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僕が僕のためにやろうと思うこと 〜卒業後、ふとした狭間で考える

桜の下でつぶやいてみる。

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 2111年4月下旬

「一人で見る桜なんて、虚しいだけだよ!」

 春爛漫。名に相応しいピンク色の溢れんばかりの花をつけている大木を見上げ悪態をついたのは、白人よりも滑らかで黄色人よりは白い肌、陽に透ける栗色の髪、茶色の大きな瞳、ほっそりとした体躯の見目にも幼く少年とも少女ともとれる可愛らしい、が21歳の青年ショーティ・アナザーであった。
 昼日中の陽光は眩しく、東西に長く伸びた日本列島の北に位置する場所ではあるが、おりしも4月下旬。
 温暖化は進み、亜熱帯とも言い難いこの小さな島国ではあるが、四季を重んじるのは昔から変わらず、特に春先の桜には思い入れが深く、現在においてもきちんと南から開花させていく術を持ち得ている。
 その春。
 日本においては、穏やかで、爽やかで、期待に満ち溢れ、光輝く…季節。
 道行く人々の顔は、それはもうあからさまに嬉しそうで。
 しかし、当のショーティには悪態しか生まれない。
 何だって!と思う。
 これ程浮かれまくった季節に、日本くんだりまで来なければいけないのだ。
 ショーティの心を占めるのは、怒り以外の何物でもない。
 ここ数か月程、彼はすこぶる機嫌が悪かった。いや、そうは言っても当初こそ、ジャーナリストという肩書き通り仕事で世界を飛び回り考える時間など自分に与えなかったためにそうでもなかったが、徐々にストレス、及び欲求不満が顔を覗かせ、彼の機嫌を損ねていった。
 そして、ここ2週間程は全くのフリーで、余計と不機嫌だった。
 理由はただ一つ。

『君には関係ないことだ、ショーティ!』

 ふと脳裏を過ぎる、激した声音。
 温厚篤実、冷静沈着、激したことなど見たこともない友人アーネスト・レドモンの初めてみるだろうその怒り。

「これがスイなら、もっと別の言い方するんでしょ?」

 反芻した記憶に、文句をつけるショーティは、違うか、と打ち消した。
 スイならば、言わないのだ。アーネストが唯一大切にしている友人のスイ・カミノクラ。
 いや、そもそもスイとはそんな会話にならないか……。
 ショーティは頭をぶんぶんと横に振った。栗色のさらりとした質の良さそうな髪が宙を舞い、らしくもなくため息がこぼれる。
 月学園を卒業して2年以上になるが、その交友関係はショーティにとって大切なものだった。友情など、表面的で薄っぺらいものだとどこか思っていたが、月の学園で自分自身の考え方による見解の違い、というものを理解した。自身の物差しばかり相手に押し付けて、彼らが同じものを見て何を思うのかを考えたことなどなかった。けれど、今はそれを捉えることができ、そして視界が広がった。ついつい悪態をついてしまいがちだが、そこは性格なので仕方がない。
 けれど、そんな友人であるはずのアーネストからの言葉。

「はぁ…」

 深く、深くこぼすため息はちょっとした後悔だった。

 人波が桜を見ながら、その真下のベンチに腰掛けているショーティをも眺めていることに、当の本人は気付いていない。無防備すぎるほどに、悩ましげについたため息が10回を超えるとなると、道行く人も放っておくはずもなく、既に3人の男が声を掛けてきていた。もちろん、そんな気分ではないために、丁重に断ってはいるのだが、不機嫌な時の彼の丁重には空恐ろしいものがある。うち、2人は女の子と間違えて声を掛けてきた。服装一つとっても女の子と思われる要素はないはずなのに、その時の丁重など更に倍、けちょんけちょんに言い放たれ、理不尽な思いで立ち去ったものだ。それでも椅子から立ち上がることなく、ショーティは目の前の賑やかな風景を眺めていた。

「関係ない、かあ」

 そして、再び記憶を揺すって言葉を復唱する。
 30分、桜の木々を、楽しそうな人々を眺めながら、怒りを納めようとしていたがままならず、そして気付いた事実。
 頭にきている、ではなく、ショックを受けているということ。

 今や時代の人、世界的にもトップであろう大企業の本社社長となった月学園での同期アーネストとは17歳のおり、複雑な思いや立場で二人の間には奇妙な契約が成された。それは高校を卒業した今でもなんとはなしに続いており、はや4年。

 実際的にジャーナリストとして活躍するのに、アーネストの情報提供は非常に役立つものであったし、彼と友人であるということが、様々な場所での助け舟となったこともある。もちろん、自分の力を卑下するわけではないが、いつでもアーネストがいたために、いなかったらどうなのかなど想像できない。

