拝啓前世の私へ~乙女ゲームの世界ってこんなにハードなものなの?!~

ルマ

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第13話

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2階に上がる階段を歩きながら私は頭の中をフル回転させていた。
 
 『魔性の男 クロウド・F・サムルス』
 この男は説明した通り、とんでもない美形の持ち主だ。(炎龍とはまた違った美しさを持つ)
 
 トラウマの件で私が何とかして、この嫌ぁーな雰囲気をシリアスとかギャグ展開とかに持っていけたらどうにかなるかとも思ったのだが、クロウドと出会ってまだ一時間もたっていないし、何より彼のことは全然わからないのでどうしようもできない。

 (いいや、ここで諦めたら試合終了!!)

 攻略した日本の親友、早紀によると「クロウドは腹黒い」ことで有名なキャラだったはず。
 策略家で、常に利益のあることしか考えない。
 その性格に目を付け、中央本部のギルドマスター、マダムアドリーシャがお気に入りにした男…。
 
 (あれ、ギャップって何?腹黒い策略家ってどんな人…!?)

 生きてきた中でそんな人物に会ったことがない。
 本当に攻略対象の中で二番目に簡単な人物なの?
 炎龍の方がずっと絡みやすいキャラなんですけど…!?
 とにかく、どうにかこの18禁(?)イベントを阻止しなければ。
 
 主人公ヒロインがクロウドに接触しなければイベントは発生せず、発生したとしても被害は当の本人達のみで留まるというありがたい(?)事件イベントの持ち主だ。

 前回のように暗殺者新聞…と呼ばれる情報誌に載っていた「発煙媚香事件」のような、周りを巻き込む事件イベントがないのでありがたい。

 (前回のあれが私が阻止しようとしていた事件イベントだったなんて…炎龍のトラウマを作らないように頑張っていたのに、結局のところおかしな方向に進んでしまった...。)

 クロウドが後ろから着いてきているが、私は一言も声が出せない。

 顔が仮面で隠れていて良かった...。

 でなければ今頃、顔が変顔のパレードを開催していただろうから。


 (炎龍、もしかしたらトラウマになってしっまったんじゃ…!?私の作戦は失敗?あぁ…結局ストーリーはストーリー通りに進んでしまうんじゃ…?主人公ヒロインに会うまでに何とかしないと…)

 あれ?というより私が主人公ヒロインを見つけて、ストーリーが始まる前にお兄様に合わせればすべてが簡単に終わるのでは…?

 光属性の主人公ヒロイン援護サポートして、闇の能力で世界の混沌に導く存在と戦ってもらう(私も協力)すれば、終わりなのでは?

 (私はなんて今までおバカだったのか…。
 いえ、このことが終わればすぐにでも主人公ヒロインを探しに行くんだ!) 

 二階の一番奥部屋にたどり着く。 
 
 悶々と悩んでいたら扉の存在にも気づかず、立ち尽くしてしまっていた。

 「この部屋ですか?」

 「え?あ、そうです!この部屋です、どうぞお入りください。」

  心地の良い声に驚いてしまったが、部屋にたどり着いた。

 たどり着いてしまった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 2階 奥部屋

 部屋には一段上がった所に畳と布団が敷いてあり、他には棚、机に椅子が四つと簡易的でもとても綺麗な部屋だ。

 錬金術の灯りが部屋に数点あるくらいで、部屋の中は少し薄暗い。

 部屋の中にある布団は入口から見えないよう屏風がある。

 私が何とか話を始めようと振り返った。
 自然に見えるように振り返ったつもりが、壊れた人形のようになってしまったが、ここは仕方無いはずだ。

 「さぁ、座ってくださいな。あ、そうでした。媚薬の方をくださいな?」

 「え。あ、そのどうぞ。」

 スムーズに何ともないように言われるものだから、サッと机の上に媚薬(飲み薬と塗り薬)を全部出した。

 「使うのは、飲む仕様のと、塗る方一つずつですよね。」

 「そう…なります…ね?」

 「ふふ、緊張なさらなくて大丈夫ですよ。」

 癖っ毛が笑うたびにふわふわ揺れる。
 柔らかく目元が細まる、その日本には見かけなかった金の瞳が私を映していると思うと、不思議な気分になった。

 いつ断りの話を切り出せばいいのだろう。
 こんな攻略キャラと一緒にいたら下にいる女性(中には男性もいたかもしれない…)に首を切った方がましなのではと思うほどの冷たい目線を浴びることになってしまう...。

