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2 逃げます・2
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すると少女が一人、俯き加減で進み出る。金髪碧眼の江奈とは違い、彩愛は黒髪黒目。
西洋人形と日本人形というくらい対照的な二人を侍らせた明興は、にやりと笑う。
もう嫌な予感しかしない。
「この彩愛は、やんごとなき方々との血縁のある女性だ。訳あって真名は明かせないが、某華族の息女である。天女のような素晴らしい彼女は、なんと私を見初めてくださった。私はその気持ちに応えようと思います」
(……得体の知れない相手の為に、蛇頭家に恥をかかせるなんて。馬鹿だわ)
「しかし私も江奈に対しての愛情が消えたわけではない。是非江奈には、妾として側にいてほしい。彩愛も納得してくれている――」
つまりは、本妻を彩愛にすげ替えた上で、江奈との関係も継続させると兄は宣言したのだ。
だがそもそも江奈との婚約すら成立していないので、明興の言葉は妄言に過ぎない。
業務提携の話が纏まりつつあった中で、歳の近い息子と娘がいるのだからと、お節介を焼く物がいた者事実だ。恐らくは三葉達の父があちらこちらに頭を下げて、結婚話を進めようとしていたのは想像に難くない。
華族や豪商ともなれば、結婚とは「家を守る為の仕事」であり、適齢期の娘は道具となる。
落ちぶれた士族が家の名を保つために、商家に大金と引き換えに娘を嫁がせることだって珍しくないのだ。
しかし蛇頭家は「蛇」を奉る家の中でいえば本家に近く、華族よりも力を持つとも噂されている。
その蛇頭家の息女に公衆の面前で思い込みでしかない一方的な結婚話を破棄しただけでなく、妾になれと命じるなど非常識極まりない話だ。
現に娘を溺愛していると有名な蛇頭家の当主は、顔を真っ赤にして明興を睨み付けている。
(どうするのよ。修復不可能じゃない)
羽立野家は代々「狐」を守り神として奉ってきたが、祖父の代に親族間のもめ事があり姓を改めたと聞いている。それは同時に、代々奉ってきた狐への裏切りで、実質狐との決別を意味する。
詳しい事情はともかく、守り神を手放した家は殆どが没落の道を辿るのだが、何故か毎年、一定数は姓を変えてしまう。
そこに来て、近年の「神排」思想の蔓延が守り神離れを加速させていた。
例に漏れず羽立野家もゆっくりと落ちぶれてきているのだが、不思議と家族の誰も気にする様子もない。
兄から少し離れて立つ江奈はといえば、侮辱以外のなんでもない明興の言葉を聞いても眉一つ動かさず、じっと前を見据えている。
と、不意に一歩前に出ると、華やかな笑みを浮かべて会場を見回した。
「皆様、明興様の言葉はお聞きになりましたよね? 私は妾になる為に産まれてきた訳ではありません。どうぞそちらのお嬢さんと、お幸せに」
にこり、ととどめの笑み。けれどその瞳は笑っていない。
「ただし明興様、ご自身の言葉には責任が伴います。それをお忘れなきよう」
堂々と告げて、江奈が壇上から降りる。
「江奈? 私の妾になれるんだぞ? 嬉しくないのか?」
この期に及んで、的外れな言動をする兄に三葉は頭を抱えた。
そしてそれを咎めもせず、やはりきょとんとして江奈を眺めている両親と妹にも呆れた。
いや、愛想が尽きた。
(これって、もう駄目だよね……)
難しい事なんて何一つ分からない三葉からしても、兄の「やらかし」で今後羽立野家の立場が悪くなる事くらい想像がつく。
「……失礼します」
まだ固まったままの周囲に頭を下げ、三葉はホテルから一人抜け出す。
女中の着物が幸いして、見とがめたり声をかけてくる者は誰もいない。
三葉は大通りまで来ると、普段は乗らない人力車を捕まえて羽立野邸へ向かうようお願いする。
(逃げよう)
このままでは、兄のとばっちりでどんな目に遭うか分からない。
羽立野家の財は莫大だが、蛇頭家を敵に回せば取引先が黙ってはいないだろう。そうなれば家業はあっという間に傾くのが目に見えている。
そうなれば、まず被害を被るのは娘達だ。特に妾の子として生まれ、行くところもない三葉は真っ先に売られるだろう。
遊女屋か、それとも変態の金持ちの妾か。
