御薙家のお世話係

青木十

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第弐話

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 音とその反響が消えたかと思うと、スライムを拘束するように四方八方、数多の方向から白く輝く鎖が伸びてきた。不定形を巨神ごと絡め取り、何本もの鎖がスライムの軟体を貫き縛って固定していく。巻き込まれた巨神は抗うが、動けば動くほど白鎖に縛られていった。

「朔夜くんは容赦がありませんね」

 隣の棗が苦笑と共にこぼした。
 佳朗も似た笑みを返しながら肩をすくめる。

天道てんどうくん、随分と壊しましたからね」
「本当に申し訳ないです。請求に関しては、事務所より本家に送ってもらったほうがいいかもしれません」

 そうやって謝る棗に、佳朗はわかったと頷いた。

 しばらく見守っていると、鎖の果てが見える距離に近づいてきた。あの鎖は、朔夜が周りに放った霊符から伸びている。それらの符は争いの中心を取り囲むように展開しており、徐々にその距離を縮めていた。無数の符が並び、まるでドームのようにこの一帯を包み込む。

「棗くんは下がった方がいいかも。祓う時に何が起こるかわからないから」
「平坂さんも、下がりましょう!」

 棗が佳朗の腕を掴んで引いたが、佳朗は踏ん張り耐えた。

「僕は駄目だ。これが必要になったら、渡さないといけないから」

 佳朗は断りを入れて、トランクの取っ手を握り直す。自分がここにいるのは、これが必要な時に必ず届けるため。佳朗は確認するように一つ首肯した。

「なら私も残ります。被害状況は目視しておかないとなので!」

 両拳を握りしめながらそう言う棗に、佳朗はまた頷き返した。

 瓦礫の影に隠れるように身を寄せれば、あっという間に縮んできた符の結界が二人を通り抜けた。
 縮まったことで霊符や鎖の間隔が減っており、佳朗の腕に触れるように鎖が、手に重なるように符が通った時、色から受ける印象とは違う温かさのようなものを感じて、佳朗は少し安堵した。自分が仕えている朔夜の力を感じたからだ。ふと肩の力が抜ける。

 朔夜様なら、何が起きても大丈夫。

 そう思えば、自然と緊張が解けていった。

 そこからはすべてが早かった。
 不定形に迫った数え切れない枚数の符は、その大きく膨れ上がった身体に張り付いていく。すべてを包み込む勢いだ。
 符から溢れる青白い光が不定形の中へと染み渡っていった。その清廉な光によって濁り澱んだ悍ましい色が消されていく。輝きを無抵抗に通すほど澄んだ液体へと浄化していった。

 そう佳朗は思っていたのだがどうも様子が違っていた。
 てっきり透明できれいな水にでもなるのかと思っていたが、それは相変わらず軟体で、上の方は確かに透明だったが下の方へ向かうにつれ薄っすらとピンク色をしているような気がした。
 少し視力に自信がない佳朗は、首を傾げる。そうして、隣の棗に確認しようとした時だった。

 ぐらりぐらりと大きく揺れた。ここ一帯の大地が揺れているようだった。
 瓦礫が崩れバラバラとビルの破片が振ってくる。佳朗たちは慌てて瓦礫に身を潜めた。

「大きな揺れだ! 龍脈に干渉しすぎたのかな」
「もしかしたら、あの不定形を作り上げた術式が下水道に残っているのかもしれません」
「だとしたら、そちらをなんとかしないと!」
夕星ゆうつづくんに連絡してみます」

 棗が耳元の通信器に手を添えながら、瓦礫から身を乗り出した。

「あ、すみません、違いました」

 棗が呆れを含んだ声をこぼす。
 その声に合わせて顔を出してみれば、散々と縛り上げられ絡め取られているはずの巨大な式神が不定形を押しつぶしながら一回り二回りと大きくなり始めていた。

「どうやら天道くんが無理やり脱出しようとしているみたいです」

 棗は大きくため息をついた。そのため息には、呆れや疲労、もしかしたら怒りも含んでいるのかもしれないと佳朗は思った。

「天道くん! いい加減にヤマツミから降りなさい!」

 その細い体からどうすれば出せるのか分からないほど大きな声が、棗から飛ばされる。それが聞こえたのだろう巨大な身体は、ピタリと止まったかと思うと数秒後に眩い光を発して消えた。一帯の揺れも収まっていた。
 瞬く間に巨神が消えたことにより、更に白い鎖や霊符が不定形を捕らえる。鎖が体を貫き、符によって浄化が進むそれは、徐々に体積を減らしていった。

