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故国の土を踏んだ私とカイは、月明かりだけを頼りに、アールクヴィスト領へと潜入した。
道中、目にする村々の様子は、私が知る頃よりも、明らかに活気に満ちていた。
畑は手入れが行き届き、家々からは温かい光が漏れている。
その一つ一つが、エデンの努力の証だと思うと、胸の奥が、自然と熱くなった。
領主の館が遠くに見えてきたところで、私はカイに指示を出した。
「カイ、貴方はここで見張りを。私が合図を送るまで、決して動かないで」
「無茶すんじゃねえぞ、クーシー」
心配そうなカイに一度だけ頷くと、私は闇に紛れ、館の敷地へと忍び込んだ。
かつて、婚約者として何度も歩いた庭。その構造は、今も私の記憶に鮮明に残っている。
警備兵の配置をかいくぐり、私が目指したのは、館の二階にある、領主の書斎だった。
バルコニーの扉に、そっと手をかける。幸い、鍵はかかっていなかった。
音を立てずに室内に滑り込む。
その瞬間、机に向かっていた人影が、勢いよく立ち上がった。
「――誰だ!」
月明かりが、その人物の顔を照らし出す。
エデン・フォン・アールクヴィスト。
最後に会った時よりも、領主としての貫禄が備わったその顔には、深い疲労の色が浮かんでいた。
「……クーシー?」
私の姿を認めた彼の瞳が、信じられないというように、大きく見開かれる。
「なぜ、君が、ここに……?」
私はフードを取り、彼の前に姿を現した。
驚愕に染まるエデンの顔。だが、彼は、警備の兵を呼ぶための鐘に手を伸ばすことはなかった。
その代わりに、彼は、まるで夢を見ているかのように、か細い声で呟いた。
「……夢では、ないのだな」
「ええ。残念ながら、現実ですわ、エデン様」
久しぶりに会う彼は、私が知る頃の、人の好いだけの青年ではなかった。
厳しい現実と向き合い、民を背負う、領主の顔をしていた。
私は、彼に駆け寄りたい衝動を抑え、単刀直入に本題を切り出した。
「お時間がありません。単刀直入に申し上げます。私の父、クライネルト侯爵が、貴方の領地に、そして貴方自身に、牙を剥こうとしています」
私は、父の陰謀の全て――交易路の襲撃、そしてアールクヴィスト領に濡れ衣を着せ、領土を奪い取ろうとしている計画の全てを、冷静に、しかし、切迫感をもって彼に伝えた。
エデンは、その衝撃的な内容を、眉一つ動かさずに聞いていた。
そして、私が話し終えると、彼は、ただ一言、こう言った。
「……信じるよ。君が、私を陥れるような嘘をつくはずがないことくらい、分かっている」
一年以上の時が経っても、私たちの間に横たわる、根本的な信頼は、何一つ変わっていなかった。
その事実に、私は、不覚にも少しだけ、安堵している自分に気づいた。
状況を共有した後、私は合図を送り、外で待たせていたカイを部屋に招き入れた。
突然現れた見知らぬ男に、エデンは一瞬警戒の色を見せたが、私が「私の相棒です」と紹介すると、彼は、カイに向かって、深く、深く、頭を下げた。
「そうか……君が、彼女を……。支えてくれて、心から感謝する」
「え、あ、いや……!頭を上げてください、辺境伯様!」
領主からの、予期せぬ感謝の言葉に、カイは恐縮しきっている。
書斎に集った、三人。
元侯爵令嬢の冒険者。誠実なる辺境伯。そして、元チンピラの義理堅い相棒。
あまりにも不釣り合いな私たちは、しかし、クライネルト侯爵という共通の敵を前に、この瞬間、確かに、運命を共にする共犯者となったのだ。
「君は……また、私を助けに来てくれたのだな、クーシー」
「いいえ」
私は、エデンの言葉を、静かに否定した。
「これは、貴方を助けるためではありません。私自身の、戦いです」
