勘違いは加速する

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「そろそろ、この婚約も終わりか…」

学園の昼休み。婚約者のフィル様を見かけて声を掛けようと近づいた時に聞こえた言葉。

「シンシアちゃんには話したの?」

頭脳明晰。しかも侯爵家のお嬢様で漆黒の天使と呼ばれるほどの美貌を持つフィル様の幼馴染であるセラフィーナ様が座るベンチへ腰掛け、隣同士に座り顔を近づけて話しをしていた。


『ねぇ、フィル様とセラフィーナ様の噂はご存知?』

2学年上のフィル様の同級生の方々の話を聞いたのは入学してすぐの頃。

『公爵家のフィル様とセラフィーナ様は本当にお似合いよね。幼馴染でお互いを大切になさっているし、もうすぐ婚約発表があるらしいわよ』

まさか、でも…
モヤモヤしていたけど、確かに二人が並び立つと誰も入れない親密な雰囲気がいつもあった。

それからも、学園でフィル様を見かけては隣にいつもセラフィーナ様が居た。
ここ2ヶ月は大切な用事があると学園も休み、休日も会えない日々が続いていた。
だから、一人で歩く後ろ姿を見て追いかけたのが失敗だったのだろう。
私は来た道を引き返し、二人から遠ざかる。

「好き… でも、もう終わりね」

クヨクヨするのは性に合わない。よく考えなくても私がフィル様の妻なんて、どだい無理な話だったのよ。

おじ様へ手紙を書いて本国へ戻ろう。そうだ婚約解消する事と帰る事を両親へ報告しなきゃ。
よし、フィル様の幸せが一番よね。
浮かんでくる涙は止められ無いけど、お姉様が仰っていたわ!

『恋は女性を美しくするのよ、失恋も恋。だから次の恋はもっと美しくなるの』

お姉様は恋多き女性。別名夢見る乙女だとお兄様が仰っていたけど、今の私には次の恋が待っている。うん、きっとね。

午後の授業は胸の痛みがあると休んで、寮へ帰ると3通の手紙を書いて侍女へ渡した。


******

フィルは、愛しの婚約者が変な勘違いをしている事を知らずに舞い上がっていた。

本来なら結婚まで後2年あったがあの可愛らしいシンシアを一人学園へ残す等は考えられない。

幼馴染のセラフィーナには、どれほどシアが可愛らしいかを聞かせている。何故ならシアは隣国の第二王女で、彼女は身分を隠し同じ学園へ通っているからだ。

『フィル様と一緒の学園へ通いたい』

大きな瞳をキラキラさせて見上げるなんて、まさか俺を殺しに来てるのか…

身分を隠したのはシアの希望。王女と知られると変に気を使われてしまうからと言い、学年も違い生徒会もある為になかなか会えない。ゆくゆくは隣国へ行くので今のうちに顔を広げる事も必要なのだが。

二ヶ月前の事。

「シアが足りない…」

「うゎ! 気持ち悪い。変にカッコつけてシンシアちゃんと会ってるから、ちゃんと好意を口にしろとジェームズに怒られたんじゃない」

ジェームズは隣国の第一王子でシアの兄であり俺たちの幼馴染だ。辛辣な事を言うセラフィーナだが、お前も大概だろう。

「カスト殿から聞いたぞ、また飛竜を使って辺境まで会いに行ったらしいな」
「あら? 休日に何をしようがお兄様には関係無いわ。オリンド様に一分でも会えるなら、どんな事も全て些細な事よ」