「アキ」

 通信器から自分を呼ぶ声が聞こえた。
 信頼している主人の声だ。

「はい、佳朗です、朔夜様」
「霊玉を」
「はい!」

 佳朗はトランクを地面に置き、急いでその鍵を開ける。開かれたその中には、布に包まれた大切なものが入っていた。周りは深藍色の天鵞絨で覆われた仕切りに支えられており、揺れるトランクの中でも動かないよう固定されていた。
 逸る気持ちを抑えながら焦らず丁寧に取り上げ、そっと包みを解いていく。包んだ布でさえ手触りが良くて、上質の絹布なのだろうと佳朗は思った。
 片手で持つのはやっとというくらいの、大きな水晶らしきものが姿を現す。少し角張った楕円体で、全体は澄んでいるが、淡い白や黄、青を遊色とし、中心部では何かが渦を巻いているように見えた。緊張のあまり無意識に喉が鳴る。元々感じていた重みが、更に増したように思えた。

「こっちへ投げて」

 通信器から聞こえる抑揚のない端的な言葉に従って空を見上げれば、朔夜がこちらを見ていた。遠くにいるはずなのに、たしかにこちらを見ている。佳朗はそう感じた。
 すっくと立ち上がったのちに、様にならない体勢で大きく体をひねった。霊玉は何度か触れたことも投げたこともあったが、これほど大きなものは初めてだ。けれど、これが自分の役目であれば投げるしかない。佳朗は腹をくくる。

「いきます!」

 砲丸投げをイメージし数回身体を回転させ、その遠心力を糧に前方へ腕が伸びるタイミングで手を放した。美しい宝珠が手から飛び立つ。
 霊玉自体の重さもあり、たしかに数メートルは飛翔する。届くわけはもちろんなく、距離も高さも足りないだろう。しかし佳朗は、方向さえあっていれば大丈夫だと確信して投げた。

 前方から淡い光が集まってきて、中空に放り出された水晶体を包み込む。その瞬間、光が弾け消え、そこには何も残っていなかった。

「届いた」

 その声で遠くを見つめ直せば、朔夜の傍にひときわ明るい輝きが見えた。無事に届いたようだ。
 今のは朔夜の術式により、間の空間を削ったのだろう。以前そのような話をしてくれた。佳朗には随分と難しい話ではあったのだが、優秀な術師である朔夜にとっては簡単なことなのだ。

「あれほど大きい霊珠とは。さすが御薙みなぎさんですね」
「いや、あれほどのものは、うちでもそうそうないですよ。でも、都心での案件なら必要だろうと、御薙本人が」

 佳朗は手早くトランクを片付けながら、棗に相槌を打つ。御薙というのは、佳朗の務める会社の名前であり、社長の名だ。

「あれだけのものを御せるというわけですね、朔夜くんは……」

 棗が感嘆をこぼす。その隣に立って、佳朗も朔夜へと視線を向けた。

 通信器から、朔夜の呪詞のりとが聞こえてくる。
 謡うように捧げられる言の葉に、佳朗は耳を傾ける。佳朗は、それなりに長くこの手の仕事に就いているが、呪詞の詞は難しくて理解していない。ただ朔夜の声は美しいなと思って聞いている。

「在るべき場所へ還れ」

 清冽な調べが、有無を言わさぬ語り句によって締められる。強い言葉は、力と合わせれば明確に上位者になれると昔聞いたことがある。その強さが、その言葉にはあった。

 瞬きも許さぬ間に、大きな渦が不定形の中に現れる。残った澱みも包む輝きも吸い込むように渦がうねる。霊玉から放たれた力が、渦の中央に作用しているようだ。なにもかもが――清濁も黒も白も闇も光も陰陽もすべてが集まって圧縮されていく。その場所にはもう何も詰め込めない、不定形はこれ以上小さくできない。それほどまでに渦が巻ききった時、ほんの僅かな静寂が一帯を支配した。

 まずい。

 長年の勘が、佳朗の体を動かす。ほぼ同時に渦の中心から力が溢れ、不定形の軟体は膨れ上がって弾け飛んだ。
 棗にトランクを押し付け、抱えていたコートを広げて前面から彼の体を覆った。そうして守るように抱きしめる。棗が耳元で叫んだが、爆ぜて襲い来る激流に飲まれて聞き取れなかった。
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