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1 逃げます・1
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妾の子として生まれた三葉は、豪商である羽立野家では全くの空気だ。
先日開業したばかりの洋風旅館(ホテルと呼ぶらしい)の大広間に入れてもらえたのも、外聞を気にする両親の命令があったからだ。
しかし本日の主役である兄、明興からすると、容姿も頭も悪い三葉など視界に入れたくもないらしい。一つ年下の妹、桃香もあからさまに三葉を毛嫌いしており、扱いも女中以下としか見ていない。
現に三葉の装いは、きらびやかに着飾ったきょうだい達と違い、荷物持ちの女中と同じ地味な着物姿だ。
だがこの装いが役にたつとは、三葉自身もこの時まで思いもしなかった。
羽立野家の今後を左右する業務提携の発表の場を、父は息子である明興に実質的な経営権を譲る輝かしい舞台にすると息巻いていた。しかしこの事業は、羽立野家だけで進める物ではない。
財界の重鎮である蛇頭家との提携が前提なのだが……。
蛇頭家当主と共に挨拶をするべく壇上に立った兄は、金屏風の前で突然とんでもない事を言い出した。
「お集まりの皆様に、ご報告がございます。羽立野家は蛇頭家との業務提携を白紙に戻します」
それまで和やかに歓談を続けていた政財界のお偉方達は、水を打ったように静まりかえった。
(……は? なに言い出すの、お兄様)
思わず周囲を見回すが、全員三葉と同じようにぽかんとして固まっている。
いや、違う。
羽立野家の一族だけは、まるで鬼の首を取ったように自信と余裕の笑みを浮かべていた。
「よって、蛇頭江奈との結婚も白紙と致します」
(待ってお兄様。江奈様とは先日顔合わせをしただけで、結納も交わしていないわよ!)
困惑する三葉だが、明興は意気揚々と喋り続ける。
「この江奈という女は見ての通り異国人だ。この女の母親はわざわざ異国から来て、資産目当てでご当主に近づいたと聞いている」
(お兄様、蛇頭家のご夫妻は珍しい恋愛結婚だってご存じでしょう? 異国の女性との結婚を反対されて、勘当覚悟で両家の親を説得して結婚した話は有名じゃないですか!)
「それにしても、今時「守り神」を信じているなど蛇頭様も時代錯誤というか。女に騙された事といい、少々頭が悪いのかと……おっと失礼」
(失礼なのはお兄様ですよ!)
神代の時代から、人々は「守り神」と共に生きてきた。
人は守り神を信仰し、奉ることで様々な加護を得る。守り神は人々の信仰を糧とし、代わりに富や名声、時には人ならざる能力までも与えてくれるのだ。
けれどいつの頃からか、神の存在を否定する「神排」と呼ばれる思想が広まり始め、明興はその考えにどっぷり染まりきっていた。
「この際ですし、その蛇頭などという不吉な姓も改めたらいかがですか?」
皆が反論しないのを良い事に、明興は無礼極まりない演説を陶酔した表情で続けている。
反論しないのは明興の言葉に聞き入っているからではなく呆れているのだと、全く気付いていない。
蛇頭家は文字通り、蛇を奉る家だ。
由緒ある家系であると同時に、羽立野家を凌ぐ豪商でもある。
今回の業務提携の件は、羽立野家側から申し入れてやっと実現したものなのだ。少し前までは兄も乗り気であったのに、一体なにがどうしてこんな馬鹿げたことになったのか。
「彩愛、こちらへ」
三葉の疑問に答えるかのように、兄が金屏風の裏に声をかけた。
先日開業したばかりの洋風旅館(ホテルと呼ぶらしい)の大広間に入れてもらえたのも、外聞を気にする両親の命令があったからだ。
しかし本日の主役である兄、明興からすると、容姿も頭も悪い三葉など視界に入れたくもないらしい。一つ年下の妹、桃香もあからさまに三葉を毛嫌いしており、扱いも女中以下としか見ていない。
現に三葉の装いは、きらびやかに着飾ったきょうだい達と違い、荷物持ちの女中と同じ地味な着物姿だ。
だがこの装いが役にたつとは、三葉自身もこの時まで思いもしなかった。
羽立野家の今後を左右する業務提携の発表の場を、父は息子である明興に実質的な経営権を譲る輝かしい舞台にすると息巻いていた。しかしこの事業は、羽立野家だけで進める物ではない。
財界の重鎮である蛇頭家との提携が前提なのだが……。
蛇頭家当主と共に挨拶をするべく壇上に立った兄は、金屏風の前で突然とんでもない事を言い出した。
「お集まりの皆様に、ご報告がございます。羽立野家は蛇頭家との業務提携を白紙に戻します」
それまで和やかに歓談を続けていた政財界のお偉方達は、水を打ったように静まりかえった。
(……は? なに言い出すの、お兄様)
思わず周囲を見回すが、全員三葉と同じようにぽかんとして固まっている。
いや、違う。
羽立野家の一族だけは、まるで鬼の首を取ったように自信と余裕の笑みを浮かべていた。
「よって、蛇頭江奈との結婚も白紙と致します」
(待ってお兄様。江奈様とは先日顔合わせをしただけで、結納も交わしていないわよ!)
困惑する三葉だが、明興は意気揚々と喋り続ける。
「この江奈という女は見ての通り異国人だ。この女の母親はわざわざ異国から来て、資産目当てでご当主に近づいたと聞いている」
(お兄様、蛇頭家のご夫妻は珍しい恋愛結婚だってご存じでしょう? 異国の女性との結婚を反対されて、勘当覚悟で両家の親を説得して結婚した話は有名じゃないですか!)
「それにしても、今時「守り神」を信じているなど蛇頭様も時代錯誤というか。女に騙された事といい、少々頭が悪いのかと……おっと失礼」
(失礼なのはお兄様ですよ!)
神代の時代から、人々は「守り神」と共に生きてきた。
人は守り神を信仰し、奉ることで様々な加護を得る。守り神は人々の信仰を糧とし、代わりに富や名声、時には人ならざる能力までも与えてくれるのだ。
けれどいつの頃からか、神の存在を否定する「神排」と呼ばれる思想が広まり始め、明興はその考えにどっぷり染まりきっていた。
「この際ですし、その蛇頭などという不吉な姓も改めたらいかがですか?」
皆が反論しないのを良い事に、明興は無礼極まりない演説を陶酔した表情で続けている。
反論しないのは明興の言葉に聞き入っているからではなく呆れているのだと、全く気付いていない。
蛇頭家は文字通り、蛇を奉る家だ。
由緒ある家系であると同時に、羽立野家を凌ぐ豪商でもある。
今回の業務提携の件は、羽立野家側から申し入れてやっと実現したものなのだ。少し前までは兄も乗り気であったのに、一体なにがどうしてこんな馬鹿げたことになったのか。
「彩愛、こちらへ」
三葉の疑問に答えるかのように、兄が金屏風の裏に声をかけた。
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