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「お母様! 今どきこんなドレス着てくる方なんていらっしゃいませんわ!」
主人に似た猫のような目を釣り上げ威嚇してくる我が娘。
「そうだな。全て君に任せる」
何を相談しても、任せる。忙しいを繰り返す我が夫。
思い起こせば、平凡で貴族の中でも埋没していた子爵家の三女が私。
見た目も何もかも、人混みに紛れてしまえば見つからないのが私。
そんな私は女性だけが通う学園で、卒業までした。
入学しても、見目麗しく実家が裕福な人から退学していく。婚約、結婚、それはこの学園では喜ばしい事で、笑顔で去って行くのだ。
残るのは、貧窮している家の娘とか更に上の学園へ行く為に勉強する人のみ。
一応、この学園を卒業すれば家庭教師として雇って貰う事が出来、更に上の学園へ行けば王宮での女官の道も開ける。
私は別に目的なんて無かった。両親も3番目の娘である私へは好きな人と結婚しても良いと言われていて、だけど好きな人も出来ずに学ぶ事の楽しさを知ってしまい淡々と通っていたら卒業してしまっただけ。
家庭教師の道や女官への道も進められたが、そこまでの熱意も無く卒業と同時に実家へ戻った。
「もう、いつまで居る気? 別に結婚しろとは言わないけれど、家でゴロゴロしているだけなのは駄目よ」
一番上の姉は婿を迎え、この子爵家の後継者。辛辣な物言いだが、顔を見れば心配しているのがありありと分かる。
「そうね、せっかく卒業までしたんだから、働きに行くのも楽しいかも」
「なら、私のお友達が娘に家庭教師を探しているらしいから、聞いてみるわ。
あぁ、無理にとは言わないから一度会ってから決めても大丈夫よ」
なんだかんだ言っても優しい家族に囲まれて、まったりと生きてきた。
姉の紹介で向かったのは、なんと公爵家の屋敷。
まるでお城のような豪華な屋敷に気後れしたが、
「あなたがネバイヤの妹さんね」
柔和な笑みを浮かべる公爵夫人との対面に、ドキドキしたのもつかの間。
「おかあちゃまー!」
天使が現れた。いや実際は公爵家の御令嬢なのだが、婦人と同じエメラルドのような瞳と金色に輝くふわふわな髪で、なかなかのインパクト。
無邪気に母親へ駆け寄る様は愛くるしいとしか言えない。
「せんせいになってくれるの?」
ちいさな天使の言葉に、しゃがんで目線を合わせ。
「えぇ、オリアーナ様の先生になりたいわ」
すんなり家庭教師として採用され、通いは大変だからと部屋も用意して頂き。少しやんちゃな天使との日々は楽しすぎて、私の天職は家庭教師なのね! と納得していた。
しかし殊の外、私の事を気に入って下さった公爵夫人からお見合いの打診をされたのは、貴族令嬢として行き遅れ確定した二十歳の時。
公爵の部下である子爵家の令息、後に夫となる彼とはこうして出会ったのだ。
2つ年上の22歳。
文官でありながら、体格に恵まれ一見すると騎士と見間違うが、剣の腕はそれほど高くはないらしい。
強面の無口、しかも背も高ければ体格も良い。実直で真面目、でも本人も結婚願望が無かったのか決まった相手は今まで居なかったらしい。
「どうしても断われなく、一度は顔を出したが君も嫌なら断ってくれて構わない」
「まぁ! そうでしたのね。なら私と一緒だわ」
初対面での会話で、すぐ話は流れるかと思ったのに、何故か公爵夫妻が乗り気で、出会いから僅か半年で結婚。
「どうしてかしら?」
「貴族の結婚なんて、こんなものだろう?」
教会の神の前で交わした言葉は今でも覚えている。
一緒に居ても苦痛では無いし、まぁいいかと流され18年。
「これ、いつもと同じようにサインして下さる?」
「あぁ」
内向けの事は私が取り仕切っているが、夫である彼のサインが必要な書類も多く。月末に纏めて渡し、サインを貰うのもいつも通り。
「さぁ、これで良いだろう」
夜は執務室で仕事をしている為、お茶を二人分入れて私はソファーに座りサインが終わるのを待つのもいつも通り。
書類を受け取り、手早く纏めると、
「ありがとうございます。では、私は先に休ませて頂きます」
パタンと扉を閉めて、ドキドキする気持ちを悟られないように自室へ戻り。手元にある書類から一枚取り出した。
確認もしないなんて、本当に私の事に興味無いのね。
『離縁状』をじっと見つめ、部屋の隅に置かれたカバンの中に入れた。
「さて、働きますか」
今日からこの店は私の物だ。
こじんまりとした店内をぐるりと見渡して、まずは拭き掃除から始める。
元々老夫婦が営んでいたが、引き継ぐ者が居ないと聞いてから少しづつ準備をしていた。
天職かと思った家庭教師には戻れなかったが結婚してから趣味と呼べる物も、特に秀でた事が無かった私に目標が出来た事が何より嬉しい。
掃除を終えて小さなカウンターの中にある椅子に腰掛けると、カウンターの隅に置いた時計を見た。
この時計は、夫の母から贈られた物。
『これは主人のお祖母様から頂いた置き時計なの。とても大切にしていたのよ、でも貴女に貰って欲しいわ』
古びた時計だが、きちんと手入れもされ大切にしていた事が分かった。
『そんな大切な物を頂けません』
そう言った私へ、義母はコロコロと笑うと。
『これはね、仕掛け時計なの。ほら』
カチャカチャと模様だと思っていた木を動かせば、小さな空間がある。
『ここに大切な物を入れておくの。私はずっとこの指輪を入れていたのよ』
中から取り出された指輪は、私から見てかなり高価な物だと分かる。
『これを売り、贅沢しなければ二、三年は暮らせるわ。
どうしても我慢出来なくなったら、これを持って行きなさい』
中に指輪を戻し、またカチャカチャと動かせば仕掛け時計は普通の置き時計へと戻った。
優しかった義母は、夫と同じ無口な義父と仲は良く。そんな二人が馬車の事故で亡くなったのは結婚して10年目の事。
あれから何度も時計を見て過ごしてきた。嬉しい時も悲しい時も。
娘が婿を迎え結婚した時に、ふと私は自分のこれからの姿が想像出来なかった。
秒針が少しづつ時を刻む、このままこの場所で?