私たちの視線が、月明かりの下で、強く、固く、交差した。
道中、目にする村々の様子は、私が知る頃よりも、明らかに活気に満ちていた。
畑は手入れが行き届き、家々からは温かい光が漏れている。
その一つ一つが、エデンの努力の証だと思うと、胸の奥が、自然と熱くなった。
領主の館が遠くに見えてきたところで、私はカイに指示を出した。
「カイ、貴方はここで見張りを。私が合図を送るまで、決して動かないで」
「無茶すんじゃねえぞ、クーシー」
心配そうなカイに一度だけ頷くと、私は闇に紛れ、館の敷地へと忍び込んだ。
かつて、婚約者として何度も歩いた庭。その構造は、今も私の記憶に鮮明に残っている。
警備兵の配置をかいくぐり、私が目指したのは、館の二階にある、領主の書斎だった。
バルコニーの扉に、そっと手をかける。幸い、鍵はかかっていなかった。
音を立てずに室内に滑り込む。
その瞬間、机に向かっていた人影が、勢いよく立ち上がった。
「――誰だ!」
月明かりが、その人物の顔を照らし出す。
エデン・フォン・アールクヴィスト。
最後に会った時よりも、領主としての貫禄が備わったその顔には、深い疲労の色が浮かんでいた。
「……クーシー?」
私の姿を認めた彼の瞳が、信じられないというように、大きく見開かれる。
「なぜ、君が、ここに……?」
私はフードを取り、彼の前に姿を現した。
驚愕に染まるエデンの顔。だが、彼は、警備の兵を呼ぶための鐘に手を伸ばすことはなかった。
その代わりに、彼は、まるで夢を見ているかのように、か細い声で呟いた。
「……夢では、ないのだな」
「ええ。残念ながら、現実ですわ、エデン様」
久しぶりに会う彼は、私が知る頃の、人の好いだけの青年ではなかった。
厳しい現実と向き合い、民を背負う、領主の顔をしていた。
私は、彼に駆け寄りたい衝動を抑え、単刀直入に本題を切り出した。
「お時間がありません。単刀直入に申し上げます。私の父、クライネルト侯爵が、貴方の領地に、そして貴方自身に、牙を剥こうとしています」
私は、父の陰謀の全て――交易路の襲撃、そしてアールクヴィスト領に濡れ衣を着せ、領土を奪い取ろうとしている計画の全てを、冷静に、しかし、切迫感をもって彼に伝えた。
エデンは、その衝撃的な内容を、眉一つ動かさずに聞いていた。
そして、私が話し終えると、彼は、ただ一言、こう言った。
「……信じるよ。君が、私を陥れるような嘘をつくはずがないことくらい、分かっている」
一年以上の時が経っても、私たちの間に横たわる、根本的な信頼は、何一つ変わっていなかった。
その事実に、私は、不覚にも少しだけ、安堵している自分に気づいた。
状況を共有した後、私は合図を送り、外で待たせていたカイを部屋に招き入れた。
突然現れた見知らぬ男に、エデンは一瞬警戒の色を見せたが、私が「私の相棒です」と紹介すると、彼は、カイに向かって、深く、深く、頭を下げた。
「そうか……君が、彼女を……。支えてくれて、心から感謝する」
「え、あ、いや……!頭を上げてください、辺境伯様!」
領主からの、予期せぬ感謝の言葉に、カイは恐縮しきっている。
書斎に集った、三人。
元侯爵令嬢の冒険者。誠実なる辺境伯。そして、元チンピラの義理堅い相棒。
あまりにも不釣り合いな私たちは、しかし、クライネルト侯爵という共通の敵を前に、この瞬間、確かに、運命を共にする共犯者となったのだ。
「君は……また、私を助けに来てくれたのだな、クーシー」
「いいえ」
私は、エデンの言葉を、静かに否定した。
「これは、貴方を助けるためではありません。私自身の、戦いです」
私たちの視線が、月明かりの下で、強く、固く、交差した。
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