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僕が僕のためにやろうと思うこと 〜卒業後、ふとした狭間で考える

綺麗…なものは

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 そして、その日も盛況の内に陽が暮れ、夕食を取り、部屋へと戻ったショーティと透は居間で本に向けての最終打ち合わせを行っていた。

 透は、日本茶と饅頭という純和風な代物をショーティが口に運ぶ姿を見て、既に違和感がなくなっている自分に気付く。そして、昼間の会話を思い出した。
 ロスで日本料理の店、そうショーティはニューヨークに自室を持っている。更に情報と聞けばどこにでも飛んで行く。どちらかと言えば、じっとしている性格でないことは、既に熟知していた。
 ここに居ても3日と明けずに飛び回っていた。ただ、必ずここに帰って来ていたのだが、個展は開催され、本の最終工程。後は出版社の仕事となると、ショーティがここにいる理由がなくなる。

 来るのだ。本当の別れというものが。

 もちろん会おうと思えばすぐに会える。場所にもよるが、今や月も日帰り出来るほどなのだ。けれど、共同生活は終わってしまう。今更ながらにショーティのいない現実というものを実感し、淋しさを感じていた。
 元々、地方を旅して回る写真家であるため家を空けることは多い。しかし、あまりに長く一緒にいたこと、そして、一度は手に入れたことのある愛しさが胸を叩く。

 このままでいいのか?と脳裏がささやきだしていた。

 けれど、ここで昼間の謎が顔を出す。
 ケンカをしたアーネストという存在だった。ショーティは確かにその名に反応した。ほんの一瞬、その一瞬ではあるが、見落とさなかった自分と見せたショーティが気になった。彼の動向が…思いが…。

「透?…疲れた?」

 不意に黙り込んだ透に気付き、ショーティは尋ねながら時計に視線を走らせる。まだ22時にも満たないが、それでも昼間のことを思えば疲れていて当たり前だ。

「ごめん。配慮が足りないよね」
「ショーティ」

 笑みを見せ、柔らかな口調で告げるショーティの腕を、透は思わず掴んでいた。

「透?」

 自分より幾分も細い腕が脈を伝え、それをすぐそばで感じたいと思う体が、次第に熱くなる。が、透のそんな思いを押さえ込んだのは、一本の電話であった。

 緊急コールのショーティのそれが、静寂を破るように鳴り響き、透の気持ちまでも切り裂く。

「…通信…」
「…hello」

 引きつるような笑みを見せ、やんわりと腕を離す透は、通信に応えるショーティを見つめ、ややほっとしたような残念だったような妙な気分を持て余し気味に、テレビをつけた。

「What !?」

 途端、激しい口調で問いかけの単語がショーティから発せられ、透は慌てて音量を絞る。
 通信回線の応対は、口調だけでなく表情までも険しいそれに変わっていた。それでも不謹慎に綺麗だなと思う透であるが、不意に画面に流れるテロップに目を奪われる。

「だから、言ったのに」

 回線を切ったショーティは、テレビ画面を見つめながら、深いため息をこぼす。透がショーティを見ると、その茶色の瞳が僅かに揺らいでいるようにも見え、

「ショーティ?」と伺うように問いかけた。
「ニュースを」

 透に答えることはなく、ショーティはテレビの画面を切り替える。ニュースではかの大企業サリレヴァントの新社長であるアーネスト・レドモン氏の休養宣言を告げていた。通信もまさにこのことであったが、休養宣言とはいえ、実質はアーネストが倒れた、との話しであった。

 どうする?記事にするか?と聞かれたが、今、サリレヴァントに刃を向けるようなことはしない方がいいと進言しておいた。

 実際、情報筋から流れるよりも、エメラーダ会長の動きの方が早かった。友好関係を結ぼうと思った矢先、下手なことをしてアーネストの敵に回るつもりはない。

 ただ、嫌味の一つでも言わなければ気が済まなかった。

 倒れる程に溜め込むなど、自分では何の役にも立たないのか。
 連絡の一本でもくれてみろ!

「ショーティ、もしかして昼間話していたアーネストっていうのは、彼のこと?あのアーネスト・レドモン氏!?」

 そんなショーティの思考を遮ったのは透であった。あまりの驚愕に、透は自分の表情さえ把握できない。ただ、あ、と言葉につまるようなショーティのそれに事実なり、を知り、ああ、と納得する。

「間違ってたら笑ってくれてもいいけど。もしかして傷つけた大事な友人って…彼のこと?」
「…透には、適わないなあ」

 今更隠すこともない、とショーティは腹を決めて頷いたのだが、やや自虐的な笑みのショーティを見て、透は思わず目を閉じていた。

 今の表情も、泣くほどの大切な友人も、それは一定の意味を持つものではないか、と思える。そして多分、ショーティ自身は気付いていないだろう。

 目を開けた透は、テレビ画面に出ているアーネスト・レドモンの映像に釘付けとなっているショーティを認めた。

 ショーティ…と声にならない声が透の口から零れる。
 ショーティ、君は…。

「そして、僕が、自身を綺麗だと思えない最大の理由」

 ついと、ショーティの視線が目元を細めて透を捕らえた。

 アーネスト・レドモン。金茶の絹糸の髪。切れ長の茶金の瞳。時折見せる金の視線が、幾人も魅了してきたことをショーティは充分知っている。容姿端麗とは彼のためにあると言えるだろう。確かにカナンも類稀なる美貌の持ち主だ。しかし、質が違う。カナン・フィーヨルドに色気が加われば、それはそれで張り合えるかもしれない。だが、アーネストにはその容姿に加え優秀すぎる頭脳がある。幼きより身に付いた優雅な物腰、秀麗な態度。

 綺麗、という言葉は絶対に彼のためにあると思う。

 だからこそ、自分自身に言われる言葉は違うと思うし、言われたくもない。

「君が、そう言いたくなることも解る気はするけれど」

 透はつぶやくように賛同した。
 写真で見ただけでも、確かににじみ出るような美しさはあった。それが写真家の手だけではないことも、充分知りえていたが、それでも。

 僕にとっては君が一番綺麗だけどな。

 言葉は、掴みかけた腕のぬくもりと一緒に胸の奥深くに仕舞われるのだった。


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