30歳で未だ独身。筋骨隆々で強面と呼ばれる辺境伯に一目惚れしたセラフィーナは、目を爛々とさせていた。

「ヘタレなフィルには出来ないでしょ? ジェームズから学園では接近禁止されてるものね。私は禁止されていないけど」

オホホホー。口に手を当て優越感に浸るのは勝手だが、それなら俺も反撃しても良いよな。

「オリンド殿から手紙が来たんだが」
「オリンド様から? 内容は?」

肩をガッツリ掴まれそうになり思わず仰け反るが、パッと距離を取ると懐から手紙をワザとゆっくり取り出した。

「魔物が活性化していて、うちから私兵を貸して欲しいとの内容だ。勿論、俺も行くけどな。大切なシアの国との国境付近だ」
「私も行くわ! いつ出発?」

既に行く気満々なセラフィーナをフッと鼻で笑う。

「行ける訳無いだろう? 確か暫くは学園以外は外出禁止じゃなかったか?」
「っ! 何で知ってるのよ! お兄様ね…」

ギリリッと奥歯を噛み締めたセラフィーナだが、

「いや、ベッラ様から学園から抜け出さないように頼まれている」
「お母様…」

騎士団長の妻であり、セラフィーナの母。娘に甘い騎士団長と違い社交界の薔薇と呼ばれるベッラ様はセラフィーナより遥かに強い。口でも力でも敵わないのだ。

「ここで認められれば、俺の卒業と共にシアとの結婚が許される。何としてでも功績を上げる」

これが二ヶ月前の真実。


そして現在。

辺境へ行き黒龍を滅し無事にシアとの結婚を許された俺は最高のシチュエーションでプロポーズする為にセラフィーナ協力の元、計画を練っていたのだ。シアが偶然見ていたなど夢にも思わなかった。

******

新しい恋はまだ出来そうも無いけど、これまで顔を隠してきたメガネも前髪も、もう必要無いわ。

「姫様。やっぱり今のお姿がしっくり致します」
「ありがとうフランカ。せっかく隣国に居るんですもの、楽しい思い出をいっぱい作るわ!」

侍女のフランカは嬉しそうにシンシアの姿に目を細める。夜中、泣いていたのを見て話を聞いた時は殴りに行こうかと思ったが、シンシアから止められ泣く泣く止めたのだ。

「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃいませ」



「シンシアちゃん、お久しぶりね」
「は、はい。お久しぶりですセラフィーナ様」

誰も彼もが振り返る妖艶な美女。でも少し会いたくなかったな。

「もう、いつもみたいにフィーナねえ様って呼んでくれないの? それより変な変装は止めたのね。本当に可愛らしいわ!」

セラフィーナ様がギュッと私を抱きしめ、最初は身体に力が入ったけど。考えたら昔からフィーナねえ様は私に優しかった。
だから、フィル様もフィーナねえ様を好きになったのね。私みたいなお子様では最初からムリだったのよ。

「そう言えば、フィーナねえ様。そろそろ婚約が決まりそうとお聞きしましたが」
「そうなのよ! やっと認めさせたの。シンシアちゃんにも祝福して欲しいわ。卒業後すぐに結婚するの!」

