御薙家のお世話係

青木十

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第肆話

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 背に温かさを、頭の天辺に重さを感じて佳朗が身をよじれば、主人である朔夜が佳朗を包むように立っていた。
 繊細な白銀の髪が、まだ残っている光を受けて輝いていた。青みがかった黒の瞳も美しく、頭髪や裝束と合わさり醸し出される清廉な神々しさは思わず拝してしまいそうだ。ここ一帯の再生という御業を見せたあとに拘らず、まったくそのようなものは伺えない。
 今は不機嫌そうな顔をして、宵月を見返している。ただ元気ではありそうだ。

 主人の顔が見れてほっとした佳朗だったが、自分の姿を思い出した。

「朔夜様! 汚れますよ!」

 汚れた手すら触れぬよう両手を上げて離れようとしたが、朔夜は頑なに許さなかった。佳朗の主人は佳朗に関することにとにかく頑固だ。
 いつもの頑固さに疑問を感じている間に、佳朗はこれでもかと抱き寄せられた。
 抵抗するも敵わずそのまま抱きしめられると、ふわりと穏やかな白光に温かさを感じる。濡れ鼠だったはずの安物のスーツもシャツもネクタイも、更には中の肌着まで、すべての不快感が消えていく。肌も髪もあわせて、朔夜が何らかの術できれいにしてくれたのだろう。眼鏡についていた粘り気もすっかりなくなり、視界も明瞭だ。

 わずかに身じろいで顔を上げれば、深い青が遊色のように光彩に載った黒い瞳に佳朗が写っていた。
 瞳の玲瓏さにどきりとしつつ佳朗が礼を言えば、朔夜は当然とばかりにこくりと頷いた。

「朔夜が面倒を見るなら別に構わないけど、注意はしておいた方がいいかも」
「そんなことは分かってる」
「本当に?」

 宵月が続ければ、朔夜は邪険に返す。
 二人はぶつくさ言い合いを始めた。

「宵月くんは、僕を心配してくれているだけなので……」

 顎の下、おろおろとしながら佳朗は、訴える。
 二人は基本的に仲が良いのだが、時々こうして言い合いになることがある。手が出るわけでもないから、騒ぐほどのことではないのだけれど。

 佳朗のフォローが聞いたのか聞かなかったのかは分からないが、朔夜はこれ見よがしにため息をついた。

「呪いは消したし、術の産物は土地に還元させたから心配しないでいい。アキも俺がいるから大丈夫だ」

 そうして、符を右手の人差し指と中指で挟み、縦に振った。まるで何かを切るような仕草だった。

「棗」
「はい、なんでしょう、朔夜くん」
「アキを名で呼んだろう」
「すみません、咄嗟でしたので」
「あまり縁を太くしないでくれ、こちらの対応を損なう」
「かしこまりました」

 朔夜の淡々とした言葉に、棗が慇懃に頭を下げる。

 そう言えば、と佳朗は昔の話を思い出した。
 昔、御薙の屋敷に居た動物たちを可愛がりすぎて「縁が太くなるからやめるように」と言われたような覚えがある。
 怪談や伝承などで、人ならざるものに名を教えてはならないという物があるが、こういう理由かもしれないなと思い至る。
 できた縁が良い方に作用すれば問題ないが、悪い方に作用することもあるし、良し悪し関係なく術式の妨げになることもあるそうだ。佳朗は、棗と現場がかぶる事はままあるが、あくまでも他社。もしものことがあった時、佳朗の身を守ってくれるのは葛之葉ではない。そう考えると、術に影響があるものには注意を払う必要があるのだろう。
 なるほどなと考えていた佳朗は、術ということで思い出した。

 朔夜を労っていない。あれほどまでに素晴らしい再生の術をなしたのだ。自分が褒めずして誰が褒めると言うのだろう。

「そう言えば!」

 顔を上げて主に声をかければ、朔夜は顔を覗き返してくる。

「朔夜様、先程の祓除、ご立派でしたよ」

 安堵の笑みと共にそう伝えるが、朔夜は少し不服そうな顔をしている。見上げながら小首をかしげていると、ぽふりと頭に手を置かれた。

「どうしてナツメと一緒に下がらなかったんだ」

 大きな手の持ち主を見やれば、玄が困ったような顔で佳朗の頭を撫でていた。背の高い玄見上げれば、玄の頭の上では濃い灰色の三角耳が少しへたれて、見下ろせば長い尻尾がだらりとしている。
 疲れているのかと尋ねれば、そうじゃないと苦笑いとともに両手でわしゃわしゃと頭を撫でられた。強すぎて佳朗の眼鏡がずれる。