 いいえ、既に浴びていたかも...。

 それに、

 (攻略対象のクロウドは触れなければ問題ないから、完全に油断してた…)

 相手するなんて、何かボロが出るかもしれない...。
 ボロと言っても私の体の中にある呪具のことくらいだけど。
 
 いえ、これがバレてしまえば家は闇の能力持ちと勘違いされ(ある意味本当)、一族首チョンパッ事件になってしまうわ。
 闇の能力は忌み嫌われているらしいし…。
 
 「さて、飲む方からにしましょうか。塗る方より効き目も早いですし、耐性を付けやすいですから。」

 きゅぽっ
 サラサラとした桃色の液体が入っている瓶の蓋が開けられる。

 笑顔のまま、優しく瓶を渡される。

 その瓶を見つめ、私が固まっていると、怖がっているのだと思ったらしい。

 クロウドが私の肩を掴んで、優しく心地の良い声で囁いてくる。

 「さぁ、怖がらないで?」

  浅黒い肌、青黒い猫っ気の髪を持ち、金の瞳を優し気に細めて安心させるように微笑み、右肩を掴んでくる。
 
 こんな雰囲気に私は乾いた笑みしか返せない。

 「あは...あはは...」

 えっと...と言い淀んだ後、信じられない速度で私は頭を下げて謝罪した。
 
 「すみません!やっぱり私、遠慮します。友人にこんなことしてもらうのは間違っていると思うので。引き受けようとしてくださってありがとうございました!」

 私言えた!!言えたよー!
 と心の中で自画自賛すると、反応が遅いクロウドをゆっくりと顔を恐る恐る見た。

 そのクロウドは悲しそうに眉を寄せ、その独特な瞳を細め、切なそうに言う。

 「…遠慮なさらなくていいんですよ?それとも私では役不足ですか?」

 「いいえ、ただ、私が合わないんです。ただ、友人を利用するのが嫌なんです...ごめんなさい。それに...特別な友達が嫌だって顔してたので...。」
 
 友人って、そういう仲じゃないと思う!!

 (うぅ...炎龍を言い訳にしたようで嫌な感じだな私...。)

 でも最後に見た炎龍のあの真顔は、傷ついたのを隠したように見えて...嫌だった。

 決して怖気づいたわけではない。
 ええ、怖気づいたわけではないとも!
  
 鼻で笑われた感じがしてクロウドを見ると彼は嘲笑の顔を浮かべていた。

 「…へぇ…。それってやっぱりあの龍の男こと…ですよね?あなたにとって彼が特別な友人で、彼が嫌がると思っていても、現実は違うかも。」

 「クロウド...?」

 先程の優しい顔は何処へやら、その綺麗な形の口からは明らかな嘲笑が含まれているのが、私でも分かった。

 龍の男って...あ。炎龍か!
 龍だもんね。

 「だって、あのの男ですからね。それとも貴方は自分が逆に彼が誰かと寝るのが嫌だから、彼も同じ気持ちだとでも思っていらっしゃるんですか?私に貴方が抱かれると嫌がると?…フッ。自意識過剰ではありませんか?」

 嘲笑交じりのそのセリフは先程までの優しい彼からは想像できないほど突き放すように冷たい声音だ。

 (きっと私が彼の優しさを踏みにじったから、怒っているのね。当然だわ...。)

 彼はこの支部に来て、心細いだろうに、こんな私の為に申し出てくれたのだ。
 それをここまで来て断られて...仕事人としてもプライドが傷ついたことだろう。

 だから彼の怒りは最もだ。

 「ええ、きっと自意識過剰なのかもしれません。私は、彼が誰と寝ていても、シテいても構いません。だって私たちはただの友達なのですから。」

 「なら...。」

 「でも、さっき一瞬でもこの件に対して怒ってくれました。その一瞬の彼に報いたいんです。まぁ…なんで怒っていたのか分かりませんけど…。私、友達の嫌がることをしたくないので。」