チクリと胸に痛みがあるけど、本当に嬉しそうな顔を見ると自分の選択は間違って無かったと思う。

「おめでとうございます。私も心からお祝い致します」
「ありがとう。私の片思いかと思っていたのに、違ったのよ」

これ以上聞いたら、また泣いてしまいそう。

「あ、あのそろそろ教室へ行かないと」
「そうね。じゃあシンシアちゃんまたね」

セラフィーナ様と別れトボトボ教室へ向かいドアを開けると、何故か皆さんの視線が一気に向く。

「もしかしてシンシア?」
「ええ、ちょっと気分転換で髪型とか変えたんだけど… 変かしら?」

一番仲良しの子爵令嬢のジゼッラが私をマジマジと見てくるので、恥ずかしい。

「いや、前々から可愛らしいとは思ってたけど髪型とメガネを外しただけで妖精になっちゃうなんて」
「ジゼッラ、大げさよ。もう恥ずかしいわ」

火照った顔を見られたくなくて、両手で隠すけど。
ジゼッラはガバっと私を抱きしめて変な呪文を唱える。

「なになになに… この可愛い…」
「どうしたの?」
小首を捻り私より少し背が高いジゼッラを見ると、ウッと蹲ってしまう。

「ジゼッラ! 大丈夫?」
「ええ、ええ大丈夫よ。夢の国へ旅立つ所だったわ」
「もう! 本当に心配したのに!」

それから直ぐに担任が来て授業が始まった。


******

「フィル! あなたやっとシンシアちゃんの変なメガネを止めさせたのね!」
「ん? シアが変装を… 止めた…?」
「え? 知らなかったの? 今朝会ったらいつも通り妖精さんになっていたわよ」

あのシアが素顔を晒す? 誰をも魅力して止まない俺のシアが?

「何があったんだ…」
「それでね。何故か私とオリンド様との婚約まで知っていたの。もうそんなに噂になっているのかしら?」
「そんな事はどうでも良い。それよりシアが心配だ、護衛を増やすか? いや、王家から影を借りねばシアが危ない…」

あぁ、シアの周りに居る男どもを排除する方が先か。

「大切な用が出来た。今日は休む」
「ちょっと! どうしたのよ」

セラフィーナが何か言っていたが、それよりシアが心配だ。でも、何故急に変装を止めたのか。妙な胸騒ぎがして俺はシアの元へ急いだ。

******

「シンシア嬢、良ければ僕が次の教室まで案内しましょう」
「いや、私がその荷物を持つ栄誉を賜りたい」

皆さんどうしたのかしら? いつもは普通にして下さるのに。

「ちょっと! シンシアが怯えているのが分からないの?」
「そうよ、さぁ男は放っておいて女性だけで行きましょう」
「皆さん… ありがとう御座います。心優しい方々に囲まれて私幸せです」

ホゥ… 淑女の皆さんが口に手を当てたり目に手を当てたりしていますが、大丈夫でしょうか?

「私達が不埒な輩や危険な事には近づけさせません! 皆さま良いですか!」
皆さんの目が真剣そのもの、でも学園で危険なんて今まであったかしら?

いつも以上に囲まれて、でも初めてこの学園へ来た時も温かく迎えて下さった皆さんと楽しくワイワイ話しながら廊下を進むと、

「シア!」
「フィル様…」

一番会いたくて、でも会いたく無かったフィル様が走ってくる。

「ジゼッラ、皆さんごめんなさい」

それだけ言うとフィル様と逆方向へ走り出していた。

フィーナねえ様へは何とか笑顔を作りお祝いが言えたけど、フィル様へ言える勇気はまだ無い。
こんな心が狭い私は自分が嫌になるけど、今だけは許して欲しい。きっと二人の結婚式までには笑っておめでとうって言うから…


******

俺の妖精が居た。
シアの周りにはガッツリ女性達がガードしていたが、それでも俺の妖精を不埒な目で見る男どもが気に入らない。

「シア!」

驚いた表情を見せたあと、小さく俺の名前を呼ぶと踵を返し走り出した。

「待て! シア!」

「これはフィル様。殿方が淑女の名を大声で呼び、まして追いかける等」

同じ公爵家と言う家格で、年下ながら将来は王家へ嫁ぐ事が決まっているマヌエーラ嬢。シアの身分も俺が婚約者なのも知っているはずだが。

「マヌエーラ、俺はシアに話があるのだ。そこを退いて頂こう」
「いえ、退きませんわ。シンシア様から失恋したと聞いておりますのよ、さぁ彼女は誰に失恋なさったのかしらね?」

一体、何の話だ? それよりもシアだ、妖精が一人になるなんて誰かに連れ去られてしまう!

「もう良い。違う道から行く!」

訳が分からない。失恋? もしかして俺が知らなかっただけでシアは本当に好きな奴がいたのだろうか?
しかも、そいつはシアを振った?