 さらにショーティは、アーネスト自身を気に入っていた。それは割と早い段階に自覚したため、ショーティの中では契約など無き物になっていたが、アーネストがどうだったかは知りえない。

 誰よりも頭が切れ、いつも2手3手先を読むその頭脳は、敬意を越えて畏怖すら感じていた。だからと言って怖がっていたわけではなく、どちらかといえば、そういう類にこそ興味をひかれる。

 そして、その頭脳を見込まれて世界トップの大企業本社社長になったアーネスト。

 本来なら喜ぶべきところだ。

 しかし……、サリレヴァントはダメだろう、と思う。

 アーネストの母親は、まだ子供だった彼を捨てるように家を出たらしい。これは本人にはタブーの話で確認はとっていないがほぼ事実で、更に、アーネストが勤めている企業はその母親のものである。

 つまり、ショーティと奇妙な契約を交わしたように、母親とも契約を交わしたのだ。

『…口止めに…僕では役不足かな……?』

 そう、妖艶な笑みで促してきたアーネスト。
 母親にはどんな顔をして見せたのか。聞き分けの良い素直ないい息子の顔なのだろうか。

 そして、イギリスの爵位を継ぐ予定だったアーネストは今ニューヨークにいる。
 会社入社から2年、社長就任を打診された。

 母親の会社にいるのは5年と言う契約であったはずなのに、社長となると自らを縛り上げてしまうではないか。3年間だけの社長など聞いたこともなければ、かの母親が手放すはずもない。

 策略にはめっぽう強いアーネストであるが、両親、いや母親に関わるとその算段が甘くなる気がした。そして、素朴に考える。

 自身の望まないことをやって、何が楽しいというのか。

 ショーティ自身、放任主義者の両親のお陰もあり、21歳にしてはいろんなことがあったと思う。しかしその時その時はともかく、割と楽しんではいただろう。
 だから不思議であった。

 アーネストならば、そこに執着しなくともどこでもやっていけるはずだと思っていたから。それでも、アーネストがその企業を乗っ取ってやろう、などという野心でもあれば別である。しかし、就任が決まったアーネストは、非常に窮屈そうだった。

 4年間、もちろん全世界や月へと飛びまわっているショーティと超多忙のアーネストであるため、実質一緒にいる時間はそう長くはない。しかし、他の人よりは様々なアーネストを知っていると思うショーティだ。もしかしたら感情の機微はアーネスト本人より詳しいかもしれない、……と思うのは言い過ぎか。

 けれど、だからこそ、心配しているからこそ、告げたのだ。

「嫌なら、やめちゃえば?」

 親への確執がどれ程のものか知らない。しかし、それで悩む必要があるのか。自分の人生、悩みながら歩いてどうするのか。手伝えることがあるならば手伝う。それに、高校時代の優秀なクラスメートたちも、きっと手を貸すだろう。しかし、返ってきた言葉は、

『君には関係ないことだ!』

 きっぱりとした拒否であった。荒げた声音も、その表情も。
 関係ない、と言われては、二の句が告げない。その時、ショックを受けた、とさえ感じ取れず…。

「………」

 叫んでしまったアーネストの視線がショーティを捕らえることはなく、

(ここには、いられない)

 そう、漠然と捉えた。

『……僕、帰るね』

 それだけ、乾いた口内から発した言葉が文字を綴った。アーネストからの言葉はなく、踵を返し、歩を緩めることなくその場から歩き去る。

 アーネストの中の、自分の位置を見たような気がしていた。いや、初めからそういう契約だったではないかと脳裏で叫ぶ。

 アーネストが気に入っていたスイ・カミノクラ。彼を守るだけの契約。今ならわかる。けれどあの時はそんなことなど知るはずもなく、頭脳は勿論のこと、その容姿も誉れ高いアーネストが、他と比べて少しだけ親しくしてくれる。それはなかなか居心地が良かった。

 それに、ショーティとアーネストが交わしていたのは情報だけではなかった。いわゆる、体の関係もあったのだ。実際、アーネストはうまかったし、言い訳も飾りもいらない状況というものは、ショーティにしてみれば非常にいい相手だった。けれどアーネストにとっての自分はどうだったかと考え……言葉につまる。

 同期で、普通に仲良くなっていたら、どうだったのだろうと考え、ちぇっと舌打ちをする。

「考えても仕方がないことを、考えるな!」

 自分を叱咤し、前髪を無造作にかきあげる。

 つまりは、4年間でアーネストが心を占める割合は非常に高いものとなっていたのだ。好き嫌いではなく、必要であると言う認識をもって。

 だからこそ、『関係ない!』との言葉は深くくるものがあった。

 友人なのだ。心配することがそんなにも迷惑なことなのだろうか。
 実際、ここ3ヶ月、ショーティはアーネストと連絡をとっていなかった。しかし、やはりというのか、アーネストからの連絡はなく、このまま切れてもアーネストにとっては別段、痛くも痒くもないのだろうと思うと怒り及びショックは波のように押し寄せてくる。
 さらに言うなら連絡をとらずにいるのに、アーネストの情報は否がおうにも耳に飛び込んでくるのだ。
 情報に変動があれば連絡をつける繋ぎの友人、更には衛星中継、ネットや新聞、雑誌。

