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残業③
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都会の一等地に建つ十六階建てのこのオフィスビルは、一つの会社が一フロアを借りて丁度良い、適当な広さを持つ大きさだった。見回りにそう時間はかからなかったが、それでも小一時間はかかる。留守番をしている浦沢学は、その間、夜食を食べたり音楽を聴いたりしていたが、自由な時間とは言え話し相手も無くなかなか暇な時間だ。だからと言ってどこかへフラフラと出歩く事も出来ない。拘束される事も仕事のうちだ。一人が見回って一人が留守番をする。理想的な形態ではあったが、いつもベテランの間上だけが見回るというのも学にしてみれば気が引ける。
今日こそ見回りに付いていくか。
今日はそう覚悟して仕事場にやって来た。
6時には警備員室に入った。
このオフィスビルに入居している会社の勤務状況はさまざまだ。
5時に就業時間を終え、残業を殆どせずに7時には全員が引けてしまう会社。6時から7時に就業時間を向かえ、そこから一人減り二人減りしながら残業にだらだらと突入していくような会社。いっぺんにビル全体が静かになることは殆どない。とは言え、午後十一時を回る頃にはごく稀な時期を除いて、すべての会社の人間が退出してこのビルは警備員だけになる。
十二時になり最初の見回りの時間だった。
「じゃあ、留守番頼むよ」
そう言って間上が警備員室から出て行こうとする時だった。
「間上さん、今日は僕も一緒に行っていいッすか?」
意を決したような神妙な面持ちで浦沢学は言った。急な申し出に少し驚いた顔をした間上だったが、戸惑いは無い様子ですぐさまこう言った。
「今はまだ早い時間だから誰か来るかもしれないし、オフィスに用事を思い出してここに勤めているやつが戻ってくるとも限らない。誰かが残っていないといけないからな……次の見回りの時間に同行してくれよ。見回りの順路を教えるから」
「分かりました」
学は、やはり間上は同行すると言い出すのを待っていたんだと思った。
間上だって、毎日毎日、一人で深夜ばかりの勤務では嫌になるに違いない。何か自分が期待に答える事ができたような気がして、気持ちがすっきりとしたようだった。
次の時間か……フフッ、噂を確かめるのにもいい時間かも。だけど、一人じゃないシナ。今日はその噂のヤツもビビッて出てこないかもしれない。アキラにはそんな噂は笑い話だとちょっとえばって言ってやるか。などと思い巡らしながら、警備員室で雑誌などを眺めていた。
ドチャッッッ
な、なんだ?
表から大きな鈍い音が聞こえた。
またか。この音、気に留めてなかったけど、いつも聞こえてくるな。
今日は、いつになくはっきりとした音で聞こえたような気がした。
表だよな。何の音だ?
今日から本格的に仕事をしようと思った意欲の現われなのか、学は警備員としての自覚を感じていた。
俺はアルバイトとは言え警備員だ。このオフィスビルの敷地内で起きた事はチェックしておかなければいけない。とにかく留守番をしている今は、自分が確認をしなければと思い、ドキドキしながら警備員室を出た。
深夜の街。車の走る音はあったが、それ以外には何も聞こえる事はなく静かだった。一見、何事も無く思える。
用心深く辺りを見回す。
入り口から十メートルも離れたところだろうか。ちょうどビルの植え込みの側に大きな物体が落ちているのが見える。
なんだろう。
学は、おそるおそる近づいて驚いた。
人だ!
人が倒れている。しかも大量の血が流れ出ているのが分かる。誰か、今まさにこのビルから落ちた。そんな感じだ。
まだ、息をしているかもしれない。そう思いながらも足がすくんで前に出なかった。
救急車だ。
小刻みに震える手で携帯を取り出し電話をかけようとした時、声がした。
「やあ、新しい人? 浦沢君だっけ?」
学が、その声の主に目をやると、それは、ビルから落ちて倒れている筈の男だった。
「間上さんから聞いてるよ」
その倒れていた男はゆっくりと起き上がった。
学はその姿を見て声にならない悲鳴を上げていた。全身に寒気が走り冷や汗が流れる。
その男は落ちた衝撃で、頭は半分崩れ血だらけで目は飛び出し、肩から骨が覗いていた。その肩の骨は折れているようで、少し手が曲がっている。
その男は学に向かって歩き出した。歩くカッコウも少しギクシャクしている。
学は逃げようにも足が動かない。腰も抜けているような感じだ。
「いい仕事しろよ。なんでも勉強だ」
男の手が学をめがけて突き出され、学は金縛りにあったように動けず、声をあげる事もできない。
男はその伸ばした手で、学の肩をポンと叩くとぎこちなくそしてゆっくりとビルの中に入っていった。
恐怖に顔が引きつり、学はその場にペタンと座り込んでしまった。肩に叩かれた手の感触がいつまでも残る。
都会の真ん中にあるこのビルは、深夜でも車が行きかうような場所だ。だが、この光景を誰も気が付く事もなく、普段と変わらない夜が過ぎているようだった。
「おい、こんなところにいたのか」しばらくすると、後ろから間垣に呼ばれた。
「どうしたんだ、気の抜けたような顔をして。顔色も悪いし」
「ま、ま、ま」
やっとのことで声が出る。