固く握られた手に力が入る。誰であろうとシアを泣かせる奴は許せない!
例え、それにより俺がシアから離れようともシアの幸せが一番だ。

校内を走り探すも、シアの姿は無く。一縷の望みをかけ庭園の四阿へ行くと、虚ろな目で空を見上げるシアの姿が目に入った。


******

「シア… 探したよ」

振り向かなくても分かる。この声は、

「フィル様…」

「どうした? 何故逃げた」
「フィーナねえ様が婚約したと聞きました。卒業後すぐにご成婚なさるとも」

あぁ… 小さな声で肯定して私の隣に腰掛けたフィル様。少し距離を置こうと横へずれる。

「セラフィーナの押しに負けたんだよ」
「そうなのですね。本当におめでとうございます」

「そうだ、シアへ話があるんだが。今夜会ってくれるかい?
俺の気持ちを聞いて欲しい」

眉尻を下げ、少し俯きながら話すフィル様。やはり婚約解消の話なのよね…

「大丈夫ですわ! 私フィル様の幸せを一番に考えてます。だから心配なさらないで」

無理に笑おうとしたからなのか、それとも本当は離れたくないと思ったからなのか眼の前が歪む。

フィル様の大きな手が私の頬を撫で溢れ落ちた涙を拭う…

「そんなに思い詰めるほど…」
「い、いえ! 違います。少しだけ時間を頂きたいのです」

するりと手が離れると立ち上がり背中を向けられてしまった。

「分かった。では今度の休日には俺と話してくれないだろうか」
「はい。分かりました」

こちらを振り返る事無く立ち去る姿をじっと見つめた。
次の休日は3日後、それまでにはちゃんと笑っていられるようにしなきゃ。


******

「え? お兄様がいらっしゃるの?」
「はい。ちょうど辺境にいらっしゃったからと近々おいでになられます」

もう手紙を読んだのかしら? でもお兄様が来て下さるなら話が早いわ。
フィル様には、いつも笑って欲しいもの。

学園へ通えるのもあと僅か、優しくして頂いた皆様と別れるのは寂しいけど、仲睦まじいフィル様とフィーナねえ様を見続けられるほど私は強くないの…

*****

「セラフィーナ! お前何か知っているか?」
「え? 何の話?」
「シアに好きな奴が居たらしい、しかもソイツはあろう事かシアを振ったらしいんだ」

セラフィーナは哀愁漂う幼馴染を見て、ふむ。と考え教室をくるりと見渡した。

不自然に顔を背けた令嬢達。セラフィーナが辺境伯オリンド様を慕っているのは公然の秘密。だが一部令嬢はフィルとセラフィーナが結婚すれば、お互い興味が無い二人の間に割り込み第二夫人として自分達がフィルの寵愛が得られると勘違いしている。

フィルとシアの婚約は国の意向もあり公にはされていない。



その昔。隣国の王女が我が国へ輿入れした際に与えられた領地。我が国から言えば飛び地になり隣国の王家が代理で治めて、その収益の一部を我が国へ渡している。王女が生きていた頃は彼女が住む屋敷もあり、同時に資産であったが亡くなって既に500年以上。
飛び地で有るが故にその一部のみ他国とみなされ、そこに住む人々は不便を強いられてきた。そこで公爵家長男であり王家の血筋を持つフィルとシンシアの婚約が持ち上がったのだ。
両国は協議の末、二人がその地を治める事と新たに公爵家を立ち上げ隣国へ帰依する事が合意された。

と、表向きの話。事実は仲良し三人組な私の母とフィルの母、そしてジェームズの母がノリノリで話を纏めてしまったからだ。
三人でお茶をしている間、隣国王宮の広い庭で私達が遊んでいると、フィルは自分の母であるアジーア様の所へ行き、

