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「血が流れず、誰も死なずに戦争を終わらせる方法……?イゾルテ、そんなことが、本当に可能なのか?」
クリストフ王子が、信じられないといった様子で尋ねる。
イゾルテは、立ち上がると、スカートの裾を優雅につまんで一礼した。
「可能でございますわ、王子殿下。軍隊というものは、頭と、腹と、手足が揃って、初めて機能するものでございますから」
「頭と、腹と、手足?」
「ええ。指揮系統という『頭』。食料という『腹』。そして、武器という『手足』。そのどれか一つでも欠ければ、軍隊など、ただの烏合の衆に成り下がりますわ」
イゾルテは、にっこりと微笑んだ。
その笑みは、天使のように可憐でありながら、どこか悪魔的な凄みを含んでいた。
「わたくし、少々、お買い出しに行ってまいります。ミラグロ軍の皆様に、ささやかな『お見舞い』を届けに」
「お、お買い出し……?」
「ええ。ほんの少し、夜風に当たってくるだけですわ。お嬢様、皆様。どうぞ、ご心配なさらないで。美味しいお茶でも淹れて、お待ちになっていてくださいな」
そう言うと、イゾルテは、誰にも止めさせる隙を与えず、ふわりと身を翻して応接室を出ていった。
彼女の言う「お買い出し」が、常識的なものでないことだけは、その場にいた誰もが理解していた。
その夜。
エルツ王国との国境に陣を構える、ミラグロ王国軍の野営地。
数万の兵士たちが眠りにつき、かがり火だけが、あたりをぼんやりと照らしている。
見張りの兵士たちが、時折あくびをしながら、持ち場を巡回していた。
彼らは、まだ戦争が始まってもいない、この退屈な夜が、自分たちの軍人生命において、最も奇妙で、最も恐ろしい夜になることを、まだ知らなかった。
最初に異変が起きたのは、野営地の中心に建てられた、総司令官の豪華なテントだった。
夜陰に紛れて、黒い影が、まるで煙のようにテントに侵入した。
影――イゾルテは、眠りこけている司令官の机の上から、作戦指令書や暗号表、部隊配置図などを、一瞬で盗み出すと、代わりに、全く別の羊皮紙を置いていった。
そこには、彼女が即興で書いた、完璧な偽の指令書が記されていた。
『明朝、全部隊は武装解除し、エルツ王国に白旗を掲げて投降せよ』と。
次に、イゾルテが向かったのは、軍の心臓部とも言える、食糧庫だった。
巨大なテントの中には、数万の兵士が数週間は暮らせるだけの、大量の食料――干し肉、パン、塩漬けの野菜などが、山と積まれている。
見張りの兵士は、二人。
「それにしても、暇だなあ」
「早く戦争が始まって、手柄を立てたいもんだぜ」
彼らが、そんな呑気な会話を交わした、次の瞬間。
二人は、首筋に軽い衝撃を感じ、声もなくその場に崩れ落ちた。イゾルテが、小石を正確に二人の急所に投げつけたのだ。
食糧庫に侵入したイゾルテは、満足そうに食料の山を見渡した。
そして、彼女は、バスケットから一枚の、不思議な模様が描かれた布を取り出した。
それは、フローラの協力によって作られた、魔法の収納クロスだった。
「さて、と。ぜーんぶ、頂戴いたしますわね」
イゾルテが、そのクロスを食料の山にふわりとかぶせた瞬間、信じられないことが起こった。
山のようにあった食料が、跡形もなく、完全に消え去ってしまったのだ。
残されたのは、空っぽの食糧庫と、気絶した見張りの兵士だけ。
最後に、イゾルテは、兵器が保管されているエリアへと向かった。
剣や槍、弓矢、そして、攻城兵器までが、ずらりと並んでいる。
「これらは、少し、細工をさせていただきましょうか」
彼女は、懐から小さな小瓶を取り出すと、その中に入っていた、特殊な液体を、一つ一つの武器に振りかけていった。
それは、金属を内側から脆くする、特殊な錬金薬だった。見た目には、何も変化はない。だが、一度でも衝撃が加われば、まるで砂糖菓子のように砕け散ってしまうだろう。
頭脳を奪い、腹を空にし、手足を無力化する。
イゾルテは、わずか一時間ほどの間に、数万の軍隊を、完全に機能不全に陥れたのだ。
全ての「お買い出し」を終えたイゾルテは、何事もなかったかのように、鼻歌まじりで夜道を歩いていた。
「あら、綺麗な月ですこと。お嬢様にも、見せて差し上げたいわ」
彼女がたった一人で、一つの国の軍隊を壊滅させたことなど、誰も知らない。
ただ、静かな月だけが、その全てを見ていた。
翌朝。
