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僕が僕のためにやろうと思うこと 〜卒業後、ふとした狭間で考える

ホテルのロビーにて悪態をつく。

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 華やかなホテルのロビーでストレートのアイスティを口にするショーティは、ズズズとストローを鳴らした。グラスの中の氷がからんと心地よい音をたてる。

「ショーティ」

 その不機嫌な様子に、思わずため息をこぼしたのは、隣にいたスカーレット・シャウザリーであった。白い肌に見事な赤毛のロングヘアー。メイクだけではなく、内面からにじみ出るような女性特有の色気のある女性だ。白いツーピースをソツなく着こなし、腕時計にちらりと視線を走らせる。

 約束の時間から10分が経過していた。

 先ほど、会った瞬間から、どうやら機嫌が悪そうだ、と女の直感で悟ったスカーレットであったが、何が原因なのかなどわかるはずもなく、ただため息をつくのみだ。そして、早く来て。と願う。

「ねえ、スカーレットさん」

 今回はシャウザリーの社長ではなく、個人スカーレット・シャウザリーとしての願いだと告げたため、ショーティは敢えてファーストネームで名を呼んだ。

「なあに?」

 至って平常を装い、ホットティを口にするスカーレットに、ショーティはにっこりと笑みを見せる。

「どんな人なの?僕に会いたいなんて物好きな」
「物好きって…」

 笑みと存外な言い分から、怒りがピークであるだろうことを悟る。だが、スカーレットにしてみれば、その問い自体は不思議であった。

 ショーティとはほぼ4年の付き合いになるが、彼がいかに自分の存在に疎いか、審美眼は誰にも劣らないと自負する彼が、何ゆえ自分自身の評価だけができないのか。それが不思議である。

 シャウザリーの開発広報部は、新開発があれば部長よりも先にショーティに繋ぎをいれるらしいとか、某有名アーティストなどは世界ツアーに同行させたらしい、など噂が聞かれる。なのに、ショーティは、自身をそれほど凄いとは思ってない。だからと言って自信がないわけではないらしく、そのギャップが、スカーレットが惹かれる最大の要因だろうか。顔や性格、その全てを否定しているわりに、腕は良いと自負する。

 見目はぱっと見、女の子のように繊細そうだが、中身は本当に男らしい。
 見ていて飽きない。

「どうしたのよ、いったい?貴方がそんなに怒っている原因はなに」

 とばっちりを受けては適わないと、スカーレットは小首を傾げて尋ねた。

「僕が?怒ってるって?」
「その様子を見て、怒ってない、という人とは付き合わない方がいいわよ」
「…………10分も待たされたら、普通怒らない?」
「貴方が10分ごときで怒るとは思えないわ。日常茶飯事でしょう?」
「かなわないなあ、スカーレットさんには。やっぱり男ができると女の人って鋭くなるよね」
「え!?」
「最近、会ってないけど、レオン大佐…元気?」

 不意にショーティの口をついて出た言葉に、スカーレットは一瞬、言葉に詰まってしまう。そうなることは、肯定とも同じなのに、スカーレットには成す術がなかった。それだけ動揺したのだ。レオンとは月基地所属の月軍の大佐であり、ショーティにとってはスカーレット同様4年前からの知り会いで、つい最近、二人の間が急接近しているらしいと情報を得たばかりだ。スカーレットも齢34、ようやく身を固めてくれる気になった、とぼやいたのは誰だったか。

「トップニュースだね?式は半年後?かなり盛大?ジャーナリストとして呼ばれたいなあ」
「ショーティ!いったいどこから、いえ、それはまだ、あ、じゃなくて」

 10歳以上も年上なのに動揺を抑えきれない様は、ショーティに可愛らしく映る。

「発表の時期は、直接連絡くれるよね。くれぐれも他社にすっぱ抜かれないように。でも、結構マークされてるよ?」
「ご忠告、ありがとう。是非、連絡させて貰うわよ!」

 険とした表情を覗かせるスカーレットであったが、不意に入り口を見て表情を緩めた。しかし、当のショーティはロビーから覗く中庭に視線を移したまま、動きを見せない。

「ショーティ」

 スカーレットに促され、ようやく重い腰を上げ、立ち上がると笑顔を作る。が。

「すみません!遅くなりました」

 髪はやや長めの黒。瞳は茶、目元も柔らかなその人物に、ショーティは途端、眉間にしわを寄せた。その人は、先ほど公園で無作法にいきなり腕を掴んで、更に写真のモデルを頼んできた人物だったのだ。

「大丈夫よ。まだ10分だわ。でもどうしたの?貴方らしくないわね」
「それが、実は……あああっ!」

 男は、スカーレットに答えようと視線を巡らせたそこで、ショーティに気付いたらしく、大きな叫び声をあげる。

「透くん?」
「か、彼を探していたんです!是非もう一度会いたくて。先ほど、公園で会いましたよね?」

 スカーレットを置いて、その先の自分に話し掛けてきているのだ、とすぐにショーティは気付いたが、

「How do you do and English please」
「あ、えっと…あの…」

 にっこりと笑みを称え、テキストに書かれた英文を読み上げるように告げるショーティに、眉根を寄せるスカーレットだったが、透と呼ばれた青年は、瞬時に頬を染めて小さく意味のない言葉をこぼす。