なんとはなしに置き時計を眺めていたその時、時計が時を止めた。
古い仕掛け時計を直せる店を探して、辿り着いたのが老夫婦の店だった。
今は作る人も少ないと話を聞きながら、小さな工房を教えてくれた。
『これ直りますか?』
『直したいから来たんじゃないのか?』
まかさ、そんな風に言われるとは思わなかった私は、何を言えば良いか分からず立ちすくむ。
『コラ! そんな言い方あるか!』
この小さな工房は老夫婦の店に商品を置いており、古い美術品などの修繕もしているらしい。
『店じまいすると聞いてから、客が直接来るようになって迷惑してるんだ』
そんな話を聞きながら、複雑な細工時計だから直すのに一ヶ月かかると言われ預けて工房を出た。
一ヶ月。娘への引き継ぎもほぼ終わり、あとはあの夫と…
ぼんやり考えていたが急に。そう唐突に嫌だと思い、老夫婦の店へ向かっていた。
『このお店、私へ譲って頂けませんか! きちんとお金はお支払いします』
きょとんとした老夫婦は、お茶でも一緒にと、店の看板を下げて奥の部屋に招き入れてくれた。
自分でも説明出来なかったが、何故かこのままで居たくない。私だけの居場所が欲しいと話したが、今考えると支離滅裂な話を二人はじっと最後まで聞いてくれた。
『店じまいするつもりだったが、タダとは言えないが店を任せても良い。
しかし、中途半端になる位なら、止めといた方が良い』
やんわりと断われたが、
『教えて下さい! 私が無知なのは私自身が知っています。学んだその後で判断して頂けないでしょうか?』
頭を下げた私へ、老夫婦は苦笑いしながらも週に一度は店へ顔を出す事を条件に、お店を任せられるか判断する。と言われた。
それから一年間。毎週通いながら色々な事を学ばせて頂いた。工房とお客様の橋渡し役でもある小さな店。
『最初は続かないだろうと思っていたけども、今のあなたなら安心して任せられるわ』
にっこり笑う奥さんと後ろで小さく頷く旦那さんに、柄にもなく泣いてしまったけれど。
私の身元は薄々分かっていたのに、何も聞かずに居てくれた事に感謝しながら。
老夫婦が故郷へ帰るのを見送り、その足で離縁状を出した。
異議申立てがあるかと思ったが、離縁は成立したと手紙が届いたのは、提出してから一週間後の小雨が降る肌寒い日だった。
掃除を済ませると買ってきたパンをカウンターの中にある小さなテーブルに置き好きな紅茶を入れて、ほっと一息つく。
外から聞こえる喧騒も、全てが今までとは違う。
ゆっくりとパンを咀嚼しながら、置き時計を見ればお昼の時間はとうに過ぎ。近いうちに誰かを雇わなければ、いや、暫くは一人で良いかと考えを巡らす。
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「先生! 本当に実行なさったのね!」
思考の海に沈んでいた私は一気に現実へと戻る。
「まぁ、侯爵夫人が大声を出すなんて」
「今は敬愛する先生に会いに来ただけの小娘ですわ!」
コロコロ笑う姿は、いつか見た公爵夫人とよく似た眼差しだ。
「護衛はどうしたの? まさか一人で来たんじゃないでしょうね?」
「大丈夫よ、今日は主人と来たの」
「こんにちは子爵夫人、いや、もうルーチェ殿と呼んだ方が良いのかな」
優しげな雰囲気の男性は、侯爵であり。隣では教え子であった侯爵夫人になったオリアーナ様が店内をキラキラした瞳で見ていた。
オリアーナ様とは私が結婚した後も手紙での交流は続いていた。その彼女が結婚後にしたためた一通の手紙が私へ届いた。
『先生、お願いがあるの。先生が私の為に下さった手紙を本にしたいの』
私が結婚して、唯一の心残りがオリアーナ様の事だった。
色々な事に興味があるオリアーナ様は、じっと机に座り授業を受ける事が苦手であった。が、自分の興味がある事へ向ける貪欲な知識欲を、私は好ましく思っていた。
新しい家庭教師とは上手くやっているが、話が脱線すると先生みたいには教えてくれないと、少し拗ねたような手紙を読んで思い出す。
『ねぇ、先生。なんで?』
キラキラした瞳で見上げた彼女を頭に浮かべながら、手紙に書かれていた気になった事を小さな頃は絵を添えてお返事を返していた。
最初は本と聞いて意味が分からなかったが、オリアーナ様が結婚した相手はあのアデルモ侯爵と知り、まさかあの手紙を見せたのかと慌てて会いに行った。
「アーナからあなたのお話は聞いています。あの手紙をアーナ一人が見ているなんて勿体ない」
「あれは、オリアーナ様が気になったと言った事へのお返事で」
学園へ入る年齢になれば教材はある。しかし、幼少期に教わるのは基本的な事だけで、あとは家庭教師の力量で決まっていた。
でも、オリアーナ様はいきなり庭へ向かい走りキラキラした瞳で問いかけるのが、本当に可愛くて一緒に庭へ出ては、地面に座り込み花を、虫を、空を観察していた。
自分にも娘が産まれオリアーナ様と同じように、娘のナゼ?に付き合ったのも本当に良い思い出。
「絵も添えられ、大人が読んでも新たな発見がありました。本にして色々な方に学ぶ楽しさを知って頂きたいのです」
大きな新聞社を経営するアデルモ侯爵から、押し切られる形で手紙は本になった。
その利益の何割かを私へ振り込まれる事になったのも、今は有り難く思っている。
この店を貰い受ける資金も、本の収益で出す事が出来た。
まあ、その縁もあり離縁した事も店を貰い受けた事も話さねばならなくなったのは確かだけれど。
「サンドラにも言わなかったの? あの子は大好きな母親に甘えすぎだから良かったのかしら?」
「時期を見て、手紙を出すつもりでしたよ。でも小うるさい母親がいない方が気軽にしているかも知れないわね」
「あのサンドラが? 無いわよ。今でも覚えているわ、先生は私のお母様なんだからね!と腰に手を当て仁王立ちする姿の、なんと可愛かった事」
「あの時は本当にどうしようかと」
「いいのいいの。サンドラの気持ちも分かるわ、大好きな母親を取られたくなかったのよね」
ああ、そんな時期もあったわね。早めに連絡した方が良いのかしら?
立たせたままだと気づき、二人に椅子を勧めたが、立ち寄っただけだとすぐに帰ってしまった。
離縁してから半年。
一人でも何とか出来そうと思いながら、店の看板をCLOSEへ裏返した。
本の収益と店の売り上げで、一人で暮らすには充分な資金もある。
カウンターの中にある椅子に腰掛け置き時計を見れば、そろそろ来る頃かとドアへ目を向けた。
カランとベルが鳴り扉から入ってきたのは。
「マルロ様、お久しぶりです」
元夫である彼は、少し窶れただろうか?
まあ、今までも特に夫婦と言えど交流は最小限だったから、断言なんて出来ないが。
「何故、いきなり出て行った。もし戻るなら今回の事は目を瞑ろう」
「戻りませんわ」
「なに?…」
「だから、戻りませんと申しましたの」
あら、こんな顔も出来たのね。なんでびっくりしているのかしら?
「何か不満があったのか? 君は何も言わなかったじゃないか」
「えぇ、何も不満はありませんでしたが。もう貴族の妻の役割は終了したので、辞めさせて頂いただけですわ」
「君は私を好いていたのではないのか? やっとサンドラも結婚して二人でゆっくり過ごそうとしていたのに」
「好いておりません。それにアナタから好かれていた事もありませんでしたわよ」
あら、今日は本当に色々な顔が見られるわね。
「好いていない…」
「えぇ好いておりません」
固まったまま動かない目の前に居るマルロ様に、さてどうしましょうと困っていると。
「… また来る」
「お客様なら歓迎します」
にっこり笑って扉を開ければ、マルロ様はふらふらと出て行った。
オリアーナ様の家に押しかけた娘サンドラは、何とか私の居場所を聞き出し会いにきたのは一週間ほど前。
店へ来た娘は、私の顔を見ると抱きついて泣きじゃくった。
その時に、一度で良いから父親に会って欲しいと頼まれたから会ってみたが、特に何も私は感じる事は出来なかった。
18年。その間にマルロ様から愛していると言われた事は一度としてない。
「貴族の結婚なんて、こんなものだろう?」
マルロ様の言う通り貴族の結婚なんて、こんな物なのね。と、妙に納得して今まで生きてきた。
「今日はこの壺を買う」
「あの、先週も壺を買ったわよね? 確かにお客様ならと言ったけれど、毎週来なくても」
あの日から、毎週末に店へ通うマルロ様。
何か言う訳じゃなく、店にある商品を見ながら半刻ほどすれば、その時に目の前にある商品を買っていく。
「きみに…」
「何か仰った? よく聞こえなかったのだけれど」
「いや、何でも無い」
割れないように木箱へ壺を入れながら、ちらりとマルロ様を盗み見れば。口に手を当てながら、何か呟いている。
まさか今更、私が好きなんて言わないでしょう。
「ルー! この前頼まれたの修理終わったぞ」
「まぁ随分早く終わったのね、サンチャさん喜ぶわ!
ありがとうございますトーゴさん」
トーゴさんは私が置き時計を直す為に訪れた工房で働いている。初対面でぶっきらぼうな事を言われたけれど、今では彼の物言いにびっくりする事も無くなった。
私より少し若いが、工房主である父親の跡継ぎとして日々仕事に追われ、未だ独り身で、良い人は居ないのかとトーゴさんの母親から愚痴を聞いたのも数しれず。
「なんだ、あんた又来てたのか」
「客として来ているだけだ」
「客ねぇ」
トーゴさんとマルロ様の睨み合いに、はぁ…とため息を吐き出す。
「はい、お品物です。お買い上げありがとうございました。
トーゴさんは、少し待ってて。今から修理費用お支払いするわね」
「だそうだ、お客様はお帰り下さい。出口はほら、そこにあるだろ?」
「トーゴさん!」
「… じゃあまた来る」
哀愁漂うってきっと今のマルロ様の背中みたいな事を言うのね。
一人うんうんと納得していると、
「ルーは、元旦那が来る事に抵抗ないのか?」
「無いわね、悪い人でも無いし。
それより、この後にベルダさんの所へ行くなら夜にご飯取りに行くって伝えてくれる?」
「そりゃいいけど、やっぱり誰か雇った方が良くないか?