「母上、僕はシンシアと結婚する」

シンシアと手を繋ぎニコニコするフィル。その姿を見たベッラが、

「シンシアもフィルが好きなのか?」
「うん! フィル兄様は優しいもの!」

母親達は知っていた。ジェロジーア公爵家のタチを。
ジェロジーア家の人間は、一度愛すると何があってもその愛を貫く。だからターゲットになったが最後、その執着は消える事は無い。
アジーア様が頭を抱える中、シンシアの母ステファニア王妃が瞳をキラキラさせた。

「フィルはシンシアが大好きなの? でも貴方はジェロジーア家を継がなきゃならないでしょ?
あの子は他国へ輿入れ出来ないの。シンシアをフィルの国へ嫁がせる訳には行かないわね」
「大丈夫です。僕には弟が居ます、僕が婿入りします!」
「そうね。シンシアに相応しい男性になるなら許しましょう」
「ステファニア様!」
「いいじゃないアジーア様。今は幸せなんでしょ?」
「そうだよ、ジェロジーア家に目を付けられたが最後だ。なに、今からきっちり鍛えれば済む話」
「ベッラ様まで… はぁ…」

その時はなんとなく話を聞いていたが、その後からフィルは明らかに変わった。
学問も剣術もメキメキ上達していった。

「フィル兄様は、いつもカッコイイです!」

シンシアちゃんの放ったその一言で、良く見られたいフィルは益々カッコつけるようになってしまったのだ。
でも、私やジェームズの前では如何にシンシアちゃんが可愛らしいか惚気捲る。難儀な性格よね。

目を背けたご令嬢達の前に行き、優雅に扇を広げる。

「今までは見逃してあげましたが、あなた達まさか私が可愛がっているシンシアちゃんに何か言って無いわよね」
「セラフィーナ様! 私達は何も… ただフィル様とセラフィーナ様がお似合いだと思っていただけですわ」
「そうですわ! たかが子爵家の娘が、そもそもフィル様やセラフィーナ様に纏わりつくので身の程を教えて差し上げただけで!」

パチンっと扇を閉じて彼女達の目を順に見る。

「よーく分かったわ。あなた達が誰にケンカを売ったのかは追々分かるでしょう、では」

尚も何か言っていたが、先ずはお母様へ相談ね。魂の脱け殻になったフィルは放置して屋敷へ帰る。

「やぁ、セラフィーナ。我が妹から失恋したと手紙を受け取ってね」
「ジェームズ。何故あなたが?」
「可愛いシンシアにはあんな重い男は似合わない」

ニコニコ笑っているが、目が笑って無い。

「まぁいいわ。で、シンシアちゃんは誰に失恋したの?」
「ゆっくり中で話そう」
「ここ、私の屋敷ですが?」

侍女の案内も無しに応接間へ進むと中には母親とジェームズの妻である王太子妃ザイラ様も居る。

「セラフィーナ様、お久しぶりね」

隣国の公爵家の中でも一番歴史が古く強い力を持つヴェッキオ家出身。才女としても名高いザイラ様は楽しげに私へ声を掛けた。

「ジェームズだけじゃなく、ザイラ様まで…
シンシアちゃんの事ですわね」

学園であった事を話すと、とっても良い笑顔のジェームズとザイラ様。

「まぁ、フィルがヘタレな事は分かっていたが。まさかシンシアがフィルの執着に気がついていなかったとはな」
「あら? あの鈍感な所も可愛らしいのよ。しかも無駄に行動力もあるから」

テーブルへ1通の手紙を出すザイラ様。

「これは?」
「シンシアからの手紙よ。内容は新しい婚約者候補を一緒に選んで欲しい事。政治的な判断も踏まえベッラ様やアジーア様を説得するのを手伝って欲しいそうよ」
「読んでも?」
「えぇ、勿論」

