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57 終幕 2
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本家の跡取りとして生まれた弘城は、生まれながらに強力な神憑《かみつき》だった。
そして両親は、残念なことに神憑ではなかった。
幼い身に宿る力は規格外であり、わずかに意識を向けるだけで「狼」の神を降ろすことさえできた。
大神家にとっては頼もしい存在であるはずだったが、実際にはそうではない。
両親は我が子を畏れ崇めこそすれ、親として寄り添うことはなかった。
むしろ本来なら当主が負うべき責務を幼い弘城に押し付け、自らはその背後に退いてしまったのである。
いくら周囲からもてはやされても、幼子にとって両親の不在は深い孤独でしかない。
儀式に臨んでも、節目の時を迎えても、隣にいてくれるはずの両親の姿はない。周囲から無遠慮に向けられる好奇の視線と、期待の重圧だけが弘城の肩にのしかかる。
当然ながら弘城の存在を快く思わない者もいた。
強すぎる力は恐れを呼び、同時に嫉妬をも招く。親戚の中には、神排に傾倒する者と手を組み、幼い弘城を疎ましげに見ていた者さえいた。
『あれが生まれたせいで、我が子が跡取りになる道が絶たれた』
聞こえるように悪意をぶつけられても、庇ってくれるはずの親はいない。
やがてその悪意は現実となる。
ある日、儀式のため山深い場所に建つ社へと向かっていた弘城は、神排の者たちに誘拐され、贄として捧げられそうになったのだ。
必死に抵抗した。だが神憑といえども、子どもと複数の大人では力の差は歴然で、数の暴力に負けるのは時間の問題だった。
山の中を何日も逃げ回り、疲れ果てた弘城は足を滑らせ崖の下へと転落する。
そこは神社の裏手にある人目のない場所だった。
身を打ちつけた衝撃で全身の骨はきしみ肌は擦り傷に覆われ、満身創痍のまま倒れ込む。
ここで自分の命は尽きるのかと、何処か達観して目を瞑ったその時だった。
偶然そこを通りかかったのが、三葉の母だった。
彼女は瀕死の弘城を見て駆け寄り、ためらいなくその身に手をかざした。淡い光が彼女の掌から溢れ、血に濡れた肌を癒やしていく。
温もりが広がり、痛みどころか飢えや渇きさえ消えた。弘城が初めて、心から安堵を覚えた瞬間だった。
「もう大丈夫よ。――白の袴という事は、名のあるお家の方でしょう? お付きの人は?」
他者から優しい声をかけられたのは久しぶりの事で、弘城は驚きながらも丁寧に答える。
「助けていただきありがとうございます。僕を追っていた者達は……贄にする、と言っていました。僕は戦ったのですが、力及ばす崖から落ちました」
それは幼子の精一杯の誇りだった。けれども返ってきたのは静かな問い。
「ご両親は?」
短い沈黙ののち、弘城は首を横に振った。今日は数年に一度の大切な儀式だというのに、付き添ってもらえなかった。
自分が酷く惨めな存在に思えて俯いていると、彼女は信じられない事を言ったのだ。
「贄? そんな連中と正面切って立ち向かわなくていいのよ。第一、そんな連中がいるなら、親が付き添うべきでしょう。子どもを一人にしておいて、恥ずかしくないのかしら」
これまで当主として「どんな困難にも立ち向かうように」と教えられてきた弘城はただ驚く。
この時弘城は、初めて両親に対して疑問を持った。
「お父さんとお母さんを悪く言ってごめんなさい」
「いえ、事実ですから。あの人たちは、僕が嫌いなんです」
淡々と事実を告げる弘城の言葉から何か察したのか、彼女は再び問う。
「君、名前は?」
「大神弘城。次期当主です」
「大神……」
その名を聞くと、大人の反応は二つに分かれる。恐怖するか、媚びるか。けれど彼女は少しばかり眉を顰めただけで、優しく弘城の頭を撫でたのだ。
「大変なお役目を持って生まれたのね。……辛いこともあったでしょう。いま君が殺されたら、大神家だけでなく神を奉る多くの家が混乱するわ。だから今は、何としてでも身を隠して逃げなさい」
「でも、そのようなことは許されません。悪い人達には、堂々と立ち向かうのが立派な男だと教わりました」
その言葉には両親から何度も言われた言葉だ。そこには『面倒ごとに親を巻き込むな』と必ず付け加えられていたが、弘城はどうしてもそれを言えなかった。
そんな弘城の心を読んだみたいに、彼女は言い聞かせるように続けた。
「多くの人を守るためにも、あなたは生き延びなければならないの。だから逃げていいのよ」
彼女の言葉は、不思議と心にストンと落ちた。
だが納得はしても弘城はまだ幼く、当主としての力も未熟だ。逃げろと言われても、方法が分からず、恐怖と戸惑いばかりが胸に渦巻く。
「頼れる人は?」と問われ、思わず口にしたのは祖父の名だった。厳格な人だが、弘城は祖父が好きで、お正月の挨拶の時だけ会えるのを楽しみにしていた。
両親は近づこうとしない、畏れの対象。だが血を分けた家族である以上、最後に縋れるのはそこしかない。
住む町の名は覚えていたから伝えると、彼女はわずかに安堵したように頷き、祖父の住む町までの具体的な道を示した。