俺がいつも来る訳じゃねぇし」
「大丈夫よ。それよりベルダさんにちゃんと言ったの? 女性はね、言葉にしてくれないと不安になるのよ」
「あぁ… 分かってるよ。ずっと待たせちまったしな」
プイッと横を向いたトーゴさんにカウンターの中に準備していた小さなブーケを差し出した。
「はい、頼まれていた物よ」
「悪いな。さて、俺も腹を決めるか」
近所の食堂へ週の何回か通うようになり、その食堂で働くベルダさんは女一人で行く私を心配して、いつも声をかけてくれる優しい女性だ。
トーゴさんと偶然店で会い、ベルダさんと付き合っていると聞いた時はびっくりしたけれど。
「何でご両親に隠しているの?」
「正式に付き合おうと言った訳じゃないし、何となくズルズルとだしな」
その言葉に、私の何かがブチッと切れた。
「あんな素敵な女性、トーゴさんには勿体ないわ! そうだわ、鍛冶師のカルロさんがお嫁さんを探しているって聞いたし。ガラス職人のピーノさんも良いわね、あと」
「ちょ、ちょっと待てよ。正式には言って無いが俺たちはちゃんと付き合って!」
「ご両親へ言えないのに?」
「そ、それは…」
「あはははは! ルーチェさんて、意外とはっきり言うのね。大人しい人だと思ってたから。
そうね、不毛な関係を続けるより新しい出会いも素敵かも」
「ベルダ! 嘘だろ?なぁ俺はお前を…」
「私を何? お互い良い歳だし、はっきりしないあんたと未来は考えられないかも」
店内で話していた事を聞かれていたみたいで、ベルダさんに言われて情けない顔をしたトーゴさん。
「俺はお前が好きだ! 絶対別れないからな!」
「正式に付き合ってないのに?」
「ベルダ! 俺と付き合ってくれ!」
立ち上がりガバッと頭を下げたトーゴさん。ちらりとベルダさんを見れば、うっすらと瞳が潤んでいる。
「遅いよトーゴ…」
「ベルダ」
不安げな顔を上げたトーゴさんに抱きつくベルダさん。
「私もずっとトーゴが好き! やっと、やっと言えた」
抱き合う二人に、居合わせた客が歓声を上げる。
幸せそうな二人に嬉しさと、ほんの少しの羨ましさを隠して。私も二人へ拍手を送った。
「ルーには感謝してんだ、きっかけを作ってくれたしな。
まぁ、あれだ。今日はベルダを連れて親父達へ話してくる」
「その前にプロポーズね。ベルダさんに振られない事を祈るわ」
「絶対、ベルダを嫁にするさ」
ブーケを紙袋に入れて手渡せば、よし!と気合いを入れたトーゴさんは店を後にした。
きっとベルダさんは頷くだろう。二人の結婚式に出る日も近い。
静かになった店内。いつものようにカウンターの中の椅子に腰掛け置き時計を見た。
私は… いや。マルロ様と私は貴族の結婚だからと流されただけだったのだろうか?
愛があったかは答えられない、だけど情は確かにあった。
遮る事もなく、私の話を聞いてくれた日。
でも、返事も無く聞いていただけとも思った。
娘が産まれた日、初めて抱く我が子に嬉しそうだった。
でも、娘と遊んでくれた事はほとんど無い。
仕事、仕事、仕事…
浮気していた訳じゃない。ただ私の事も愛していた訳じゃ無かった。
考えるとやはりグルグル思考の海に溺れそうになる。
夕暮れ時、そろそろ店じまいをしようかと立ち上がると。
カラン、と扉に付けたベルが鳴った。
「まだ、開いてるか?」
「マルロ様?」
昼間に来たばかりのマルロ様が、何故こんな時間に?
「偶然、見てしまったんだ。君はアイツの事を好きなんじゃ無かったのか?
君が居ながら他の女性とも付き合うろくでなしなら、この俺が今から殴りに行ってやる」
興奮して話すマルロ様に、意味が分からず。じっと顔を見上げた。
「私に好いた方は居ませんが、誰かとお間違えではありませんか?」
「隠さなくても良い。君の事をルーなどと呼び親しい所を見せつけていたじゃないか!」
怒るマルロ様とは逆に、私は我慢出来ずに笑い出した。
「あはははは! もしかしてトーゴさんを見かけたの?」
「そうだ… 何故笑うんだ?」
「トーゴさんは素敵な女性とお付き合いしているわ。今日はプロポーズするって張り切って行ったわ」
「君は弄ばれたのか? ならば俺がやはり殴って…」
「ねぇ、どうしちゃったのよ。私、好いた方は居ないって言ったわよね。
それに、もし本当に私がトーゴさんを好きでもマルロ様には関係無いじゃない」
「それは… そうだが…」
先程の勢いは無くなり、項垂れたマルロ様を見て。
この人でも声を荒らげる事もあるのねと純粋に驚く。
「私達は別れたの。今更何故私へ執着するの?
18年、そう18年も一緒に暮らしたわ。
その間に私達は何を育んだの?
確かに私のやった事は許されないのかも知れない。罰を与えると言うのなら甘んじて受け入れるわ。
でも、あのまま暮らしていたら、私は私じゃなくなると思ったの。
マルロの妻、サンドラの母でしかない」
「ルーチェ…」
「あら私の名前、知っていらしたのね。
ここへ来て、私は私を取り戻したの。だからお願い、もう二度と店へ来ないで」
最後は笑顔でお別れしましょう。
「俺は… どうすれば良かったんだ」
「どの様に生きられるのか、それはマルロ様が決めて下さい。それではさようならマルロ様」
深く頭を下げると、カランと扉を開けた音。
静けさを取り戻した店内で一人頭を上げた。
いつも通りの日常が始まる。
あの日から、マルロ様が店へ来る事は無くなった。
お客様が居なくなると、カウンターの中にある椅子に座り。置き時計を眺めては、グルグルと思考の海に沈む。
もっと話し合えば良かった?
私が歩み寄れば良かった?
離縁してからの方がマルロ様の事を考える時間が多い事に笑ってしまう。
それでも日々は過ぎて、暑すぎた季節から徐々に寒さを感じる季節へと移り変わる。
秋晴れの日。
抜けるような空を見上げ、CLOSEからOPENへと開店を知らせる看板を裏返す。
いつもの定位置である、カウンターの中にある椅子に腰掛け、編みかけの毛糸に手を伸ばした。
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
「これを直して欲しい」
そこに居たのは一年ぶりに会うマルロ様。
「ここへは二度と来ないでと申しましたわ」
「何度も諦めようとした。君が元気なら良いと納得しようともした。
だが、これを直せるのは君しか…
いや、ルーチェしかいない。
やり直す事が難しいなら、友人にはなれないだろうか?」
そっとカウンターに置かれたのは、色褪せた懐中時計。
「まだ持ってらしたのね」
「あぁ、これは片時も離した事は無い」
結婚して一ヶ月。
珍しく早く帰宅したマルロ様を出迎えると、
『付き合いで買う事になった』
きれいに梱包された小さな箱を差し出された。
『これは?』
『ブローチだ。君は指輪はしないだろう?』
確かに、書類作成や手紙など指輪が邪魔で特別な日で無ければつけていない。
『ありがとうございます』
『あぁ』
振り返る事も無く、屋敷の中に入る後ろ姿を見送り。
自室へ戻り包みを開ければ、ヒマワリの花を模したピンブローチだった。
胸元に当てて鏡を見れば、嬉しそうに笑う自分が映っていた。
私も何かプレゼントをしたくて、時間を見つけては色々な店を見て回った。
その時に見つけたのが、目の前にある懐中時計。
ヒマワリのレリーフがあるも男性が持っていても華美にならない模様。
「色々な店へ聞いてみたが、かなり古い物で分解してしまうと直せるか保証出来ないと言われた。
その中の一店で、君の店へ見せてみてはと言われたんだ」
「私も職人さんへ聞いてみなければ返答は出来ません」
置かれた懐中時計を見つめる。
大切? 何が? 時計が?
「ルーチェ… 思い出だけでも覚えている事を許してはくれないだろうか?」
「何のお話ですか」
顔を上げるとマルロ様と視線が交わう。
「愛していたんだ。ルーチェ君の事を愛しているんだ」
初めての告白に頭の中では色々な言葉が浮かぶのに、口に出す事が出来ない。
「今更と笑ってくれて構わない、嫌いだと突き放しても良い」
「貴族の結婚なんて、こんなものだろう? とマルロ様は仰りましたわ」
拗ねている訳じゃない、自分もそう思い生きて来た。だからマルロ様だけを責めてもいない。
「あぁ… 今でもそう思っている。だが、君が居なくなって寂しいんだ。
勝手な男だろ? 従順だった君は俺を好きなんだと思っていた。
嫌なら断るだろうと、でも結婚もして娘も生まれ、屋敷へ帰れば迎えてくれる君が居た。
離縁状が提出されたと知らせの手紙を読んでも特に何も思わなかった。
女性一人では生きられない、仕事しかしてこなかった俺への嫉妬だと、後で迎えに行けば良いと軽く考えていた。
しかし実家へ戻ってもいない、俺は君の親しい友人すら知らなかった。
やっと会えた君に、好いていないと言われて初めて自分の気持ちに気づいた」
愛して欲しかった?
