37 / 42
其の三の六
①
しおりを挟む
さて、一夜にして消えた芝居小屋の話に戻る。
その噂は、あっという間に江戸中を駆け巡った。
お上から許しも得ずに櫓を立てて芝居をしたのでお上に潰されたんだとか、路銭を支払っていないとか。
前にも言ったように当時の江戸では、幕府に許しを得ている芝居小屋以外が芝居をする為には路銭と言われる興行税を弾左衛門なるものに支払わなければならなかったのだが その弾左衛門に金を払わなかったので追い払われたんだとか、さもそれが真実と思えるような話も含めさまざまな噂が流れた。
噂は尾ひれを引いて広まっていく。
芝居を観ていたはずのお客達が、気が付いてみたら音羽の野っぱらに呆けた顔をして並んで座っていて、皆、自分達が芝居を見に来ていた事さえも覚えていないという考えられない話もあった。
そんなこんなで、芝居を観に来たものがこぞって狸にばかされたのが本当ではないか、と言う話に噂は落ち着く事となった。
この話が、後に語られている数々の江戸の七不思議の中に入っていたかどうかは、この時点ではまだ分かるはずもない。
「まったく残念だ。こちとらナナ太郎さんとかまいたちとの一騎打ちに立ち会うことと期待していたのに。知らない間にすっかり事は済んじまって、かまいたち一座はあっという間に尻尾を巻いて逃げちまったって」
そんなことをブツブツと言いながら日本橋を渡っていたのは、人の姿に化けている馬場先濠の河童の平次郎だ。
良くも悪くも御祭り騒ぎが好きな江戸っ子の河童。
かまいたちが一座を構えていたと言う音羽までわざわざ様子を見に行った帰りという次第だ。
「ちっ、かまいたちの奴、なんの痕も残さないで。慌てて逃げたと言うから逃げ残った手下でも隠れているかと思ったんだが。悪人は逃げ足が速いやね。それにしても人間共の噂の広がる速さときちゃあ、かまいたちの風にも負けないぜ。」
日本橋を渡ったところで若い男女の姿がちらりと平次郎の目に入った。だが、平次郎の頭の中は、音羽のかまいたちの事でいっぱいだったので、二人の近くまで来ても誰とはわからず、下を向き加減で二人の横を通り過ぎようとした。
突然、若い男の方が平次郎に声をかけた。
「平次郎さん、でしたよね」
平次郎の目の前にお可奈と為松が立っていた。
「ひょっ!」
独り言に集中していた平次郎、突然、自分の名前を聞いたので返事をする声がひっくり返ってしまい、ついでに尻もちまでついてしまった。
「大丈夫ですか」
慌てて駆け寄るお可奈と為松である。
お可奈と為松は平次郎の両の手をそれぞれの手で取って、助けようとしたが「おいおい、ありがてぇこったがこれじゃあ返って立ち上がれねえよ」と言ったので、お可奈と為松は二人同時に手を引っ込めた。
そんな二人の様子を見て平次郎はにっこりと笑った。
「まあったく、仲の良いこったな」
「そんなんじゃないです!!」
むきになっるお可奈に、ますます平次郎は意味ありげに二人を見て、今度は声を出して笑い出した。
「アハハハすまんすまん。それで? 今日は二人揃ってどこへ行きなさる? また、なにやら妖しいものでも探しに行きなさるのか?」
「いえ、今日はナナ太郎さんの長屋を訪ねようと思ってるのですが」
為松はからかわれてはいけないと思ったのか平次郎の目を見つめて静かに言った。
「ナナ太郎さんの?」
一瞬、平次郎の顔がこわばったように見えた。
「この間のお礼に行こうと思っています」
為松の言葉の通り、為松の手にはナナ太郎への土産物と思われる菓子の包みがあった。
平次郎の表情に戸惑いを見たように感じたお可奈と為松。
何かまずい事でもあるのかしらと平次郎の次の言葉を待つ二人だった。
そんな空気が伝わってきたのか平次郎はすぐに表情を変えた。
「ナナ太郎さんか。今のうちならまだ商売に出かけていないと思うよ。あっしも丁度長屋にけえるところだ。一緒に道行するとしようかね。まあ三人じゃあ艶っぽくねえか、あははは。」
冗談めいて話している平次郎だが、心の中はナナ太郎への気づかいを考えグルグルと駆け巡っていた。
いけねえいけねえ、この二人に何かを気取られちゃあいけねえや。しかし、この二人ならナナ太郎に近づいても神様もきっと許してくださるだろう。むしろ人間としての修行の相手にはふさわしいのかも知れない。
