裏切りの騎士は悪役令嬢を溺愛していた

桜井ことり

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「……嫌……っ、私は、やっていないわ……」

暗闇の中で、アテナは冷たい汗を流しながら、何度も同じ光景を見ていた。

冷徹なエドワード王子の瞳。周囲の嘲笑。そして、自分を拒絶した両親の背中。
孤独という名の底なし沼に沈んでいく感覚に、アテナの呼吸が浅くなる。

「アテナ。……アテナ、目を開けてください」

心地よい、低い声が鼓膜を震わせた。
同時に、頬に触れる大きな手の温もりが、彼女を現世へと引き戻す。

「……あ……、ロー、レンス?」

アテナが目を開けると、そこには心配そうに彼女を見つめるローレンスの顔があった。
窓から差し込む微かな月光が、彼の琥珀色の瞳を神秘的に照らしている。

「悪夢を見ていたようですね。うなされて私の名前を呼んでいたので、つい入ってしまいました」

「……また、鍵を開けたのね。……でも、ありがとう」

いつもなら怒るはずのアテナだが、今はその温もりがひどく愛おしかった。
彼女は震える手で、ローレンスのシャツの裾をぎゅっと掴んだ。

「……怖かったの。みんなが私を責めて、暗闇の中に一人で取り残される夢」

「貴女を一人になどさせません。たとえ神が貴女を拒んでも、私は貴女の隣に居続ける。……まだ、身体が震えていますね」

ローレンスはアテナを安心させるように、彼女の手を包み込み、ゆっくりとベッドの縁に腰を下ろした。

「……ねえ、ローレンス。お願いがあるの。……今日だけ、隣にいてくれないかしら」

アテナの口から漏れた言葉に、ローレンスがわずかに息を呑む。
彼は一瞬、自制心と欲望の間で葛藤するような表情を見せたが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。

「……仰せのままに、マイ・レディ。ですが、後悔しても知りませんよ?」

ローレンスは靴を脱ぎ、アテナに促されるままベッドの中へと滑り込んできた。
掛け布団越しでも伝わってくる、彼の圧倒的な体温と、心地よい石鹸の香り。

「近いわ……。でも、暖かいわね」

「貴女を温めるためなら、私は暖炉の火にだってなってみせます。……さあ、こちらへ」

ローレンスは長い腕を伸ばし、アテナを自分の胸の中へと引き寄せた。
彼女の背中を抱き、包み込むような形になる。アテナは彼の心臓の音を間近に聞きながら、ようやく呼吸を整えた。

「……貴方の心臓、すごく早いわ。ローレンスも、本当は緊張しているの?」

「緊張、などという生易しいものではありませんよ。愛する女性を腕の中に抱いて、平常心でいられる男がいたら見てみたいものです」

ローレンスは苦笑まじりに言うと、アテナの頭のてっぺんに優しく唇を寄せた。

「アテナ。夢の中の連中に、貴女の心一欠片すら渡さないでください。貴女の思考も、感情も、恐怖すらも……すべて私が買い取りたい」

「……貴方は本当に、全部欲しがるのね」

「ええ。欲張りなんです、私は。……貴女が眠りにつくまで、こうして抱きしめています。朝が来れば、夢の残滓など私がすべて切り捨てておきましょう」

「……ふふ、最強の騎士様がついていれば、どんな悪魔も逃げ出しそうね」

アテナは彼の腕の中で、ようやく本当の安らぎを見つけた。
孤独な悪役令嬢としての過去が、ローレンスの熱によって溶かされていく。

「……おやすみなさい、ローレンス」

「おやすみなさい、アテナ。……愛しています。この命が尽きるその瞬間まで」

アテナが深い眠りに落ちた後も、ローレンスは彼女の寝顔をじっと見つめ続けていた。
その瞳には、彼女が決して目にすることのない、昏く深い独占欲と、至上の幸福が溢れていた。
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