「ショーティ…意地悪しないで。彼は高階透くん。24歳。透くん、彼が貴方の会いたがっていたショーティ・アナザー氏よ」

 スカーレットは、先程までの怒りが持続しているのだと思い、軽く嗜めてから透を見て微笑んだ。瞬間的に大きく目を見開き、透はショーティをまじまじと見つめる。そして、

「君が……ショーティ…は、はは。ははは」

 思わずと言った具合に笑い声を上げた。

「スカーレットさん。彼、どっかおかしいんじゃないの?」

 笑いながら自分の真向かいの席に腰を下ろす透を見て、ショーティは怪訝な表情で小さく問いかける。ならば、面識のない人をいきなり捕まえたりしても納得がいくというものだ。

「こんなことは、初めてよ。ショーティ、何をしたの?」
「何をするって言うのさ?」

 初対面なのに、と告げるショーティは不振げに見つめるスカーレットから透へと視線を移す。そのまま確認するかのように、じっくりと透を見すえた。どう見ても典型的な日本人でアジア経済の基盤と言われるシャウザリーの女社長が入れ込むところが見つからない。

 そう考えたショーティは、興味もなさそうに視線を逸らし、ロビーから臨める庭を見る。目に飛び込んできたのは、桜の大木であった。日本全国至る場所に桜は植えてあるのだ。

 そして、またも思い出す。日本人といえばスイ・カミノクラ。彼もどちらかといえば純和風。しかしながら、線の細さや目元の切れが表情を作る時、それははっきりと美しいといえるものがあった。アーネストが気に入るのも、それだけではないのだが、納得いくものだ。が、スカーレットはこの男のどこに…。

 見目だけではない、と充分にわかっている。しかし、これといって取り留めのない平凡な男である。能ある鷹は爪を隠すとも言うが、早いとこ呼びつけた用件を済まして帰りたいものだと思う。

 だが…………。どこへ?

 ふと自身に問いかけていた。

 どこへ自分は帰りたがっているのだろうと。部屋などいつも寝に帰るだけの場所であるし、ならば日本のホテルでも結局同じような気がする。

 ズキンと心の奥が痛むような気さえしてくる。

 桜が風に煽られ、花びらが舞っている。

(気持ちが、良さそう)

「あ、あの、待たせてしまって、あ、えっと、英語だと…Sorry……kept you waiting…」

 視線がまるきり庭へと向かっていたショーティであったが、誠実な声音で告げられた言葉に、ついと視線を戻した。途端、スカーレットにちらりと睨まれ、

「透くん。日本語で大丈夫よ。彼は日本語どころかフランス語、中国語、イタリア語、ロシア語、は今勉強中だったかしら?とにかく、喋れるのだから。下手にでれば苛められるわよ」

 言外に、相手をして、と言われショーティは小さく肩を竦める。

「スカーレットさん、人聞き悪い~。それで?とりあえず会ったけど…。もう帰っていいの?」
「殴るわよ!」
「どっちが苛めるんだか—————なに?」

 スカーレットと言い合う自分たちを満足そうな笑顔で見つめている透に気付き、当のショーティは怪訝な様子のまま、問いかける。

「絵になるよな、と思って。君の書く文章が好きだったんだけど、やっぱりモデルになって欲しいな」
「透くん!それって、写真の方?それとも、絵?」
「スカーレットさん!」

 浮き足だったスカーレットに冷や水をぶちまけるようなショーティの凛とした声が響いた。その表情は、どういうこと?と有無を言わさぬものである。

「彼、高階透くんは写真家なの。その…絵も描くのだけれど、今度、個展を開こうって」
「スカーレットさんがパトロン?そんなに才能あるの?」
「相変わらず厳しいことを言うわね。私個人の趣味だもの。とやかく言われたくないわ。でも、腕はいいと思うわよ。前にシャウザリーの広報写真撮って貰ったから」
「ふーん」
「とにかく、個展を開くことになったんだけど、メインに来る写真がないって」
「そんな時に『月について話をしようか』を読んだんだ」

 スカーレットの言葉に続けた透は、運ばれて来たチョコレートパフェを見て、嬉しそうに破顔する。臆面もなく、そうできる彼にショーティは一瞬、目を奪われるが、透は構わず、嬉しそうな顔でそれを一サジ口へと運んだ。

「それで、メインは月の写真にしようと思ったんだ。その脇に君の言葉を借りたくて、どうせなら会って承諾を取ろうと、聞いたら社長が友人だと言うから、是非にとお願いしたんだ。でも、会ってみて2度びっくり、容姿の印象が僕の想像している月とピッタリなんだ。だから、是非モデルになって欲しいのだけど」
「このくらいの顔ならどこにだっているし、もっと率先してやる奴にいいなよ。スカーレットさんお気に入りの写真家なんだから、金に糸目つけないでしょ?」
「お金の問題じゃないの!」
「主題に合う被写体に出会えるなんてめったにないし、好みは千差万別だから」
「けど本人にやる気なければ、おんなじこと。本当に、悪いね。モデルなんて引き受ける気は全くないから」

 すくっと立ち上がり、軽く小首を傾げてショーティは薄く口元に笑みを作った。質の良い髪がさらりと耳元を過ぎり、踵を返した瞬間、宙に舞う。

「ショーティ・アナザー!」

 スカーレットが呼び止める声がその足元を捉え、

「あ、言葉は使ってもいいよ。好きにすればいい」

 流し目よろしく、視線を向けて軽いお辞儀をして歩き去る。

「いったい、どうしたのかしら」

 いつにないその態度に、スカーレットはただただ困惑したように頭を抱え、視線を向けられた透は、目の前のパフェをなぎ払い、思わず構えたカメラのシャッターを切るのだった。
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