オオカミ様の契約婚約者になりました――兄がやらかしたので、逃げます!――

ととせ

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42 逃げる

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早朝、ミツバは頬をつつかれ目を覚ました。

「三葉起きろ。迎えが来てる」

 店を覆う蛇を警戒してか、吹雪は陶器の姿のままだ。

「おはよう、吹雪」

 隣で眠っているハルを起こさないよう、そっと布団から出る。外はまだ薄暗く、夜は明けきっていない。
 窓の外を窺うと、街灯の影に弘城が立っているのが見えた。

(来てくれたんだ)

 てっきり大神家の女中が迎えに来ると思っていた三葉は、弘城の姿に驚く。

「見張りの蛇の力が弱まっている。出るなら今のうちだ」
「ええ」

 急かす吹雪に頷いて、素早く身支度を調える。そのまま出ようとすると、背後から風呂敷包みが差し出された。

「忘れ物。これ、女学校の制服と教科書でしょ?」
「ハルさん」

 焦る三葉にハルはニコッと歯を見せて笑った。

「早く逃げな」
「でもハルさんは……」
「いいから、早く。ほら、こっち。まさか表から出るなんて、馬鹿な事しないでよ」

 裏口へと手を引いていくハルに、三葉は困惑する。
 昨日会ったばかりの自分を何故ハルは逃がそうとしてくれるのだろうか。

「心配してくれる人がいるって、とても有り難い事だよ。その人を大切にしなよ」

 まるでハルにはいないような物言いに、心の奥がぎゅっと締め付けられたように痛む。

「私、ハルさんが心配だよ。一緒に行こう。私の友達に頼めば、ちゃんとしたお屋敷で住み込みの仕事を紹介してもらえるから」

 するとハルは首を横に振った。

「あたしはもう、結構な金額を前借りして仕送りしてるんだ。だから逃げられない。あんたみたいに優しいお嬢さんに心配してもらえただけで嬉しいよ」
「そんな」
「食うや食わずの田舎から出てきたあたしと普通に話してくれたのは三葉だけだったからさ……三葉はこんなところにいちゃいけない」

 裏の勝手口を開けると、通りを挟んだ先に弘城が立っている。

「ほら、行きなって。迎えの人が困ってるよ」

 ハルが三葉の背中を押し、大神に会釈をすると店に引っ込む。
 背中で扉が閉まる音を聞き、三葉は振り返る。

「三葉、急いで。蛇が寝ているうちに店から離れるんだ」

 帯の中から、吹雪が呼びかける。

 小走りに弘城の側へ駆け寄ると、彼が三葉の手を掴んで歩き出す。

「お仕事は?」
「君が気にすることではないよ。それより、あれから大丈夫だった?」

 問われて三葉は頷いてから、俯いたまま弘城に謝罪する。

「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
「迷惑だなんて思っていないよ」

 優しい言葉に三葉は首を横に振る。

「これも私の力なんですか? ハルさんを置いて逃げることしかできない。こんな出来損ないの力しか無いのに、どうして助けてくれるんですか?」
「それは――」
「神憑の力のせいで、私だけ助かるなら……こんな力いらない。私なんか、いないほうがいいのに」

 羽立野家で三葉は厄介者でしかなかった。世間体を気にして女学校へは通わせてもらっていたが、家では使用人達からも存在していないかのような扱いを受けていた。
 弘城から出自を教えてもらっても、結局の所自分は迷惑ばかりかける厄介な人間としか思えない。

「どうして三葉さんはそんなにも自身を過剰に卑下するんだい?」
「卑下じゃありません。私はみなさんに迷惑ばかりかける、どうしようもない存在なんです」

 自分で自分の貶める言葉を口にする度、三葉の心はきりきりと痛む。でもこの痛みこそ、厄介な存在で迷惑ばかりかける自分への罰だと思えば仕方ないと受け入れる事ができた。
 なのに弘城は、自分を罰する三葉を止めようとする。

「三葉さん。私は本当の言葉が聞きたい」
「本当の事しか言ってません。それに弘城さんは、私の力は「逃げる」事だけって言ったじゃないですか。卑怯者なんです。迷惑ばかりかける卑怯者……」
「ここには君と私しかいない」

 ふいに弘城が立ち止まり、三葉の両肩を掴んで正面から向き合う。

「私は君を否定しない。信じてほしい」

 灰色の瞳が真っ直ぐに三葉を射る。

「だって……私は……そうしなきゃ……いけなかったから」
「うん」

 ぽろぽろと涙が溢れる。

「何を言われても、口答えしたら駄目なんです。全部私が悪いって……羽立野家に引き取られてから、それが当たり前で……」
「君はもう、羽立野家に囚われなくていい」

 弘城の腕が三葉を引き寄せ抱きしめた。明け方で人通りがなくても、ここは繁華街の大通りだ。
 誰かに見られたりすれば、自分はともかく大神家の家名に傷が付く。

「弘城さん、手を……」
「いきなり考えを変えるのも難しいだろう。でもね三葉さん。私は真実、君を綺麗だと思っている。外見もその心の在り方も」

 三葉の肩口にそっと顔を寄せた弘城が囁いた。

「これからは何があっても、私が君を守るから」

 どう答えればいいのか戸惑う三葉の耳に聞き慣れた声が響いた。

「――いい雰囲気の処、お邪魔するわね」
「江奈君」
「江奈様」

 二人の近くに停まった車の助手席の窓が開き、蛇頭江奈が顔を見せた。

「見張りの蛇は押さえてるけど、私が力を使ってるって向こうに感知されると面倒なの。早く乗って」
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