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残業④
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「まあ、落ち着けや」
間上はグッタリとした学を警備員室のソファーに座らせ、インスタントコーヒーを2人分作り始めた。
少し落ち着いたのか、学が消え入りそうな声で口を開く。
「間上さん。今、外で人が、人…」
「人が倒れていたって言うんだろ?」
間上は学に熱いコーヒーを渡すと、どっかりと学の座っているソファーの向いに座りコーヒーをすするように音を立てて飲んだ。
「よく知ってるよ。あの男はこのビルで働いてたやつだ。もう十年も前になるかな。よく働く男だった」
「じゅ、十年?」学が小さな声で聞き返す。
「4階にあった会社の社員だった。毎日、朝から晩、いや深夜まで、時には会社に泊まる事もあったな。働きづめだったよ。あまりにも遅くまでこのビルにいるものだから、館内を巡回して回る私と知り合いになって、そのうち声を掛け合うようになったんだ。『お疲れ様』『遅くまで大変だね』なんてな」
「あ、あ、あの人、あの人は生きてるんですか?」
「生きて? まさか。あんな身体で生きている訳ないだろ」
「じゃあ、死んでるんだ。死んで……」
「いや、そんなたいそうな……」
間上は学を驚かせたくなかったが、どうにも良い言葉が見つからない。
「だが、十年前までは生きてたよ」
「十年前って……?」
「うん、十年前。彼は吉田孝雄という、以前4階にあった会社の社員だ。彼の会社は急成長してね。毎日忙しく働いていたよ。だが、私利私欲に走った社長が脱税をしていたという話でね。脱税が発端で社長の私的な話をマスコミに叩かれて、会社の信用までがた落ちになった。お得意様からはそっぽを向かれ新規の客は取れない、そんなこんなで経営が難しくなって、会社は倒産したんだ。真面目な吉田君は、最後まで会社の再建に努力をしていたんだが……」
「……どうなったんスか?」
「働きすぎなんだよ」
「だから、どうなったんスか?」学の声が大きく響く。
「毎日毎日、パソコンに向かって会社の為になにやら仕事していたさ」
「だから……」
「いくら努力してもどうにもならない。八方塞がりだったんだろうな」
「で?」
「飛び降りたんだよ」
「あ、あ、あの、あの……」
「そうだ。浦沢君の見たのは十年前のその現場だよ」
間上は、冷めてきたコーヒーを一気に飲み干し続けた。
「あの日は、4階の電気はついているものの誰もいなかった。ヘンだなとは思ったんだ。トイレにでも行っているのかもしれないとも思った。屋上へ行く扉が開いていたのに気づいたのは16階すべてを見回った後だ。屋上には靴がそろえて置いてあった。下を見ると、男が一人倒れていた。それがあの現場だ」
「十年前の現場……が、どうして……」
「う~ん。それはよく分からないが。そう言えば毎日同じ時間に落ちてくるな。あの時間だっけかな。やつが飛び降りたのは」
「毎日……じゃあ、俺は毎日毎回その音を聞いていたって事か……」
「あの日から、いや、あの日を過ぎても吉田君は4階で毎日残業をしているんだ。今日もまた、あの現場から4階に戻ってパソコンを打っていると思うよ。あれ以来、4階に入る会社は倒産するなんて噂があるんだよ。確かにあの後入った会社、次々とみんな倒産しているけれどね。今回は3年。よくもった方なんじゃないかな。その前はみんな1、2年ぐらい、半年ってのもあったな」
「彼は、自殺……ですか?」
「そうみんなは言ってるな」
「原因は?」
「残業のし過ぎって言うか、仕事のし過ぎで、正常な精神じゃなくなったんだろうな。突発的って言うか。判断力がなくなったんじゃないか? 仕事に対して真面目で、未だ執念を持って残業しているんだから。それがその時だけ、あの十年前のあの日、突然、嫌になったんだろうな」
学は、恐る恐る間上に聞いてみた。
「今日も? 残業?」
「そうそう。仕事熱心な男でね。朝礼だって毎日かかさず出ている」
「毎日、朝礼って……」