手紙を受け取り中を確認すると、愛の無い結婚は不幸にしかならない。フィルとセラフィーナは愛し合っている、ならば二人が憂いなく結婚出来るように協力して欲しい。

自分に新しい婚約者が出来ればフィルに迷惑をかけずに婚約解消も出来ると…

「噂を放置していたセラとフィルも悪いな」
「でもお母様!」
「ククッ、ジェロジーアの男から初めて逃げ切る事が出来る女性になるか、それともジェロジーアのタチが悪化するか」

楽しそうな三人を見て、ふと考える。私はフィルとは絶対結婚しない、愛するオリンド様一筋。

「本気で逃げられそうになればフィルも頑張るでしょ」

どちらに転んでも、シンシアちゃんが幸せならそれで良いわ。

「私にも紅茶頂ける? それと甘いお菓子も」


******

「姫様、本国へ帰る前に一緒にお出かけしませんか?」

寮に戻り荷物の片付けをしているとフランカが私へ紙を渡してきた。
そこにはキレイにラッピングされたチョコレートの絵が並んでいる。

「姫様が大好きなチョコレートのお店が開店したらしいです。今まで仲良くして下さったお友達へプレゼントするのはいかがでしょうか?」
「そうね。気分転換で行きましょう」

町娘に見えるよう用意されたワンピースに着替えると、フランカと共にチョコレート店へ。



女性がいっぱい居る店内は甘い香りに包まれている。
ショーケースには色々な種類のチョコが並び、ツヤツヤ輝く宝石みたい。

「シンシア様、このチョコは中にガナッシュクリームが入っているみたいで、こちらの生チョコレートも美味しそうです!」
ウキウキするフランカを見て私もショーケースを覗き、お世話になった子爵家の方々や家族、学園で仲良くして頂いた皆様へのチョコを選んで行く。

ふとガラス張りになっている厨房を見るとチョコで作った薔薇が一本あった。

「あの薔薇は売って頂けるのでしょうか?」
「あぁ、あれは売り物では無いんですよ。すいません」
「そうなのですね。とても美しくて… 残念ですが諦めます」

薄いピンク色の薔薇。最後にフィル様へ自分の恋心と共に渡せたら諦められそう、でも手には入らなかった。

まるで私の恋心みたい。

「ダメね。前を向くって決めたのに」
「シンシア様? 何か仰いましたか?」
「ううん、何でも無いの。さぁ帰りましょ」

******

約束の日。

「姫様、今日は誰より美しくさせて頂きます!」
「パーティーへ行くんじゃ無いのよ。もう」

フランカが片手を突上げ気合を入れる姿にクスクス笑うと、フランカも一緒に笑った。

「私の姫様は、いかなる時も可愛らしく美しいのは当たり前でしたね。さぁ準備を始めさせて頂きます」
「言い過ぎよ。でも今日笑えたのはフランカのおかげね。ありがとう」
「っ! 姫様!!」

袖口で目元を拭い、ふんっと気合い充分なフランカに薄化粧をしてもらい。フィル様が似合うと言ってくれた小花模様のワンピースと真っ白な帽子とAラインコートを着てバッグを持ち寮を出た。

寮の入口には、すでにフィル様が待っていた。生成りのシャツにスラックスでも、鍛え抜かれた体躯と精悍な顔立ちは人の目を引く。

階段を降りる私に気づいたフィル様は、一瞬目を見開き。ぎこちない笑顔を向けた。

「っ! …じゃあ行こうか」
「はい。フィル様、今日は宜しくお願いします」

これが終われば、私は二度とフィル様の隣に居られない。フィル様から愛する人の名を聞くまでの間、それまで隣に居る事をお許し下さい。
ちゃんと諦めるから、ちゃんと祝福するから、だから今だけは私のフィル様で居て下さい。