 何せ、今や時代の人なのだから。

「ずるいよね」

 いらないとなるとすっぱり切って、それでもスイや共同の友人であるカナン、スチャカ、カナッツ、その他大勢とはそつなく笑っていくのだ。偶然、その場に居合わせても、何事もなかったのごとく『やあ、元気かい』くらいの挨拶をする。

 無視してくれる方がずっとマシだが、アーネストならばそうするのだ。

「うわああ、また腹が立ってきた!」

 ショーティの言葉に刺激されるように、風が唸りを上げ、木々が軋んだ。と、同時に桜の花びらが一斉に周囲を舞う。

「だから!」

 桜見物ならば、それは雅な光景であっただろうが、苛立ちピーク期のショーティには、本当に感情を煽るだけであった。その様子に何故か、胸の辺りがキリキリと痛んだ。

「早いとこ脱出しないと」

 視線を戻して、またもため息をこぼし、ショーティはつぶやいた。いつになく気持ちがあやふやであった。怒りとショックと、しかし、他にも何かありそうなのだが判らない。
 判らないからこそ、更に怒りが込み上げる。
 対象がアーネストなのか、自分自身なのか、既に定かじゃなくなってきていた。

「最近、ご無沙汰だし、……行くかな」

 すっきりすれば、自分の気持ちも見えてくるかもしれない。

 ショーティは自分に言い聞かせ、ようやく重い腰を上げる。そして、やや長めの前髪を左手で軽くかきあげた。瞳が僅かに細くなり、それは彼の不機嫌を表しているのだが、はたから見ると可愛さが隠れ、ストイックな面となり視線を奪われる。

 可愛らしい印象から美人と言い切れる印象への移り変わり、背後の桜がまたそれを引き立て、艶やかな装いである。

 行きずりの外国人と思われる輩が、ピューと口笛を鳴らすが、ショーティはそれを無視し、目の前にある時計を見た。ちょうど3時55分。約束の時間まであと5分。その場所まで5分で行けるため、ピタリである。

「社長たっての頼みじゃなかったら、絶対断ってたよ」

 それでも不機嫌な様子で歩き出すショーティは、次に風が吹いた瞬間、

「!」

 突然、二の腕を捕まれていた。いきなりのその所業に怒りが頂点に達し、振り切ろうと腕に力を込め、振り返る。

「アーネス…!」

 思わず、口をついて出た名に、自分自身が驚いていた。

 この大切な時にアーネストが単身日本に来るなどあり得ない。そんなことは充分に理解しているのに、陽光を背に自分の腕を捕らえた男を見て、その名を発してしまう自分が情けない。

 よくよく見れば、良質の茶金髪はやや黒っぽいものであるし、光の加減で金にも見える瞳は茶っぽい黒。滑らかな指先と言うよりも無骨で大きな手。更に、その目元。切れ長の射抜くような視線を作り出すそれは、かなり柔らかで、そうどちらかと言えば人が良さそうな、つまり典型的な日本人顔であった。

 ただ、背格好は似ていた。180cmはある身長にさほど細くない体躯。年も同じくらいか。

「写真、撮らせてもらえないかな」

 焦った口調と申し訳なさそうな瞳。ショーティを掴んでいない方の手には一眼レフがあり、かなりの年代物を思わせた。しかし。

「I don’t know Japanese」

 勿論、知らない筈はないのだが、どちらかと言うと自身の顔が嫌いなショーティである。写真など絶対にお断りに決まっていた。更に、いきなり腕を掴むなど、無作法である。

 腕を振り切り、横目に睨みつけるように視線を流し、言い放つショーティは、茫然としている男を置いてさっさと歩き出した。

「さいてー!やっぱり来なきゃ良かったかなあ」

 それでも顔なじみのアジアを基盤とするシャウザリー社の女社長スカーレットからの直々の申し出なのだ。恩は売っておいて損はない。

『どうしても会わせたい人がいるの。いいえ、貴方に会いたいと言われたのよ。私の顔を立てると思って会ってあげて』

「僕に会いたいねえ。そんな物好きな」

 スカーレットには仕事面でも多々世話になっており、記事が掲載されれば、まめに連絡をくれたりもする。
 素直にありがたいとは思う。思うけれど、今、日本には来たくなかったかもしれない、とショーティは思った。

 スイの故郷、日本……。

 それを考えると苛立ちにも似た妙なもやもやとしたものが、胸の中にたまっていく。



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