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第3話「獄炎のヘラケウルスって誰だっけ?」
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私は美味しそうにスープをかき込む幼馴染を肴に、市場で買ってきたウィスキーを瓶から直接口に含んだ。
高密度な麦芽の香りと甘く重たい味わい。アルコールは胃を通る前に直接、私の脳髄を叩いて快楽物質を飛散させた。
「はぁ~~ぁ~」
一口飲んだだけで私は食卓にうつ伏せになった。私は元来、酒に弱い。それに飲むと何を口走るかわからない。ゆえに私は気心知れた友人——すなわちサミュエルの前でしか酒を飲まないことに決めていた。
「ひさびさだね、キミが酒を飲むなんて。またフラれたのかい?」
これまで私が酒を飲むときはだいたい恋愛関係が多かった。もっぱら上手くいかない時に飲んでいたのだが、それも今は昔。仕事に就き、社会のために働く私にとって酒を飲む口実は色恋だけではない。
「ちがう……」
「じゃあなんなんだ?」
『このままだと、クビだぞ』
上司の言葉がアルコール漬けの脳内でハウリングする。
私は顔が熱くなっているのを自覚しながら
「別に……」と呟いた。
サミュはため息をついて眉を上げた。
「ダンマリかい? ストレスを溜め込むのはよくないぞ。
大学院を辞めていくやつらはみんなストレスが原因だ。魔術は秘匿すべき、なんてよくわからない妄想に囚われて人に相談することができずにね。
一人で悩んだって始まらないよ。辛いことは吐き出しな。
あっ、でも物理的に吐くのはやめてね。つられてせっかくのスープをぶちまけたくないからさ」
私は食卓に顎を乗せながら考えた。
私は魔術警察という警察組織で刑事事件を担当している。捜査に関することは機密事項で、いかなる理由があろうと一般市民に話してはならない。
けど、このときの私はどうしても話したくてたまらなかった。私よりも賢い幼馴染が、私が抱えている問題に対してどのような回答を示すのか、気になって仕方なかった。その想いは、彼の端麗とはいえない顔を見てより強まっていた。
私はウィスキーをもう一杯あおった。
「ある事件が、解決しそうで解決しないんだ」
サミュが両目をパチクリさせる。
「面白い言い方だね。どういう意味だい?」
「犯人はわかってる。犯行の最中を現行犯で逮捕された。けど、その犯行方法がわからないんだ」
「犯人がわかってるならいいじゃないか。〝Why Done It〟が魔術警察の鉄則だろ?」
「自然科学の進歩で魔術警察も〝How Done It〟に変わりつつあるんだ」
かつて魔術は神秘だった。ゆえに、魔術を用いた犯罪は〝How Done It〟ではなく、〝Why Done It〟に焦点が当てられてきた。
しかし、自然科学の台頭により魔術の仕組みが解明されてきたことで、物的証拠重視の捜査方針に変化してきた。
物的証拠が事件をひっくり返したこともある。一年前の某公爵殺人事件だ。
当初、魔術警察は〝Why Done It〟の観点から、公爵に日頃から暴力を振るわれていた公爵夫人を犯人として逮捕した。しかし当時、彼女は公爵の弟と寝室におり、犯行は不可能であることが判明。さらに、現場に落ちていた髪の毛から公爵の義理の父親が犯行に及んでいたことが明らかになった。
この誤認逮捕で世間は魔術警察の捜査を痛烈に批判した。以来、魔術警察は物的証拠重視で捜査が行われるようになった。
確かに、物的証拠重視の捜査でより確実な立証を行うことができるだろう。しかし、かつて簡単に片付くはずのものが片付かなくなってしまうこともある。
まさに、今回の事件がそれだ。
「事件は一昨日の夕方、市内のレイモンド・パークで起きた。被害者はヘラケウルス・ピット。知ってるだろ?」
「誰それ?」サミュは首を傾げた。
(これだから研究バカは……)私はため息をつく。
「〝イスラーン十傑〟のひとりだよ。南部のイスラーン族との戦いで活躍した十人のうちの一人」
「あぁ、そんな人いたっけ」
私は重たい頭を転がした。
「忘れたのかぁ? 子供のころいっつも話題だったじゃないか」
ヘラケウルス・ピット。
三十四年前に始まり、二十一年前に終結した南部イスラーン族との紛争。その終結の立役者となった一人。
「炎を操る魔術師」と書けば可愛いもので、文字からは想像もできないほどの圧倒的な火力で要衝を次々と制圧していった。
視界に入った大地を灰にする。
鉛を溶かす炎を纏う。
ついた通り名が————
獄炎のヘラケウルス
「彼が日課のウォーキングをしているところを襲われて重症を負ったんだ」
「獄炎のなんとかとあろうお方が? 相手は相当な手練れだね」
「いいや、彼の戦闘力は全盛期ほどじゃない。イスラーンの戦い自体二十年以上まえのことだし、その戦いで彼は左腕をなくしている。今の俺でも勝てるよ」