私はマルロ様をちゃんと見ていた?
貴族の結婚なんてと、マルロ様の言葉に誰より安心して、逃げ道を作っていたのは私?
「分かりません。自分の気持ちがぐちゃぐちゃで何てお返事するべきか分かりません。
でも、時計はお預かりします。またご連絡を致しますので今日はお引き取り願います」
「そうだな… 分かった。連絡を待つ事にしよう。じゃあ」
ゆっくり背を向けたマルロ様をただ黙って見送った。
夜、ランプの灯る一人の部屋で机に向かうと、心の内を曝け出すよう思うままに文字を綴った。
「よぉ、やっと直ったぞ。それにしても長年やってた親父ですら、見た事が無かったって代物。一体誰が持ってたんだ?」
木箱に納められた懐中時計を見れば、修理は勿論。剥げかけたメッキも綺麗に修復されて当時を思い出す。
「マルロ様の懐中時計よ。私がプレゼントしたの」
「じゃあ時計を渡した時期は仲が良かったんだな」
トーゴさんへ曖昧に微笑めば、それ以上何も言わずにいてくれた。
料金を支払い、一人になった店内で懐中時計を箱から取り出す。
心の整理は出来た。修理が終わったら言おうと最初から決めていた言葉を心の中で呟いた。
時計の修理が終わった旨と話があるとマルロ様へ手紙を書けば、もう後戻りは出来ない。
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「手紙が届いた」
どこか諦めたように笑うマルロ様を奥の母屋へと招き入れる。
「お品物をお確かめ下さい」
対面のソファに座るマルロ様へ、テーブルの上へ木箱を置く。
「本当に直ったんだな… ありがとう」
ゆっくり木箱を持ち上げて、蓋を開ければ綺麗になった懐中時計を取り出した。
「マルロ様。少しだけ私の話を聞いて頂けますか?」
懐中時計を丁寧に木箱へ戻すと、マルロ様は私を見てゆっくり頷いた。
「結婚して18年も一緒に居たのに、私はマルロ様の事を知らないと気付きました。
逃げ続けた先に未来が無いのは、当たり前だったのだと今なら理解出来ます。
マルロ様の妻と言う立場、私は初めから不釣り合いだったのでしょう。
自分を見失い、勝手に出て行った事をお詫び申し上げます」
頭を下げ、どんな言葉も私は受け入れなければならない。
「俺は妻なんて飾りのようなものと考えていた。
家を取り仕切り、仕事の邪魔にさえならなければ、誰でも良かったんだ」
はっとして顔を上げれば、苦笑いするマルロ様。
「この見た目で剣も碌に扱えないと何度も陰口を言われた。
いや、聞いているのを分かっていながら言ってたのかも知れない」
学生時代の話だろうか、初めて聞くマルロ様の気持ち。
「だから、文官になり公爵から直々に声をかけられた時は本当に嬉しかった。
それからは仕事が一番大切で、追い抜かれないよう必死に勉強もしたよ」
そうだった。マルロ様の部屋はいつでも誰よりも遅くまで灯りが付いていた。
「君を紹介されるきっかけも、仕事ばかりの俺を心配した閣下からの話だったんだ。
熱心に進められて会った印象も悪くない、それからは君も知っている通り俺は前よりもっと仕事へのめり込んだ。
その他の事は、全て君に任せられたのも大きいと今なら分かるけどな」
「私は… 嬉しかったわ。うん、家の事は全て君に任せると言われて嬉しかったの」
どうして忘れてしまっていたのだろう。
特別社交が上手い訳じゃ無かった、それでも自分なりに努力した。
「ルーチェ…」
「それより何故懐中時計をずっと持っていたのですか?
あの当時はお互い貴族の結婚だからと流されていただけなのに」
「笑わないか?」
マルロ様が少しだけ下を向き私から視線を反らした。
「聞いて判断しますわ」
「初めて女性からプレゼントされたんだ。
義理だと自分で言い聞かせたが、君はいつも笑顔で俺を受け入れてくれたから…
本当は、あ、愛されているのではないかと懐中時計を見る度に嬉しかった」
笑えない…
これは私は笑えないわ。
「マルロ様…」
「いや、笑ってくれ。俺は長年勘違いをしていたんだ。
そうだ! あれ、あれは母が大切にしていた時計だな」
話し合いをするつもりで、部屋に持ってきた置き時計を見た。
「はい。私の大切な宝物が入っています」
「宝物? 時計が?」
意味が分からないと首を傾げたマルロ様に、私は置き時計を取りにソファから立ち上がる。
手に取るとカチャカチャと模様を動かすと、マルロ様がびっくりした顔をしている。
私は最後の模様を動かし中に入っている物を取り出すと。
「これが私の宝物です」
そっと小さな化粧箱をテーブルへ置く。
「開けても?」
「はい」
マルロ様がゆっくりと蓋をあけると、中から出てきたのは。
「俺があげたブローチ…」
「はい」
マルロ様が私の為に選んだ初めての贈り物。
置いていくつもりだったのに、何故か手放す事が出来なかった。
「笑っても良いのよ」
「俺は諦めなくても良いのか? 君に… ルーチェに恋をしても許されるだろうか」
恥ずかしくて下を向いたままの私は、マルロ様の言葉に弾かれたように顔をあげた。
「マルロ様」
「これからは全力で口説いてみせる。俺は今まで何を見てきたんだろうな、君がこんなに素敵な女性だと気付かなかった」
笑顔のマルロ様を見て思い出した。
夜の執務室で私が淹れた紅茶を飲む時はいつも微笑んでいた。
「マルロ様が女性を口説く姿が想像できませんわ」
私の言葉に一瞬呆けた顔をしたが、
「そうかも知れないな。」
書類を受け取り確認すると、マルロ様は立ち上がった。
「手紙を書くよ、返事はルーチェが出したいと思った時で構わない」
「楽しみにしております」
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「郵便です」
「ご苦労さまです」
毎週マルロ様から手紙が届く。
仕事も徐々に減らしマルロ様は今、遠い北国へと独り旅をしている。
拝啓 ルーチェ様
今、私は幼い頃に憧れたアオギ山に来ている。
君に聞かれるまで忘れていたよ、昔は本が好きでずっと書庫にいた事を。
冒険者が修業したアオギ山は、確かに険しい道のりで小説の通りだった。
この険しくも美しい景色をいつか君にも見せたい。
君の幼い頃に憧れた事もいつか教えてくれるだろうか?
寒くなってきたので、風邪など気をつけるように。
敬具 マルロ
拝啓 マルロ様
マルロ様がこんなに行動的だと知りませんでした。
私の幼い頃に憧れた夢、今はまだ秘密にさせて頂くわ。
先日送った小包は届いたかしら?
マルロ様もお風邪などめされぬ様にご自愛ください。
かしこ ルーチェ
前略 ルーチェ
この前届いた小包は本当に俺への物か?
まさか中身が恋愛小説と思わなかった。
まぁ一応は読んだが、まさか君の理想なんて言わないよな。
冬が来る前に一度会いに行く。
草々 マルロ
お手紙拝啓しました。マルロ様
まぁ! あれはサンドラへ渡して下さいとメモを入れてありましたのに。
まさかマルロ様が読まれるとは思いませんでしたわ。
感想など、是非ともお聞きしたいと言ったら怒られるかしら?
再来週の定休日なら、店におります。
かしこ ルーチェ
ルーチェ
本当に感想を聞かれるとは思わなかったぞ!
