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第1話「こんな妹がいるなんて、神様は不条理だ」
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『このままだと、クビだぞ』
上司の言葉を引きずって、その日、私はめずらしく市場で酒瓶を手に取った。地元、ヘルシンゲでつくられた老舗のウィスキー。度数が高くてこれなら簡単に酔うことができる。
「あら、お兄さま。お酒を飲まれるのですね?」
振り向くと五つ下の妹、キルコが制服姿で立っていた。ブロンドの長髪にスラリとしたシルエットはガス灯の灯りで照らされた市場の中でもひときわ目を引く。
「あぁ、今日はサミュのところに行こうと思ってるんだ」
サミュという単語を聞いてキルコの顔がパアッと明るくなる。
「あら、素敵。ぜひ、わたくしもご一緒いたします!」
私は通りの時計を確認した。夜十時。
「ダメだ。もう夜遅いだろう。そもそもどうしてこんな時間まで。学校か?」
「はい。生徒会の仕事で地元の魔術振興会に参加していました」
キルコはヘルシンゲ第一高等学校で生徒会長を務めている。容姿端麗で成績もよく人望も厚い。加えて現代最強の魔術師なのだから、神様というのはつくづく不条理な存在だ。
「そうだったのか。じゃあ気をつけて帰るんだぞ」
「待って、お兄さま」
キルコは私の前に立ち塞がる。
「わたくしを差し置いてサミュエル様の元へ行くつもり?」
「そのつもりだけど?」
「いけません。ぜひ、わたくしも連れていってください」
「ダメだ。子供はお家に帰る時間だよ」
「子供ではありません。立派な大人です!」
ムスーッと膨れた顔を近づけてくる妹。こうなった彼女を説得することは難しい。
……仕方ない。
「そんなにサミュに会いたいっていうけど、あいつのどこがいいんだ? お前ならもっと良い男がいるだろう」
キルコはその完璧さからこれまで数多くの殿方から言い寄られてきた。中には魔術界でも五本の指に入る名家の子息から求婚されたらしい。しかし、彼女はことごとくその全てを跳ね返していた。
乙女の頬が赤く染まる。
「それは……、もう全て、ですわ。赤みがかかった髪に、丸メガネから覗くお茶目な瞳。スラリとしたスタイルにチャーミングな笑顔。もちろん外見だけではありません。誰よりも頭脳明晰で————」
私の幼馴染に一途な彼女は彼のことを語らせると止まらない。かつて朝日が昇るまで喋り続けたことさえある。あまりの熱中ぶりに周囲が見えなくなるのが致命的な欠点なのだが、今回はそれを利用させてもらった。
私は彼女が話している間に、そっとその場をあとにした。キルコは少なくとも三十分は虚空に向かって熱弁をふるうに違いない。私がいないと気づいたときには「やられた」と思うだろう。
悪く思わないでほしい、我が妹よ。これは、これから晒す醜態を愛する妹に見せまいとする兄なりの「見栄」なのだ。
* * *
妹が追ってこないよう痕跡を消しながらヘルシンゲの街を歩く。彼女はサミュエルの家を知らない。おそらく知っているのは私ふくめて数人だろう。そこまで彼は人付き合いがいい方ではない。
向かった先はヘルシンゲの南、イェーカー街。赤や黄色などさまざまな建物がガス灯に照らされていた。
22番地の建物に向かう。小麦色の五階建てのアパート。ここの一階に稀代の量子魔術師、サミュエル・トーバルは住んでいる。
このアパートはもともと商社を営んでいたとある男爵一家が住んでいたものらしい。彼らが販路拡大を狙って首都に引っ越すときに、今の大家が買取り、賃貸用にリフォームしたそうだ。
ワンルームで風呂、トイレ、キッチンは共用。
住むには不便かもしれないが、魔術の使用が許可されているだけまだマシだろう。
世間にとって魔術は、奇術や手品と同じ扱いを受けている。実際は全くの別物なのだが、胡散臭いものには蓋をするのが世の常だ。ゆえに、魔術の練習や研究をすることのできる賃貸物件は圧倒的に少ない。サミュエルもここに決まるまで半年ほど放浪生活をしていたほどだ。
私は共用玄関を上がり、一階のB号室に向かった。
扉の横にあるベルを鳴らす。反応がない。いつもなら二、三回鳴らせば「セールスはお断りだよ」という文句とともに開けてくれるのだが、この日は出てくる気配がしなかった。
「サミュ、俺だ。いるのか?」
私はドアをノックしながら部屋の様子を窺おうとした。扉に耳を近づけると物が散らかる音と、
「頼むからやめてくれって!」
と喚く幼馴染の声が聞こえた。
「おい、大丈夫か?」
ドアノブに手をかけたところで
「アイタタタタタ」
今度は苦しむ声が聞こえる。
「サミュエル、入るぞ。いいな」
私はドアを強くノックしてから返事がないことを確認すると、一度大きく下がった。そして、意を決すると————
勢いよく扉に向かって蹴りをくらわせた。木造の扉は建て付けが緩いせいもあって一瞬で真っ二つになる。