その噂は、あっという間に江戸中を駆け巡った。
お上から許しも得ずに櫓を立てて芝居をしたのでお上に潰されたんだとか、路銭を支払っていないとか。
前にも言ったように当時の江戸では、幕府に許しを得ている芝居小屋以外が芝居をする為には路銭と言われる興行税を弾左衛門なるものに支払わなければならなかったのだが その弾左衛門に金を払わなかったので追い払われたんだとか、さもそれが真実と思えるような話も含めさまざまな噂が流れた。
噂は尾ひれを引いて広まっていく。
芝居を観ていたはずのお客達が、気が付いてみたら音羽の野っぱらに呆けた顔をして並んで座っていて、皆、自分達が芝居を見に来ていた事さえも覚えていないという考えられない話もあった。
そんなこんなで、芝居を観に来たものがこぞって狸にばかされたのが本当ではないか、と言う話に噂は落ち着く事となった。
この話が、後に語られている数々の江戸の七不思議の中に入っていたかどうかは、この時点ではまだ分かるはずもない。
「まったく残念だ。こちとらナナ太郎さんとかまいたちとの一騎打ちに立ち会うことと期待していたのに。知らない間にすっかり事は済んじまって、かまいたち一座はあっという間に尻尾を巻いて逃げちまったって」
そんなことをブツブツと言いながら日本橋を渡っていたのは、人の姿に化けている馬場先濠の河童の平次郎だ。
良くも悪くも御祭り騒ぎが好きな江戸っ子の河童。
かまいたちが一座を構えていたと言う音羽までわざわざ様子を見に行った帰りという次第だ。
「ちっ、かまいたちの奴、なんの痕も残さないで。慌てて逃げたと言うから逃げ残った手下でも隠れているかと思ったんだが。悪人は逃げ足が速いやね。それにしても人間共の噂の広がる速さときちゃあ、かまいたちの風にも負けないぜ。」
日本橋を渡ったところで若い男女の姿がちらりと平次郎の目に入った。だが、平次郎の頭の中は、音羽のかまいたちの事でいっぱいだったので、二人の近くまで来ても誰とはわからず、下を向き加減で二人の横を通り過ぎようとした。
突然、若い男の方が平次郎に声をかけた。
「平次郎さん、でしたよね」
平次郎の目の前にお可奈と為松が立っていた。
「ひょっ!」
独り言に集中していた平次郎、突然、自分の名前を聞いたので返事をする声がひっくり返ってしまい、ついでに尻もちまでついてしまった。
「大丈夫ですか」
慌てて駆け寄るお可奈と為松である。
お可奈と為松は平次郎の両の手をそれぞれの手で取って、助けようとしたが「おいおい、ありがてぇこったがこれじゃあ返って立ち上がれねえよ」と言ったので、お可奈と為松は二人同時に手を引っ込めた。
そんな二人の様子を見て平次郎はにっこりと笑った。
「まあったく、仲の良いこったな」
「そんなんじゃないです!!」
むきになっるお可奈に、ますます平次郎は意味ありげに二人を見て、今度は声を出して笑い出した。
「アハハハすまんすまん。それで? 今日は二人揃ってどこへ行きなさる? また、なにやら妖しいものでも探しに行きなさるのか?」
「いえ、今日はナナ太郎さんの長屋を訪ねようと思ってるのですが」
為松はからかわれてはいけないと思ったのか平次郎の目を見つめて静かに言った。
「ナナ太郎さんの?」
一瞬、平次郎の顔がこわばったように見えた。
「この間のお礼に行こうと思っています」
為松の言葉の通り、為松の手にはナナ太郎への土産物と思われる菓子の包みがあった。
平次郎の表情に戸惑いを見たように感じたお可奈と為松。
何かまずい事でもあるのかしらと平次郎の次の言葉を待つ二人だった。
そんな空気が伝わってきたのか平次郎はすぐに表情を変えた。
「ナナ太郎さんか。今のうちならまだ商売に出かけていないと思うよ。あっしも丁度長屋にけえるところだ。一緒に道行するとしようかね。まあ三人じゃあ艶っぽくねえか、あははは。」
冗談めいて話している平次郎だが、心の中はナナ太郎への気づかいを考えグルグルと駆け巡っていた。
いけねえいけねえ、この二人に何かを気取られちゃあいけねえや。しかし、この二人ならナナ太郎に近づいても神様もきっと許してくださるだろう。むしろ人間としての修行の相手にはふさわしいのかも知れない。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる