灰の国の聖女と、光を忘れた騎士

にゃ-さん

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第4話 亡国の聖女伝説

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火のような夕暮れが、灰の国の空を染めていた。  
赤ではない。燃え尽きた後のような鈍い橙。  
一見、夕陽に見えたが、それは陽の光ではなく、地中から吹き上がる魔の炎が空を照らしているのだった。  

カイルとリラは、教会の裏手に設けた小さな焚火のそばに座っていた。  
夜になると、気温が急激に下がり、灰の国の風は生者の肌を裂くように冷たい。  
焚火といっても、燃やす木など残っておらず、崩れた建物から拾い集めた破片をくべているに過ぎない。  

「明日、出発するのね?」リラが壺を抱えたまま、静かな声で言った。  
「廃城へ向かう。君が言っていたあの墓塔に。」  
「……そこに、何があると思う?」  
「確かめなければならない。俺がかつて戦った理由、その果てに待っていたものが。」  

リラは小さく頷いたが、その横顔には不安の色が浮かんでいた。  
彼女はそっと手を伸ばし、焚火の揺れる光に照らされたカイルの顔を見つめた。  
「ねえ、カイルさん。あなた、王に仕えていたのね。」  
「……昔の話だ。」  
「教えて。どんな王様だったの?」  

カイルは短く息をついた。  
空を仰ぐと、赤い雲の向こうに崩れかけた城壁の影がぼんやりと見える。  
「優しい人だった。戦を嫌い、民を愛した。だが、優しさだけでは国は守れなかった。」  
「あなたが剣を取ったのは、その王のため?」  
「ああ。信じていた。あの人が理想とした平和を、俺が叶えられると信じていた。」  

焚火の光が揺れ、カイルの瞳の奥に沈んだ後悔が映る。  
「あの王は最後まで戦を望まなかった。敵軍に包囲されても決して降伏しなかった。結果、この国は燃やされた。俺は最期まで戦場にいたが、守れたのは何もなかった。」  

リラはその言葉を静かに聞いていた。  
やがてゆっくりと口を開く。  
「その王様が、いま眠っているのね。あの廃城に。」  
「そう聞いた。俺が戦場から逃げ延びたときには、すでに遺体は運ばれていた。」  

ほのかな沈黙が流れた。  
リラは壺を膝に抱えたまま俯き、火の揺らめきをじっと見つめていた。  
「この国にはね、“亡国の聖女伝説”というおとぎ話があるの。」  
「聖女伝説?」  
「滅びゆく国には、必ず一人の聖女が現れる。彼女の祈りは滅びを止められないけれど、死者の魂を導くことができる。だから、その祈りが続く限り、国は死んでも消えない――そう言われていたの。」  

カイルは目を細めた。  
「つまり、君のことか?」  
リラは小さく笑って首を振る。  
「違うわ。私はただの人間。神の声なんて聞こえない。ただ、この国を好きだった人間のひとり。」  

その謙遜めいた言葉とは裏腹に、彼女の声には不思議な力があった。  
まるで、祈りそのものが言葉になっているようだった。  
風が彼女の髪を撫で、灰が光の粒のように舞った。  

「でも、不思議よね。あなたが来てから、風の色が少し変わった気がするの。」  
「気のせいだ。」  
「いいえ。あなたが剣を振るうたび、灰の中に光が生まれる。」  
リラはそう言って微笑んだ。  
「あなた自身が、灰の国の“騎士伝説”の続きかもしれないわ。」  

その言葉にカイルは返せなかった。  
焚火の火が消えかけ、灰がふわりと舞う。  
彼はゆっくりと立ち上がり、上空を仰いだ。灰色の空の向こうに、廃城の闇が横たわっている。  

「夜明けと同時に出る。休んでおけ。」  
「わかったわ。」リラは小さな声で答え、教会の中へ戻っていった。  
残されたカイルは一人、冷めゆく焚火に視線を落とす。赤い火が消えるたび、懐かしい顔が浮かんでは消えた。仲間たち。王の笑み。焼かれた街。全てが遠い幻のように揺らめく。  

