【完結】ゴーストと呼ばれた地味な令嬢は逆行して悪女となって派手に返り咲く〜クロエは振り子を二度揺らす〜

あまぞらりゅう

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第二章 派手に、生まれ変わります!

69 婚約者が全てを知ってしまいました!

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 王宮にある地下牢は、昼も夜もひっそりと静まり返っていた。

 時おり聞こえる水漏れの音、びゅんと走り抜ける薄汚れたズミ、そして底冷えする寒さは、生まれ持っての高位貴族であるスコット・ジェンナー公爵令息の精神を、じわじわと削っていく。

 あれから、どれくらいの時間がたったのだろうか。
 陰鬱を凝縮したような閉鎖的な空間で、彼はずっと物思いにふけっていた。

 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 確実なことは、自分は無実だということだ。
 コートニー嬢とは囁かれている不名誉な関係ではないし、国王陛下の御前で不正を行うことも断じてやっていない。己の家門を傷付けるような自殺行為をするわけがない。

 だから、自分は嵌められたのだ。

 でも……誰から?


 それを考えれば考えるほど、袋小路に入って行くようで……考えるのが恐ろしくなった。

 結論はいつも同じだ。
 ずっと、違和感を覚えていた。だけど、見て見ぬ振りをしていたのだ。

 あんなに優しかった婚約者だったのに、聖女の力に目覚めてから、どことなく変わってしまったのは分かっていた。彼女の気持ちが違う場所へ行ってしまったことも、知っていたのだ。

 でも、二人は、表面上は変わっていない。相変わらず、政略結婚だけど仲の良い令息と令嬢のままだ。
 それでも構わないと思っていた。彼女が手に入るのなら、それでもいい。

 だけど……クロエ自ら、こんなことをするなんて――……。


 そのとき、入り口から微かに物音がした。
 薄暗い先に目を凝らす。出し抜けに黒い影がすっと現れたかと思ったら、スコットの前で立ち止まった。

「ジョン・スミス男爵令息……?」

 意外な人物に、彼は目を丸くする。
 厳重に警備された王宮の地下牢に、なぜ地方の男爵令息が潜り込めたのだろうか。たしか、ジェンナー家が調査した限りでは、彼は本当に凡庸な田舎貴族だったはずだが……。

「やぁ、公爵令息。調子はどうだ? その様子だと、相当参っているようだな」と、男爵令息は口の端を上げて不気味に笑った。

「な、なぜ……君がここに……?」

「なぜって、貴公に会いに来たからに決まっているだろう?」

「どっ――」スコットは矢庭に気色ばむ。「どういうことだ!? それに、君の態度はいささか無礼じゃないか? 僕は公爵家の者だぞ」

「あぁ、そうか。俺はそういう設定だものな」

 目の前の令息は、おもむろに懐から懐中時計を取り出した。そして、そっとスコットの眼前に持っていく。
 それは、暗闇でもきらりと輝く金細工の、吸い込まれるような精緻な模様は――……、

「キンバリー帝国……」

 スコットは思わず息を呑んだ。蓋に彫られた紋章は間違いなく、大陸で最大の勢力を誇るキンバリー帝国の犬鷲だったのだ。

「俺の本当の名前はローレンス・ユリウス・キンバリーだ」と、彼はにやりと笑った。

「っ……!」

 スコットは硬直する。額から汗が滲み出て、ぴりりと皮膚がつった。
 その高貴な名前は、少し前に聞いたばかりだ。それは、己の婚約者であるクロエ・パリステラに求婚したという帝国の第三皇子……。

「ま、まさか……」彼は絞り出すように声を出す。「クロエを、奪いに……?」

 少しの沈黙。隙間風の音だけが二人の間をかすった。

 そして、

「そうかもしれないな」と、皇子は苦笑いをした。

 途端に、スコットの顔がぐしゃりと歪んだ。

「じゃ、じゃあっ! 魔石はき――で、殿下が!?」

「さぁ?」皇子は首を傾げる。「もう、そんなこと、どうでもいいじゃないか」

「そんなことって――」

「だって、貴公は既に終わっているのだから」

 またもや沈黙が支配する。不穏な気配が闇夜に浮かんだ。

「それは……どういうこと、ですか?」

 スコットは無礼だと承知で帝国の皇子を睨め付ける。
 やっと腑に落ちた。薄々感じていた、これまでの疑惑の答えが見つかった。
 クロエとローレンス殿下は共謀していたのだ。二人で、自分とコートニー嬢を陥れようと……でも、なんのために?

 ぞくり、と背中に悪寒が走った。
 この二人は……愛し合っているのか…………?


「俺とクロエは同じ属性の魔法が使えるんだ」

 静寂の中、皇子は静かに語り始める。

「それは……聖なる魔法、ですか?」

「いいや、違う」

「え……? しかし、クロエは――」

「俺たちが操れるのは、時間だ」

「っつ……!?」


 不意に、皇子がスコットの頭上に手を置いた。

 そして、

「お前の記憶を呼び戻してやるよ。無様な過去を」

 魔法を発動させた。

 刹那、スコットの脳内に、堰を切ったように大量の記憶が押し寄せる。



 ――泣かないでくれ、クロエ。君が泣いていると僕も悲しくなる

 ――ははっ、元気な可愛らしい異母妹だね

 ――……ごめん。気分が悪くなったから帰るね。今日は見送りも要らないから

 ――クロエが……夜な夜な男と遊び歩いているだって…………?

