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僕が僕のためにやろうと思うこと 〜卒業後、ふとした狭間で考える

心地よい場所を求めて 高階透という人物①

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「hello、ショーティ?」

 低い声音が通信デバイスから流れてきた。それがスカーレット・シャウザリーのお相手、レオン・プロ―ライトであることは半ば予想できたことなので、

「元気?」とだけ、楽しげな口調で返す。
「まあ、なんとかな。それより、いつ流す?」
「明後日、正式発表でしょ?夕刊でも遅いくらいだけど、他社に洩れてないからいいとしよう」
「お前なあ、俺に向かってタメ口きくのは」
「僕らくらいだよね」

 レオンが苦笑している様にショーティは確かな手ごたえを感じ、その短い通話は切れた。久しぶりに晴れやかな気持ちで、そのまま枠を空けて貰っている新聞社へと連絡をいれる。もちろん、スカーレット・シャウザリーの結婚記事のためである。

「ショーティ。通話終わった…?…っと」

 ひょっこりと顔を出した透に、ショーティは軽くウインクを投げる。そして通話から記事送信、Thank youでoffにする。

「コーヒー入ったよ」
「Nice timing!」

 ニッコリと笑みを見せつつ、ショーティは部屋から飛び出した。

 先日、バーで一緒に飲んでから、次の日にはショーティは透の部屋へ転がり込んでいた。彼の部屋はさほど広くない2LDKうち、1室は画材が多数置かれており、その部屋に間借りさせてもらったのだ。部屋を囲むように作られたベランダからは良く陽が入り、けれど乱雑に置かれた画材や、書籍が心に和みをつくる。ニューヨークにある自室と似ているからなのか。小さなパイプベッドなのに、久方ぶりに良く眠れる気がしていた。そして、今回のトップニュース。

「いつになく嬉しそうだね」
「うん。最高だね。だから記者はやめられない。今夜はお祝いしよう。僕、しゃぶしゃぶが食べたいな」
「じゃあ、その機嫌の良さに免じて、」
「モデルは、やらない」

 テーブルに片肘をつき、ぴしゃりと言い放つ。手にしたカップをソーサーに戻して軽く目を伏せる。それから大きな瞳を透へと向けた。

「でも、月の写真の手伝いはするよ。個展に出す写真、見せてもらったし、役に立つと思うけど」
「ショーティ、君、すごい綺麗だって、自覚ないよね?」
「だから、僕くらいならいっぱいいるって。それよりさ、思ったんだけど、月の写真にするよりも、絵を描いたらどうかな?あそこに転がってる油絵、透が描いたんでしょ?僕、結構好きだな、透の絵」
「あ、ありがと。なんかどっちつかずであんまり良く言われないんだけど」

 ショーティの言葉に、はっきりと照れた表情で透は自身の黒髪に手をあてた。それから、コーヒーを口にする。そんな仕草を純粋に可愛いなと思い、スカーレットが気に入ったのも、この辺りなのかと邪推する。

「どっちつかずなんて。才能あるならどっちも手にするべきだね。せっかくスカーレットってパトロンがいるんだから彼女に見限られた時にこそ…」

 考え直せば、とのショーティの言葉は続かなかった。

 アーネストと自分の関係も、つまりはそういうことだったのだろうか、と思ったのだ。そして、見限られた、と言うのかと。
 いや、とショーティは胸中で否定した。そもそもアーネストはショーティの中の才能に出資しているわけではないのだ。
 見限られたもなにも、そういう付き合いではなかったはずだ。

「ショーティ?」

 不意に黙り込んだショーティに、透は不思議そうに伺うように名を呼んだ。

「あ、ちょ、ちょっと急用」

 その柔らかで優しそうな響きと視線から逃げるようにショーティは間借りさせて貰っている一室へと飛び込む。怪しまれないように手にはデバイスを掴み、そのまま借りているパイプベッドに転がった。

 壁に立てかけるようにして置いてある絵は、どれも風景画で、日本中の冬をモチーフにしてある。岩に打ちつける波飛沫、崖っぷちに残っているのは積雪で、荒々しくも強い。透からは想像もできない。かと思えば小春日の都会の積雪風景。街中の雪の積もった線路を長い電車が何事もないように行過ぎる。
 そして、今も残る田畑の豪雪。降りしきる雪が次から次へと積もっていく様がありありとわかる。

 共通しているのは、生きている、ということだった。彼の撮る写真もそう捉えられた。

「なんだろう」

 ゆっくり眠れるはずの部屋が、今は窮屈に感じられる。やはりどこかおかしいのだろうか、と自問し、中途半端であるアーネストのことを思い起こす。

 いい加減、いつまでも怒りまくっている自分が嫌になっていた。そして、落ち込んでいる自分が情けなくて…。

「ショーティ、いいかな?」

 尋ねながら、透が顔を覗かせた。

「描きかけの絵に手入れしたいんだけどいいかな?あ、窓は開けるけど匂いがひどかったら言って」
「あ、うん」

 ベッドから身を起こし、退室した方がいいかな、と思うショーティであったが、透が気にしないのなら、ともう一度ベッドに横たわり、絵筆を持つ透を見つめた。開け放した窓から、福与かな香りを含み風が舞い込んでくる。
 まるでその音が響くような気さえして、ショーティはゆっくりとその瞼を閉じるのだった。


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