「そう。毎日。人の会社の朝礼なのにね。あの後入った会社の朝礼に吉田君も出てたよ。ある時…まあ夜勤が多いから、そうある話じゃないんだけど、たまたま朝、4階に行く用事があったので見てみたら、吉田君、もう、4階には違う会社が入っているのに、その会社の朝礼にあの身体で出ているからビックリしたよ。まあ、誰も気に留めなかったけどね。というより、気づかない、誰にも見えないって話か。ハハハ」
「ま、ま、間上さんは、平気なんですか?」
こんなビックリするような話を脳天気に笑う間上に、学はそれまでの恐怖が少し遠のいた感じがした。
「だって、彼は彼だよ。何も悪さはしない。真面目に仕事しているだけだ」
「だけど……」
「彼は何時(いつ)だってあそこにいたんだが、みんな気が付かないんだよ。まあ、机やら書類やらがあるとそっちに気を取られて気が付かないのかもしれないが、ああいう風にガランとして何にもない部屋だと鈍感な人間も彼に気が付くみたいだな」
「そ……うなんですか……」
「浦沢君、今日、君を吉田君に紹介するよ」
「はぁ?」
何を言い出すんだと学は思った。確かに今日は間上さんと巡回すると約束したけど、恐怖が少し遠のいたとは言え冗談じゃない。と、心の中では叫んでいた学だったが。
「彼は、いいやつだよ」
「いや、そんな、いいっスよ」
断る言葉は遠慮がちになっていた。
「君だって、アルバイトとは言え警備員の端くれだ。これから正社員になろうと思ってんだろ? こんな事たいした事じゃないから。彼と仲良くなれば君も立派な正社員だ。僕が上に推薦するよ。昇級試験無しでいこうじゃないか」
「でも……」
「最初は、ビックリするかもしれないが、慣れてしまえば普通の会社員だ。このビルに勤めている他のやつらと変わりはないよ」
そろそろ間上に見回りの仕事を教えてもらって責任を持たないといけない時期に来ていると思ってはいた学だが、こんなタイミングでこんなチャンスが来るとは思ってもみなかった。断ったら正社員の道はなくなるだろう。と学は思っていた。
「じゃあ、次の見回りに連れて行ってください」
迷っていた学だったが、返事の言葉はするりと口を突いて出てしまった。
しまった。言ってしまった…
思った時は後の祭りだった。
「そうか。行くか。そうか、そうか」
嬉しそうに間上は言った。
残業⑤へ続く
間上はグッタリとした学を警備員室のソファーに座らせ、インスタントコーヒーを2人分作り始めた。
少し落ち着いたのか、学が消え入りそうな声で口を開く。
「間上さん。今、外で人が、人…」
「人が倒れていたって言うんだろ?」
間上は学に熱いコーヒーを渡すと、どっかりと学の座っているソファーの向いに座りコーヒーをすするように音を立てて飲んだ。
「よく知ってるよ。あの男はこのビルで働いてたやつだ。もう十年も前になるかな。よく働く男だった」
「じゅ、十年?」学が小さな声で聞き返す。
「4階にあった会社の社員だった。毎日、朝から晩、いや深夜まで、時には会社に泊まる事もあったな。働きづめだったよ。あまりにも遅くまでこのビルにいるものだから、館内を巡回して回る私と知り合いになって、そのうち声を掛け合うようになったんだ。『お疲れ様』『遅くまで大変だね』なんてな」
「あ、あ、あの人、あの人は生きてるんですか?」
「生きて? まさか。あんな身体で生きている訳ないだろ」
「じゃあ、死んでるんだ。死んで……」
「いや、そんなたいそうな……」
間上は学を驚かせたくなかったが、どうにも良い言葉が見つからない。
「だが、十年前までは生きてたよ」
「十年前って……?」
「うん、十年前。彼は吉田孝雄という、以前4階にあった会社の社員だ。彼の会社は急成長してね。毎日忙しく働いていたよ。だが、私利私欲に走った社長が脱税をしていたという話でね。脱税が発端で社長の私的な話をマスコミに叩かれて、会社の信用までがた落ちになった。お得意様からはそっぽを向かれ新規の客は取れない、そんなこんなで経営が難しくなって、会社は倒産したんだ。真面目な吉田君は、最後まで会社の再建に努力をしていたんだが……」
「……どうなったんスか?」
「働きすぎなんだよ」
「だから、どうなったんスか?」学の声が大きく響く。
「毎日毎日、パソコンに向かって会社の為になにやら仕事していたさ」
「だから……」
「いくら努力してもどうにもならない。八方塞がりだったんだろうな」