「神社の裏に、地元の人しか知らない道があるわ。そこを下れば麓の駅に出ます。お爺さまの住む町までは、二駅ほどかしら」
懐から小さな財布を取り出し、弘城の掌に押し込む。
そして両親は、残念なことに神憑ではなかった。
幼い身に宿る力は規格外であり、わずかに意識を向けるだけで「狼」の神を降ろすことさえできた。
大神家にとっては頼もしい存在であるはずだったが、実際にはそうではない。
両親は我が子を畏れ崇めこそすれ、親として寄り添うことはなかった。
むしろ本来なら当主が負うべき責務を幼い弘城に押し付け、自らはその背後に退いてしまったのである。
いくら周囲からもてはやされても、幼子にとって両親の不在は深い孤独でしかない。
儀式に臨んでも、節目の時を迎えても、隣にいてくれるはずの両親の姿はない。周囲から無遠慮に向けられる好奇の視線と、期待の重圧だけが弘城の肩にのしかかる。
当然ながら弘城の存在を快く思わない者もいた。
強すぎる力は恐れを呼び、同時に嫉妬をも招く。親戚の中には、神排に傾倒する者と手を組み、幼い弘城を疎ましげに見ていた者さえいた。
『あれが生まれたせいで、我が子が跡取りになる道が絶たれた』
聞こえるように悪意をぶつけられても、庇ってくれるはずの親はいない。
やがてその悪意は現実となる。
ある日、儀式のため山深い場所に建つ社へと向かっていた弘城は、神排の者たちに誘拐され、贄として捧げられそうになったのだ。
必死に抵抗した。だが神憑といえども、子どもと複数の大人では力の差は歴然で、数の暴力に負けるのは時間の問題だった。
山の中を何日も逃げ回り、疲れ果てた弘城は足を滑らせ崖の下へと転落する。
そこは神社の裏手にある人目のない場所だった。
身を打ちつけた衝撃で全身の骨はきしみ肌は擦り傷に覆われ、満身創痍のまま倒れ込む。
ここで自分の命は尽きるのかと、何処か達観して目を瞑ったその時だった。
偶然そこを通りかかったのが、三葉の母だった。
彼女は瀕死の弘城を見て駆け寄り、ためらいなくその身に手をかざした。淡い光が彼女の掌から溢れ、血に濡れた肌を癒やしていく。
温もりが広がり、痛みどころか飢えや渇きさえ消えた。弘城が初めて、心から安堵を覚えた瞬間だった。
「もう大丈夫よ。――白の袴という事は、名のあるお家の方でしょう? お付きの人は?」
他者から優しい声をかけられたのは久しぶりの事で、弘城は驚きながらも丁寧に答える。
「助けていただきありがとうございます。僕を追っていた者達は……贄にする、と言っていました。僕は戦ったのですが、力及ばす崖から落ちました」
それは幼子の精一杯の誇りだった。けれども返ってきたのは静かな問い。
「ご両親は?」
短い沈黙ののち、弘城は首を横に振った。今日は数年に一度の大切な儀式だというのに、付き添ってもらえなかった。
自分が酷く惨めな存在に思えて俯いていると、彼女は信じられない事を言ったのだ。
「贄? そんな連中と正面切って立ち向かわなくていいのよ。第一、そんな連中がいるなら、親が付き添うべきでしょう。子どもを一人にしておいて、恥ずかしくないのかしら」
これまで当主として「どんな困難にも立ち向かうように」と教えられてきた弘城はただ驚く。
この時弘城は、初めて両親に対して疑問を持った。
「お父さんとお母さんを悪く言ってごめんなさい」
「いえ、事実ですから。あの人たちは、僕が嫌いなんです」
淡々と事実を告げる弘城の言葉から何か察したのか、彼女は再び問う。
「君、名前は?」
「大神弘城。次期当主です」
「大神……」
その名を聞くと、大人の反応は二つに分かれる。恐怖するか、媚びるか。けれど彼女は少しばかり眉を顰めただけで、優しく弘城の頭を撫でたのだ。
「大変なお役目を持って生まれたのね。……辛いこともあったでしょう。いま君が殺されたら、大神家だけでなく神を奉る多くの家が混乱するわ。だから今は、何としてでも身を隠して逃げなさい」
「でも、そのようなことは許されません。悪い人達には、堂々と立ち向かうのが立派な男だと教わりました」
その言葉には両親から何度も言われた言葉だ。そこには『面倒ごとに親を巻き込むな』と必ず付け加えられていたが、弘城はどうしてもそれを言えなかった。
そんな弘城の心を読んだみたいに、彼女は言い聞かせるように続けた。
「多くの人を守るためにも、あなたは生き延びなければならないの。だから逃げていいのよ」
彼女の言葉は、不思議と心にストンと落ちた。
だが納得はしても弘城はまだ幼く、当主としての力も未熟だ。逃げろと言われても、方法が分からず、恐怖と戸惑いばかりが胸に渦巻く。
「頼れる人は?」と問われ、思わず口にしたのは祖父の名だった。厳格な人だが、弘城は祖父が好きで、お正月の挨拶の時だけ会えるのを楽しみにしていた。
両親は近づこうとしない、畏れの対象。だが血を分けた家族である以上、最後に縋れるのはそこしかない。
住む町の名は覚えていたから伝えると、彼女はわずかに安堵したように頷き、祖父の住む町までの具体的な道を示した。
「神社の裏に、地元の人しか知らない道があるわ。そこを下れば麓の駅に出ます。お爺さまの住む町までは、二駅ほどかしら」
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