楽園 空中庭園編

木野恵

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空中庭園

旅立ち

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 ストックが怖いと思った。

 話していることも行動も気遣いもありがたくて嬉しくて立派なのに。

 ノームの足に巻き付いている鎖から目を逸らせない。

 解放したい。

 でも、それは本当に良いことなのだろうか?

『精霊と伝説』では精霊が酷い目に遭ったように描写されていたけれど、実際は?

 もし僕の思い込みで、この領地の人たちが生活に困ってしまったら?

 もう少し様子を見てからにしないと。慎重に……。

「ところで、裕樹さん? この領地の素晴らしさが伝わったかと思うの。どうだったかしら?」

 ストックの笑みが怖いが、綺麗で素晴らしい世界だったのは事実だ。

「とても綺麗でした。こんな綺麗な場所、実際にあったらいいのにな」

 心からの言葉だった。

「でしょう?」

 ストックの浮かべた笑みに胸がざわつく……。なんとなく『やばい』と頭の中で警鐘が鳴る。

 住人たちの輪を抜けてジニアがこちらにやってきた。その後ろを住人たちがついてきている。

「ヒロくん、女王様と楽しそうに話してたね。あっ! もしかして精霊ノーム? 初めて見た!」

 ジニアから見て僕の背後にノームは隠れている。

 そうだ、ジニアくんにはノームがどう見えているんだろう?

 心臓が激しく脈打ち、どこからともなく湧き上がってくる不安を抱えながら反応を待つ。

 短い間でも一緒にすごしたじゃないか。きっと大丈夫だから。

「天から降りてきたみたいで可愛いなあ」

 不安がどこかへ消えていく。

 良かった。どちらかが正解とかはないんだろうけど、本当に良かった。

 本当になんとなくそう思えるのだった。

 ノームの見え方にどちらが正解かなんてわからないけれど、心でありのままに感じただけ。

 自分との相性なのかな……。

 ノームがいつの間にか隣に立ち、ジニアの方をじっと見つめていた。

 ジニアの背後では住人たちが我も我もとノームを見ようとしているが、女王様がそれを制していた。

 他の人にはどう見えているのかな?

 喧騒に耳を澄ませて単語を拾ってみる。

 モグラ、化け物、悪魔、ミミズがほとんどでたまに天使。

 どういうわけか胸が痛くてたまらない。

 苦しそうな顔をしてしまっていたのか、ノームが袖を4回引っ張ってこちらを見上げた。とても心配そうな顔で。

 純粋無垢で綺麗な目をしている。よく見てみると、琥珀のように綺麗な色をしていた。

 本当にこんな見え方の違いという一部の情報だけでいいのかという葛藤もあるけれど、ノームを自由にしたい気持ちが強まってきた。

 でも、大事なのは本人の求めるものだ。

 ノームの目線より下に自分の顔がくるようにかがみ、下から見上げた。

 上から見下ろすよりも、目線を合わせるよりも、こちらの方がきっといい。

「精霊ノーム。ずっと縛り付けられているのはつらい?」

 ノームは黙ってゆっくりと頷いた。

「ほかのみんなにまた会いたい」

「他の精霊のことかな?」

 ノームはまた黙って頷く。

 次は何を聞けばいいだろう。

「ここを出たい?」

 なんだか口説いているようだったけれど、他にどう聞くべきかがわからなかった。

 ノームは少し考えて、住人たちを見て、悲しそうな表情を浮かべた。

「うん……ここは綺麗だけど、差別的。私なんかより、おにいちゃんのほうがあぶない」

 暗くて悲しい表情をしながら俯いてしまった。

 差別的なの……?

