時を喰らう館：天才高校生探偵、神藤葉羽の難解推理

1章

悪夢の始まりの足音

柔らかな午後の陽射しが教室に差し込み、神藤葉羽は窓の外をぼんやりと眺めていた。黒板に書かれた数式は、既に理解済みで、先生の説明も耳に入らない。彼の意識は、遥か彼方、古びた洋館の影に囚われていた。いや、正確には、まだ見ぬ洋館への漠然とした不安に、彼の思考が支配されていた、と言うべきだろう。

「葉羽、聞いてる？」

隣の席から、幼馴染の望月彩由美の声が聞こえた。心配そうに覗き込む彩由美の瞳は、まるで小動物のように澄んでいた。

「ああ、ごめん。ちょっと考え事をしていて」

葉羽は慌てて彩由美に顔を向け、柔らかな笑みを浮かべた。

「また推理小説のこと？　最近、妙に集中してるよね」

彩由美は少し拗ねたように口を尖らせた。葉羽は、暇さえあれば推理小説を読んでいる。紙媒体だけでなく電子書籍でも、様々な作品を貪り読む姿は、もはや彼のアイデンティティの一部と化していた。

「まあね。最近は、時間と空間をテーマにしたトリックが気になっていて」

そう言うと、葉羽は鞄から文庫本を取り出した。表紙には、『クロノスの密室』というタイトルが大きく書かれている。

「へえ、面白そう。今度、私に貸してくれる？」

彩由美は身を乗り出し、興味深そうに本を覗き込んだ。彼女の指先は、淡いピンク色のマニキュアで彩られていた。

「ああ、もちろん。読み終わったら、すぐに貸すよ」

葉羽は彩由美のキラキラとした瞳に、思わず目を細めた。彼女の無邪気な笑顔は、彼にとって最高の癒しだった。

放課後、二人はいつものように一緒に下校した。桜並木の下を並んで歩く二人の間には、穏やかな空気が流れていた。

「そういえば、葉羽、この前の招待状、どうするつもり？」

彩由美が唐突に尋ねた。葉羽は、一瞬、思考が止まった。招待状――それは、数日前に届いた、一通の奇妙な手紙だった。

「まだ迷っているんだ。正直、あまり気が進まないというか……」

葉羽は眉間に皺を寄せた。招待状は、彼の遠縁にあたる富豪、天堂雅也から送られてきたものだった。天堂家は、古くからこの地方に名を馳せる名家であり、その広大な敷地には、奇怪な噂が絶えない古い洋館が建っていた。

「でも、せっかくのお誘いだし、行ってみたら？　もしかしたら、面白いことがあるかもよ」

彩由美は、いつもの明るい声で葉羽を励ました。彼女の言葉は、葉羽の心に小さな光を灯した。

「そうだな……せっかくの機会だし、行ってみるか」

葉羽は、不吉な予感を抱きながらも、天堂家の洋館へと向かうことを決意した。彩由美の笑顔が、一抹の不安をかき消す。しかし、この時、葉羽はまだ知らなかった。この決断が、彼を悪夢のような事件へと巻き込んでいくことを――。

自宅に戻った葉羽は、改めて招待状を読み返した。「知恵と勇気ある者よ、我が館に来たりて、この老いぼれの最後の遊戯に付き合いたまえ」――その言葉は、まるで謎めいた挑戦状のようだった。葉羽は、期待と不安が入り混じった複雑な感情を抱きながら、窓の外に広がる夕焼けを眺めた。空は、まるで燃えるように赤く染まり、不吉な影を落としていた。