「オレは下がるように言ったぞ」
「そうだけど……」

 ずれた眼鏡を直しながら、佳朗は言葉を続けた。

「霊玉が必要な時があるかなと思って」
「どれだけ距離があっても、互いに認識できていれば距離は関係ないって知っているよね?」

 言葉を被せるように、ぴしゃりと言われる。今日の朔夜は容赦がない。声も表情も落ち着いているが、どうやら怒っているようだった。

「朔夜様は遠くからでも目立っていましたが、地上にいる僕は見つけづらいと思いまして……」
「俺がアキを見つけられないと思っているの?」

 憮然とした様子に、言葉が詰まる。佳朗は、昨夜の力を疑っていない。ただ自分が凡庸な人間であると理解しているだけなのだ。
 どう言えば適切に考えが伝えられるか迷っていると、朔夜は佳朗の腕を掴みながら袖を確認する。

「それにコートは? 防護の術がかけられていたよね」
「棗くんに被せました……」
「それで、アキはどうやって身を守ったの?」

 一瞬だけ棗に視線を送ったあと、朔夜は佳朗を覗き込んだ。逃げること能わずといった圧を感じて、佳朗は先程からしどろもどろだ。

「ええと……こうなんていうか、体を丸めるようにして」

 空いている手で、球を作るような、ろくろを回すような動きで訴える。伝わったかと朔夜を見上げるが、信用ならんといった顔で見下ろしている。

「正式に朔夜様の世話係に配属される際に、護身術はひと通り習わされましたので」

 そう言いながら、佳朗は新入社員の研修を思い出す。
 前線を支えるチームからわざわざ人を呼んで、しかも一週間毎日数時間の訓練だった。あれからいろんなことがあったが、生きているのはあの研修のおかげかもしれないと、佳朗は思っている。
 そういう意味では自信があったのだが。

「角に当たったら、どうするつもりだったの?」
「頭からぶつかったら、どうするつもりだったんだ」

 朔夜と玄、二人がかりで窘められる。これではどちらが歳上か分からない。それからもあーだこーだと自分の至らなさを指摘されて、佳朗は身が縮む思いだ。

「アキが無理をしていい理由にならないから」

 朔夜は淡々と言葉を続ける。まるで叱られているようだと、佳朗は思った。

「でも棗くんに害があれば、こちらの管轄での問題となりますし……」
「それでアキが怪我していたら話にならない」

 手厳しい主人に、細々とした怪我を負っている佳朗は何も言い返せなかった。

「――ねぇ、言っていいか分からないけどさぁ」

 夕星が困ったような、それでいてちょっとからかうような笑みを浮かべて割り込んだ。皆の視線が集中する。

「ここにいる徒人いっぱんじんは、平坂さんだけだからね。朔くんが心配するのは当たり前じゃない?」
「えっ?」

 佳朗は、驚きとともに夕星を見、朔夜を見、最後に棗を見る。
 当の棗は照れたような顔で小さく笑っていた。

 佳朗は、思い至る。

 三兄弟――安倍の三兄弟が、どの血筋かは名が指し示す通りだ。佳朗の聞いたところによると、土御門を名乗るよりも昔、何人かいた血筋の一人が祖の母方へと引き取られていたらしい。その庇護下で長く血を繋いできたのだそうだ。
 なぜ気が付かなかったのだろうか。
 そんな彼らの世話役が、徒人ただびとであるはずがない。
 葛之葉は関連会社のほとんどが一族経営だ。そこで安倍の守護という重要な立場を任されているのだとしたら、――棗は徒人どころか人ですらないのではない可能性がある。
 佳朗は、自分のほうが先輩だと、年長者だと思っていたのだけれど。

「棗……さんって、もしかして僕より年上だったりします……?」

 なんとも場違いな言葉が口をつく。

「いま尋ねることが、よりによってそれぇ?」

 夕星はあははと楽しそうに笑った。ペチペチと手を叩いて喜んでいる。
 宵月は不思議そうに首を傾げ、玄はなんとも言えない顔で肩をすくめた。

 棗は、鷹揚な余裕のある笑みを浮かべて、わずかに首を傾けた。けれど、それ以上は何もしない、何も言わない。真相を語るつもりはないようだ。

 あれ、知らなかったの、僕だけでは。

 呆然とする佳朗を、朔夜がぎゅうと抱きしめながら、呆れた声を頭上から落とした。

「アキはもう少し自分を大事にして」

 佳朗は小さな、それはもう小さな声でごめんなさいと呟いた。
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