ミラグロ王国軍の野営地が、未曾有の大混乱に陥るのは、言うまでもなかった。
クリストフ王子が、信じられないといった様子で尋ねる。
イゾルテは、立ち上がると、スカートの裾を優雅につまんで一礼した。
「可能でございますわ、王子殿下。軍隊というものは、頭と、腹と、手足が揃って、初めて機能するものでございますから」
「頭と、腹と、手足?」
「ええ。指揮系統という『頭』。食料という『腹』。そして、武器という『手足』。そのどれか一つでも欠ければ、軍隊など、ただの烏合の衆に成り下がりますわ」
イゾルテは、にっこりと微笑んだ。
その笑みは、天使のように可憐でありながら、どこか悪魔的な凄みを含んでいた。
「わたくし、少々、お買い出しに行ってまいります。ミラグロ軍の皆様に、ささやかな『お見舞い』を届けに」
「お、お買い出し……?」
「ええ。ほんの少し、夜風に当たってくるだけですわ。お嬢様、皆様。どうぞ、ご心配なさらないで。美味しいお茶でも淹れて、お待ちになっていてくださいな」
そう言うと、イゾルテは、誰にも止めさせる隙を与えず、ふわりと身を翻して応接室を出ていった。
彼女の言う「お買い出し」が、常識的なものでないことだけは、その場にいた誰もが理解していた。
その夜。
エルツ王国との国境に陣を構える、ミラグロ王国軍の野営地。
数万の兵士たちが眠りにつき、かがり火だけが、あたりをぼんやりと照らしている。
見張りの兵士たちが、時折あくびをしながら、持ち場を巡回していた。
彼らは、まだ戦争が始まってもいない、この退屈な夜が、自分たちの軍人生命において、最も奇妙で、最も恐ろしい夜になることを、まだ知らなかった。
最初に異変が起きたのは、野営地の中心に建てられた、総司令官の豪華なテントだった。
夜陰に紛れて、黒い影が、まるで煙のようにテントに侵入した。
影――イゾルテは、眠りこけている司令官の机の上から、作戦指令書や暗号表、部隊配置図などを、一瞬で盗み出すと、代わりに、全く別の羊皮紙を置いていった。
そこには、彼女が即興で書いた、完璧な偽の指令書が記されていた。
『明朝、全部隊は武装解除し、エルツ王国に白旗を掲げて投降せよ』と。
次に、イゾルテが向かったのは、軍の心臓部とも言える、食糧庫だった。
巨大なテントの中には、数万の兵士が数週間は暮らせるだけの、大量の食料――干し肉、パン、塩漬けの野菜などが、山と積まれている。
見張りの兵士は、二人。
「それにしても、暇だなあ」
「早く戦争が始まって、手柄を立てたいもんだぜ」
彼らが、そんな呑気な会話を交わした、次の瞬間。
二人は、首筋に軽い衝撃を感じ、声もなくその場に崩れ落ちた。イゾルテが、小石を正確に二人の急所に投げつけたのだ。
食糧庫に侵入したイゾルテは、満足そうに食料の山を見渡した。
そして、彼女は、バスケットから一枚の、不思議な模様が描かれた布を取り出した。
それは、フローラの協力によって作られた、魔法の収納クロスだった。
「さて、と。ぜーんぶ、頂戴いたしますわね」
イゾルテが、そのクロスを食料の山にふわりとかぶせた瞬間、信じられないことが起こった。
山のようにあった食料が、跡形もなく、完全に消え去ってしまったのだ。
残されたのは、空っぽの食糧庫と、気絶した見張りの兵士だけ。
最後に、イゾルテは、兵器が保管されているエリアへと向かった。
剣や槍、弓矢、そして、攻城兵器までが、ずらりと並んでいる。
「これらは、少し、細工をさせていただきましょうか」
彼女は、懐から小さな小瓶を取り出すと、その中に入っていた、特殊な液体を、一つ一つの武器に振りかけていった。
それは、金属を内側から脆くする、特殊な錬金薬だった。見た目には、何も変化はない。だが、一度でも衝撃が加われば、まるで砂糖菓子のように砕け散ってしまうだろう。
頭脳を奪い、腹を空にし、手足を無力化する。
イゾルテは、わずか一時間ほどの間に、数万の軍隊を、完全に機能不全に陥れたのだ。
全ての「お買い出し」を終えたイゾルテは、何事もなかったかのように、鼻歌まじりで夜道を歩いていた。
「あら、綺麗な月ですこと。お嬢様にも、見せて差し上げたいわ」
彼女がたった一人で、一つの国の軍隊を壊滅させたことなど、誰も知らない。
ただ、静かな月だけが、その全てを見ていた。
翌朝。
ミラグロ王国軍の野営地が、未曾有の大混乱に陥るのは、言うまでもなかった。
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