「君は現役軍人だって勝てるだろう?」
私はテーブルに寝そべりながら幼馴染を見上げた。ぼーっとした視界には「違うかい?」と問いかける彼の瞳があった。
高密度な麦芽の香りと甘く重たい味わい。アルコールは胃を通る前に直接、私の脳髄を叩いて快楽物質を飛散させた。
「はぁ~~ぁ~」
一口飲んだだけで私は食卓にうつ伏せになった。私は元来、酒に弱い。それに飲むと何を口走るかわからない。ゆえに私は気心知れた友人——すなわちサミュエルの前でしか酒を飲まないことに決めていた。
「ひさびさだね、キミが酒を飲むなんて。またフラれたのかい?」
これまで私が酒を飲むときはだいたい恋愛関係が多かった。もっぱら上手くいかない時に飲んでいたのだが、それも今は昔。仕事に就き、社会のために働く私にとって酒を飲む口実は色恋だけではない。
「ちがう……」
「じゃあなんなんだ?」
『このままだと、クビだぞ』
上司の言葉がアルコール漬けの脳内でハウリングする。
私は顔が熱くなっているのを自覚しながら
「別に……」と呟いた。
サミュはため息をついて眉を上げた。
「ダンマリかい? ストレスを溜め込むのはよくないぞ。
大学院を辞めていくやつらはみんなストレスが原因だ。魔術は秘匿すべき、なんてよくわからない妄想に囚われて人に相談することができずにね。
一人で悩んだって始まらないよ。辛いことは吐き出しな。
あっ、でも物理的に吐くのはやめてね。つられてせっかくのスープをぶちまけたくないからさ」
私は食卓に顎を乗せながら考えた。
私は魔術警察という警察組織で刑事事件を担当している。捜査に関することは機密事項で、いかなる理由があろうと一般市民に話してはならない。
けど、このときの私はどうしても話したくてたまらなかった。私よりも賢い幼馴染が、私が抱えている問題に対してどのような回答を示すのか、気になって仕方なかった。その想いは、彼の端麗とはいえない顔を見てより強まっていた。
私はウィスキーをもう一杯あおった。
「ある事件が、解決しそうで解決しないんだ」
サミュが両目をパチクリさせる。
「面白い言い方だね。どういう意味だい?」
「犯人はわかってる。犯行の最中を現行犯で逮捕された。けど、その犯行方法がわからないんだ」
「犯人がわかってるならいいじゃないか。〝Why Done It〟が魔術警察の鉄則だろ?」
「自然科学の進歩で魔術警察も〝How Done It〟に変わりつつあるんだ」
かつて魔術は神秘だった。ゆえに、魔術を用いた犯罪は〝How Done It〟ではなく、〝Why Done It〟に焦点が当てられてきた。
しかし、自然科学の台頭により魔術の仕組みが解明されてきたことで、物的証拠重視の捜査方針に変化してきた。
物的証拠が事件をひっくり返したこともある。一年前の某公爵殺人事件だ。
当初、魔術警察は〝Why Done It〟の観点から、公爵に日頃から暴力を振るわれていた公爵夫人を犯人として逮捕した。しかし当時、彼女は公爵の弟と寝室におり、犯行は不可能であることが判明。さらに、現場に落ちていた髪の毛から公爵の義理の父親が犯行に及んでいたことが明らかになった。
この誤認逮捕で世間は魔術警察の捜査を痛烈に批判した。以来、魔術警察は物的証拠重視で捜査が行われるようになった。
確かに、物的証拠重視の捜査でより確実な立証を行うことができるだろう。しかし、かつて簡単に片付くはずのものが片付かなくなってしまうこともある。
まさに、今回の事件がそれだ。
「事件は一昨日の夕方、市内のレイモンド・パークで起きた。被害者はヘラケウルス・ピット。知ってるだろ?」
「誰それ?」サミュは首を傾げた。
(これだから研究バカは……)私はため息をつく。
「〝イスラーン十傑〟のひとりだよ。南部のイスラーン族との戦いで活躍した十人のうちの一人」
「あぁ、そんな人いたっけ」
私は重たい頭を転がした。
「忘れたのかぁ? 子供のころいっつも話題だったじゃないか」
ヘラケウルス・ピット。
三十四年前に始まり、二十一年前に終結した南部イスラーン族との紛争。その終結の立役者となった一人。
「炎を操る魔術師」と書けば可愛いもので、文字からは想像もできないほどの圧倒的な火力で要衝を次々と制圧していった。
視界に入った大地を灰にする。
鉛を溶かす炎を纏う。
ついた通り名が————
獄炎のヘラケウルス
「彼が日課のウォーキングをしているところを襲われて重症を負ったんだ」
「獄炎のなんとかとあろうお方が? 相手は相当な手練れだね」
「いいや、彼の戦闘力は全盛期ほどじゃない。イスラーンの戦い自体二十年以上まえのことだし、その戦いで彼は左腕をなくしている。今の俺でも勝てるよ」
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