婚約破棄された無能は王太子に拾われる

桜井ことり

文字の大きさ
5 / 30

5

しおりを挟む
「……ロア、やはり左手の感覚が全くないのだが」

「ですから申し上げたでしょう? 橈骨(とうこつ)神経の圧迫は禁物だと。さあ、力を抜いてください。今から私が、秘伝の『血流改善もみもみ』を施します」

朝の光が差し込む王太子の寝室で、私はアリステア殿下の腕を、プロの整体師のような目つきで揉みほぐしていた。

殿下は上半身を起こし、乱れた髪をそのままに、なんとも言えない表情で私を見つめている。

「昨夜、あんなに甘い雰囲気だったのに、翌朝に受けるのが『リハビリ』だとは予想していなかったよ」

「甘い雰囲気よりも、末端の血行不良の方が重要です。ほら、指先が少し温かくなってきましたよ。これなら今日も元気に書類仕事に励めますね!」

私が満足げに頷くと、部屋の扉がバタンと勢いよく開いた。

入ってきたのは、アリステア殿下の側近であるテオドール様だ。彼は手に大量の羊皮紙を抱え、息を切らしている。

「殿下! 大変です! 例の『ロア様の追放』の噂を聞きつけた平民たちが、城門の前に押し寄せています!」

「何だと? 暴動か?」

アリステア殿下が鋭い声で問う。

私は手を止めて、首を傾げた。

(平民の方々が? もしや、私が以前教えた『乾布摩擦』のやり方が間違っていて、皮膚炎でも起こしてしまったのかしら……!)

「いえ、暴動ではありません! 『聖女様を返せ』『ロア様をいじめる奴は私が噛み殺す』と言って、山のような野菜や果物、手編みの靴下を献上しに来ているのです!」

「……靴下?」

テオドール様は、一枚の報告書を広げて読み上げた。

「曰く、三年前の流行病の際、正体不明の令嬢が炊き出しに現れ、栄養満点のスープを振る舞い、衛生指導を徹底させたおかげで村が救われたと。その令嬢の似顔絵が、ロア様に酷似しているのです」

「……ロア、心当たりは?」

アリステア殿下の視線が私を射抜く。

私は、当時を思い出して指を立てた。

「ああ、あれはただの『ビタミン摂取推進運動』です。皆さんの顔色が悪かったので、余っていたパセリと大根の葉を煮込んだだけですよ。あんなの、捨てればゴミ、食べれば血肉です」

「さらに!」と、テオドール様が言葉を重ねる。

「下町の孤児院からは、『庭に不法投棄されていたガラクタを、一晩で最新の筋トレ遊具に改造して去っていった鉄の女』への感謝状が届いています!」

「……不法投棄は景観を損ねますし、子供たちの基礎代謝を上げるにはスクワットが一番ですから」

「さらにさらに! 王都の清掃ギルドからは、『側溝の泥詰まりを魔法で一掃し、悪臭による公害を未然に防いだ女神』への永年名誉会員証が!」

「……あれは、ボウフラが湧くと伝染病が怖いので、ついでに排水溝の掃除をしただけです」

次々と明かされる私の「悪行」ならぬ「奇行……もとい、善行」。

アリステア殿下は、顔を覆って低く笑い出した。

「ふ、ふふふ……。パセリの炊き出しに、スクワット遊具、果ては側溝掃除か。君というやつは、本当に……」

「殿下、笑っている場合ではありません。皆さん、お仕事の時間でしょうに。早く帰って踵(かかと)上げ運動でもするように伝えてください」

アリステア殿下は、笑いすぎて少し涙目になりながら、私の腰をぐいと引き寄せた。

「いや、これは絶好の機会だ。ロア、これだけ国民に愛されている君を、ただの客として置いておくのは忍びない」

殿下はテオドール様に向き直り、堂々たる声で宣言した。

「全土に布告せよ。ロア・エル・アヴィールを、わが国の『王太子妃候補』として正式に迎えると。文句がある奴は、彼女が掃除した側溝にでも顔を突っ込んでいろとな」

「畏まりました!」

(……王太子妃、候補?)

私は驚きで口を半開きにした。

「あの、殿下。私のような悪役面の女が妃候補になったら、他国の王族を顔の圧だけで威嚇してしまい、外交問題になりませんか?」

「むしろ好都合だ。君が睨むだけで、不健康な生活を送っている他国の王を震え上がらせることができる。……ロア。これは、私のわがままだ」

殿下は私の耳元で、蕩けるような甘い声で囁いた。

「もう二度と、君を『ゴミ』のように扱う連中の元へは返さない。君のその手は、これからは私の筋肉を揉むため……いや、幸せを掴むためにだけ使ってほしい」

「……最後の方、本音が漏れていませんか?」

「気のせいだよ。さあ、正式に候補になったからには、今日から特別な訓練を受けてもらう」

「訓練! やはり、滝行ですか? それともスクワット千回?」

「……愛の囁きに耐える訓練だよ。まずは一時間、私の膝の上で大人しくしていなさい」

王太子妃候補への道。

それは、私のこれまでの「健康活動」よりもずっと、心臓に負担がかかる試練になりそうだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい
恋愛
両親を失ったあの日、 赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。 それが、アリア。 世間からは「若い母」と呼ばれながらも、 彼女は否定しなかった。 十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。 恋も未来も、すべて後回し。 けれど弟は成長し、ついに巣立つ。 「今度は、自分の人生を生きて」 その一言が、 止まっていた時間を動かした。 役目を終えた夜。 アリアは初めて、自分のために扉を開く。 向かった先は、婚姻仲介所。 愛を求めたわけではない。 ただ、このまま立ち止まりたくなかった。 ――けれどその名前は、 結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。 これは、 十六年“母”だった女性が、 もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!

翠月 瑠々奈
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。 侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。 そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。 私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。 この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。 それでは次の結婚は望めない。 その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

虚弱で大人しい姉のことが、婚約者のあの方はお好きなようで……

くわっと
恋愛
21.05.23完結 ーー 「ごめんなさい、姉が私の帰りを待っていますのでーー」 差し伸べられた手をするりとかわす。 これが、公爵家令嬢リトアの婚約者『でも』あるカストリアの決まり文句である。 決まり文句、というだけで、その言葉には嘘偽りはない。 彼の最愛の姉であるイデアは本当に彼の帰りを待っているし、婚約者の一人でもあるリトアとの甘い時間を終わらせたくないのも本当である。 だが、本当であるからこそ、余計にタチが悪い。 地位も名誉も権力も。 武力も知力も財力も。 全て、とは言わないにしろ、そのほとんどを所有しているこの男のことが。 月並みに好きな自分が、ただただみっともない。 けれど、それでも。 一緒にいられるならば。 婚約者という、その他大勢とは違う立場にいられるならば。 それだけで良かった。 少なくとも、その時は。

処理中です...