あんなに恥ずかしくなるなら二度と恋愛小説なんか読まない。
来週の定休日はランチを一緒にしよう。迎えに行く。
マルロ
お手紙でまた笑ってしまいました。マルロ様
あんなにしどろもどろになったマルロ様を見れたのは初めての経験ですわ。
同封した小包は今度こそサンドラへ渡して下さいませ。
ランチなら近所に新しいお店が出来ましたの。
楽しみに待っております。
前に聞かれた私の幼い頃に憧れたのは
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
書きかけの手紙をカウンターに置いて立ち上がる。
この先はどうなるか分からない。でも流されて生きてきた人生も今は私の一部だと受け入れている。
カラン、新しい風が扉を開けるベルが鳴った気がした。
主人に似た猫のような目を釣り上げ威嚇してくる我が娘。
「そうだな。全て君に任せる」
何を相談しても、任せる。忙しいを繰り返す我が夫。
思い起こせば、平凡で貴族の中でも埋没していた子爵家の三女が私。
見た目も何もかも、人混みに紛れてしまえば見つからないのが私。
そんな私は女性だけが通う学園で、卒業までした。
入学しても、見目麗しく実家が裕福な人から退学していく。婚約、結婚、それはこの学園では喜ばしい事で、笑顔で去って行くのだ。
残るのは、貧窮している家の娘とか更に上の学園へ行く為に勉強する人のみ。
一応、この学園を卒業すれば家庭教師として雇って貰う事が出来、更に上の学園へ行けば王宮での女官の道も開ける。
私は別に目的なんて無かった。両親も3番目の娘である私へは好きな人と結婚しても良いと言われていて、だけど好きな人も出来ずに学ぶ事の楽しさを知ってしまい淡々と通っていたら卒業してしまっただけ。
家庭教師の道や女官への道も進められたが、そこまでの熱意も無く卒業と同時に実家へ戻った。
「もう、いつまで居る気? 別に結婚しろとは言わないけれど、家でゴロゴロしているだけなのは駄目よ」
一番上の姉は婿を迎え、この子爵家の後継者。辛辣な物言いだが、顔を見れば心配しているのがありありと分かる。
「そうね、せっかく卒業までしたんだから、働きに行くのも楽しいかも」
「なら、私のお友達が娘に家庭教師を探しているらしいから、聞いてみるわ。
あぁ、無理にとは言わないから一度会ってから決めても大丈夫よ」
なんだかんだ言っても優しい家族に囲まれて、まったりと生きてきた。
姉の紹介で向かったのは、なんと公爵家の屋敷。
まるでお城のような豪華な屋敷に気後れしたが、
「あなたがネバイヤの妹さんね」
柔和な笑みを浮かべる公爵夫人との対面に、ドキドキしたのもつかの間。
「おかあちゃまー!」
天使が現れた。いや実際は公爵家の御令嬢なのだが、婦人と同じエメラルドのような瞳と金色に輝くふわふわな髪で、なかなかのインパクト。
無邪気に母親へ駆け寄る様は愛くるしいとしか言えない。
「せんせいになってくれるの?」
ちいさな天使の言葉に、しゃがんで目線を合わせ。
「えぇ、オリアーナ様の先生になりたいわ」
すんなり家庭教師として採用され、通いは大変だからと部屋も用意して頂き。少しやんちゃな天使との日々は楽しすぎて、私の天職は家庭教師なのね! と納得していた。
しかし殊の外、私の事を気に入って下さった公爵夫人からお見合いの打診をされたのは、貴族令嬢として行き遅れ確定した二十歳の時。
公爵の部下である子爵家の令息、後に夫となる彼とはこうして出会ったのだ。
2つ年上の22歳。
文官でありながら、体格に恵まれ一見すると騎士と見間違うが、剣の腕はそれほど高くはないらしい。
強面の無口、しかも背も高ければ体格も良い。実直で真面目、でも本人も結婚願望が無かったのか決まった相手は今まで居なかったらしい。
「どうしても断われなく、一度は顔を出したが君も嫌なら断ってくれて構わない」
「まぁ! そうでしたのね。なら私と一緒だわ」
初対面での会話で、すぐ話は流れるかと思ったのに、何故か公爵夫妻が乗り気で、出会いから僅か半年で結婚。
「どうしてかしら?」
「貴族の結婚なんて、こんなものだろう?」
教会の神の前で交わした言葉は今でも覚えている。
一緒に居ても苦痛では無いし、まぁいいかと流され18年。
「これ、いつもと同じようにサインして下さる?」
「あぁ」
内向けの事は私が取り仕切っているが、夫である彼のサインが必要な書類も多く。月末に纏めて渡し、サインを貰うのもいつも通り。
「さぁ、これで良いだろう」
夜は執務室で仕事をしている為、お茶を二人分入れて私はソファーに座りサインが終わるのを待つのもいつも通り。
書類を受け取り、手早く纏めると、
「ありがとうございます。では、私は先に休ませて頂きます」
パタンと扉を閉めて、ドキドキする気持ちを悟られないように自室へ戻り。手元にある書類から一枚取り出した。
確認もしないなんて、本当に私の事に興味無いのね。
『離縁状』をじっと見つめ、部屋の隅に置かれたカバンの中に入れた。
「さて、働きますか」
今日からこの店は私の物だ。
こじんまりとした店内をぐるりと見渡して、まずは拭き掃除から始める。
元々老夫婦が営んでいたが、引き継ぐ者が居ないと聞いてから少しづつ準備をしていた。
天職かと思った家庭教師には戻れなかったが結婚してから趣味と呼べる物も、特に秀でた事が無かった私に目標が出来た事が何より嬉しい。
掃除を終えて小さなカウンターの中にある椅子に腰掛けると、カウンターの隅に置いた時計を見た。
この時計は、夫の母から贈られた物。
『これは主人のお祖母様から頂いた置き時計なの。とても大切にしていたのよ、でも貴女に貰って欲しいわ』
古びた時計だが、きちんと手入れもされ大切にしていた事が分かった。
『そんな大切な物を頂けません』
そう言った私へ、義母はコロコロと笑うと。
『これはね、仕掛け時計なの。ほら』
カチャカチャと模様だと思っていた木を動かせば、小さな空間がある。
『ここに大切な物を入れておくの。私はずっとこの指輪を入れていたのよ』
中から取り出された指輪は、私から見てかなり高価な物だと分かる。
『これを売り、贅沢しなければ二、三年は暮らせるわ。
どうしても我慢出来なくなったら、これを持って行きなさい』
中に指輪を戻し、またカチャカチャと動かせば仕掛け時計は普通の置き時計へと戻った。
優しかった義母は、夫と同じ無口な義父と仲は良く。そんな二人が馬車の事故で亡くなったのは結婚して10年目の事。
あれから何度も時計を見て過ごしてきた。嬉しい時も悲しい時も。
娘が婿を迎え結婚した時に、ふと私は自分のこれからの姿が想像出来なかった。
秒針が少しづつ時を刻む、このままこの場所で?
