14 / 34
14 狐が……!
しおりを挟む
水崎の案内で、三葉は弘城の私室へと向かった。
「ごめんね。遅くに呼び出して」
こんな時間まで仕事をしていたのか、書類を手にした弘城が扉を開けてくれる。
「いえ、大丈夫です」
緊張しつつ頭を下げると、ソファに座るよう促される。水崎が退室するといよいよ緊張が高まり、三葉は両手をぎゅっと握りしめて俯いてしまう。
(夜中に殿方と二人きりなんて……)
この二日間で、今まで生きてきた十七年分の驚きや緊張を経験してるといっても過言ではない。
そして驚きは、弘城の一言で更に上書きされた。
「彼も夜の方が話しやすいと思ってね」
「彼? わあっ」
ふと不思議な気配を感じて顔を上げれば、三葉の側に大きな白い狐が座っていた。
(どこから来たんだろう……尾が三本もある。まさか、夢に出てきたあの狐?)
狐が透き通るような碧の瞳で三葉を見つめ、肯定するように尾を揺らす。
「いま紅茶を淹れるから座って。砂糖とミルクは多めでいい?」
「はい……」
「できれば君と二人で話がしたかったのだけど、彼が許してくれなさそうだからね」
「夜伽じゃない?」
正直ほっとする。体を穢される恐怖より、弘城を失望させなかったことを安堵したのだ。
三葉の呟きに、弘城が首を傾げる。
「夜伽?」
「いえ、その」
「その手があったか。――ああ、うそうそ。狐もそう怒らないで、三葉さんに不埒な真似はしないから」
横を見ると、狐が今にも飛びかからんばかりに牙を剥きだして唸っている。
慌てて三葉が頭を撫でて宥めると、渋々といった様子で居住まいを正す。
紅茶の入ったカップを弘城が三葉の前に置き、テーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろした。狐に威嚇されても大して気にしていないのは、やはり大神家当主だからだろう。
「あの、ご用件はなんですか? 私、なにか気に障るような事をしましたでしょうか」
人払いまでして話したい事とは何なのか。三葉にはさっぱり思い浮かばない。兄のやらかしの件なに、水崎だって知っている筈だ。今更隠すことでもない。
問いに弘城は小さなため息と、予想外の質問で返す。
「まず一つ確認。歌子さんはこれまで通り三葉さんに学校へ通ってほしいみたいだけど、君はどうしたい? 正直に答えて」
「え……」
この場合、どう答えるのが正解なのか判断がつかない。許嫁として望まれているのであれば、屋敷に留まるべきだろう。
「君から学問を取り上げるつもりはないよ。外出するのが怖ければ、家庭教師を付けよう」
「そこまでして貰う訳には……」
「女学校にはまだ在籍資格がある。だから私としては、三葉さんの気持ちを尊重したい」
「……戻りたいです。でも……」
あの時は羽立野家から逃げることで頭がいっぱいだったから、必要最低限の物しか持って出なかった。
当然、勉強道具も全て置いてきている。
逡巡する三葉に、弘城は三葉の状況を察してくれたのか静かに頷く。
「じゃあ明日から通いなさい。道具や教科書はこちらで用意するから」
「……どうして私なんかに、そこまでしてくれるんですか?」
「君が私の婚約者になってくれたからだよ。まだ承諾していないっていうのはナシで」
強引な物言いだが、弘城を見ていると頷いてしまいそうな自分がいて戸惑いを隠せない。
(素敵な方だと思う。私なんかが婚約者になっていいわけない。身分も何も違うもの)
弘城の意図が分からず三葉は黙ってしまう。
「突然婚約者になってほしいって言われて、頷けないのも無理ないよね。君は聡明な子だと江奈さんから聞いている。だからはっきり言おう」
しっかりと視線を合わせ、弘城が告げる。
「君と取引がしたい。私と契約して、婚約者として振る舞ってもらいたいんだ」
やっと合点がいったものの、完全に納得したわけではない。
「――私にそんな価値があると思えません。顔は醜いし、何をしてものろまだっていつも叱られてました。婚約者どころか、妾になる器量も身分もありません」
「君は可愛いよ、三葉さん」
やっぱり弘城は優しい人だと思う。彼のような素敵な人に褒められれば、嘘だと分かっていても嬉しくなるものだ。
そんな考えが表情に出ていたのか、弘城が寂しそうに眉を寄せる。
「会ったばかりの私に言われても信じられないか……じゃあ、君が納得する理由を正直に言うよ。三葉さんには、その狐が憑いている」
「このお狐様ですか?」
「本宮直属でもないのに、ここまで強い守護狐は珍しいんだ。そんな狐を持つ君と祝言を挙げることで、大神家は力を強くできる」
「そういう事でしたら、理解できます」
自分に価値がないことは、三葉自身が十分承知している。ただ「本宮」や「憑く」とかよく分からないが、お狐様が側にいることで三食食べていける環境がもらえるなら御の字だ。
(形だけの婚約者ね。……当然か)
彼が欲しているのは自分ではなく狐だと説明された三葉は、弘城が許嫁などと言い出したことに納得する。
だが同時に、胸の奥がずきりと痛む。
決して夢みたいな幸福を望んではいなかったのに、どうしてか少し寂しい気持ちになった。
「ごめんね。遅くに呼び出して」
こんな時間まで仕事をしていたのか、書類を手にした弘城が扉を開けてくれる。
「いえ、大丈夫です」
緊張しつつ頭を下げると、ソファに座るよう促される。水崎が退室するといよいよ緊張が高まり、三葉は両手をぎゅっと握りしめて俯いてしまう。
(夜中に殿方と二人きりなんて……)
この二日間で、今まで生きてきた十七年分の驚きや緊張を経験してるといっても過言ではない。
そして驚きは、弘城の一言で更に上書きされた。
「彼も夜の方が話しやすいと思ってね」
「彼? わあっ」
ふと不思議な気配を感じて顔を上げれば、三葉の側に大きな白い狐が座っていた。
(どこから来たんだろう……尾が三本もある。まさか、夢に出てきたあの狐?)