 危ないとはどういう意味だろうか。

 考え込んでいる間にそれは起こった。

「ストック様。我々の領地に異民族がいるのはどういうわけですか? 頭に花が生えかけているわけでもないようです。どこかのスパイじゃないのですか?」

 一人が威圧感のある声を上げると、ノームへ向いていた視線がこちらに集まった。

 言われてから初めて自分の頭を手で触る。

 何も生えてないのが当たり前だけれど、それがここにおいてはまずい存在だったらしい。

 ジニアが慌てながら僕に歩み寄り、女王へと視線を向けた。

「静かになさい。そしてよくお聞きになって」

 澄んだ声があたりに木霊する。

 大きな声でも力のこもった声でもなかったけれど、そこには神秘的な何かが込められていた。

 木の妖精に教わったマナの属性を頭に浮かべる。

 火、水、風、土、木、雷の他に、音、時、心、言葉、色。

 もしかすると音のマナを声に込めているのかもしれない。

 冷汗がじんわりとつたって落ちる。

 仮説を立てることで冷静さを保とうとしたけれど、どうしても心臓が暴れてくるのを抑えることはできなかった。

「彼はこの領地を褒めたたえました。『実際にあったらいいのに』と。つまり彼は我々の仲間であることを証明するためにがんばってくれるということです」

 言っている意味がわからなかった。そんなこと一言も言っていない。

 ストックは勝手な解釈で僕に関する演説を始めた。

 住民たちはそれに耳を傾けながらこちらをちらちらとみている。

 頭の中が真っ白になりそうなのを、ジニアとノームが手を握って支えてくれた。

 こうなったらよかったのに。

 どうしてそんなことを思ったのかわからないけれど、こうはならなかった。ならなかったんだよ。

「……逃げよう。私、おにいちゃんたちと逃げたい。繰り返されてはいけないの。愛想が良いからって誰でも良い人ってわけじゃないの。自分がいかにも理解者であると思い込んでいる人の言葉は聞いちゃダメ。相手にしちゃダメ。相手にしないで逃げることも大事なんだよ。わかりあおうと思ってくれる人、手を取りあえる人を大事にして! もしよければこの鎖を壊してほしい。たとえこの領地の恩恵が失われても、それはこの人たちへの罰なの。私がいなくてもユグドラシルは枯れないから。お願い、みんなに会いに行かせて」

 ノームが確固たる意志をもって口を開いた。手を優しく、それでいてしっかりと握りしめながら。

 ジニアがまじめな顔でほんの少し考え込んでから鎖にそっと触れる。

「この鎖は……」

 しかめっ面になって黙り込んでしまった。

 同じようにそっと鎖に触れてみたが何もわからない。

「祈ってみたら壊れるかな?」

 なんでもかんでも祈ればいいわけじゃないのは重々承知だけれど、自分にはそれ以外にできることがわからなかった。

「……難しいと思います。この鎖には『呪い』がかけられています。かなり強力な。いったい何人分の『呪い』なんでしょう」

 新しく出た『呪い』という言葉におぞましさを感じた。

「ああ、『呪い』というのは『祈り』が自分の思い通りに叶わなかったものをいうんです。イメージや理解不足の他に、強い恨みが込められているものとでもいうのでしょうか」

 冷たい汗が背をつたう。夏の森で軽はずみに木の妖精に祈ったことをすぐさま思い出した。

 大丈夫だったかな。やましいことは祈っていないけれど。

 気にするのは悪いことじゃないけど、それをするのは今じゃない。

 祈るのがダメなら……。

「ここの人って植物の世話をしてるんだよね? どこかにスコップかなにかないかな?」

 ジニアが吹き出しそうになっている。

 僕はいたって真面目に考えているつもりなんだけど……。

「ごめんなさい! まさかヒロくんの口からそんな言葉が出てくるなんて……」

 笑いながら、スコップがありそうな場所を指でさしてくれた。

 ジニアの示した方向には小さな切り株があった。

 幸い、住民たちとストックのいない方向だ。

 正直あの集団の傍を歩きたいとは微塵も思わない。

 あの中に入ってるのかな? とりあえず調べてわからなかったら聞いてみよう。

 ストックの演説が終わらないうちにすませたかったので、切り株めがけて一生懸命走った。全速力。

 切り株にはペダル式のゴミ箱のように、踏んでくださいと言わんばかりの何かが根元から生えていた。

 好奇心のまま踏みつけると、切り株の上部分がパカッと開いた。

 まさか本当にゴミ箱みたいに開くとは。

 そうっと中を覗き込むと、切り株の見えている部分以上に深いスペースがあった。

 ショベルやスコップ、鍬に鋤、熊手等の道具が中に入っており、スコップよりショベルの方が壊しやすそうだと思ったのでそちらを一つ取り出した。

 これでうまく鎖を絶てればいいのだけれど。

 ノームとジニアの元へ急いで戻り、ショベルを思いっきり鎖にぶつけた。

 一度ではだめでも、何度だって打ち付ける。

 壊れろ! 壊れろ!