 ごめんなさい。
 立ち上がって、クロウドに向かって腰を折って頭を下げる。
 最大限の謝罪の姿勢だ。

 「クロウド。怒ってくれて構いません。嫌いになっても…。でもどうか、今日は引いてくださいませんか?」

 しばらく無言が続いた。

 いつ顔をあげようか、私もそろそろ悩み始めた頃、頭上から大きなため息が聞こえた。

 「…はぁ。お前ってほんっとうに変な奴だな。」

 「…え?」

 顔を上げれば、方眉を上げ、呆れたようにこちらを見下げるクロウドがいる。
 片手で髪をぐしゃぐしゃと掻きながら、深いため息をつかれる。

 先程の口調は誰の…?
 いいえ、私は知っている。

 (クロウドって…)

 「二重人格?!」

 「違う!お前天然なのか、馬鹿なのか。はぁ…。はもとからこういう性格だ。ただ丁寧語を使って、優しくしてやったっていうのに、とんでもない女だな。若い従業員の女を丸め込めたら、金を横流しできるかと思ったけど、やめだ、やめ。別の方法で行こう。せっかく取り入れることができれば簡単に金くれそうな単純女だと思ったのに。」

 失敗失敗!と両手を上げて、肩をすくめるその綺麗な姿が仕草と不相応で...でも現実だと目から入ってくる情報が自分に訴えてくる。

 (というか...)

 「お金を横流し…!?できませんよ!だって私っ!」

 「いい子ちゃんだもんな」

 まるでつまらないものを見るような目で私を見てくる。
 何を言われても、きっと私の事を否定するのだろう。
 現に今、言葉を遮られた。
 でも、勘違いされたままではいられない。

 お金を横流しする?いい子ちゃん?
 違う。私はいい子ちゃんなんかじゃない。だって、私が従業員になったのは私利私欲の為なのだから。

 何を言われても否定されるなら...本音をっ!!
 
 「がお金欲しいんです!私、貧乏なんです!だから、クロウドにあげられません!!」

 部屋に木霊した声は廊下にも響いただろう。

 
 「は、お前が貧乏…?」
  
 ポカーンとした顔をしているクロウドは意味が分からないという顔をする。

 「従業員って給料もくそ高いし、超優遇待遇じゃん?」

 「いえ、いわば雑用ですので。超優遇待遇ではないですね。」

 「変わってるって言われない?」

 「言われたことは今のところないですね?」
 
 はぁ…。
 また大きなため息をつかれる。

 その無駄に綺麗な指で私の服を指さすと、平坦な声で聞いてくる。

 「今着ている服、すげぇ高価な物なんだけど?」

 「これはお兄様が私の為に作ってくれたものです。すごく高いのは知っています。…大切な物なんです。」
 
 次は頭を指さしてくる。
 正確に言うと簪らしい。

 「今髪をまとめてるその簪も高いんだけど?」

 「これもお兄様が…」

 顔を真っ直ぐ指さされると、先程よりも語彙を強めて言ってきた。

 「その仮面、錬金物だろ?すっげぇ高いんだぜ!?」

 「そうなのですか?これもお兄様がくださったんです。」
 
 「まじで?」

 「え?」
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 最初の雰囲気は何処へやら...。

 ドカッと褥の上で横になっているクロウドはずっと笑っていた。
 私はその横で何故か正座している。

 あ、媚薬の瓶は懐へ小袋に入れて戻した。

 「あはははは!お前めちゃめちゃ世間知らずじゃん!?え?『龍の一族』のことも知らなかったのかよ!?だははははっ!!!こんなのが従業員?!あの難関の古代分が読めて、常識は何も知らない?っ…ぷっ。だははっ!だめだ、苦しい我慢ならん!!せっかく若いって聞いたから、ババァから乗り換えてきたのに、こんな天然バカとは救いようがない!あはははは!!」

