裏切りの騎士は悪役令嬢を溺愛していた

桜井ことり

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穏やかな午後のひとときを切り裂いたのは、一羽の伝書鳥がもたらした小さな書状だった。

邸宅のテラスで、アテナはローレンスに淹れてもらった茶を楽しんでいたが、彼の表情が一変したのを見逃さなかった。

「……ローレンス? 何かあったの?」

「……いえ。少し、虫が紛れ込んだだけのようです」

ローレンスは書状を手の平の中で握りつぶし、魔法の炎で跡形もなく消し去った。
微笑みを浮かべてはいるが、その琥珀色の瞳の奥には、見たこともないほど冷徹な殺意が揺らめいている。

「隠さないで。私をパートナーにすると決めたのは、貴方でしょう?」

アテナが鋭く指摘すると、ローレンスはわずかに肩を竦め、彼女の前に膝をついた。

「……王都のネズミたちが、この森の入り口まで辿り着いたようです。予想よりも数日早い。エドワード王子も、随分と必死なようですね」

「エドワードが……。彼は私を、そこまでして処刑したいのかしら」

「いいえ。報告によれば、彼は貴女を『奪い返す』と息巻いているそうです。貴女を追放したことで公爵家の支持を失い、さらに聖女リリアの化けの皮が剥がれ始め、王太子の地位が危うくなっているのでしょう」

ローレンスが蔑むように鼻で笑った。
アテナは冷めた紅茶を一口飲み、小さく息を吐いた。

「勝手な人ね。いらなくなれば捨て、必要になれば拾い上げる……。私は物ではないわ」

「ええ。貴女は私の、唯一無二の光だ。あの男のような俗物に、二度と触れさせるつもりはありません」

ローレンスはアテナの膝に頭を預け、彼女の細い指を自らの唇に押し当てた。
その仕草は相変わらず甘く、けれど、これからの戦いを予感させる不穏な熱を帯びている。

「アテナ。今夜、この家を離れます。……追っ手の中には、私がかつて率いた聖騎士団の精鋭も混じっている。ここでの平穏は、一度おしまいです」

「……分かったわ。準備をしましょう。でも、一つだけ約束して」

「何でしょうか?」

「無理をしないで。貴方が傷つくくらいなら、私は……」

「……私が負けるとでも? アテナ、貴女はまだ、私の本性を理解しきれていないようですね」

ローレンスが顔を上げ、獰猛な笑みを浮かべた。

「貴女を守るためなら、私は人間であることを辞めてでも、敵の全てを屠り尽くす。……傷一つ負わず、貴女を次の『玉座』へ連れて行ってみせましょう」

「玉座……?」

「その時が来れば分かります。……さあ、愛しいアテナ。短い避暑は終わりです。これからは、世界を敵に回した私たちの、本当の逆襲劇の始まりだ」

ローレンスはアテナを抱き上げ、寝室へと向かった。
荷造りをするためではない。残り少ない安息の時間を、彼女の香りで自らの魂に深く刻み込むために。

森の霧が、いつもより深く、濃くなっていく。
その霧の向こう側から、鉄の匂いと憎悪の気配が、確実に二人へと近づいていた。
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