何にしろ、ろくな未来は待っていない。
「絶対に、逃げなくちゃ」
自分を勇気づけるように、三葉は両手を握りしめて呟いた。
西洋人形と日本人形というくらい対照的な二人を侍らせた明興は、にやりと笑う。
もう嫌な予感しかしない。
「この彩愛は、やんごとなき方々との血縁のある女性だ。訳あって真名は明かせないが、某華族の息女である。天女のような素晴らしい彼女は、なんと私を見初めてくださった。私はその気持ちに応えようと思います」
(……得体の知れない相手の為に、蛇頭家に恥をかかせるなんて。馬鹿だわ)
「しかし私も江奈に対しての愛情が消えたわけではない。是非江奈には、妾として側にいてほしい。彩愛も納得してくれている――」
つまりは、本妻を彩愛にすげ替えた上で、江奈との関係も継続させると兄は宣言したのだ。
だがそもそも江奈との婚約すら成立していないので、明興の言葉は妄言に過ぎない。
業務提携の話が纏まりつつあった中で、歳の近い息子と娘がいるのだからと、お節介を焼く物がいた者事実だ。恐らくは三葉達の父があちらこちらに頭を下げて、結婚話を進めようとしていたのは想像に難くない。
華族や豪商ともなれば、結婚とは「家を守る為の仕事」であり、適齢期の娘は道具となる。
落ちぶれた士族が家の名を保つために、商家に大金と引き換えに娘を嫁がせることだって珍しくないのだ。
しかし蛇頭家は「蛇」を奉る家の中でいえば本家に近く、華族よりも力を持つとも噂されている。
その蛇頭家の息女に公衆の面前で思い込みでしかない一方的な結婚話を破棄しただけでなく、妾になれと命じるなど非常識極まりない話だ。
現に娘を溺愛していると有名な蛇頭家の当主は、顔を真っ赤にして明興を睨み付けている。
(どうするのよ。修復不可能じゃない)
羽立野家は代々「狐」を守り神として奉ってきたが、祖父の代に親族間のもめ事があり姓を改めたと聞いている。それは同時に、代々奉ってきた狐への裏切りで、実質狐との決別を意味する。
詳しい事情はともかく、守り神を手放した家は殆どが没落の道を辿るのだが、何故か毎年、一定数は姓を変えてしまう。
そこに来て、近年の「神排」思想の蔓延が守り神離れを加速させていた。
例に漏れず羽立野家もゆっくりと落ちぶれてきているのだが、不思議と家族の誰も気にする様子もない。
兄から少し離れて立つ江奈はといえば、侮辱以外のなんでもない明興の言葉を聞いても眉一つ動かさず、じっと前を見据えている。
と、不意に一歩前に出ると、華やかな笑みを浮かべて会場を見回した。
「皆様、明興様の言葉はお聞きになりましたよね? 私は妾になる為に産まれてきた訳ではありません。どうぞそちらのお嬢さんと、お幸せに」
にこり、ととどめの笑み。けれどその瞳は笑っていない。
「ただし明興様、ご自身の言葉には責任が伴います。それをお忘れなきよう」
堂々と告げて、江奈が壇上から降りる。
「江奈? 私の妾になれるんだぞ? 嬉しくないのか?」
この期に及んで、的外れな言動をする兄に三葉は頭を抱えた。
そしてそれを咎めもせず、やはりきょとんとして江奈を眺めている両親と妹にも呆れた。
いや、愛想が尽きた。
(これって、もう駄目だよね……)
難しい事なんて何一つ分からない三葉からしても、兄の「やらかし」で今後羽立野家の立場が悪くなる事くらい想像がつく。
「……失礼します」
まだ固まったままの周囲に頭を下げ、三葉はホテルから一人抜け出す。
女中の着物が幸いして、見とがめたり声をかけてくる者は誰もいない。
三葉は大通りまで来ると、普段は乗らない人力車を捕まえて羽立野邸へ向かうようお願いする。
(逃げよう)
このままでは、兄のとばっちりでどんな目に遭うか分からない。
羽立野家の財は莫大だが、蛇頭家を敵に回せば取引先が黙ってはいないだろう。そうなれば家業はあっという間に傾くのが目に見えている。
そうなれば、まず被害を被るのは娘達だ。特に妾の子として生まれ、行くところもない三葉は真っ先に売られるだろう。
遊女屋か、それとも変態の金持ちの妾か。
何にしろ、ろくな未来は待っていない。
「絶対に、逃げなくちゃ」
自分を勇気づけるように、三葉は両手を握りしめて呟いた。
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