 「い、今は知っています!!龍の一族って呼ばれているのは、武官さんの家なんですよね?」

 いきなりスンッと真顔に戻るクロウド。

 「他は?」

 「え?他って?あ…火の能力の持ち主たちです!そして家紋に龍があるんですよね?」

 「まじで?なぁ~んも知らねぇの?」

 「え…どういう意味ですか?」

 じっとその金の瞳に見つめられると、なんだか何かを見透かされているようで嫌だ。
 先程の丁寧な口調はもう微塵も見えない。
 隠す気もなくなったようだ。

 「大方は確かに、この国では武官だろうし、火の持ち主で間違いはねぇ。」

 「大方...?じゃあ他にもあるんですか?」

 また大きなため息をつかれる(何回目だろう)と、面倒くさそうに教えてくれる。

 ところでなんで『龍の一族』のことを話されているんだろう...?
 私、会ったことないのにな...。

 「龍の一族っていうのは、『神の一族』って言われている連中の中で『火』を扱う一族だ。奴ら『神の一族』って呼ばれている連中は神獣を体の内側に飼ってるんだよ。龍の一族の神獣はその言葉の通り『龍』。ただし、龍の一族と呼ばれている奴ら全員が龍を内側に飼っているわけじゃねぇ。その一族の中から一人選ばれるんだ。」

 でもこう言う雑学(?)は面白い。

 「へぇ~…。体に飼う…って体の中で飼うってことですか!?えぇ!!その神獣って何やつですか!?体裂けちゃうんじゃ…!」

 横になっていたクロウドは驚いた表情でこっちを見返した。

 「まじでなんも知らねぇの?ったく…。いいか、神獣っていうのはこの世にいる。それぞれ一体ずつ属性能力があって、『火・水・風・岩・草』だ。そこにってやつが体加わって、全部で七だ。幻獣は『闇・光』の属性能力を持つ。…ここまでは分かるよな?」

 「ほうほう…。」

 「ほうほうってお前…ったく。本当に世間知らずだな。嘘なのか、本当に知らないのか…。ま、これくらい常識の範囲だから、教えても損はないからいいか。」

 怪しいと思っているらしいが、特に損する情報ではないらしいため、教えてくれるらしい。
 
 そんな風に思われる常識がない私って...。
 いいえ、ちゃんが世間知らずだっただけよね。
 
 あれ?私が知らないのってのかな...?

 私の考え事を他所にクロウドは饒舌に語り出した。

 「神の一族は全てで五部族いる。龍の一族はそのうちの一つだ。この神の一族って呼ばれている連中の何がすごくて偉いのかっていうと、奴らはこの能力を広めた人物たちを直接先祖に持つ人物たちだからだ。」

 「どう広げたのかっていう話をしたいところだが、話が長いから割愛する。まぁ、簡単に言うと神獣達と契約することで、能力を授かり、それをまわりに広げてくれたってわけ。おかげでまわりの連中…もうお伽噺並みに少なくなっちまっているけど、狩人ハンターの多くが不思議な能力を手に入れられたってわけだ。」

 「へぇ!すごい!神獣っていい人(?)達なんですね!」 

 それはどうかな…と苦笑いを浮かべられた。

 「神獣の加護を直接的に受けている神の一族の連中は能力の強さが半端ねぇ…。も相当の使い手だ。」

 椅子に座っていた私は、「彼奴あいつ」が誰なのか分からない。

 クロウドは褥の上で胡坐を組んでいる状況だ。
 紳士の服が皴になっている。それでいいのだろうか…。

 「それぞれ神獣は火は龍。水は魚。風は虎。岩は亀。草は兎の形をした言葉の通り神の獣たちだ。人間様の気持ちなんざ考えてくれているかどうか…。実際、体の中に神獣を飼うのは苦痛を伴う。一族の中でもその苦痛に耐え、その獣を体に無事飼えた奴は少ない。その能力を持った神獣達によって内側が燃えるように痛かったり、溺れるほど苦しかったり、内側から風で細切れにされているような気分を味わったりとそれぞれだ。」


 「…え?じゃあ体で飼わなければいいんじゃないでしょうか?」

 「体の内側に入れることが契約なんだよ。神獣は神獣の姿だけでこの世界に出てくることができない。そういう規則ルールがあるんだと。だから人間の体を通すことによってこの世界に関与できる。」
 
 規則ってそんな規則ぎりぎりのことしてまでこの世界に関与するのはどうしてなんだろう…?

