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僕が僕のためにやろうと思うこと 〜卒業後、ふとした狭間で考える

夏、迎えたその日 ①

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 個展開催日は、その土地有りのさわやかな夏日であった。緑も豊かな土地柄と最高の気候、スカーレットは始終ご機嫌で、個展が終わり次第出版する本に携わったショーティは、付きっ切りでその場にいた。

 見慣れぬスーツを着付けている透はマスコミに揉まれ、人の良い笑顔を振りまいている。

 ショーティは、入り口からすぐ目につく、中央の柱に掲げられた絵に目をやった。川面に揺れる月、そして優雅に行き過ぎる川魚。

 透が触れたのはあの日だけであった。もともとノーマルだっただろう透を、半ば誘ってしまった感があるショーティとしては、胸を撫で下ろすやら、少しだけ淋しいような複雑な気分もあるのだが、何しろ、今はこの盛大な個展のお陰で透自身、あの日のことには触れてこない。

 居心地は、良かった。そして。

 これが終わったら、アーネストに会いにいける。

『君には関係ないことだ』

 そう言われたが、僕が関係したいと思ってるんだから、いいよね、と思わず口元に笑みがこぼれる。
 もうじき真夏ともいえる季節だ。

「ショーティ。参った。やっぱり写真は撮る方がいい」

 会見もどきを一頻り終えた透はショーティの姿を認めるなり、ほっと安堵したように笑みをみせた。疲れた様子が伺えるその笑みにショーティも頷く。

「僕もそう思うよ。撮られるよりもね」

 透は出会った当初、散々モデルになってくれとショーティに頼んでいたことを思い出し、笑みを苦笑に変えた。

「でも、撮らせてはくれないだろう?」
「断らずに撮る人もいるよね?」

 はははと楽しそうに笑うショーティは、
「ショーティ!」

 突然呼ばれた自分の名に、怪訝な表情で振り返る。
 その声に覚えがあったのだが、まさか、ここは日本である。
 ————————そう、日本、なのだ。

「カナン!?」

 ガラスの扉をくぐり、疾風とともに駆け込んできたのは、ふわふわの綿帽子のようなナチュラルブロンドに大きなPlanet Blueの瞳を持つ白人の青年であった。

 月学園の同期であり、同い年であるが、一見すると十代の少年、いや少女のように見える。手にした向日葵の黄色い花束がより一層その可愛さを引き立て、ショーティを認めて浮かべる笑みに、透は一瞬茫然とした後、すぐに携帯のカメラを手にしていた。会場内も一瞬、しんと静まり返り、それから密やかな声が囁かれ、

「綺麗に撮ってね」

 透の耳元で不意にショーティが告げ、

「久しぶり!カナン!!」
「ショーティ?」

 つかつかと歩み寄ると、ぎゅっとその肩越しに抱きつく。そして軽く離れると、やや不思議な表情を見せるカナンの顎を捕らえ、

「なっ!?」

 mouthto mouthのキスを落とした。

「ショーティ!」

 軽いキスの後で慌てて名を呼び離れるカナンであったが構わず、

「スイも一緒なの?」と入り口で固まったままのスイ・カミノクラを見つけ、笑みをこぼす。

「知っててそんなこと聞くんだよな!ショーティってさ」
「来るとは知らなかったよ。だって日本にいるなんて」
「雲隠れしてんの、ショーティだろ」
「雲隠れって…」

 人聞きの悪い、と思いながらもそうとも言えるか、と納得してしまうショーティであるが、

「なんでここに?」と今更ながらに尋ねていた。

「ああ、スイが日本の大学に招致で呼ばれて、オレは一昨日フライトから帰ってきたんだ」
「で、真っ先にスイに会いに来たわけ?」
「うん。いいだろ?会いたいんだから」
「カナンの安全の神様だもんね」

