15 / 30
15
しおりを挟む
穏やかな午後のひとときを切り裂いたのは、一羽の伝書鳥がもたらした小さな書状だった。
邸宅のテラスで、アテナはローレンスに淹れてもらった茶を楽しんでいたが、彼の表情が一変したのを見逃さなかった。
「……ローレンス? 何かあったの?」
「……いえ。少し、虫が紛れ込んだだけのようです」
ローレンスは書状を手の平の中で握りつぶし、魔法の炎で跡形もなく消し去った。
微笑みを浮かべてはいるが、その琥珀色の瞳の奥には、見たこともないほど冷徹な殺意が揺らめいている。
「隠さないで。私をパートナーにすると決めたのは、貴方でしょう?」
アテナが鋭く指摘すると、ローレンスはわずかに肩を竦め、彼女の前に膝をついた。
「……王都のネズミたちが、この森の入り口まで辿り着いたようです。予想よりも数日早い。エドワード王子も、随分と必死なようですね」
「エドワードが……。彼は私を、そこまでして処刑したいのかしら」
「いいえ。報告によれば、彼は貴女を『奪い返す』と息巻いているそうです。貴女を追放したことで公爵家の支持を失い、さらに聖女リリアの化けの皮が剥がれ始め、王太子の地位が危うくなっているのでしょう」
ローレンスが蔑むように鼻で笑った。
アテナは冷めた紅茶を一口飲み、小さく息を吐いた。
「勝手な人ね。いらなくなれば捨て、必要になれば拾い上げる……。私は物ではないわ」
「ええ。貴女は私の、唯一無二の光だ。あの男のような俗物に、二度と触れさせるつもりはありません」
ローレンスはアテナの膝に頭を預け、彼女の細い指を自らの唇に押し当てた。
その仕草は相変わらず甘く、けれど、これからの戦いを予感させる不穏な熱を帯びている。
「アテナ。今夜、この家を離れます。……追っ手の中には、私がかつて率いた聖騎士団の精鋭も混じっている。ここでの平穏は、一度おしまいです」
「……分かったわ。準備をしましょう。でも、一つだけ約束して」
「何でしょうか?」
「無理をしないで。貴方が傷つくくらいなら、私は……」
「……私が負けるとでも? アテナ、貴女はまだ、私の本性を理解しきれていないようですね」
ローレンスが顔を上げ、獰猛な笑みを浮かべた。
「貴女を守るためなら、私は人間であることを辞めてでも、敵の全てを屠り尽くす。……傷一つ負わず、貴女を次の『玉座』へ連れて行ってみせましょう」
「玉座……?」
「その時が来れば分かります。……さあ、愛しいアテナ。短い避暑は終わりです。これからは、世界を敵に回した私たちの、本当の逆襲劇の始まりだ」
ローレンスはアテナを抱き上げ、寝室へと向かった。
荷造りをするためではない。残り少ない安息の時間を、彼女の香りで自らの魂に深く刻み込むために。
森の霧が、いつもより深く、濃くなっていく。
その霧の向こう側から、鉄の匂いと憎悪の気配が、確実に二人へと近づいていた。
邸宅のテラスで、アテナはローレンスに淹れてもらった茶を楽しんでいたが、彼の表情が一変したのを見逃さなかった。
「……ローレンス? 何かあったの?」
「……いえ。少し、虫が紛れ込んだだけのようです」
ローレンスは書状を手の平の中で握りつぶし、魔法の炎で跡形もなく消し去った。
微笑みを浮かべてはいるが、その琥珀色の瞳の奥には、見たこともないほど冷徹な殺意が揺らめいている。
「隠さないで。私をパートナーにすると決めたのは、貴方でしょう?」
アテナが鋭く指摘すると、ローレンスはわずかに肩を竦め、彼女の前に膝をついた。
「……王都のネズミたちが、この森の入り口まで辿り着いたようです。予想よりも数日早い。エドワード王子も、随分と必死なようですね」
「エドワードが……。彼は私を、そこまでして処刑したいのかしら」
「いいえ。報告によれば、彼は貴女を『奪い返す』と息巻いているそうです。貴女を追放したことで公爵家の支持を失い、さらに聖女リリアの化けの皮が剥がれ始め、王太子の地位が危うくなっているのでしょう」
ローレンスが蔑むように鼻で笑った。
アテナは冷めた紅茶を一口飲み、小さく息を吐いた。
「勝手な人ね。いらなくなれば捨て、必要になれば拾い上げる……。私は物ではないわ」
「ええ。貴女は私の、唯一無二の光だ。あの男のような俗物に、二度と触れさせるつもりはありません」
ローレンスはアテナの膝に頭を預け、彼女の細い指を自らの唇に押し当てた。
その仕草は相変わらず甘く、けれど、これからの戦いを予感させる不穏な熱を帯びている。
「アテナ。今夜、この家を離れます。……追っ手の中には、私がかつて率いた聖騎士団の精鋭も混じっている。ここでの平穏は、一度おしまいです」
「……分かったわ。準備をしましょう。でも、一つだけ約束して」
「何でしょうか?」
「無理をしないで。貴方が傷つくくらいなら、私は……」
「……私が負けるとでも? アテナ、貴女はまだ、私の本性を理解しきれていないようですね」
ローレンスが顔を上げ、獰猛な笑みを浮かべた。
「貴女を守るためなら、私は人間であることを辞めてでも、敵の全てを屠り尽くす。……傷一つ負わず、貴女を次の『玉座』へ連れて行ってみせましょう」
「玉座……?」
「その時が来れば分かります。……さあ、愛しいアテナ。短い避暑は終わりです。これからは、世界を敵に回した私たちの、本当の逆襲劇の始まりだ」
ローレンスはアテナを抱き上げ、寝室へと向かった。
荷造りをするためではない。残り少ない安息の時間を、彼女の香りで自らの魂に深く刻み込むために。