 「どうしてこの世界に関与したいんでしょうか…。」

 「そんなの決まっているだろ?『春華はるか』っていう人物を探してるんだよ。」

 ドキッとしたが、よく聞けば漢字が違う。
 私は「春香」で相手の女性?は「春華」だ。

 ...。
 
 あれなんで今安心したんだろう...?

 「神獣達の本当の主であり、この世界の英雄さ。御伽噺で出てくるだろ?この世界を作った女神の子孫で、世界の混沌を鎮めた聖女様だよ。彼女の名前が『春華』っていうんだと。ま、名前となれば少しな奴しか知らないかもな。その聖女様に神の一族ってやつらは仕えとるんだと。今はもういないのにな。」
 
 混沌を鎮め、世界を救う…。
 これって主人公ヒロインちゃんのことなんじゃ!?
 
 神獣さんたちの主だなんて…!なんかかっこいい!!
 つまり、神獣を体の中に入れた人は主人公ヒロインの護衛ってこと?!やばい!すごくロマンが…。
 あれ…苦痛に耐えるって言ってなかった…?

 「…あれ?じゃあ龍の一族のその、『彼奴あいつ』ってその痛みに耐えるんですか...?」

 その金の瞳が信じられないと言わんばかりに大きく見開かれた。

 「え?ここまで聞いてたのに、もしかしてその『彼奴あいつ』が誰だかわからずに聞いてた感じ?」

 「え?私の知り合いさんですか...?」

 まじか...みたいな顔するのよしてくれませんかね?
 え?本当に私知り合いだったりするの?

 「なるほど、ここじゃ隠してるってわけね。どーりで...ふっお前、本当に面白い女だな。」

 座っていた私の手を強く引かれた為に、私は勢いよくクロウドの胸元に飛び込んだ形になってしまった。

 「わっ!どうしました?どこか痛いとこでも?」

 いきなり、どうしたんだろうと思い、心配そうに声をかけると、

 クスリと笑ったと思うと、私の袴の紐をするりと解かれる。

 「ちょっと、何をするんですか!?ダメですよ!断ったでしょう...!?」

 「この状態で?」

 「え!?」

 自分の服を見ると、既に半分以上がはだけていた。

 ばっと慌てて服を着直そうとアワアワしている私と違ってクロウドは笑っている。

ケラケラッと笑う姿がすごく黒い猫を思い起こさせる。
 黒猫って不吉だとか、幸福だとか場所によって呼ばれ方が違うけれど、この大きな猫はきっと不埒な猫だ。
 その体を這う手を必死に抑えようとすると、思ったより抵抗されなかった。

 「おいおい...ここまでされて気が付かないとか、本当に心配だぞ?」

 押し倒されていたので、上に覆いかぶさるようにいたクロウドがあっさりと退いた。

 「心配って、クロウドがしたんでしょ?おかしなこと言わないでください。」

 心配、心配。さっきから、私にいたずらばかり。
 こんなことする人から心配と言われてもちっとも納得できない。

 「ははっ。違いない。」

 癖っ毛がゆらっと揺れる。
 ケラケラと笑うので。私は呆れるしかない。
 
 全然反省の色がない…。

 「クロウドまるで大きな猫のようですね…。気まぐれで、猫かぶりで、反省しない…。そんな感じです。物音や布のこすれる音すら聞こえなかったし、何をされてても気が付きませんでした。いや、ただ私がダメダメなだけなんでしょうけどね。」