なんとはなしに置き時計を眺めていたその時、時計が時を止めた。
古い仕掛け時計を直せる店を探して、辿り着いたのが老夫婦の店だった。
今は作る人も少ないと話を聞きながら、小さな工房を教えてくれた。
『これ直りますか?』
『直したいから来たんじゃないのか?』
まかさ、そんな風に言われるとは思わなかった私は、何を言えば良いか分からず立ちすくむ。
『コラ! そんな言い方あるか!』
この小さな工房は老夫婦の店に商品を置いており、古い美術品などの修繕もしているらしい。
『店じまいすると聞いてから、客が直接来るようになって迷惑してるんだ』
そんな話を聞きながら、複雑な細工時計だから直すのに一ヶ月かかると言われ預けて工房を出た。
一ヶ月。娘への引き継ぎもほぼ終わり、あとはあの夫と…
ぼんやり考えていたが急に。そう唐突に嫌だと思い、老夫婦の店へ向かっていた。
『このお店、私へ譲って頂けませんか! きちんとお金はお支払いします』
きょとんとした老夫婦は、お茶でも一緒にと、店の看板を下げて奥の部屋に招き入れてくれた。
自分でも説明出来なかったが、何故かこのままで居たくない。私だけの居場所が欲しいと話したが、今考えると支離滅裂な話を二人はじっと最後まで聞いてくれた。
『店じまいするつもりだったが、タダとは言えないが店を任せても良い。
しかし、中途半端になる位なら、止めといた方が良い』
やんわりと断われたが、
『教えて下さい! 私が無知なのは私自身が知っています。学んだその後で判断して頂けないでしょうか?』
頭を下げた私へ、老夫婦は苦笑いしながらも週に一度は店へ顔を出す事を条件に、お店を任せられるか判断する。と言われた。
それから一年間。毎週通いながら色々な事を学ばせて頂いた。工房とお客様の橋渡し役でもある小さな店。
『最初は続かないだろうと思っていたけども、今のあなたなら安心して任せられるわ』
にっこり笑う奥さんと後ろで小さく頷く旦那さんに、柄にもなく泣いてしまったけれど。
私の身元は薄々分かっていたのに、何も聞かずに居てくれた事に感謝しながら。
老夫婦が故郷へ帰るのを見送り、その足で離縁状を出した。
異議申立てがあるかと思ったが、離縁は成立したと手紙が届いたのは、提出してから一週間後の小雨が降る肌寒い日だった。
掃除を済ませると買ってきたパンをカウンターの中にある小さなテーブルに置き好きな紅茶を入れて、ほっと一息つく。
外から聞こえる喧騒も、全てが今までとは違う。
ゆっくりとパンを咀嚼しながら、置き時計を見ればお昼の時間はとうに過ぎ。近いうちに誰かを雇わなければ、いや、暫くは一人で良いかと考えを巡らす。
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「先生! 本当に実行なさったのね!」
思考の海に沈んでいた私は一気に現実へと戻る。
「まぁ、侯爵夫人が大声を出すなんて」
「今は敬愛する先生に会いに来ただけの小娘ですわ!」
コロコロ笑う姿は、いつか見た公爵夫人とよく似た眼差しだ。
「護衛はどうしたの? まさか一人で来たんじゃないでしょうね?」
「大丈夫よ、今日は主人と来たの」
「こんにちは子爵夫人、いや、もうルーチェ殿と呼んだ方が良いのかな」
優しげな雰囲気の男性は、侯爵であり。隣では教え子であった侯爵夫人になったオリアーナ様が店内をキラキラした瞳で見ていた。
オリアーナ様とは私が結婚した後も手紙での交流は続いていた。その彼女が結婚後にしたためた一通の手紙が私へ届いた。
『先生、お願いがあるの。先生が私の為に下さった手紙を本にしたいの』
私が結婚して、唯一の心残りがオリアーナ様の事だった。
色々な事に興味があるオリアーナ様は、じっと机に座り授業を受ける事が苦手であった。が、自分の興味がある事へ向ける貪欲な知識欲を、私は好ましく思っていた。
新しい家庭教師とは上手くやっているが、話が脱線すると先生みたいには教えてくれないと、少し拗ねたような手紙を読んで思い出す。
『ねぇ、先生。なんで?』
キラキラした瞳で見上げた彼女を頭に浮かべながら、手紙に書かれていた気になった事を小さな頃は絵を添えてお返事を返していた。
最初は本と聞いて意味が分からなかったが、オリアーナ様が結婚した相手はあのアデルモ侯爵と知り、まさかあの手紙を見せたのかと慌てて会いに行った。
「アーナからあなたのお話は聞いています。あの手紙をアーナ一人が見ているなんて勿体ない」
「あれは、オリアーナ様が気になったと言った事へのお返事で」
学園へ入る年齢になれば教材はある。しかし、幼少期に教わるのは基本的な事だけで、あとは家庭教師の力量で決まっていた。
でも、オリアーナ様はいきなり庭へ向かい走りキラキラした瞳で問いかけるのが、本当に可愛くて一緒に庭へ出ては、地面に座り込み花を、虫を、空を観察していた。
自分にも娘が産まれオリアーナ様と同じように、娘のナゼ?に付き合ったのも本当に良い思い出。
「絵も添えられ、大人が読んでも新たな発見がありました。本にして色々な方に学ぶ楽しさを知って頂きたいのです」
大きな新聞社を経営するアデルモ侯爵から、押し切られる形で手紙は本になった。
その利益の何割かを私へ振り込まれる事になったのも、今は有り難く思っている。
この店を貰い受ける資金も、本の収益で出す事が出来た。
まあ、その縁もあり離縁した事も店を貰い受けた事も話さねばならなくなったのは確かだけれど。
「サンドラにも言わなかったの? あの子は大好きな母親に甘えすぎだから良かったのかしら?」
「時期を見て、手紙を出すつもりでしたよ。でも小うるさい母親がいない方が気軽にしているかも知れないわね」
「あのサンドラが? 無いわよ。今でも覚えているわ、先生は私のお母様なんだからね!と腰に手を当て仁王立ちする姿の、なんと可愛かった事」
「あの時は本当にどうしようかと」
「いいのいいの。サンドラの気持ちも分かるわ、大好きな母親を取られたくなかったのよね」
ああ、そんな時期もあったわね。早めに連絡した方が良いのかしら?
立たせたままだと気づき、二人に椅子を勧めたが、立ち寄っただけだとすぐに帰ってしまった。
離縁してから半年。
一人でも何とか出来そうと思いながら、店の看板をCLOSEへ裏返した。
本の収益と店の売り上げで、一人で暮らすには充分な資金もある。
カウンターの中にある椅子に腰掛け置き時計を見れば、そろそろ来る頃かとドアへ目を向けた。
カランとベルが鳴り扉から入ってきたのは。
「マルロ様、お久しぶりです」
元夫である彼は、少し窶れただろうか?
まあ、今までも特に夫婦と言えど交流は最小限だったから、断言なんて出来ないが。
「何故、いきなり出て行った。もし戻るなら今回の事は目を瞑ろう」
「戻りませんわ」
「なに?…」
「だから、戻りませんと申しましたの」
あら、こんな顔も出来たのね。なんでびっくりしているのかしら?
「何か不満があったのか? 君は何も言わなかったじゃないか」
「えぇ、何も不満はありませんでしたが。もう貴族の妻の役割は終了したので、辞めさせて頂いただけですわ」
「君は私を好いていたのではないのか? やっとサンドラも結婚して二人でゆっくり過ごそうとしていたのに」
「好いておりません。それにアナタから好かれていた事もありませんでしたわよ」
あら、今日は本当に色々な顔が見られるわね。
「好いていない…」
「えぇ好いておりません」
固まったまま動かない目の前に居るマルロ様に、さてどうしましょうと困っていると。
「… また来る」
「お客様なら歓迎します」
にっこり笑って扉を開ければ、マルロ様はふらふらと出て行った。
オリアーナ様の家に押しかけた娘サンドラは、何とか私の居場所を聞き出し会いにきたのは一週間ほど前。
店へ来た娘は、私の顔を見ると抱きついて泣きじゃくった。
その時に、一度で良いから父親に会って欲しいと頼まれたから会ってみたが、特に何も私は感じる事は出来なかった。
18年。その間にマルロ様から愛していると言われた事は一度としてない。
「貴族の結婚なんて、こんなものだろう?」
マルロ様の言う通り貴族の結婚なんて、こんな物なのね。と、妙に納得して今まで生きてきた。
「今日はこの壺を買う」
「あの、先週も壺を買ったわよね? 確かにお客様ならと言ったけれど、毎週来なくても」
あの日から、毎週末に店へ通うマルロ様。
何か言う訳じゃなく、店にある商品を見ながら半刻ほどすれば、その時に目の前にある商品を買っていく。
「きみに…」
「何か仰った? よく聞こえなかったのだけれど」
「いや、何でも無い」
割れないように木箱へ壺を入れながら、ちらりとマルロ様を盗み見れば。口に手を当てながら、何か呟いている。
まさか今更、私が好きなんて言わないでしょう。
「ルー! この前頼まれたの修理終わったぞ」
「まぁ随分早く終わったのね、サンチャさん喜ぶわ!
ありがとうございますトーゴさん」
トーゴさんは私が置き時計を直す為に訪れた工房で働いている。初対面でぶっきらぼうな事を言われたけれど、今では彼の物言いにびっくりする事も無くなった。
私より少し若いが、工房主である父親の跡継ぎとして日々仕事に追われ、未だ独り身で、良い人は居ないのかとトーゴさんの母親から愚痴を聞いたのも数しれず。
「なんだ、あんた又来てたのか」
「客として来ているだけだ」
「客ねぇ」
トーゴさんとマルロ様の睨み合いに、はぁ…とため息を吐き出す。
「はい、お品物です。お買い上げありがとうございました。
トーゴさんは、少し待ってて。今から修理費用お支払いするわね」
「だそうだ、お客様はお帰り下さい。出口はほら、そこにあるだろ?」
「トーゴさん!」
「… じゃあまた来る」
哀愁漂うってきっと今のマルロ様の背中みたいな事を言うのね。
一人うんうんと納得していると、
「ルーは、元旦那が来る事に抵抗ないのか?」
「無いわね、悪い人でも無いし。
それより、この後にベルダさんの所へ行くなら夜にご飯取りに行くって伝えてくれる?」
「そりゃいいけど、やっぱり誰か雇った方が良くないか?