「街へ一緒に行くのは、久しぶりだな」
「学園へ来てからは初めてです。あ! フィル様、あのお店行きたいです!」

お友達から聞いていた雑貨屋さんや、露店が並ぶマーケット。話を聞いて一度はフィル様と行きたいと夢見ていた。

「そんなに慌てなくても大丈夫だ。ほら、行くんだろ」

フィル様が差し出した手に躊躇していると、

「迷子になるよりはマシだろ?」
「そう… ですよね」

これが最後なら、手を繋ぐ事も優しいフィーナ姉さまなら、許してくれるかな。
握られた手から、ゆっくり顔を上げると眉尻を下げ困ったように笑うフィル様と目が合った。

あぁ… そうか。フィル様と私は婚約者であると同時に、幼い頃からの幼馴染みで、ましてや年下の私は妹みたいな存在だったんだ。

いつまでも妹のお守りは出来ないわよね。

ストンと胸の中で納得出来た。だから、差し出された手も慣れない街歩きではぐれない為で、きっと深い意味は無い。

「フィル様、じゃあ行きましょう。ほら早く早く!」

顔を見る勇気が無いけど、それでもフィル様に触れたい気持ちが強く。ギュッと握った手を引っ張るように雑貨屋さんへ入る。

「気にいったのがあれば教えてくれ」
「レターセットも可愛い、でもこちらのペンセットも素敵」

店内へ入ると、花柄のレターセットや色とりどりのペンに胸が踊る。
本国へ帰ったらジゼッラにお手紙を出そう、あと仲良くして下さった方へも。

一人一人の顔を思い浮かべ、レターセットを選んでいると、

「これはシアが好きそうだな」

差し出されたレターセットは、ワンピースによく似た小花模様。

「はい! フィル様に選んで頂いたこれは私の宝ものになりそうです!」

会計を済ませ、子爵家へ届けて貰うようお願いして、次の店へ向かう。

「ほら、手を」
「ありがとうございます。フィル様」

まるで愛おしい者を見るように向けられた瞳と、がっしりしたあたたかな手が私へ差し出される。

この手を忘れる事が出来るのかな?
この瞳に映るのは私じゃないのに。

「っ! そんなに思い詰めていたのか」
「フィルさま…」
「クソっ、泣くほど辛いなら俺がどうにかしてやる。だから今だけは、俺で我慢しろ」

身体が宙に浮き、抱き上げられたと理解する前に。フィル様はズンズンと歩き出してしまった。

「予約してあったジェロジーアだ」
「はい、あ… こ、こちらへ」

店へ入り、抱き上げられたまま個室へ通される。

「シア、お願いだから泣かないでくれ。俺が居ない方が良いなら誰か呼んでこよう」

ゆっくり一人がけのソファへ降ろされ、何か耐えるように笑うフィル様。

「ごめんなさい。ちゃんと祝福しなければならないのに…」

あぁ… 最後は笑顔でお別れしようと思っていたのに。
これではフィル様が何も言えなくなってしまう。

そうよ、私から言えば良かっただけ。弱虫な私はフィル様が言い出せない事を分かっていて、最後にフィル様との思い出が欲しかっただけね。

「フィル様、今までありがとうございました。私は… とても幸せでした…
遠くからフィル様の幸せをお祈り申し上げます。
だから私達の婚約を無かった事に致しましょう…」
「俺がシアと離れて幸せになど、なれるはず無いだろ。

シア。愛しているんだ… 

嫌われても罵倒されても良い。好きな男から離れたいなら、何処までも連れてってやる。
俺を愛さなくて良い、ただ側に居てくれるだけで良いんだ」

膝をつき、フィル様が私の手を握りしめる。

「フィル様はフィーナねえ様を愛しているのでは…」
「俺の唯一はシアだけだ。シアさえ居れば他に何もいらない。愛している、狂おしいほどに、俺はシアだけを求め続ける」

フィル様の真剣な顔を見ていると、だんだん悲しみより怒りが湧いてきてしまった。

「はっきり仰って下さい! 私との婚約は終わりだと、フィーナねえ様にお話なさっていたではありませんか!」

言ってしまった…
愛する人を見つけたと、フィル様に言われたら立ち直れないのに。
あぁ… 本当にバカね。

顔を上げる事が出来ない。最後は笑顔でいようと思っていたのに。

「シア… 今泣いているのは俺が離れると思ったから?」

優しい声とあたたかな腕が私を包み込む。

「可愛すぎるだろ。もうこのまま連れて行こう」
「フィル様?…」
「何か行き違いがあったみたいだな。俺のシアに変な事を吹き込んだのは誰だ?
二度とシアの前に出られないようにしよう。何でも言ってくれ、シアの不安は全て叩き潰す」

