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クライネルト侯爵家の取り潰しが正式に決定し、王都がその話題で持ちきりになっている頃。
アールクヴィスト領は、まるで嵐が過ぎ去ったかのような、静かな平穏を取り戻していた。
全ての役目を終えた私とカイは、エデンの館に滞在し、数日中にこの地を去るための、旅の準備を整えていた。
出発を明日に控えた、その夜。
エデンが、私の部屋を訪ねてきた。
「クーシー。約束を、果たさないか」
その言葉の意味を、私はすぐに理解した。
連れてこられたのは、かつて、私たちが婚約破棄の密約を交わした、あの時と同じ、月明かりが差し込む、庭のガゼボだった。
テーブルの上には、上質な赤ワインと、二つのガラスの杯が用意されている。
私たちは、どちらからともなく席に着き、エデンが、それぞれの杯にワインを注いだ。
チン、と。
杯が触れ合う、澄んだ音が、静かな夜に響く。
私たちは、しばらく、言葉もなく、ただ、ワインを口に含んだ。
芳醇な香りが、胸に広がる。
先に沈黙を破ったのは、エデンだった。
「エンティが、君によろしくと伝えてくれ、と言っていた。……彼女は、私の光だ。この領地の、希望そのものだよ」
そう語る彼の横顔は、私が知る中で、最も幸せに満ちた、穏やかな表情をしていた。
その顔を見て、私の心も、温かくなるのを感じた。
「そうですか。それは、何よりですわ」
今度は、私が話す番だった。
「カイも、私の、かけがえのない相棒です。彼がいなければ、今の私は、きっとありませんでした」
その言葉に、嘘も、偽りもなかった。
恋愛という形ではない。だが、カイとの間には、誰にも、何にも代えがたい、確かな絆があった。
エデンは、最後のワインを飲み干すと、改めて、私に向き直った。
「君には、何度救われたか、分からない。心から、感謝している。本当に、ありがとう、クーシー」
「お互い様ですわ。貴方も、結果的に、私の自由を守ってくださいましたから」
私たちは、顔を見合わせて、小さく笑った。
もう、そこには、元婚約者としての感傷も、未練も、何一つ存在しなかった。
あるのは、共に大きな困難を乗り越えた「戦友」への、清々しいまでの、尊敬の念だけだった。
「達者でな、クーシー」
「ええ。エデン様も、どうぞ、お幸せに」
それが、私たちの、本当の最後の別れの言葉となった。
ガゼボを後にし、自分の部屋へ戻ると、カイが、戸口に寄りかかって、私を待っていた。
「……話は、済んだのかよ」
「ええ。すべて、終わりました」
私が静かに頷くと、カイは、それ以上何も聞かずに、「そっか」とだけ言った。
「なら、いいんだ。明日には、出発だぜ。早く寝ろよ」
その、不器用な優しさが、今は、何よりも心地よかった。
私は、窓辺に立ち、月明かりに照らされたアールクヴィストの夜景を見下ろした。
過去との、本当に長く、そして複雑な戦いが、終わった。
明日からは、また、ただの冒険者クーシーとしての、自由な人生が始まる。
私の心は、驚くほど、晴れやかだった。
アールクヴィスト領は、まるで嵐が過ぎ去ったかのような、静かな平穏を取り戻していた。
全ての役目を終えた私とカイは、エデンの館に滞在し、数日中にこの地を去るための、旅の準備を整えていた。
出発を明日に控えた、その夜。
エデンが、私の部屋を訪ねてきた。
「クーシー。約束を、果たさないか」
その言葉の意味を、私はすぐに理解した。
連れてこられたのは、かつて、私たちが婚約破棄の密約を交わした、あの時と同じ、月明かりが差し込む、庭のガゼボだった。
テーブルの上には、上質な赤ワインと、二つのガラスの杯が用意されている。
私たちは、どちらからともなく席に着き、エデンが、それぞれの杯にワインを注いだ。
チン、と。
杯が触れ合う、澄んだ音が、静かな夜に響く。
私たちは、しばらく、言葉もなく、ただ、ワインを口に含んだ。
芳醇な香りが、胸に広がる。
先に沈黙を破ったのは、エデンだった。
「エンティが、君によろしくと伝えてくれ、と言っていた。……彼女は、私の光だ。この領地の、希望そのものだよ」
そう語る彼の横顔は、私が知る中で、最も幸せに満ちた、穏やかな表情をしていた。
その顔を見て、私の心も、温かくなるのを感じた。
「そうですか。それは、何よりですわ」
今度は、私が話す番だった。
「カイも、私の、かけがえのない相棒です。彼がいなければ、今の私は、きっとありませんでした」
その言葉に、嘘も、偽りもなかった。
恋愛という形ではない。だが、カイとの間には、誰にも、何にも代えがたい、確かな絆があった。
エデンは、最後のワインを飲み干すと、改めて、私に向き直った。
「君には、何度救われたか、分からない。心から、感謝している。本当に、ありがとう、クーシー」
「お互い様ですわ。貴方も、結果的に、私の自由を守ってくださいましたから」
私たちは、顔を見合わせて、小さく笑った。
もう、そこには、元婚約者としての感傷も、未練も、何一つ存在しなかった。
あるのは、共に大きな困難を乗り越えた「戦友」への、清々しいまでの、尊敬の念だけだった。
「達者でな、クーシー」
「ええ。エデン様も、どうぞ、お幸せに」
それが、私たちの、本当の最後の別れの言葉となった。
ガゼボを後にし、自分の部屋へ戻ると、カイが、戸口に寄りかかって、私を待っていた。
「……話は、済んだのかよ」
「ええ。すべて、終わりました」
私が静かに頷くと、カイは、それ以上何も聞かずに、「そっか」とだけ言った。
「なら、いいんだ。明日には、出発だぜ。早く寝ろよ」
その、不器用な優しさが、今は、何よりも心地よかった。
私は、窓辺に立ち、月明かりに照らされたアールクヴィストの夜景を見下ろした。
過去との、本当に長く、そして複雑な戦いが、終わった。
明日からは、また、ただの冒険者クーシーとしての、自由な人生が始まる。
私の心は、驚くほど、晴れやかだった。
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