胸の奥で何かが疼く。  
それは罪悪でも、後悔でもない。  
ただ、「まだ終わってはいない」という声がどこかで響いているだけだった。  

夜が明ける。  
灰色の朝靄の中、二人は教会をあとにした。  
リラは白いローブの襟を正し、前を向いて歩く。  
カイルは無言のまま、背を守るように彼女の後ろに続いた。  

夕暮れに見た炎のような空は、今は冷たく沈んだ鉛色。  
鳥の声ひとつ聞こえず、ただ灰風が吹くだけだった。  
廃城までは一日もあれば着く。道と呼べるものはないが、廃墟を目印に北東へ進めば、やがて城壁の影が見えるはずだ。  

途中、リラが足を止めた。  
「……カイルさん。あなた、夢を見る?」  
「夢?」  
「うん。眠っているとき、戦場の夢を見たりする?」  
「時々な。」  
「そのとき、昔の仲間は怒っているの?それとも、笑ってる?」  
「……どちらもだ。」  
カイルは一度だけ遠くを見た。  
「戦場では、笑う者も泣く者も同じ場所に埋まる。死んでも、そこに線は引けなかった。」  
リラの表情が曇る。  
「あなたがこんな国で旅を続けているのは、罰を受けるため?」  
「さあな。ただ、終わらせたいだけだ。きっと、それが俺に残された望みだ。」  

しばらく沈黙が続いた後、リラは小さく頷いた。  
「なら、私もその終わりを見届けたい。あなたが剣を置けるその日まで。」  

灰の風が吹き抜け、二人のローブを揺らす。  
丘を越えた先に、小さな集落の跡が現れた。  
瓦礫の上には朽ちた看板のようなものが残り、そこには「アルナ村」とかすれた文字が刻まれていた。  

「この村……覚えている。」  
カイルの声が低く響く。  
「ここで最初の戦が始まった。俺が最初に剣を抜いた場所だ。」  
リラは村の中央に立ち、崩れた井戸を覗き込む。  
「まだ水がある。」  
「この村の人々は、最後まで逃げなかった。王のために、信仰のために命を賭けた。だが、それも無駄だった。」  

そのとき、井戸の奥からかすかな光が差した。  
リラが身を乗り出す。  
「……光が?」  
カイルが覗き込むと、そこには古びた金属片のようなものが沈んでいた。形は剣の破片か、あるいは装飾の一部。  
底から微弱な光が漏れている。  
「これは……?」  
「王の加護石かもしれない。昔、聖女が王に渡したとされる祈りの証よ。」  
リラはそっと両手を組んでその上に祈りを捧げた。すると、光が一瞬だけ強まり、周囲の灰がほんのりと淡い金色に照らされた。  

「やっぱり。まだ、この国には祈りが残ってる。」  
リラがそう言ったとき、風の音が変わった。  
低い唸り、遠くで雷のような響き。カイルが顔を上げると、東の空の彼方に黒い影が立ち上っていた。  
「何かが……動いてる。」  

リラの手に握られた壺の光がゆっくりと弱まった。  
風が逆巻き、空に黒い筋が走る。  
瞬間、地面が震えた。  
灰色の大地がひび割れ、空気が熱を帯びる。  
「カイルさん!」リラが叫ぶ。  
「下がれ!」カイルは彼女を抱き寄せ、崩れる地面から飛び退いた。  

ひび割れの奥から現れたのは、燃え尽きた王冠の形をした影だった。  
それは炎とも煙ともつかぬ巨大な塊で、人の形を保ちながらも、顔は虚無の闇そのもの。  
「……まさか。」  
カイルの手が震えた。  
その目に映るのは、かつて仕えた王のシルエット。  

「あなたの……王?」リラの声がかすれる。  
カイルは剣を抜き、静かに構えた。  
「違う。これはもう、王ではない。亡国の怨念そのものだ。」  

灰の国が再び呻きを上げる。  
風が渦を巻き、空が赤く染まり始めた。  
リラが両手を組む。  
「お願い、カイルさん……あの方を救って!」  
「わかっている。」  

亡国の聖女と、名を捨てた騎士。  
二つの祈りが交わったとき、灰の中に確かな光が生まれた。  

(続く)
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