灰の国の聖女と、光を忘れた騎士

にゃ-さん

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第2話 騎士は名を捨てて

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黒い影を斬り払った刃が、夜気の中で鈍く光った。  
灰の風が巻き上がり、倒れた魔物の姿は形を保てぬまま崩れ、やがて砂のように散っていく。  
その跡には何も残らなかった。  
ただ、灰と冷たい月明かりだけがそこにあった。  

カイルは剣を下ろし、荒い息をついた。  
肺の奥まで入る空気がざらついている。この国の空気はいつも、埃と灰で満ちているようだ。  
振り返ると、教会の入り口にリラが立っていた。祈りの姿勢のまま、両手を胸の前で組んでいる。  

「終わったの?」  
「……一匹だけだ。あれくらいなら、楽なものだ。」  
カイルが剣を収めると、リラはそっと歩み寄り、地面に散った灰に手を伸ばした。  
「彼も、かつて人だったのよ」  
その言葉に、カイルの眉が動いた。  
「人?」  
「ええ。怨念に飲まれて、形を変えた。生きながら魂を捨てた者は、やがてこの地に吸い寄せられるの」  

リラの視線はどこか遠くを見ていた。悲しみというより、諦めに近い静けさだった。  
カイルはその手元を見つめながら、少しだけ目を細める。  
「俺も、いずれ同じ場所に行くのかもしれないな。」  
「そんなことを言わないで」  
リラの声がわずかに震えた。  
「人は、祈りをやめなければ堕ちない……そう、教えられたの。」  

その言葉がどこか遠い祈りのように響いて、カイルはまぶたを閉じた。  
戦場にいたころ、祈りなど何の力にもならないと嘲笑っていた自分が思い出される。  
だが、この少女の言葉には、たしかに何かを揺らす力があった。  

夜が明けていた。  
灰色の空に薄い光が差し込み、教会の天井をかすかに照らしていた。  
カイルは教会の内部で剣を磨き、リラは崩れた祭壇を掃除していた。彼女の動きは穏やかで、まるでそこだけ時間が止まっているようだった。  

「ここで、君はどれほど過ごしているんだ?」  
「覚えていないわ。気がついたら、この教会だけ残っていたの」  
「他の人間は?」  
「……誰もいない」  

言葉の最後にかすかな孤独が滲んでいた。  
カイルは口をつぐみ、灰に覆われた床を見つめた。足跡が二つだけ残っている。この国には、それだけしか生きた証がないのかもしれない。  

リラはふと顔を上げた。  
「ねえ、カイルさん。あなたはどうしてこの国に?」  
「……命を捨てるため、だったはずだ」  
「命を?」  
「戦争の終わり、仲間をすべて失って……俺だけが生き残った。英雄と呼ばれたが、守るものは何も残っていなかった」  

リラは黙ったままカイルの顔を見ていた。  
その視線はまっすぐで、どこか痛いほど優しかった。  
「名前は、まだ名乗っていなかったわね」  
「カイル・グレイア。かつてそう呼ばれていた」  
「グレイア……?」リラの口が驚きに触れたように開いた。「まさか、光の盾と呼ばれた騎士の?」  
「その呼び名は、もう口にするな」  
カイルの声は低く荒く、それでいてどこか脆かった。  
「俺はその名で、あまりにも多くの命を殺した。守るためだったはずが、いつの間にか戦場を焼け野原にしていた」  

黙り込むリラに、カイルは視線を向けた。  
「だから名を捨てた。英雄でも騎士でももうない。ただの流れ者だ」  

リラはゆっくりと首を横に振った。  
「それでも、今こうして私を助けてくれた。それは、あなたがまだ光を覚えている証拠だよ」  

思わず、カイルの胸に熱いものが込み上げた。  
だが言葉にできず、ただ苦く笑っただけだった。  
灰の国で光を思い出す――そんなことが本当にできるのか。  

そのとき、教会の外から遠く太鼓のような音が聞こえた。  
カイルが顔を上げる。  
「……聞こえるか?」  
リラもうなずいた。「西の丘にある廃砦よ。あそこに何かがいる。」  
「魔物か?」  
「たぶん、もう少し大きな何か。」  