 僕たちのしていることに気づかず、みんなストックの演説に夢中だ。ありがたいけどそれが余計に恐ろしい。

 例えこの美しい領地が滅ぶことになったとしても、自分が正しいと思うことをやり遂げたかった。

 そういえば、精霊がいなくなるとどうなるのだろうか。

「ひとつ、聞いてもいい? 精霊がいなくなったらその領地はどうなるの?」

 ノームは悲しそうな顔をしながら口を開いた。

「貧しくなるの。闇がどんどん深まって、みんなを蝕んでいく。綺麗な景色は失われないけれど、心の豊かさがなくなっていくわ。個性がなくなるの。自分がなくなっちゃうんだ」

 可哀想だと思った。

 でも、僕はやる。

 危ない目に遭うと教えてくれた子を、目の前で助けを求めている子を置いていきたいと思えなかった。

 この子と一緒に逃げたいと思っている。

 本の内容も、見えているものの違いも、どちらが正しいのかも、なにもかもわからない。

 みんなに恨まれて、憎まれて、否定されてもいい。

 実際、なにをしてもそういう扱いを受けてきたから慣れている。

 ただ、自分より先に僕を心配してくれたこのノームのことを信じたかった。

 間違ってても良い。後悔することになっても。

 僕はもともと嫌われ者で、意気地なしで、なにをしても信頼も信用も得られなかった。

 だから、自分の気持ちに正直に動きたい。

 ガシャンという音とともに鎖が砕けた。

「ありがとう、おにいちゃん」

 ノームの翼がみるみる大きくなり、背丈も少しずつ伸びていった。

 そこにはもはや子供の面影は微塵もなく、18歳くらいの見た目になったノームがいた。

「優しい人。あなたはこれから空中庭園の人間に恨まれることになるでしょう。本当にそれで良かったのですか?」

 ノームの問いかけに心臓を冷たい手でぎゅうっと掴まれたような感覚に見舞われたが、後悔はなかった。

 本当は怖くて、一言も発せないくらい顎が震えているけれど。

「僕は元々歓迎されていませんでしたから……女王様が僕を勝手な解釈で持ち上げて演説しているのも怖くて……」

 声が引きつってきてしまった。

 本当は怖い。

 元から歓迎されていなかったということは即ち、事情を聞かれることなどなく、情状酌量の余地もなく殺されるかもしれないということ。

 これがもし歓迎されていて、みんなから好かれていたなら違ったんだろうな。

 ネガティブになっていると、女王と住民たちに取り囲まれていた。

「あら、どういうつもりですの? 私たちのために他の領地の精霊を奪ってきてくれるとばかり……」

 気球との間に人だかりができていて乗り込めそうにない。

「僕はいいから、ノームだけでも逃げてほしい。その翼は飾りじゃないよね?」

 ノームは黙ってうなずいた。

 窮屈な生活に寂しい気持ちの連続だったけれど、ノームと違って自由があった。

 学校と家を行ったり来たりではあったけれど、外を歩くことができていた。

 だからもういいや。

「ノーム、人ひとり抱えて飛べますか?」

 諦めている自分に対してジニアはまだ前を向いていた。

 すごいなあ。

 ノームはまた黙ったまま頷いた。

「ヒロくんを抱えて逃げてください。僕は花人で、自分で言うのもなんですがみんなに好かれています。僕だけが残るのならなんとかできますから」

 いつものように微笑んで見せてくれたのが最後に見たジニアの顔だった。

 ノームに抱えられ、すさまじい風に煽られたかと思えば空高く飛んでいた。
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