私を婚約破棄して、どうされるおつもりですか?

桜井ことり

文字の大きさ
24 / 32

24

しおりを挟む
厳しい冬が、アールクヴィスト領をすっぽりと雪の毛布で覆い尽くしていた。

クライネルト侯爵からの再度の圧力はなく、領地は静かな冬の眠りについている。

私は、民が冬を越すための食料や薪の配給に奔走する傍ら、春からの新たな計画に頭を悩ませる日々を送っていた。

だが、私の心の片隅には、王都で囁かれているクーシーの噂が、小さな棘のように、ずっと刺さったままだった。

雪がしんしんと降る夜、私はエンティと二人、暖炉の燃える暖かい部屋で、静かな時間を過ごしていた。

パチパチと、薪のはぜる音だけが響く。

私の心の曇りに気づいたのか、エンティは、編み物をしていた手を止め、優しく私に問いかけた。

「エデン様。何か、ご心配事でもおありですか?」

その透き通った瞳に見つめられると、私は、胸の内に溜まっていた澱を、吐き出さずにはいられなかった。

私は、エンティに、改めてクーシーへの想いを語った。

それは、罪悪感と、感謝と、そして、どうしようもない尊敬の念だった。

「彼女は、私に全てを与えてくれた。今のこの領地の平和も、君とこうして過ごす未来も、元を辿れば、すべて彼女の犠牲の上にあるものだ。……それなのに、私は彼女に何も返すことができない。それどころか、彼女の名誉を、またしても傷つける原因を作ってしまった……」

私の告白を、エンティは、ただ黙って、静かに聞いてくれていた。

その眼差しに、嫉妬の色など微塵もない。

あるのは、深い慈愛と、理解の色だけだった。

やがて彼女は、私の手に、そっと自分の手を重ねた。

「エデン様。きっと、クーシー様は、貴方がそのようにご自分を責めることさえ、望んではいらっしゃらないはずですわ」

その声は、暖炉の炎のように、温かかった。

「彼女が本当に望んでいらっしゃるのは、きっと、エデン様と、この領地の人々が、幸せであり続けること……。私には、そう思えます。私たちが、前を向いて、笑顔で暮らすことこそが、彼女への最大のご恩返しになるのではないでしょうか」

エンティの、賢明で、温かい言葉。

その一言一言が、私の心の棘を、ゆっくりと溶かしていく。

そうだ。彼女の言う通りだ。

私がここで立ち止まっていては、それこそ、クーシーの覚悟を無駄にしてしまう。

私にできることは、ただ一つ。

この領地を、彼女がいつかその名を耳にした時、心の底から誇れるような場所にすることだけだ。

「……ありがとう、エンティ。君がいてくれて、本当に良かった」

私は彼女を強く抱きしめた。

その夜、私は一人、寝室の窓から、吹雪の舞う漆黒の闇を見つめていた。

この吹雪の向こう、遠い、遠い異国の地で、クーシーはどうしているだろう。

無事に、暮らしているだろうか。

温かい食事を、とれているだろうか。

(クーシー。君が今、どこにいるとしても、どうか、温かい暖炉の前で、穏やかな夜を過ごしていてくれ)

私の願いは、祈りとなって、吹雪の夜空に吸い込まれていく。

(君が、君自身の幸せを、誰にも、何にも邪魔されることなく、その手で掴んでいることを、私は、心から願っている)

彼女への想いは、もはや苦しい罪悪感ではない。

同じ時代を生きる、かけがえのない「戦友」の幸せを願う、深く、静かで、そして、どこまでも温かい祈りへと、昇華されていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!

にのまえ
恋愛
 すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。  公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。  家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。  だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、  舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから

越智屋ノマ
恋愛
宮中舞踏会の最中、侯爵令嬢ルクレツィアは王太子グレゴリオから一方的に婚約破棄を宣告される。新たな婚約者は、平民出身で才女と名高い女官ピア・スミス。 新たな時代の象徴を気取る王太子夫妻の華やかな振る舞いは、やがて国中の不満を集め、王家は静かに綻び始めていく。 一方、表舞台から退いたはずのルクレツィアは、親友である王女アリアンヌと再会する。――崩れゆく王家を前に、それぞれの役割を選び取った『親友』たちの結末は?

嫁ぎ先(予定)で虐げられている前世持ちの小国王女はやり返すことにした

基本二度寝
恋愛
小国王女のベスフェエラには前世の記憶があった。 その記憶が役立つ事はなかったけれど、考え方は王族としてはかなり柔軟であった。 身分の低い者を見下すこともしない。 母国では国民に人気のあった王女だった。 しかし、嫁ぎ先のこの国に嫁入りの準備期間としてやって来てから散々嫌がらせを受けた。 小国からやってきた王女を見下していた。 極めつけが、周辺諸国の要人を招待した夜会の日。 ベスフィエラに用意されたドレスはなかった。 いや、侍女は『そこにある』のだという。 なにもかけられていないハンガーを指差して。 ニヤニヤと笑う侍女を見て、ベスフィエラはカチンと来た。 「へぇ、あぁそう」 夜会に出席させたくない、王妃の嫌がらせだ。 今までなら大人しくしていたが、もう我慢を止めることにした。

氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!

柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」 『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。 セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。 しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。 だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

いつまでも変わらない愛情を与えてもらえるのだと思っていた

奏千歌
恋愛
 [ディエム家の双子姉妹]  どうして、こんな事になってしまったのか。  妻から向けられる愛情を、どうして疎ましいと思ってしまっていたのか。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

処理中です...