「大丈夫か!?」
部屋に駆け込んだ私は目を丸くした。
上司の言葉を引きずって、その日、私はめずらしく市場で酒瓶を手に取った。地元、ヘルシンゲでつくられた老舗のウィスキー。度数が高くてこれなら簡単に酔うことができる。
「あら、お兄さま。お酒を飲まれるのですね?」
振り向くと五つ下の妹、キルコが制服姿で立っていた。ブロンドの長髪にスラリとしたシルエットはガス灯の灯りで照らされた市場の中でもひときわ目を引く。
「あぁ、今日はサミュのところに行こうと思ってるんだ」
サミュという単語を聞いてキルコの顔がパアッと明るくなる。
「あら、素敵。ぜひ、わたくしもご一緒いたします!」
私は通りの時計を確認した。夜十時。
「ダメだ。もう夜遅いだろう。そもそもどうしてこんな時間まで。学校か?」
「はい。生徒会の仕事で地元の魔術振興会に参加していました」
キルコはヘルシンゲ第一高等学校で生徒会長を務めている。容姿端麗で成績もよく人望も厚い。加えて現代最強の魔術師なのだから、神様というのはつくづく不条理な存在だ。
「そうだったのか。じゃあ気をつけて帰るんだぞ」
「待って、お兄さま」
キルコは私の前に立ち塞がる。
「わたくしを差し置いてサミュエル様の元へ行くつもり?」
「そのつもりだけど?」
「いけません。ぜひ、わたくしも連れていってください」
「ダメだ。子供はお家に帰る時間だよ」
「子供ではありません。立派な大人です!」
ムスーッと膨れた顔を近づけてくる妹。こうなった彼女を説得することは難しい。
……仕方ない。
「そんなにサミュに会いたいっていうけど、あいつのどこがいいんだ? お前ならもっと良い男がいるだろう」
キルコはその完璧さからこれまで数多くの殿方から言い寄られてきた。中には魔術界でも五本の指に入る名家の子息から求婚されたらしい。しかし、彼女はことごとくその全てを跳ね返していた。
乙女の頬が赤く染まる。
「それは……、もう全て、ですわ。赤みがかかった髪に、丸メガネから覗くお茶目な瞳。スラリとしたスタイルにチャーミングな笑顔。もちろん外見だけではありません。誰よりも頭脳明晰で————」
私の幼馴染に一途な彼女は彼のことを語らせると止まらない。かつて朝日が昇るまで喋り続けたことさえある。あまりの熱中ぶりに周囲が見えなくなるのが致命的な欠点なのだが、今回はそれを利用させてもらった。
私は彼女が話している間に、そっとその場をあとにした。キルコは少なくとも三十分は虚空に向かって熱弁をふるうに違いない。私がいないと気づいたときには「やられた」と思うだろう。
悪く思わないでほしい、我が妹よ。これは、これから晒す醜態を愛する妹に見せまいとする兄なりの「見栄」なのだ。
* * *
妹が追ってこないよう痕跡を消しながらヘルシンゲの街を歩く。彼女はサミュエルの家を知らない。おそらく知っているのは私ふくめて数人だろう。そこまで彼は人付き合いがいい方ではない。
向かった先はヘルシンゲの南、イェーカー街。赤や黄色などさまざまな建物がガス灯に照らされていた。
22番地の建物に向かう。小麦色の五階建てのアパート。ここの一階に稀代の量子魔術師、サミュエル・トーバルは住んでいる。
このアパートはもともと商社を営んでいたとある男爵一家が住んでいたものらしい。彼らが販路拡大を狙って首都に引っ越すときに、今の大家が買取り、賃貸用にリフォームしたそうだ。
ワンルームで風呂、トイレ、キッチンは共用。
住むには不便かもしれないが、魔術の使用が許可されているだけまだマシだろう。
世間にとって魔術は、奇術や手品と同じ扱いを受けている。実際は全くの別物なのだが、胡散臭いものには蓋をするのが世の常だ。ゆえに、魔術の練習や研究をすることのできる賃貸物件は圧倒的に少ない。サミュエルもここに決まるまで半年ほど放浪生活をしていたほどだ。
私は共用玄関を上がり、一階のB号室に向かった。
扉の横にあるベルを鳴らす。反応がない。いつもなら二、三回鳴らせば「セールスはお断りだよ」という文句とともに開けてくれるのだが、この日は出てくる気配がしなかった。
「サミュ、俺だ。いるのか?」
私はドアをノックしながら部屋の様子を窺おうとした。扉に耳を近づけると物が散らかる音と、
「頼むからやめてくれって!」
と喚く幼馴染の声が聞こえた。
「おい、大丈夫か?」
ドアノブに手をかけたところで
「アイタタタタタ」
今度は苦しむ声が聞こえる。
「サミュエル、入るぞ。いいな」
私はドアを強くノックしてから返事がないことを確認すると、一度大きく下がった。そして、意を決すると————
勢いよく扉に向かって蹴りをくらわせた。木造の扉は建て付けが緩いせいもあって一瞬で真っ二つになる。
「大丈夫か!?」
部屋に駆け込んだ私は目を丸くした。
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