狐が透き通るような碧の瞳で三葉を見つめ、肯定するように尾を揺らす。
「いま紅茶を淹れるから座って。砂糖とミルクは多めでいい?」
「はい……」
「できれば君と二人で話がしたかったのだけど、彼が許してくれなさそうだからね」
「夜伽じゃない?」
正直ほっとする。体を穢される恐怖より、弘城を失望させなかったことを安堵したのだ。
三葉の呟きに、弘城が首を傾げる。
「夜伽?」
「いえ、その」
「その手があったか。――ああ、うそうそ。狐もそう怒らないで、三葉さんに不埒な真似はしないから」
横を見ると、狐が今にも飛びかからんばかりに牙を剥きだして唸っている。
慌てて三葉が頭を撫でて宥めると、渋々といった様子で居住まいを正す。
紅茶の入ったカップを弘城が三葉の前に置き、テーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろした。狐に威嚇されても大して気にしていないのは、やはり大神家当主だからだろう。
「あの、ご用件はなんですか? 私、なにか気に障るような事をしましたでしょうか」
人払いまでして話したい事とは何なのか。三葉にはさっぱり思い浮かばない。兄のやらかしの件なに、水崎だって知っている筈だ。今更隠すことでもない。
問いに弘城は小さなため息と、予想外の質問で返す。
「まず一つ確認。歌子さんはこれまで通り三葉さんに学校へ通ってほしいみたいだけど、君はどうしたい? 正直に答えて」
「え……」
この場合、どう答えるのが正解なのか判断がつかない。許嫁として望まれているのであれば、屋敷に留まるべきだろう。
「君から学問を取り上げるつもりはないよ。外出するのが怖ければ、家庭教師を付けよう」
「そこまでして貰う訳には……」
「女学校にはまだ在籍資格がある。だから私としては、三葉さんの気持ちを尊重したい」
「……戻りたいです。でも……」
あの時は羽立野家から逃げることで頭がいっぱいだったから、必要最低限の物しか持って出なかった。
当然、勉強道具も全て置いてきている。
逡巡する三葉に、弘城は三葉の状況を察してくれたのか静かに頷く。
「じゃあ明日から通いなさい。道具や教科書はこちらで用意するから」
「……どうして私なんかに、そこまでしてくれるんですか?」
「君が私の婚約者になってくれたからだよ。まだ承諾していないっていうのはナシで」
強引な物言いだが、弘城を見ていると頷いてしまいそうな自分がいて戸惑いを隠せない。
(素敵な方だと思う。私なんかが婚約者になっていいわけない。身分も何も違うもの)
弘城の意図が分からず三葉は黙ってしまう。
「突然婚約者になってほしいって言われて、頷けないのも無理ないよね。君は聡明な子だと江奈さんから聞いている。だからはっきり言おう」
しっかりと視線を合わせ、弘城が告げる。
「君と取引がしたい。私と契約して、婚約者として振る舞ってもらいたいんだ」
やっと合点がいったものの、完全に納得したわけではない。
「――私にそんな価値があると思えません。顔は醜いし、何をしてものろまだっていつも叱られてました。婚約者どころか、妾になる器量も身分もありません」
「君は可愛いよ、三葉さん」
やっぱり弘城は優しい人だと思う。彼のような素敵な人に褒められれば、嘘だと分かっていても嬉しくなるものだ。
そんな考えが表情に出ていたのか、弘城が寂しそうに眉を寄せる。
「会ったばかりの私に言われても信じられないか……じゃあ、君が納得する理由を正直に言うよ。三葉さんには、その狐が憑いている」
「このお狐様ですか?」
「本宮直属でもないのに、ここまで強い守護狐は珍しいんだ。そんな狐を持つ君と祝言を挙げることで、大神家は力を強くできる」
「そういう事でしたら、理解できます」
自分に価値がないことは、三葉自身が十分承知している。ただ「本宮」や「憑く」とかよく分からないが、お狐様が側にいることで三食食べていける環境がもらえるなら御の字だ。
(形だけの婚約者ね。……当然か)
彼が欲しているのは自分ではなく狐だと説明された三葉は、弘城が許嫁などと言い出したことに納得する。
だが同時に、胸の奥がずきりと痛む。
決して夢みたいな幸福を望んではいなかったのに、どうしてか少し寂しい気持ちになった。
3
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。
雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。
その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。
*相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる