さんの?」
一瞬、平次郎の顔がこわばったように見えた。
「この間のお礼に行こうと思っています」
為松の言葉の通り、為松の手にはナナ太郎への土産物と思われる菓子の包みがあった。
平次郎の表情に戸惑いを見たように感じたお可奈と為松。
何かまずい事でもあるのかしらと平次郎の次の言葉を待つ二人だった。
そんな空気が伝わってきたのか平次郎はすぐに表情を変えた。
「ナナ太郎さんか。今のうちならまだ商売に出かけていないと思うよ。あっしも丁度長屋にけえるところだ。一緒に道行するとしようかね。まあ三人じゃあ艶っぽくねえか、あははは。」
冗談めいて話している平次郎だが、心の中はナナ太郎への気づかいを考えグルグルと駆け巡っていた。
いけねえいけねえ、この二人に何かを気取られちゃあいけねえや。しかし、この二人ならナナ太郎に近づいても神様もきっと許してくださるだろう。むしろ人間としての修行の相手にはふさわしいのかも知れない。
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