「で?」
「飛び降りたんだよ」
「あ、あ、あの、あの……」
「そうだ。浦沢君の見たのは十年前のその現場だよ」
間上は、冷めてきたコーヒーを一気に飲み干し続けた。
「あの日は、4階の電気はついているものの誰もいなかった。ヘンだなとは思ったんだ。トイレにでも行っているのかもしれないとも思った。屋上へ行く扉が開いていたのに気づいたのは16階すべてを見回った後だ。屋上には靴がそろえて置いてあった。下を見ると、男が一人倒れていた。それがあの現場だ」
「十年前の現場……が、どうして……」
「う~ん。それはよく分からないが。そう言えば毎日同じ時間に落ちてくるな。あの時間だっけかな。やつが飛び降りたのは」
「毎日……じゃあ、俺は毎日毎回その音を聞いていたって事か……」
「あの日から、いや、あの日を過ぎても吉田君は4階で毎日残業をしているんだ。今日もまた、あの現場から4階に戻ってパソコンを打っていると思うよ。あれ以来、4階に入る会社は倒産するなんて噂があるんだよ。確かにあの後入った会社、次々とみんな倒産しているけれどね。今回は3年。よくもった方なんじゃないかな。その前はみんな1、2年ぐらい、半年ってのもあったな」
「彼は、自殺……ですか?」
「そうみんなは言ってるな」
「原因は?」
「残業のし過ぎって言うか、仕事のし過ぎで、正常な精神じゃなくなったんだろうな。突発的って言うか。判断力がなくなったんじゃないか? 仕事に対して真面目で、未だ執念を持って残業しているんだから。それがその時だけ、あの十年前のあの日、突然、嫌になったんだろうな」
学は、恐る恐る間上に聞いてみた。
「今日も? 残業?」
「そうそう。仕事熱心な男でね。朝礼だって毎日かかさず出ている」
「毎日、朝礼って……」
「そう。毎日。人の会社の朝礼なのにね。あの後入った会社の朝礼に吉田君も出てたよ。ある時…まあ夜勤が多いから、そうある話じゃないんだけど、たまたま朝、4階に行く用事があったので見てみたら、吉田君、もう、4階には違う会社が入っているのに、その会社の朝礼にあの身体で出ているからビックリしたよ。まあ、誰も気に留めなかったけどね。というより、気づかない、誰にも見えないって話か。ハハハ」
「ま、ま、間上さんは、平気なんですか?」
こんなビックリするような話を脳天気に笑う間上に、学はそれまでの恐怖が少し遠のいた感じがした。
「だって、彼は彼だよ。何も悪さはしない。真面目に仕事しているだけだ」
「だけど……」
「彼は何時(いつ)だってあそこにいたんだが、みんな気が付かないんだよ。まあ、机やら書類やらがあるとそっちに気を取られて気が付かないのかもしれないが、ああいう風にガランとして何にもない部屋だと鈍感な人間も彼に気が付くみたいだな」
「そ……うなんですか……」
「浦沢君、今日、君を吉田君に紹介するよ」
「はぁ?」
何を言い出すんだと学は思った。確かに今日は間上さんと巡回すると約束したけど、恐怖が少し遠のいたとは言え冗談じゃない。と、心の中では叫んでいた学だったが。
「彼は、いいやつだよ」
「いや、そんな、いいっスよ」
断る言葉は遠慮がちになっていた。
「君だって、アルバイトとは言え警備員の端くれだ。これから正社員になろうと思ってんだろ? こんな事たいした事じゃないから。彼と仲良くなれば君も立派な正社員だ。僕が上に推薦するよ。昇級試験無しでいこうじゃないか」
「でも……」
「最初は、ビックリするかもしれないが、慣れてしまえば普通の会社員だ。このビルに勤めている他のやつらと変わりはないよ」
そろそろ間上に見回りの仕事を教えてもらって責任を持たないといけない時期に来ていると思ってはいた学だが、こんなタイミングでこんなチャンスが来るとは思ってもみなかった。断ったら正社員の道はなくなるだろう。と学は思っていた。
「じゃあ、次の見回りに連れて行ってください」
迷っていた学だったが、返事の言葉はするりと口を突いて出てしまった。
しまった。言ってしまった…
思った時は後の祭りだった。
「そうか。行くか。そうか、そうか」
嬉しそうに間上は言った。
残業⑤へ続く
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