俺がいつも来る訳じゃねぇし」
「大丈夫よ。それよりベルダさんにちゃんと言ったの? 女性はね、言葉にしてくれないと不安になるのよ」
「あぁ… 分かってるよ。ずっと待たせちまったしな」
プイッと横を向いたトーゴさんにカウンターの中に準備していた小さなブーケを差し出した。
「はい、頼まれていた物よ」
「悪いな。さて、俺も腹を決めるか」
近所の食堂へ週の何回か通うようになり、その食堂で働くベルダさんは女一人で行く私を心配して、いつも声をかけてくれる優しい女性だ。
トーゴさんと偶然店で会い、ベルダさんと付き合っていると聞いた時はびっくりしたけれど。
「何でご両親に隠しているの?」
「正式に付き合おうと言った訳じゃないし、何となくズルズルとだしな」
その言葉に、私の何かがブチッと切れた。
「あんな素敵な女性、トーゴさんには勿体ないわ! そうだわ、鍛冶師のカルロさんがお嫁さんを探しているって聞いたし。ガラス職人のピーノさんも良いわね、あと」
「ちょ、ちょっと待てよ。正式には言って無いが俺たちはちゃんと付き合って!」
「ご両親へ言えないのに?」
「そ、それは…」
「あはははは! ルーチェさんて、意外とはっきり言うのね。大人しい人だと思ってたから。
そうね、不毛な関係を続けるより新しい出会いも素敵かも」
「ベルダ! 嘘だろ?なぁ俺はお前を…」
「私を何? お互い良い歳だし、はっきりしないあんたと未来は考えられないかも」
店内で話していた事を聞かれていたみたいで、ベルダさんに言われて情けない顔をしたトーゴさん。
「俺はお前が好きだ! 絶対別れないからな!」
「正式に付き合ってないのに?」
「ベルダ! 俺と付き合ってくれ!」
立ち上がりガバッと頭を下げたトーゴさん。ちらりとベルダさんを見れば、うっすらと瞳が潤んでいる。
「遅いよトーゴ…」
「ベルダ」
不安げな顔を上げたトーゴさんに抱きつくベルダさん。
「私もずっとトーゴが好き! やっと、やっと言えた」
抱き合う二人に、居合わせた客が歓声を上げる。
幸せそうな二人に嬉しさと、ほんの少しの羨ましさを隠して。私も二人へ拍手を送った。
「ルーには感謝してんだ、きっかけを作ってくれたしな。
まぁ、あれだ。今日はベルダを連れて親父達へ話してくる」
「その前にプロポーズね。ベルダさんに振られない事を祈るわ」
「絶対、ベルダを嫁にするさ」
ブーケを紙袋に入れて手渡せば、よし!と気合いを入れたトーゴさんは店を後にした。
きっとベルダさんは頷くだろう。二人の結婚式に出る日も近い。
静かになった店内。いつものようにカウンターの中の椅子に腰掛け置き時計を見た。
私は… いや。マルロ様と私は貴族の結婚だからと流されただけだったのだろうか?
愛があったかは答えられない、だけど情は確かにあった。
遮る事もなく、私の話を聞いてくれた日。
でも、返事も無く聞いていただけとも思った。
娘が産まれた日、初めて抱く我が子に嬉しそうだった。
でも、娘と遊んでくれた事はほとんど無い。
仕事、仕事、仕事…
浮気していた訳じゃない。ただ私の事も愛していた訳じゃ無かった。
考えるとやはりグルグル思考の海に溺れそうになる。
夕暮れ時、そろそろ店じまいをしようかと立ち上がると。
カラン、と扉に付けたベルが鳴った。
「まだ、開いてるか?」
「マルロ様?」
昼間に来たばかりのマルロ様が、何故こんな時間に?
「偶然、見てしまったんだ。君はアイツの事を好きなんじゃ無かったのか?
君が居ながら他の女性とも付き合うろくでなしなら、この俺が今から殴りに行ってやる」
興奮して話すマルロ様に、意味が分からず。じっと顔を見上げた。
「私に好いた方は居ませんが、誰かとお間違えではありませんか?」
「隠さなくても良い。君の事をルーなどと呼び親しい所を見せつけていたじゃないか!」
怒るマルロ様とは逆に、私は我慢出来ずに笑い出した。
「あはははは! もしかしてトーゴさんを見かけたの?」
「そうだ… 何故笑うんだ?」
「トーゴさんは素敵な女性とお付き合いしているわ。今日はプロポーズするって張り切って行ったわ」
「君は弄ばれたのか? ならば俺がやはり殴って…」
「ねぇ、どうしちゃったのよ。私、好いた方は居ないって言ったわよね。
それに、もし本当に私がトーゴさんを好きでもマルロ様には関係無いじゃない」
「それは… そうだが…」
先程の勢いは無くなり、項垂れたマルロ様を見て。
この人でも声を荒らげる事もあるのねと純粋に驚く。
「私達は別れたの。今更何故私へ執着するの?
18年、そう18年も一緒に暮らしたわ。
その間に私達は何を育んだの?
確かに私のやった事は許されないのかも知れない。罰を与えると言うのなら甘んじて受け入れるわ。
でも、あのまま暮らしていたら、私は私じゃなくなると思ったの。
マルロの妻、サンドラの母でしかない」
「ルーチェ…」
「あら私の名前、知っていらしたのね。
ここへ来て、私は私を取り戻したの。だからお願い、もう二度と店へ来ないで」
最後は笑顔でお別れしましょう。
「俺は… どうすれば良かったんだ」
「どの様に生きられるのか、それはマルロ様が決めて下さい。それではさようならマルロ様」
深く頭を下げると、カランと扉を開けた音。
静けさを取り戻した店内で一人頭を上げた。
いつも通りの日常が始まる。
あの日から、マルロ様が店へ来る事は無くなった。
お客様が居なくなると、カウンターの中にある椅子に座り。置き時計を眺めては、グルグルと思考の海に沈む。
もっと話し合えば良かった?
私が歩み寄れば良かった?
離縁してからの方がマルロ様の事を考える時間が多い事に笑ってしまう。
それでも日々は過ぎて、暑すぎた季節から徐々に寒さを感じる季節へと移り変わる。
秋晴れの日。
抜けるような空を見上げ、CLOSEからOPENへと開店を知らせる看板を裏返す。
いつもの定位置である、カウンターの中にある椅子に腰掛け、編みかけの毛糸に手を伸ばした。
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
「これを直して欲しい」
そこに居たのは一年ぶりに会うマルロ様。
「ここへは二度と来ないでと申しましたわ」
「何度も諦めようとした。君が元気なら良いと納得しようともした。
だが、これを直せるのは君しか…
いや、ルーチェしかいない。
やり直す事が難しいなら、友人にはなれないだろうか?」
そっとカウンターに置かれたのは、色褪せた懐中時計。
「まだ持ってらしたのね」
「あぁ、これは片時も離した事は無い」
結婚して一ヶ月。
珍しく早く帰宅したマルロ様を出迎えると、
『付き合いで買う事になった』
きれいに梱包された小さな箱を差し出された。
『これは?』
『ブローチだ。君は指輪はしないだろう?』
確かに、書類作成や手紙など指輪が邪魔で特別な日で無ければつけていない。
『ありがとうございます』
『あぁ』
振り返る事も無く、屋敷の中に入る後ろ姿を見送り。
自室へ戻り包みを開ければ、ヒマワリの花を模したピンブローチだった。
胸元に当てて鏡を見れば、嬉しそうに笑う自分が映っていた。
私も何かプレゼントをしたくて、時間を見つけては色々な店を見て回った。
その時に見つけたのが、目の前にある懐中時計。
ヒマワリのレリーフがあるも男性が持っていても華美にならない模様。
「色々な店へ聞いてみたが、かなり古い物で分解してしまうと直せるか保証出来ないと言われた。
その中の一店で、君の店へ見せてみてはと言われたんだ」
「私も職人さんへ聞いてみなければ返答は出来ません」
置かれた懐中時計を見つめる。
大切? 何が? 時計が?
「ルーチェ… 思い出だけでも覚えている事を許してはくれないだろうか?」
「何のお話ですか」
顔を上げるとマルロ様と視線が交わう。
「愛していたんだ。ルーチェ君の事を愛しているんだ」
初めての告白に頭の中では色々な言葉が浮かぶのに、口に出す事が出来ない。
「今更と笑ってくれて構わない、嫌いだと突き放しても良い」
「貴族の結婚なんて、こんなものだろう? とマルロ様は仰りましたわ」
拗ねている訳じゃない、自分もそう思い生きて来た。だからマルロ様だけを責めてもいない。
「あぁ… 今でもそう思っている。だが、君が居なくなって寂しいんだ。
勝手な男だろ? 従順だった君は俺を好きなんだと思っていた。
嫌なら断るだろうと、でも結婚もして娘も生まれ、屋敷へ帰れば迎えてくれる君が居た。
離縁状が提出されたと知らせの手紙を読んでも特に何も思わなかった。
女性一人では生きられない、仕事しかしてこなかった俺への嫉妬だと、後で迎えに行けば良いと軽く考えていた。
しかし実家へ戻ってもいない、俺は君の親しい友人すら知らなかった。
やっと会えた君に、好いていないと言われて初めて自分の気持ちに気づいた」
愛して欲しかった?
