灰の国の聖女と、光を忘れた騎士

にゃ-さん

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第3話 教会の少女リラ

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帰り道の風は、朝の灰とともに静かに通り過ぎていった。  
戦いのあとに残るあの冷えた空気は、いつもどこか懐かしい。  
戦場を離れて随分経つというのに、カイルの身体はまだ戦の気配を忘れたことがない。  
背中の剣は重いが、その重さは不思議と嫌ではなかった。  

リラは黙って隣を歩いていた。  
数歩後ろを、白いローブの裾を灰風になびかせながら。  
歩くたび、彼女の足跡は地面に吸い込まれ、すぐに形を失っていく。  
「消えてしまうのね。何を残しても、この国では。」  
リラがぽつりとつぶやく。  
「風が運んでいく。死も、生も、同じように。」  
カイルの返事は淡々としていた。  
「それでも、歩き続けるのね。」  
「止まる理由がないだけだ。」  

リラは小さく息を吐いたあと、少し笑った。  
「あなたの言葉って、時々すごく寂しい。」  
「人付き合いが得意ではないんでな。」  
軽く冗談めかしたつもりだったが、リラは真剣な表情でカイルを見つめていた。  
灰色の世界の中で、その瞳だけがまるで別の色をしている気がした。  

教会に戻ると、天井の穴から薄い光が落ちていた。  
朝の灰がキラキラと舞い、それはまるで雪のようでもあった。  
リラはその下で両手を広げ、静かに祈りを捧げる。  
「ありがとう」  
「何に対して?」  
「今朝、私を守ってくれたこと。あなたの剣がなかったら、私はもうここにはいられなかった。」  
カイルは黙って頭を振った。  
「護衛をしただけだ。それ以上でも以下でもない。」  
「でも、あなたは命を惜しまず戦ってくれた。もうそれだけで、十分神の祝福を受ける資格があると思う。」  
「神か。」  
カイルは教会の崩れた壁の方を眺めながらつぶやく。  
「この国が滅びるまで、神は何もしなかった。それでもまだ祈れるのか。」  

リラは答えず、ただ笑顔を浮かべた。  
それは悲しみを包み込むような、優しい笑みだった。  
「祈りはね、誰かを許す方法なの。」  
「許す?」  
「世界でも、人でも、自分でも。許すことができなければ、光のほうへ行けなくなるから。」  

その言葉に、カイルの喉がひとつ鳴った。  
彼はかつて一度も祈ったことがない。いや、祈れなかった。  
戦火の中で燃える街を背に、あの日、彼は確かに神を見限ったのだった。  
(それでも、俺は誰かを許せるだろうか……)  
胸の奥に凍りついた何かが、わずかに動いた気がした。  

昼が過ぎ、教会の鐘楼跡で風が鳴った。  
リラは古びた壺に水を汲みに外へ出ていく準備をしていた。  
「カイルさん、手伝ってもらえるかしら?」  
「構わない。」  
「井戸は東の丘のほう。少し歩くけど、風が気持ちいいわ。」  

二人は崩れた街を抜け、丘に向かって歩いた。  
周りにはもう家の形すら残っていない。  
それでも、リラは土に咲いた小さな草花を見つけるたびに立ち止まり、微笑んでいた。  
「まだ、生きてるのね。」  
「こんな土地でもか?」  
「生きるって、根を張ることなのね。光がなくても、そこに立とうとする。」  
「……そういう強さは、俺にはない。」  
「でも、剣を振るって守る強さはある。どちらも生きるための力よ」  

リラの言葉は不思議な力を帯びていた。  
彼女の声を聞いていると、滅んだ街でさえ少しだけ息をしているように思えた。  
それが祈りというものなのかもしれない、とカイルはふと思った。  

