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僕が僕のためにやろうと思うこと 〜卒業後、ふとした狭間で考える

心地よい場所を求めて 高階透という人物 ②

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 日本を拠点に、いくつかの記事を書きながら、透の個展の準備を手伝っていたショーティは、春の絵画が初夏のそれと変わっていることに気が付いた。部屋に無頓着なショーティであるが、ベッドに転がり絵画を眺めながら、高階透という人物を今更ながらに考える。

 額に入れて愛でる程ではないにしろ、自分の作品にきちんと愛情をもっているのだろう。春夏秋冬よりももっと細かく季節を捉え、きっと真夏になったら、相応の絵がお目見えするのだ。

 写真を撮りながら、なぜ絵も描くのだと聞いたことがあった。透は人の良さそうな懐っこい笑みを浮かべ、

「人でも物でも、一瞬の情景に惹かれる時があるのだ」と告げた。そして、
「もう一度見たい、と思っても、例えば同じ表情をしてもらったり、同じ気候の同じ時刻を設定してみたりしても、同じようなもの、であって、同じじゃないんだ。確かに、その一瞬よりももっといいものが出来ることはあるけど、思いをね、残したくないんだ。…うーん、うまく言えないけど」

 照れたように頭をかきながら、写真を仕分けする様を見つめ、

「真実の、瞬間?」

 ショーティは伺うように尋ねた。途端、透はぱっと弾けたような表情をみせる。

「そう!ああ。言葉にするとそんな感じ!!」
「よく、言われる言葉、だけど…」
「でもショーティの口から出ると納得しちゃうのは何故だろうね?」

 —————日本人というものは、割合素直な体質なのだろうか、とショーティは思った。考えてみれば、スイも素直だ。

「絵はね。昔から気に入った場所にぼーっと何時間も座って見てるのが好きで、見てるだけなら描いちゃえば、と母に言われて、そうか。って。描きながら、この打ち寄せる波は何を思うのだろう、とか、受け止める崖は何を思うのだろう、とかね、考えるんだ」
「陽の当たる花瓶は、花がなければもっと陽が当たるのに、なんて?」

 茶化すようなショーティに、透は声を上げて笑った。嫌味なく、気負う必要のないその笑い声に、ショーティもつられて笑い声を上げたものだ。

 ショーティにしてみれば、不思議な時間であった。個展に合わせて本を出版したいからとスカーレットから仕事を受け、それだけではなく知りたいと思う。

 うつ伏せに寝転がっていたショーティは、絵画を手繰るように向けていた視線で、それを認めた。

 大きな大木。根元には誰もいない木のベンチ。そう、初めて出会った公園の桜である。はらはらと舞い散る花びらが、1年前かもっと前か、繰り返される雅な風景が認められている。きっと、たくさんの人を慰め、傷つけたのだろう。人が出会って別れていくことも、繰り返されることだ。

 そして、ショーティは思い出す。

 相変わらず情報は大企業の若干20歳そこそこの社長を取り上げ、メディアでもソツなくこなすアーネストの微笑が流出している。本来なら自分こそが真っ先に彼を取材しているはずであった。同業者からは友人であると認識され、社長就任の噂が流れていた時は、羨ましがられていたのに、いざそうなったらなったで、ショーティは動かない。様々なメディアがこぞって他社とは違うアーネスト像というものを求めるために、ショーティに繋ぎを送ったが、知らぬ存ぜぬを決め込んだ。月学園の同期などと、さほど親しくもない輩がインタビューを受けることさえ冷ややかに見つめていた。

 あの苦しみは何だったのさ!と思う。

 嫌がっていたわりには、特有の当り障りない笑みを零し、評判は上々、一部メディアでは王子様扱いで、女性人気№1とまで謳われ、株価急上昇。会長はさぞかし笑いが止まらないことだろう。

「もともと王子様だもんね」

 白馬さえ似合うだろうなと考える。

「ぶちきれたって知らないからね」

 あれ程ナーバスなアーネストなど初めて見たのだ。無理をしている……ところも多少はあるだろう。しかし、アーネストならば少しくらい切れた方が人間らしくなるかもしれない。そして、少しは自分の価値も————。

「まさか!」

 自身の考えに自らが打ち消しの言葉を告げる。
 相変わらず連絡はなく、既にこちらからの連絡の時期を逃してしまったショーティにはどうすることもできなかった。気にしなければいい、今まで誰にだって気など使ったことはない。第一、契約不履行は出されていないのだ。

 なのに—————!