私はマルロ様をちゃんと見ていた?
貴族の結婚なんてと、マルロ様の言葉に誰より安心して、逃げ道を作っていたのは私?
「分かりません。自分の気持ちがぐちゃぐちゃで何てお返事するべきか分かりません。
でも、時計はお預かりします。またご連絡を致しますので今日はお引き取り願います」
「そうだな… 分かった。連絡を待つ事にしよう。じゃあ」
ゆっくり背を向けたマルロ様をただ黙って見送った。
夜、ランプの灯る一人の部屋で机に向かうと、心の内を曝け出すよう思うままに文字を綴った。
「よぉ、やっと直ったぞ。それにしても長年やってた親父ですら、見た事が無かったって代物。一体誰が持ってたんだ?」
木箱に納められた懐中時計を見れば、修理は勿論。剥げかけたメッキも綺麗に修復されて当時を思い出す。
「マルロ様の懐中時計よ。私がプレゼントしたの」
「じゃあ時計を渡した時期は仲が良かったんだな」
トーゴさんへ曖昧に微笑めば、それ以上何も言わずにいてくれた。
料金を支払い、一人になった店内で懐中時計を箱から取り出す。
心の整理は出来た。修理が終わったら言おうと最初から決めていた言葉を心の中で呟いた。
時計の修理が終わった旨と話があるとマルロ様へ手紙を書けば、もう後戻りは出来ない。
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「手紙が届いた」
どこか諦めたように笑うマルロ様を奥の母屋へと招き入れる。
「お品物をお確かめ下さい」
対面のソファに座るマルロ様へ、テーブルの上へ木箱を置く。
「本当に直ったんだな… ありがとう」
ゆっくり木箱を持ち上げて、蓋を開ければ綺麗になった懐中時計を取り出した。
「マルロ様。少しだけ私の話を聞いて頂けますか?」
懐中時計を丁寧に木箱へ戻すと、マルロ様は私を見てゆっくり頷いた。
「結婚して18年も一緒に居たのに、私はマルロ様の事を知らないと気付きました。
逃げ続けた先に未来が無いのは、当たり前だったのだと今なら理解出来ます。
マルロ様の妻と言う立場、私は初めから不釣り合いだったのでしょう。
自分を見失い、勝手に出て行った事をお詫び申し上げます」
頭を下げ、どんな言葉も私は受け入れなければならない。
「俺は妻なんて飾りのようなものと考えていた。
家を取り仕切り、仕事の邪魔にさえならなければ、誰でも良かったんだ」
はっとして顔を上げれば、苦笑いするマルロ様。
「この見た目で剣も碌に扱えないと何度も陰口を言われた。
いや、聞いているのを分かっていながら言ってたのかも知れない」
学生時代の話だろうか、初めて聞くマルロ様の気持ち。
「だから、文官になり公爵から直々に声をかけられた時は本当に嬉しかった。
それからは仕事が一番大切で、追い抜かれないよう必死に勉強もしたよ」
そうだった。マルロ様の部屋はいつでも誰よりも遅くまで灯りが付いていた。
「君を紹介されるきっかけも、仕事ばかりの俺を心配した閣下からの話だったんだ。
熱心に進められて会った印象も悪くない、それからは君も知っている通り俺は前よりもっと仕事へのめり込んだ。
その他の事は、全て君に任せられたのも大きいと今なら分かるけどな」
「私は… 嬉しかったわ。うん、家の事は全て君に任せると言われて嬉しかったの」
どうして忘れてしまっていたのだろう。
特別社交が上手い訳じゃ無かった、それでも自分なりに努力した。
「ルーチェ…」
「それより何故懐中時計をずっと持っていたのですか?
あの当時はお互い貴族の結婚だからと流されていただけなのに」
「笑わないか?」
マルロ様が少しだけ下を向き私から視線を反らした。
「聞いて判断しますわ」
「初めて女性からプレゼントされたんだ。
義理だと自分で言い聞かせたが、君はいつも笑顔で俺を受け入れてくれたから…
本当は、あ、愛されているのではないかと懐中時計を見る度に嬉しかった」
笑えない…
これは私は笑えないわ。
「マルロ様…」
「いや、笑ってくれ。俺は長年勘違いをしていたんだ。
そうだ! あれ、あれは母が大切にしていた時計だな」
話し合いをするつもりで、部屋に持ってきた置き時計を見た。
「はい。私の大切な宝物が入っています」
「宝物? 時計が?」
意味が分からないと首を傾げたマルロ様に、私は置き時計を取りにソファから立ち上がる。
手に取るとカチャカチャと模様を動かすと、マルロ様がびっくりした顔をしている。
私は最後の模様を動かし中に入っている物を取り出すと。
「これが私の宝物です」
そっと小さな化粧箱をテーブルへ置く。
「開けても?」
「はい」
マルロ様がゆっくりと蓋をあけると、中から出てきたのは。
「俺があげたブローチ…」
「はい」
マルロ様が私の為に選んだ初めての贈り物。
置いていくつもりだったのに、何故か手放す事が出来なかった。
「笑っても良いのよ」
「俺は諦めなくても良いのか? 君に… ルーチェに恋をしても許されるだろうか」
恥ずかしくて下を向いたままの私は、マルロ様の言葉に弾かれたように顔をあげた。
「マルロ様」
「これからは全力で口説いてみせる。俺は今まで何を見てきたんだろうな、君がこんなに素敵な女性だと気付かなかった」
笑顔のマルロ様を見て思い出した。
夜の執務室で私が淹れた紅茶を飲む時はいつも微笑んでいた。
「マルロ様が女性を口説く姿が想像できませんわ」
私の言葉に一瞬呆けた顔をしたが、
「そうかも知れないな。」
書類を受け取り確認すると、マルロ様は立ち上がった。
「手紙を書くよ、返事はルーチェが出したいと思った時で構わない」
「楽しみにしております」
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「郵便です」
「ご苦労さまです」
毎週マルロ様から手紙が届く。
仕事も徐々に減らしマルロ様は今、遠い北国へと独り旅をしている。
拝啓 ルーチェ様
今、私は幼い頃に憧れたアオギ山に来ている。
君に聞かれるまで忘れていたよ、昔は本が好きでずっと書庫にいた事を。
冒険者が修業したアオギ山は、確かに険しい道のりで小説の通りだった。
この険しくも美しい景色をいつか君にも見せたい。
君の幼い頃に憧れた事もいつか教えてくれるだろうか?
寒くなってきたので、風邪など気をつけるように。
敬具 マルロ
拝啓 マルロ様
マルロ様がこんなに行動的だと知りませんでした。
私の幼い頃に憧れた夢、今はまだ秘密にさせて頂くわ。
先日送った小包は届いたかしら?
マルロ様もお風邪などめされぬ様にご自愛ください。
かしこ ルーチェ
前略 ルーチェ
この前届いた小包は本当に俺への物か?
まさか中身が恋愛小説と思わなかった。
まぁ一応は読んだが、まさか君の理想なんて言わないよな。
冬が来る前に一度会いに行く。
草々 マルロ
お手紙拝啓しました。マルロ様
まぁ! あれはサンドラへ渡して下さいとメモを入れてありましたのに。
まさかマルロ様が読まれるとは思いませんでしたわ。
感想など、是非ともお聞きしたいと言ったら怒られるかしら?
再来週の定休日なら、店におります。
かしこ ルーチェ
ルーチェ
本当に感想を聞かれるとは思わなかったぞ!
あんなに恥ずかしくなるなら二度と恋愛小説なんか読まない。
来週の定休日はランチを一緒にしよう。迎えに行く。
マルロ
お手紙でまた笑ってしまいました。マルロ様
あんなにしどろもどろになったマルロ様を見れたのは初めての経験ですわ。
同封した小包は今度こそサンドラへ渡して下さいませ。
ランチなら近所に新しいお店が出来ましたの。
楽しみに待っております。
前に聞かれた私の幼い頃に憧れたのは
カラン、と扉を開けるベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
書きかけの手紙をカウンターに置いて立ち上がる。
この先はどうなるか分からない。でも流されて生きてきた人生も今は私の一部だと受け入れている。
カラン、新しい風が扉を開けるベルが鳴った気がした。
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