 体を何とかクロウドから起こす。
 クロウドの顔を見ると彼は驚いた表情をしていた。

 「何かおかしなこと言いましたか?」

 「へぇ~!お前見る目があるんだな。そうだ、俺はでかい猫さ。ま、ネコ科ってだけで、大きさは別だけどな。」

 「大きな猫…?」

 「そ、でもこれ以上戯れていると、龍の逆鱗に触れちまうからな。やめておこう。」

 「逆鱗...?」

 なにか言おうとした瞬間、ここにいるはずない男の声が言葉を発した。

 「そこまでや...楽しそうやな?」

 「え、炎龍!?」

 部屋の入口にいつの間にいたのか。
 戸に寄りかかって煙管を蒸している。

 「覗き見とは趣味を疑いますね、炎龍さん。」

 すぐに口調を元(?)に戻すクロウド。

 コツコツと靴音を響かせ近づいてきたかと思うえば、綺麗な顔でクロウドに煙を吹き掛けた。

 「趣味が悪い~?人が居らんとこで、の話される方が趣味が悪いとちゃいますの?」

 「いやいや、こんなのは常識でしょう?...それより、待ちきれずに上がってきてしまったんですか?」

 「嫌やなぁ、もう一時いっときは経つで?」

 「おや、こんな時間でしたか、私としたことが...とても楽しい時間だったために時の流れを忘れていたようだ!」
 
 態とらしく、驚いた風に言うその台詞は陳腐に感じる。

 ところでいつからそこに居たのだろう...?
 気配を感じなかったけれど...。

 またバチバチと見えない火花が飛び始めた頃、ふと疑問に思ったことを口にした。

 「あの炎龍、『人の家の話』ってどういう意味ですか?」

 私が言った一言で場が凍りついた。
 その一言で炎龍の表情が真顔に変わる。

 「ええっと...まじでわかんないの?」

 戸惑いながら話すクロウドを見て、私はきょとんとした佇まいで返してしまう。

 「はい、人の家の話ってことは..炎龍のおうちの事なんですか?」

 クロウドが口を閉ざすと、ここで初めて眉を少し下げた。
 困り顔だ、いや、もしかしたら楽しんでいるのかもしれない。
 その困り顔(?)のまま炎龍を見据えるクロウド。

 少しの沈黙の上、炎龍が口を開いた。

 「そうや、この俺が今巷で噂の龍の家の長男やで。」

 初めて見る炎龍の表情だった。
 諦めている...そう、全てを受け入れているような顔だった。

 もしかして、聞いてはいけなかっただろうか...。と不安になる。
 でも、すごいことのはず...だよね?なんでだろう。

 「えっと...すごいですね(?)。巷の噂は知りませんが、直接加護を受けた家で、強くてすごいって事ですよね。」

 「ん?」

 「え?」

 このやり取り今日一回別の誰かとしたような...。
 こんな炎龍のキョトンとした顔は初めて見る。

 「あんなちっこい子供でも知っとるような噂...知らへんの?」

 「え、子供も知ってる話を私知らないんですか!?」

 「嘘やん...。ほんまに打算ができひん女やな...心配になるで。」

 「え!?これ本気で心配されてます!?」

 クロウドなんて頭を抑えている。
 口元を見ると笑っているのが見えた。

 どうやら私は知らなくてはいけない(?)話を知らないらしい。

 どれだけ記憶を探っても見当たらないし...本気で龍の家だから...加護があるからなんなのか分からない。

 「はぁ...そこのの男。早う部屋から出てってくれや。これからこの脳内お花畑阿呆に色々説明せなあかんねん。...それに次は俺の番やろ 。」

 「えぇ、もちろん。神話の話は先に済ませてありますからね。それでは雹華ひょうか、良い時間でした。」

 しっしっ...と虫でも払うようにクロウドに退出を願う炎龍。
 それに笑って帰るクロウド...。

 この脳内お花畑って....私!?ってか私の返事は聞かずに帰るんですか!