 寝付かれず、勝手知ったる他人の部屋を徘徊し、冷蔵庫から発泡酒を4缶取り上げる。

 笑ってしまう事に、あの日、バーでショーティを待ち伏せしていた透は、下戸であった。ただただオレンジジュースとミックスナッツで時間を過ごしていたと聞いて、悪いと思いながらも爆笑したものだ。だから、今、冷蔵庫に入っている酒類はショーティが買い揃えたものである。

「ショーティ?」

 部屋に戻る途中で、キッチンに向かってくる透と出くわし、ショーティは思わず苦笑を浮かべる。

「ごめん、起こした?」
「いや、本を読んでいたら目が冴えて。———ちょうど良かった。絵の続きを描かせてもらってもいいかな?」

 ショーティの手元の酒を認め、透はやや細い目元を和ませるように笑みを覗かせる。

「いいかなって、ここは透の家だよ。邪魔なら僕は、」
「あ、や、ショーティは居てくれた方が…って言うか、部屋に人がいる感覚が久しぶりで、なんだか心地いいんだ。だからつい、ショーティがいる時間帯に絵が描きたくなって」
「ふーん」

 夜11時を軽く回っている時間帯に、窓を大きく開け放ち、キャンバスの前に立つ透を、ショーティはベッドの上で見ていた。手にした発泡酒はすでに2缶目で、飲み干すと、更に1缶、栓を開け、そのまま寝転がる。

 火照る体にさらりと吹き寄せる風が心地よく、絵筆の動く音が耳触りよくショーティを包み込む。

「ショーティ?もう眠る?」

 問いかける透の日本語での響きも優しく、ショーティの気分を宥める。それはアルコール以上に心を和ませた。

「まだ、寝ないけどさ。透はどうして一人暮らしをしてるの?」

 フローリングの床に発泡酒を置いて、天井を見上げてショーティは聞いた。さき程、部屋に人がいる感覚、と言っていた。ということは最近まで誰かと暮らしていたということだ。単純に素朴な疑問を感じただけであったが、突拍子もなく尋ねられた透は、ふと手を止める。そしてショーティを見やったが、彼の視線が天井に注がれていることを知り、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「元々僕は南の出身なんだ。この辺りの気候が好きでね。それに、兄がいて姉、僕、妹、弟と今時珍しい5人兄弟で、親が自立を促した、といえば響きはいいけど、早々に追い出されたんだ。去年までは妹がこっちの大学だったから一緒に暮らしてたんだけど、今は一人。なんとか写真で食べられるようになったから良かったけど、もしダメだったら、骨くらいは拾ってくれたかな」

 そしておどけたように告げる。

「わかんないよ。親って、結構シビアだからさ」
「って、ショーティのところも?」
「あ、うちは、放任。たまーに帰っても、あら、帰ってたの、くらいの。でも抱きしめてホッペにチュは忘れない。変な親」
「でもきっと可愛い人なんだろうね」
「え?」
「どっちに似たって言われる?」
「どっち、もかな」
「めずらしい、美男美女だ」
「だ、か、ら。このくらいなら」
「ショーティ、自分の顔を認めてあげたほうがいいよ。社長も言ってた。なぜだろうって。充分魅力的なのに本人はそう思ってないって」
「スカーレットさんもよく言うなあ。あれだけ間近に綺麗な子がいるのに。そうだ、今度、透にも紹介するよ。すっごい美人、あれだけの美人には早々会えないな。天然の美人だよ」

 言いながら、ショーティは発泡酒を手にすると、コクコクと音を鳴らして飲んだ。手を止めてその様を見ていた透は、ついと目元を緩める。

「ショーティが飲んでると本当においしそうに見えるから不思議だよ。何回幻のシャッターを切ったことか」
「そんなこと言って、手が止まってるよ」

 くすくすと笑みを零すショーティの栗色の髪が明かりを受けて薄く透ける。その先に白い肌の輪郭が現れ、透はまたも幻のシャッターを切るのだった。




 そしてキャンバスに向かう透は黙々と絵に色を付け、時間が午前1時に差し掛かっていることにふと気付く。

「ご、ごめん。もう——」

 眠るよね、と告げるために振り返った言葉は、内に消えていた。

 振り返った透の視界には、ベッドにうつ伏せになり寝入っているショーティの姿があったのだ。床に置いてある発泡酒は3缶が空になっており、4缶目を床に置いたところで寝入ったのだろう。手はまだそれを掴んでいる。

「大人なのか、子供なのか、わからない子だな」

 初めの印象は、男か女かで迷った。どっちもありなのではと思えたが、話してみると大人だか子供だかわからない。頑固で素直で。けれど、時折見せる憂いは気になった。たまに感慨深く何かを考えている時があり、その時の表情が、

「艶っぽい、と言ったら、君はまた怒るかな?」

 透はショーティの手から発泡酒を取ると、ゆっくりとその缶の淵に口を寄せるのだった。



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