森の霧が、いつもより深く、濃くなっていく。
その霧の向こう側から、鉄の匂いと憎悪の気配が、確実に二人へと近づいていた。
20
あなたにおすすめの小説
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
妹のために愛の無い結婚をすることになりました
バンブー竹田
恋愛
「エミリー、君との婚約は破棄することに決まった」
愛するラルフからの唐突な通告に私は言葉を失ってしまった。
婚約が破棄されたことはもちろんショックだけど、それだけじゃない。
私とラルフの結婚は妹のシエルの命がかかったものでもあったから・・・。
落ちこむ私のもとに『アレン』という大金持ちの平民からの縁談が舞い込んできた。
思い悩んだ末、私は会ったこともない殿方と結婚することに決めた。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
妾に恋をした
はなまる
恋愛
ミーシャは22歳の子爵令嬢。でも結婚歴がある。夫との結婚生活は半年。おまけに相手は子持ちの再婚。 そして前妻を愛するあまり不能だった。実家に出戻って来たミーシャは再婚も考えたが何しろ子爵領は超貧乏、それに弟と妹の学費もかさむ。ある日妾の応募を目にしてこれだと思ってしまう。
早速面接に行って経験者だと思われて採用決定。
実際は純潔の乙女なのだがそこは何とかなるだろうと。
だが実際のお相手ネイトは妻とうまくいっておらずその日のうちに純潔を散らされる。ネイトはそれを知って狼狽える。そしてミーシャに好意を寄せてしまい話はおかしな方向に動き始める。
ミーシャは無事ミッションを成せるのか?
それとも玉砕されて追い出されるのか?
ネイトの恋心はどうなってしまうのか?
カオスなガストン侯爵家は一体どうなるのか?
王女を好きだと思ったら
夏笆(なつは)
恋愛
「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。
デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。
「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」
エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。
だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。
「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」
ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。
ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。
と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。
「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」
そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。
小説家になろうにも、掲載しています。
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
根暗令嬢の華麗なる転身
しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」
ミューズは茶会が嫌いだった。
茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。
公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。
何不自由なく、暮らしていた。
家族からも愛されて育った。
それを壊したのは悪意ある言葉。
「あんな不細工な令嬢見たことない」
それなのに今回の茶会だけは断れなかった。
父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。
婚約者選びのものとして。
国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず…
応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*)
ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。
同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。
立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。
一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。
描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。
ゆるりとお楽しみください。
こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる