婚約破棄された無能は王太子に拾われる

桜井ことり

文字の大きさ
7 / 30

7

しおりを挟む
「……ロア様、失礼いたします。本日のドレスの準備が整いました」

朝食を終えて部屋に戻ると、筆頭侍女のマーサ様を筆頭に、五人の侍女たちが直立不動で待機していた。

彼女たちの表情は、まるでこれから決闘に挑む騎士のように強張っている。

(いけないわ。私の顔が威圧的すぎるせいで、彼女たちを過度な緊張状態に追い込んでいる……!)

緊張は万病の元。過度なストレスは胃粘膜を荒らし、免疫力を低下させる。

私は「極上の微笑み」を浮かべたつもりだったが、鏡に映った自分の顔は「獲物を拷問にかける直前の女幹部」そのものだった。

「……マーサ様、あまり根を詰めないでくださいね。まずはそのコルセットを置いて、深呼吸をしましょう」

「ひっ!? も、申し訳ございません! コルセットの締め方が甘かったでしょうか!? すぐにお肉を限界まで詰め込みます!」

「違います! そんなことをしたら肋骨が悲鳴を上げ、内臓が悲鳴を上げ、最終的に私のQOLが著しく低下します!」

私はマーサ様の肩をがっしりと掴んだ。

「いいですか。美しさは健康という土台の上に成り立つ、いわば『おまけ』に過ぎません。まずは肺を膨らませ、酸素を全身に届けなさい。さあ、吸って、吐いて!」

「は、はい! スーーーッ……ハーーーッ!」

「よろしい。……ところで、そこのあなた。手がひび割れていますね。水仕事のせいですか?」

指を差された若い侍女が、びくりと震えた。

「は、はい。冬場はどうしても……。お見苦しいものをお見せして申し訳……」

「謝る暇があったら、これを塗りなさい。私が領地で自作した『カレンデュラと馬油の特製バーム』です。抗炎症作用と保湿力に優れています。はい、全員、手を出しなさい!」

私は有無を言わせぬ勢いで、侍女たちの手にベタベタと特製バームを塗りたくった。

「ロア様……これ、すごく温かくて、良い香りがします……」

「そうでしょう。ラベンダーを配合していますから、安眠効果も期待できます。……それから、そこのあなた。さっきから右足に重心が寄っていますね。骨盤が歪んでいます。後でテニスボールを用意してください。お尻の下に敷いてゴロゴロするだけで、腰痛が劇的に改善します」

「腰痛まで……見抜かれるなんて……」

侍女たちの目に、少しずつ変化が現れ始めた。

最初は「恐怖」だったものが、次第に「困惑」へ、そして今や「熱烈な尊敬」へと。

「……ロア様。失礼ながら、お噂ではもっと……その、冷酷で、他人の不幸を蜜の味とするお方だと伺っておりました」

マーサ様が、潤んだ瞳で私を見つめる。

「他人の不幸が蜜? とんでもない。他人の不健康は、私の不快です。人類全員がスクワットをこなし、快眠快便で過ごす世界こそが、私の理想郷ですから」

「……なんて尊いお考え……。私たちは、今までなんて愚かな偏見を持っていたのでしょうか!」

マーサ様が突然、その場に膝をついた。

他の侍女たちも、まるでドミノ倒しのように次々と跪いていく。

「誓います、ロア様! 私たちは今日この時から、あなた様の健康と幸福を守る『ロア様親衛隊』として、命を捧げる所存です!」

「いえ、命は捧げなくていいです。代わりに食物繊維を捧げてください」

「承知いたしました! 王宮の厨房から、一番新鮮なゴボウを強奪して参ります!」

「強奪はダメですよ!」

わちゃわちゃと盛り上がる室内。そこへ、様子を見に来たアリステア殿下がひょっこりと顔を出した。

「ロア、準備はできたかい? ……って、なんだこの状況は」

殿下は、私の足元で「ロア様万歳!」と唱えながらバームを手に塗り込んでいる侍女たちを見て、呆然と立ち尽くした。

「ああ、殿下。ちょうど良いところに。彼女たち、重度のビタミン不足と骨盤の歪みが見受けられます。王宮の労働環境改善について、一筆書いてもよろしいでしょうか?」

「……君は、一晩で私の侍女たちを洗脳したのか?」

「洗脳ではなく、健康啓発活動です」

アリステア殿下は、顔を引きつらせながらも、どこか嬉しそうに笑った。

「まあいい。……マーサ、彼女を世界一美しく、かつ『動きやすい』格好に仕立てろ。これから王宮の庭園を散策する」

「御意にございます、殿下! ロア様の血管に負担をかけない、最高級のシルクドレスをご用意いたします!」

「血管の心配までしなくていいから……」

こうして、私は意図せずして「王宮内で最も結束の固い派閥」を手に入れてしまった。

その結束が、後の「カスピアン様ざまぁ事件」において、物理的な威力(主に健康器具による威圧)を発揮することになるとは、この時の私はまだ知る由もなかったのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい
恋愛
両親を失ったあの日、 赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。 それが、アリア。 世間からは「若い母」と呼ばれながらも、 彼女は否定しなかった。 十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。 恋も未来も、すべて後回し。 けれど弟は成長し、ついに巣立つ。 「今度は、自分の人生を生きて」 その一言が、 止まっていた時間を動かした。 役目を終えた夜。 アリアは初めて、自分のために扉を開く。 向かった先は、婚姻仲介所。 愛を求めたわけではない。 ただ、このまま立ち止まりたくなかった。 ――けれどその名前は、 結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。 これは、 十六年“母”だった女性が、 もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!

翠月 瑠々奈
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。 侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。 そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。 私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。 この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。 それでは次の結婚は望めない。 その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

虚弱で大人しい姉のことが、婚約者のあの方はお好きなようで……

くわっと
恋愛
21.05.23完結 ーー 「ごめんなさい、姉が私の帰りを待っていますのでーー」 差し伸べられた手をするりとかわす。 これが、公爵家令嬢リトアの婚約者『でも』あるカストリアの決まり文句である。 決まり文句、というだけで、その言葉には嘘偽りはない。 彼の最愛の姉であるイデアは本当に彼の帰りを待っているし、婚約者の一人でもあるリトアとの甘い時間を終わらせたくないのも本当である。 だが、本当であるからこそ、余計にタチが悪い。 地位も名誉も権力も。 武力も知力も財力も。 全て、とは言わないにしろ、そのほとんどを所有しているこの男のことが。 月並みに好きな自分が、ただただみっともない。 けれど、それでも。 一緒にいられるならば。 婚約者という、その他大勢とは違う立場にいられるならば。 それだけで良かった。 少なくとも、その時は。

処理中です...