 あわあわとしている私を他所にクロウドはさっさと身嗜みを整え直すと、靴を履き直し歩き出してしまう。
 そのままガチャンとしっかりと扉が閉じたのが聞こえた後、炎龍がこちらの褥を一瞥すると、「綺麗やな..?」と不思議そうに呟いてから腰を下ろした。

 少し無言の後、炎龍が戸惑ったように聞いてきた。

 「媚薬は引いたんか?体...は平気そうやな。」

 部屋に入ってきた時は少しだけイラついていたように見えたが、今はだいぶ落ち着いている。

 炎龍は基本的に感情を抑えるのが上手だ。
 それに代わって私は...もう少し...ここに来るまでに嫌そうだったから...何か言われるかと。

 「はい!全然大丈夫です!」

 「...あっちの方が良かったか?」

 「え?!いやいやいや!!比べるだなんてとんでもない!人に失礼ですし、それに...その...。と、ところで家の話の説明が欲しいのですが!」

 あそこであんなに皆さんに睨まれたのに、ヤッておりません...。なんて言えない...。

 そう思い、話題を無理やり進めたがいいものの炎龍がいつもと違って真顔で考え込んでしまった。

 「......。」

 こうなるとまた無言になるので、今度は私が話題を振った。
 龍の家のことは説明してくれるらしいが(?)何やら葛藤しているらしいので、私の家の話をしようと思ったのだ。

 「...私、幼い頃に母を亡くしておりまして。父が私を心配して屋敷に閉じ込める...では無いですが、外出を禁じられたんです。」

 赤い目線がこっちを捉えた。

 「教養と言ってはあれですが、先生まで辞めさせてしまって...何とか家の書庫を漁って勉強しました。」
 
 雹華ちゃんの話だ。
 お母さんを急に亡くして、お父さんは妻に似た娘(私)に妻(母)を重ね、家に軟禁した。

 教師が可哀想だといえば、その教師を辞めさせ、いつの間にか雹華ちゃんは一人、書庫で勉強していた。

 「家でも歩ける場所が決まっていて...その、家にあった書物も偏りがあって、常識がないと思われるのもそのせいかもしれません。数年前父も他界しまして、お兄様が当主を継いだので外出出来るようになりましたが...つい最近なんです。言い訳ですよね...ごめんなさい...。」

 無言で見つめられるので、ついつい話してしまう。

 「神話も初めて聞いたんです。龍の人が武官さんの家だとは聞いていましたが、炎龍だとは知らなくて。」

 えっと...言葉が詰まる。
 何を言いたいんだっけ。そうだ、私は...
 
 「何を言いたいかって事なんですが、私はここでを知っているので家の事とか、家族の事だとか別に言いづらいなら大丈夫ですよ。」

 そういった瞬間、驚いたようにその赤い瞳が見開いた。
 
 私はそんな様子にも気づかず「そりゃ、教えてくれたらこれ以上に仲良くなれると思いますけど...」と知らずに呟いてから、しっかりと炎龍の手を握りこんで、力強く宣言する。

 「全部言わなくて大丈夫です。私...口が悪いのに、優しくて強くて、だけど心配性で顔が綺麗で口調が柔らかくって、笑うと少し手を握り込む癖がある...そんな炎龍がここで炎龍らしく笑ってたらそれでいいので。噂とかお家のこととか知らなくていいかなーって...。」
 
 そうそう!これをいいたかったの!と思い顔を上げたら、炎龍が顔を耳まで赤くしていた。

 「...あ...れ?私、何かおかしなこと...言いました?」

 「うっさい、こっち見んなや。自分が何言うてるか分からずに言っとるのがなおタチが悪いで!..こないな風に表情管理出来ひんのいつぶりや...!あぁ!上手くいかへん...!!」

 顔を自分で慌てて空いている片手で隠す炎龍がブツブツと文句を言っている。
 なんだか分からないが、綺麗な顔の炎龍が赤面していると、不思議な気持ちになった。

 ...可愛いって感情に近いかも?ほら、懐かなかった犬が急に可愛くなった...とかあの瞬間に近いかも。
 
 「あー!あほらし!こいつが俺の事知ったとこで態度が変わるんやないかって心配して損したわっ。」

 はぁ、と深く深呼吸したかと思うとこっちを見た。
 「神話は聞いたな?」と前置きをしてから静かに...それも他人事のように告げられたその言葉に私は固まってしまった。