 ――いや……僕はネックレスを大切にしてくれる人が着けてくれるほうが嬉しいかな

 ――もういいんだよ、無理しなくて。……僕が、君の味方になる


 ――君のような女性とは、もう一緒にいられない



 ――ただの…………ゴースト、だろう?



「っっつうあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ…………!!」

 記憶の波濤は、彼の頭を撃ち抜くように、容赦なくなだれ込んでいった。
 彼の絶叫が、空虚な暗闇を満たしていく。

 自然と涙が流れた。氷の塊に殴られたみたいに頭がキンキンと鳴って、全身から汗が吹き出て、酷い寒気と芯から燃えるような熱さが彼を蝕んだ。


 嫌だ……知りたくなかった……こんなの嘘だ……僕はクロエを……だって彼女は……コートニー嬢だって…………、

 ………………、

 ………………、

 ………………、


 ………………………………ゴースト、




「っはぁ……はぁ……っつ…………」

 しばらくして、荒い呼吸だけがその場に残った。
 心臓は内側から強く叩かれているかのように激しく打って、割れるように頭が痛くて、全身が泡立ち、息ができなかった。ひゅうひゅうと、過呼吸のように、ただ乱れる。

 ふと我に返ると、ローレンス皇子が氷のような冷たい目で見下ろしていた。

「クロエは、継母と異母妹から酷い虐待を受けていた。魔法が使えないという下らん理由で、父親からも見放されていたんだ」

「そ、れは……」

「知っていたか? 彼女は食事も与えられなくて、夜中に厨房の生ごみを漁って飢えをしのいでいたんだ。まだ成人していない、侯爵令嬢が」

「っ……」

 スコットは絶句して呆然と虚空を見た。

 そんなの、知らない。
 自分が周囲から聞いていたのは、クロエがどうしようもない男好きで、夜な夜な遊び歩いていて、魔法の勉強も放り出して怠惰な生活を送っていて、卑しい身分の悪い仲間とつるみ、異母妹をいびり抜いていて……、

 …………、

 それは……本当のことだったのか?



 揺らぐスコットの心をお見通しだと言わんばかりに、ローレンス皇子は射抜くような険しい視線を彼に投げる。

「お前は、ちゃんとクロエの話を聞いたのか? 周囲の無責任な流言ではなく、彼女自身の言葉を」

「…………」

 スコットは押し黙る。皇子の正論が、彼の心を強く殴打した。

 あの頃は、これまで品行方正だったクロエの初めての醜聞が青天の霹靂で、途端に頭にかっと血が上って、一方的に彼女を悪だと決めつけていた。
 そして怒りに任せて彼女を責めて……責めて、なにも話を聞こうとしなかったのだ。

「なぜ……」皇子が唸るような低い声を出す。「なぜ、彼女の話を聞いてあげなかったんだ? なぜ、彼女の言葉を信じてやらなかった?」

「…………」

 スコットは返す言葉も出ない。
 すると、皇子の眼光がにわかに鋭くなった。

「婚約者だろう!? 例え味方が己だけになっても、愛する人のことは最後まで守ってやれよ!」

 ローレンス皇子の酷烈な言葉が反響して、やがて静寂に溶け込んだ。
 洞窟の最奥みたいな静けさが再び戻る。風の音と水の音。呼吸の音も、それらに掻き消された。



「…………ぼ」

 しばらくして、スコットが弱々しく呟いた。

「僕は……クロエに……どうやって償えば…………」

「はっ」

 皇子は鼻で笑って、それから冷めた目で公爵令息を見た。

「貴公が出来得る限りの最大の謝罪は、今後、二度と彼女の目の前に現れないことだな」

 スコットは目を剥く。
 皇子は黙って踵を返した。


 そして、またぞろ暗闇に一人残される。急激に全身が冷やされて、震えが止まらなかった。

 頭の中はクロエのことでいっぱいだった。
 一体、なにがいけなかったのだろうか。
 皇子の口振りの様子だと、自分はきっとコートニー嬢たちに騙されていたのだろう。そして、無実の婚約者を……。

(いや……)

 スコットはかぶりを振る。
 それは違う。他人のせいにしてはいけない。

 たしかに彼女たちは口八丁で自分のことを欺いたのだろう。でも、それをすっかり信じ込んで、愛する婚約者の言葉に耳を傾けなかった自分が……一番悪い。

「うっ……うぅ…………」

 涙はとめどなく溢れ出て、止まらない。

 あのとき、ちゃんとクロエの話を聞けば良かった。手紙ではなくて、直接彼女と話し合えば良かった。何度断られても、どんな障害があっても、彼女の顔が見られるまで、粘り続ければ良かった。


 でも、どんなに過去を悔やんでも、もう遅いのだ。









 翌日、それまで無実を主張していたスコット・ジェンナー公爵令息が、ついに供述を始めた。

「僕が……僕が一人で計画を立てて、全てを執り行いました…………」

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