丘の上に小さな井戸が残っていた。  
石を積んだだけの粗末なもので、周囲の地面には無数のひびが走っていた。  
リラが桶を垂らすと、かすかな水音が底のほうから響いた。  
「まだ水が残っているのか……奇跡だな。」  
「神様が見放していないってことよ。」  
カイルは思わず苦笑した。  
「そう思うか?」  
「ええ。だって、私たちが生きてここに立っているんだもの。」  

そのとき、背後から軽い風音がした。  
リラの足元の灰が小さく舞い上がる。  
カイルは反射的に剣の柄に手をかけた。  
灰の雲がざわりと揺れ、その中から一つの影が飛び出した。  
瞬間、カイルはその前に立ちはだかる。  
鈍い衝撃、刃と牙がぶつかり合う音。  

灰の獣――灰狼だった。  
骨のような体、空洞の目、喉からは煙のような息が漏れている。  
リラが息を呑む。  
「やっぱり出た……。このあたりにも棲んでいるのね。」  
「下がれ!」  
カイルが叫びざま剣を振るう。  
鋼が灰を裂き、光のような弧を描いた。  
獣の身体が二つに割れ、灰の霧になって弾けた。  

静寂が戻る。  
風が灰を巻き上げ、ふたたび空に返していった。  
リラは膝をつき、胸に手を当てて祈る。  
「帰っていったのね。苦しみから。」  
カイルは剣を拭いながらその様子を見つめた。彼女の祈りは、まるで灰さえ浄めるようだった。  

「……あの魔物も、人だったのか?」  
「たぶん。灰に還れず迷った魂。だから、あなたの剣が彼を導いた。」  
「俺の剣が?」  
「そう。あなたの中にも祈りがあるの。」  

ふとカイルは、井戸の向こうに目をやった。  
崩れかけた街並みの彼方に、黒い煙のようなものが見えた。  
風に乗っているが、形ははっきりしている。まるで、誰かが意図して灯した狼煙のように。  
「……あれは?」  
リラも顔を上げる。  
「廃城のほうね。あそこには、かつての王が……」  
言葉を切り、リラの表情が陰った。  
「王が?」  
「いいえ……あの場所は呪われているの。死者の魂を眠らせる墓塔。近づくと誰も帰ってこないと言われてる。」  

カイルの胸に小さな痛みが走った。  
死者を眠らせる墓塔、それは彼がかつて守ると誓った国王の墓でもあるのだろうか。  
「……行かなければならない気がする。」  
「カイルさん?」  
「俺がこの国でやり残したことがあるのなら、きっとあの場所にある。」  

リラは井戸の脇で立ち尽くしたまま、しばらく黙っていた。  
その後、ゆっくりと口を開いた。  
「なら、私も行くわ。」  
「駄目だ。危険すぎる。」  
「この国を救いたい。私だけが祈っても届かない場所がある。あなたとなら、届くかもしれない。」  

そのまっすぐな視線に、カイルは言葉を失った。  
リラは壺を抱きしめながら、小さな声で続ける。  
「私は、この国の最後の聖女なの。」  

風が止まった。  
時間も動かなくなったような静けさの中、カイルはその言葉を確かに聞いた。  
「……聖女、だと?」  
「そう呼ばれていた。でも、何もできなかった。国も、人も、みんな灰になった。だからせめてこの教会だけでも残したかった。祈りが絶えないように。」  
リラは目を閉じ、まつげの間からひとすじの灰が落ちていった。  

カイルは剣の柄を握ったまま、しばらく彼女を見つめていた。  
「なら、俺の役目は一つだ。」  
「え?」  
「聖女を護る。それが、最後の騎士に残された務めだ。」  

リラの表情が驚きに変わり、それからゆっくり笑みになった。  
「ありがとう、カイルさん。」  
「これは誓いだ。どんな闇が待っていようと、俺が君を光の先まで連れていく。」  

その言葉を聞いた瞬間、灰の空に一瞬だけ陽の光が射した。  
それはほんの短い間だったが、確かに二人の頬を照らした。  
滅びの国に、光が落ちる。  

(続く)
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