 「もうすぐを俺の家の男の誰かに降ろすんや。...それが俺になるんやないかと言われとるんよ。」

 言い終わった後、少しだけ眉を下げて、優しく笑うから、言葉が詰まった。

 龍を降ろせば、体に入れれば、無事ではすまない...。
 苦痛に耐えなければならない...。
 そうクロウドは私に話した。

 「...っ。」

 でも長男で、期待されてるんでしょう?だとか、どうして炎龍なの?とか...そんな言葉は違う気がして。

 どれも言葉にならなくとも、炎龍はその顔のまま笑って告げた。

 「誰にも愛されてないんよ、俺。...気にすんなや、降臨祭までは自由やから。俺がこうして出稼ぎに出られるのも全部、家を次ぐ者として期待されとらんからや。俺は家に飾る豪華なお飾りみたいなもんになるんやな。」

 彼の言葉には膜があるようだ。
 トゲトゲしい現実を告げるには優しい声で、どこまでも無機質に感じる。

 「わ...たし。痛いって聞きました。」

 「そうやな、炎で内側から焼かれているように痛いらしい。実際焼けてはおらんけどな。」

 「...その神話に出てくる龍さん嫌いです...。」

 「奇遇やな。俺も嫌いや。」

 ははっと笑う彼に気づけば私が泣いていた。

 聞くもんじゃなかった。
 どうして笑っているの?
 なんでこんなに...

 「っなんで泣いとるんや!?え、仮面の下から水...涙やんな?」

 目を拭おうとして失敗した。
 そうだった仮面を付けていたんだった...。

 仮面を外すと、すぐに顔を自分の手で隠した。

 「っわ!分かりません!なんで...っ泣いてるのか...!た、ただ、悔しくて!」

 「悔しい...?な、何がや?」

 どうしたらいいのか分からないらしい炎龍は動揺を隠せず、瞬きが増える。
 こんなに彼の癖を知っているのに...。
 癖を知りもしない龍さんに奪われるのが...悔しい...それ以上に...

 「っ誰も...『愛していない』って言う炎龍がっ、諦めているように見えるからっ!く...くや..しくてっ!」

 泣くのは私じゃない。
 私じゃないのに...!

 「は...?」

 呆けた声が聞こえて無理やり涙を拭って顔を上げ、炎龍を見てまっすぐ告げた。

 「私、龍さんに貴方を取られたくないです。」

 「っ!?」

 気づけば抱きしめられていた。
 ぎゅっとしがみついてしまったが、それ以上の強さで抱きしめられる。

 苦しいけれど、暖かい。

 「脳内お花畑の阿呆女。元々、俺は誰のもんでもあらへんわ。」

 「っあ!たっ、確かに...」

 途端に恥ずかしくて顔を炎龍の肩辺りに埋めてしまう。
 わ、私の発言はやばい!何がやばいって...もう全部やばい!

 「ん゛ん!!っそろそろ、話終わったんやから、耐性やったっけ。つけるんやろ、貸せや。」
 

 変な咳払いの後に言われたその台詞で固まってしまった。

 「あ...あの、や。今日は辞めとこうかなぁと...思うのですが。」

 「はぁ?あの男は良くて、俺が嫌ってことか?」

 機嫌が急落下したのが分かった。肩から顔を上げれない。

 無理やり体をくっつける。
 狩人ハンターではご法度だが、今はそんなこと気にしていられなかった。

 なんで...忘れてたんだろう!
 いいえ、顔を上げたら絶対怒ってる。
 ここは寝たフリを...

 「すっ...すーすー...。」

 「それ寝たフリなん?ええ加減にせぇや!媚薬の瓶を貸せ!」

 ぶんっと無理やり体を引き離され、その勢いで懐から媚薬の瓶が入った小袋が出てきた。

 袋から出てきたのは四つ...。
 塗り薬二つと飲み薬二つだ。

 「おま....使っとらんの?」

 壊れたブリキ人形のように顔を背け、小さな声で「ごめんなさい...」とだけ呟いた。

 あぁ、どうしよう!?
 ば、バレちゃった...!
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