「間上さん。今、今ここに、おとこの、男」
間上は学の様子を見てハッとした。そして、すべて分かったというようにうなずいて言った。
「ああ、うん。とにかく警備室に戻ろうか」
間上は座り込んでいる学を引き上げ、自分の肩に学の手を回した。学は間上に引きずられるように歩き、2人はビルの中に入っていった。
残業④へ続く
今日こそ見回りに付いていくか。
今日はそう覚悟して仕事場にやって来た。
6時には警備員室に入った。
このオフィスビルに入居している会社の勤務状況はさまざまだ。
5時に就業時間を終え、残業を殆どせずに7時には全員が引けてしまう会社。6時から7時に就業時間を向かえ、そこから一人減り二人減りしながら残業にだらだらと突入していくような会社。いっぺんにビル全体が静かになることは殆どない。とは言え、午後十一時を回る頃にはごく稀な時期を除いて、すべての会社の人間が退出してこのビルは警備員だけになる。
十二時になり最初の見回りの時間だった。
「じゃあ、留守番頼むよ」
そう言って間上が警備員室から出て行こうとする時だった。
「間上さん、今日は僕も一緒に行っていいッすか?」
意を決したような神妙な面持ちで浦沢学は言った。急な申し出に少し驚いた顔をした間上だったが、戸惑いは無い様子ですぐさまこう言った。
「今はまだ早い時間だから誰か来るかもしれないし、オフィスに用事を思い出してここに勤めているやつが戻ってくるとも限らない。誰かが残っていないといけないからな……次の見回りの時間に同行してくれよ。見回りの順路を教えるから」
「分かりました」
学は、やはり間上は同行すると言い出すのを待っていたんだと思った。
間上だって、毎日毎日、一人で深夜ばかりの勤務では嫌になるに違いない。何か自分が期待に答える事ができたような気がして、気持ちがすっきりとしたようだった。
次の時間か……フフッ、噂を確かめるのにもいい時間かも。だけど、一人じゃないシナ。今日はその噂のヤツもビビッて出てこないかもしれない。アキラにはそんな噂は笑い話だとちょっとえばって言ってやるか。などと思い巡らしながら、警備員室で雑誌などを眺めていた。
ドチャッッッ
な、なんだ?
表から大きな鈍い音が聞こえた。
またか。この音、気に留めてなかったけど、いつも聞こえてくるな。
今日は、いつになくはっきりとした音で聞こえたような気がした。
表だよな。何の音だ?
今日から本格的に仕事をしようと思った意欲の現われなのか、学は警備員としての自覚を感じていた。
俺はアルバイトとは言え警備員だ。このオフィスビルの敷地内で起きた事はチェックしておかなければいけない。とにかく留守番をしている今は、自分が確認をしなければと思い、ドキドキしながら警備員室を出た。
深夜の街。車の走る音はあったが、それ以外には何も聞こえる事はなく静かだった。一見、何事も無く思える。
用心深く辺りを見回す。
入り口から十メートルも離れたところだろうか。ちょうどビルの植え込みの側に大きな物体が落ちているのが見える。
なんだろう。
学は、おそるおそる近づいて驚いた。
人だ!
人が倒れている。しかも大量の血が流れ出ているのが分かる。誰か、今まさにこのビルから落ちた。そんな感じだ。
まだ、息をしているかもしれない。そう思いながらも足がすくんで前に出なかった。
救急車だ。
小刻みに震える手で携帯を取り出し電話をかけようとした時、声がした。
「やあ、新しい人? 浦沢君だっけ?」
学が、その声の主に目をやると、それは、ビルから落ちて倒れている筈の男だった。
「間上さんから聞いてるよ」
その倒れていた男はゆっくりと起き上がった。
学はその姿を見て声にならない悲鳴を上げていた。全身に寒気が走り冷や汗が流れる。
その男は落ちた衝撃で、頭は半分崩れ血だらけで目は飛び出し、肩から骨が覗いていた。その肩の骨は折れているようで、少し手が曲がっている。
その男は学に向かって歩き出した。歩くカッコウも少しギクシャクしている。
学は逃げようにも足が動かない。腰も抜けているような感じだ。
「いい仕事しろよ。なんでも勉強だ」
男の手が学をめがけて突き出され、学は金縛りにあったように動けず、声をあげる事もできない。
男はその伸ばした手で、学の肩をポンと叩くとぎこちなくそしてゆっくりとビルの中に入っていった。
恐怖に顔が引きつり、学はその場にペタンと座り込んでしまった。肩に叩かれた手の感触がいつまでも残る。
都会の真ん中にあるこのビルは、深夜でも車が行きかうような場所だ。だが、この光景を誰も気が付く事もなく、普段と変わらない夜が過ぎているようだった。
「おい、こんなところにいたのか」しばらくすると、後ろから間垣に呼ばれた。
「どうしたんだ、気の抜けたような顔をして。顔色も悪いし」
「ま、ま、ま」
やっとのことで声が出る。
「間上さん。今、今ここに、おとこの、男」
間上は学の様子を見てハッとした。そして、すべて分かったというようにうなずいて言った。
「ああ、うん。とにかく警備室に戻ろうか」
間上は座り込んでいる学を引き上げ、自分の肩に学の手を回した。学は間上に引きずられるように歩き、2人はビルの中に入っていった。
残業④へ続く
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