カイルは立ち上がると、壁に立てかけていた剣を取った。  
「行ってみる必要があるな」  
「行くの?」  
「このままにしておくと、夜になる前にここまで来る。防げるうちに止める。」  

リラはしばらく迷った末に小さな声で言った。  
「私も、行く」  
「危険だ。君はここで祈っていればいい」  
「違う。祈りは、誰かが歩くための道でなきゃ意味がないの」  

真っ直ぐな視線に、カイルはわずかに息を呑んだ。  
この少女の言葉は、時々、不思議と戦場で聞いた指令より重く響く。  
彼はため息をつき、肩をすくめた。  
「……好きにしろ。ただし、剣の届く距離から離れるな」  
「約束する」リラの唇が少し笑った。  

教会を出ると、灰の大地が広がっていた。  
かつて城壁だった石は崩れ、木々はすべて死に絶えている。歩くたびに足跡が粉のように沈み込む。  
風は冷たいが、どこか懐かしく感じた。戦場の風と同じ匂いだからだ。  

廃砦に向かう道すがら、リラは時折空を見上げていた。  
「どうして灰が降り続けるの?」  
「国が滅んだとき、魔王が天を焼いたと聞いた。空に残った炎が灰になって、今も落ちているんだろう」  
「それでも、この灰の中に光を見つけられると思う?」  
「わからん。ただ、歩く理由にはなる」  

しばらく歩くと、廃砦が見えてきた。  
石造りの塔は半分崩れ、中からかすかに青白い光が漏れている。  
カイルは剣に手をかけ、低く構えた。  
「リラ、下がっていろ」  
「ええ」  

足元の灰を踏むたびに、空気がざわつく。塔の内部から、不気味な呻き声が漏れ始めた。  
やがて、それは形をともなった。  
黒い甲冑をまとった巨躯が、崩れた門の影からにじみ出るように現れた。  
鎧は錆び、兜の奥からは赤い光が揺れている。かつての騎士、今は亡霊。  

カイルはその姿を見た瞬間、息を吸うのを忘れた。  
「……王国騎士団の紋章……」  
「やっぱり、元は人なのね」リラが呟く。  
「かつて、俺と剣を並べた者たちだ」  

その瞬間、亡霊の剣が音を立てて抜かれた。  
カイルは反射的に防御を取る。重い衝撃が腕を貫いた。  
鋭い一撃、まるで生前のまま。  
彼はその力強さに、一瞬だけ涙ぐむような感情を覚えた。  

「もう、休んでくれ……」  
カイルの剣が弧を描き、亡霊の胴を裂いた。  
赤い光が散り、甲冑が崩れ落ちる。中から零れた影が空へと昇っていく。  
それはまるで救われた魂のように揺らめき、やがて消えた。  

静寂が戻った。  
リラが駆け寄る。  
「大丈夫?」  
カイルは短くうなずいた。  
「……ああ。ただ、少しだけ昔を思い出していた。」  

見上げると、空の灰が少しだけ薄くなっていた。  
ほんの一瞬、太陽の光のようなものが差したように見えた。  

リラは微笑んだ。  
「きっと、あなたの祈りが届いたのね。」  
「俺の祈り?」  
「剣を振るうたびに言葉にはしなくても、あなたは誰かの魂に願っている。だから、光は戻ってくるの」  

カイルは何も言わず、剣を鞘に収めた。  
灰の上に二人の足跡が残る。  
その跡を、細い風が撫でて通り過ぎた。  

「戻ろう。今夜は長くなる」  
「うん。カイルさん、今日はほんの少し、笑ってる」  
そう言われて、カイルは小さく息を漏らした。  
気づかぬうちに、口の端がわずかに上がっていた。  

(続く)
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