 真面目に答えるカナンとからかうショーティの間で、居心地が悪そうなスイであったが、ついと透を認め、
「フィーヨルド」と名を呼んだ。

「あ!高階透氏?」
「え?カナン、透を知ってるの?」
「うん。スカーレットさんのオフィスにいい写真があるんだ。今個展やってんだって聞いて、スイ誘って来たんだぜ」
「へえ、カナンが写真にねえ」
「だってさ、スイがすっげえ気に入りそうだったんだ。絶対見せたくて。でも、スカーレットさんのオフィスにはいかねえだろ?」
「そりゃあねえ」

 様々な経緯があり、スイがスカーレット…基い、シャウザリー社を苦手としていることは周知の事実だが、彼と初対面の透はそんなことは露知らず、ただただ突然現れたその人物たちを見つめていた。

 スイはともかく、外国人、カナンに至っては完璧な北欧系の容姿である彼らが織り成す日本語が非常に珍しいのだ。が、周囲もまた華やかな一角を見つめていることに気付き、ふと居たたまれなく思う。どちらかと言うとレンズ越しに覗いていたい気分だ。が、

「この度は、おめでとうございます、これ、お祝い」と、不意にカナンの青く大きな瞳が自分を捉え、邪気のないこぼれんばかりの笑みを向けられ、更に、手にしていた向日葵の花束を渡された瞬間には、射ぬかれたように魅入ってしまう。

 色のついた彫像のように見事な美貌で、直視できない太陽そのものの笑顔を作り出す。自分だけに向けられていることが、もったいないと感じるのは、写真家の性なのか。しかし。

「オレ、カナン・フィーヨルド。スペースパイロットやってんだ。オレたちショーティとは学校が同じだったんだぜ。で、スイは、ほんとは上ノ倉翠-ミドリ—って言うんだけどスイって呼ぶんだ。すっげえ頭いいんだぜ」
「カナン、支離滅裂。スイ、助けてあげないの?」

 天使のような容姿から発せられるぞんざいな物言いに、茫然とする透であったが、

「この度はおめでとうございます」

 スイからの丁寧な会釈に、やや落ち着きを取り戻す。

「あ、いえ、ご丁寧にありがとうございます」

 軽い会釈を返すと、

「なんかすっげえ、他人行儀だぜ?」とカナンが口を挟んでいた。

 ただ素直にそう感じただけなのは、ショーティには充分理解できるが、透は思わず、あ、と短い動揺の言葉を漏らす。

「初対面ではこれが普通だ!」

 そんな中、思わず牙を剥いたのはスイだった。なんでもかんでも抱きついて頬にキスする習慣など日本にはなく、無論、同姓のmouth to mouthもあるはずがない。

 怒りを露にしつつ、はたと気付き慌てて透に向き直る。

「盛況ですね」
「ええ。お陰様で」

 ようやく覗く透の笑みに安堵し、周囲を見るスイは、どこか懐かしく感じる風景に目元を柔らかく細めた。そして、再び視線が透を捕らえる。

「フィーヨルドが勧めたくなるはずだ」
「だろ!」
「どうぞ、良かったらゆっくりと見ていって下さい」

 すっきりとした目元にさり気なくも凛とした笑みを乗せ、透を見つめる視線に、透自身あたふたと周囲を指差すように告げていた。その様子にショーティは思わず含み笑いだ。

「?ありがとうございます。じゃ、フィーヨルド」

 カナンを窘めるように呼ぶと、まるで飼い主に尾を振る犬のような勢いで駆け寄り、入り口の写真からゆったりと眺めるように、歩き出す。

「ショーティ…」
「え?」
「君が自分の容姿がさほどじゃないって思うのは、納得がいったけど」

 スイとカナンの姿を見つめながら零す透の言葉に、ショーティは思わず笑い声を上げる。

「それでも僕には君が一番綺麗に見えるな」
「でも、モデルは引き受けない」

 二人は、大きな声を上げて笑ってしまうのだった。

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