夢を見ているのかな?
離れなければならないはずの、大好きなフィル様に抱きしめられている。

「聞いて… 聞いてしまいました…」
「何をだい? 可愛いシア」

いつもより甘い声に戸惑いつつも、このままではダメだと思い切って顔を上げた。

「フィル様がフィーナねえ様へ、私との婚約は終わりだとお話しているのを聞いてしまいました」

グッと眉間にシワを寄せ、悩むフィル様は、何かを思い出したのか顔を背け耳が赤くなった。

「もしかして学園のベンチか?」
「はい… 久しぶりにフィル様を見かけて近づいた時に」

何か小声で呟いてから、大きく息を吐き出したフィル様は、私の顔を真剣な表情で見つめた。

*****

「全て話すしか無いか」

小さな声はシアには聞こえなかったのか、じっと見つめる視線を感じ息を吐き出した。

「シア、婚約は本当に終わる」

再び大きな瞳が潤みそうになるシアに、仄かな喜びを感じたが。シアを泣かせたい訳では無い。

「三ヶ月後には俺の妻になるんだ」

きょとんとするシアの頬に手を当て、

「愛してるシア。俺はシア無しでは生きてはいけない、結婚してくれないか?」

色々と考えていた。シアの記憶にいつまでも残る告白をするつもりだったが、今を逃せばシアは俺から離れてしまうだろう。

「っ! フィル様」

口元に両手を当て、真っ赤な顔になったシアは、我慢していたのかポロポロと宝石より美しい涙が頬を伝う。

「では、フィーナねえ様をあ「俺が愛しているのはシアだけだ」

俺がシアを手放す訳無いだろ、しかもあのフィーナを選ぶなど。嫉妬してくれたのは嬉しいが相手がアイツなのは些か不満だ。

初めてのキスは星空の下と決めていたが、潤んだ瞳に艷やかな唇。抗う事が出来ず、尚も何か言おうとした言葉ごと俺はシアの口を塞いだ。


*****

フィル様にキスされている…

涙がピタリと止まり、現実を受け止める事が出来ない。

私を愛しているって言った時のフィル様の瞳は真剣で、決して嘘じゃないと分かった。

なら、私はフィル様と離れなくて良いの?

頭の中を整理したいのに、フィル様に抱きしめられたままで訳が分からない。

「シア… 俺のものになって」
「フィル…さま」

じっとフィル様を見上げ続けると、ノックの音にビクリと身体が強張る。

「やっと来たか。シア、ちょっと待ってて」

フィル様が扉を開けて店員から何かを受け取ると、その手には一本のピンク色の薔薇が握られていた。

私の前に片膝をつき、両手で薔薇の花を差し出すと。

「最愛の人。俺と結婚していつまでも隣に居てはくれないだろうか。

シア、あなただけを愛している」

『僕のお嫁さんになって』
『シアが大きくなったら、フィル兄さまはプロポーズしてくれる?』
『シンシアの大好きなピンクの薔薇を贈るよ』
『シアはチョコレートも大好き!』

出逢った時そう約束していたのを、今思い出した。

「フィル様… 覚えていてくれたの?」
「勿論だ。シア、返事をして」

フィル様から薔薇を受け取ると、甘い香りがする。

「私をフィル様のお嫁さんにして下さい。大好きです!」


こうして、誤解とすれ違いは解消された。

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