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厳しい冬が、アールクヴィスト領をすっぽりと雪の毛布で覆い尽くしていた。
クライネルト侯爵からの再度の圧力はなく、領地は静かな冬の眠りについている。
私は、民が冬を越すための食料や薪の配給に奔走する傍ら、春からの新たな計画に頭を悩ませる日々を送っていた。
だが、私の心の片隅には、王都で囁かれているクーシーの噂が、小さな棘のように、ずっと刺さったままだった。
雪がしんしんと降る夜、私はエンティと二人、暖炉の燃える暖かい部屋で、静かな時間を過ごしていた。
パチパチと、薪のはぜる音だけが響く。
私の心の曇りに気づいたのか、エンティは、編み物をしていた手を止め、優しく私に問いかけた。
「エデン様。何か、ご心配事でもおありですか?」
その透き通った瞳に見つめられると、私は、胸の内に溜まっていた澱を、吐き出さずにはいられなかった。
私は、エンティに、改めてクーシーへの想いを語った。
それは、罪悪感と、感謝と、そして、どうしようもない尊敬の念だった。
「彼女は、私に全てを与えてくれた。今のこの領地の平和も、君とこうして過ごす未来も、元を辿れば、すべて彼女の犠牲の上にあるものだ。……それなのに、私は彼女に何も返すことができない。それどころか、彼女の名誉を、またしても傷つける原因を作ってしまった……」
私の告白を、エンティは、ただ黙って、静かに聞いてくれていた。
その眼差しに、嫉妬の色など微塵もない。
あるのは、深い慈愛と、理解の色だけだった。
やがて彼女は、私の手に、そっと自分の手を重ねた。
「エデン様。きっと、クーシー様は、貴方がそのようにご自分を責めることさえ、望んではいらっしゃらないはずですわ」
その声は、暖炉の炎のように、温かかった。
「彼女が本当に望んでいらっしゃるのは、きっと、エデン様と、この領地の人々が、幸せであり続けること……。私には、そう思えます。私たちが、前を向いて、笑顔で暮らすことこそが、彼女への最大のご恩返しになるのではないでしょうか」
エンティの、賢明で、温かい言葉。
その一言一言が、私の心の棘を、ゆっくりと溶かしていく。
そうだ。彼女の言う通りだ。
私がここで立ち止まっていては、それこそ、クーシーの覚悟を無駄にしてしまう。
私にできることは、ただ一つ。
この領地を、彼女がいつかその名を耳にした時、心の底から誇れるような場所にすることだけだ。
「……ありがとう、エンティ。君がいてくれて、本当に良かった」
私は彼女を強く抱きしめた。
その夜、私は一人、寝室の窓から、吹雪の舞う漆黒の闇を見つめていた。
この吹雪の向こう、遠い、遠い異国の地で、クーシーはどうしているだろう。
無事に、暮らしているだろうか。
温かい食事を、とれているだろうか。
(クーシー。君が今、どこにいるとしても、どうか、温かい暖炉の前で、穏やかな夜を過ごしていてくれ)
私の願いは、祈りとなって、吹雪の夜空に吸い込まれていく。
(君が、君自身の幸せを、誰にも、何にも邪魔されることなく、その手で掴んでいることを、私は、心から願っている)
彼女への想いは、もはや苦しい罪悪感ではない。
同じ時代を生きる、かけがえのない「戦友」の幸せを願う、深く、静かで、そして、どこまでも温かい祈りへと、昇華されていた。
クライネルト侯爵からの再度の圧力はなく、領地は静かな冬の眠りについている。
私は、民が冬を越すための食料や薪の配給に奔走する傍ら、春からの新たな計画に頭を悩ませる日々を送っていた。
だが、私の心の片隅には、王都で囁かれているクーシーの噂が、小さな棘のように、ずっと刺さったままだった。
雪がしんしんと降る夜、私はエンティと二人、暖炉の燃える暖かい部屋で、静かな時間を過ごしていた。
パチパチと、薪のはぜる音だけが響く。
私の心の曇りに気づいたのか、エンティは、編み物をしていた手を止め、優しく私に問いかけた。
「エデン様。何か、ご心配事でもおありですか?」
その透き通った瞳に見つめられると、私は、胸の内に溜まっていた澱を、吐き出さずにはいられなかった。
私は、エンティに、改めてクーシーへの想いを語った。
それは、罪悪感と、感謝と、そして、どうしようもない尊敬の念だった。
「彼女は、私に全てを与えてくれた。今のこの領地の平和も、君とこうして過ごす未来も、元を辿れば、すべて彼女の犠牲の上にあるものだ。……それなのに、私は彼女に何も返すことができない。それどころか、彼女の名誉を、またしても傷つける原因を作ってしまった……」
私の告白を、エンティは、ただ黙って、静かに聞いてくれていた。
その眼差しに、嫉妬の色など微塵もない。
あるのは、深い慈愛と、理解の色だけだった。
やがて彼女は、私の手に、そっと自分の手を重ねた。
「エデン様。きっと、クーシー様は、貴方がそのようにご自分を責めることさえ、望んではいらっしゃらないはずですわ」
その声は、暖炉の炎のように、温かかった。
「彼女が本当に望んでいらっしゃるのは、きっと、エデン様と、この領地の人々が、幸せであり続けること……。私には、そう思えます。私たちが、前を向いて、笑顔で暮らすことこそが、彼女への最大のご恩返しになるのではないでしょうか」
エンティの、賢明で、温かい言葉。
その一言一言が、私の心の棘を、ゆっくりと溶かしていく。
そうだ。彼女の言う通りだ。
私がここで立ち止まっていては、それこそ、クーシーの覚悟を無駄にしてしまう。
私にできることは、ただ一つ。
この領地を、彼女がいつかその名を耳にした時、心の底から誇れるような場所にすることだけだ。
「……ありがとう、エンティ。君がいてくれて、本当に良かった」
私は彼女を強く抱きしめた。
その夜、私は一人、寝室の窓から、吹雪の舞う漆黒の闇を見つめていた。
この吹雪の向こう、遠い、遠い異国の地で、クーシーはどうしているだろう。
無事に、暮らしているだろうか。
温かい食事を、とれているだろうか。
(クーシー。君が今、どこにいるとしても、どうか、温かい暖炉の前で、穏やかな夜を過ごしていてくれ)
私の願いは、祈りとなって、吹雪の夜空に吸い込まれていく。
(君が、君自身の幸せを、誰にも、何にも邪魔されることなく、その手で掴んでいることを、私は、心から願っている)
彼女への想いは、もはや苦しい罪悪感ではない。
同じ時代を生きる、かけがえのない「戦友」の幸せを願う、深く、静かで、そして、どこまでも温かい祈りへと、昇華されていた。
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