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僕が僕のためにやろうと思うこと 〜卒業後、ふとした狭間で考える

僕が僕のためにやろうと思う一つめ

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「出版記念パーティは盛大にやるって言ってたからその時に会えるかな。呼んでくれるよね」

 まるで2,3日の旅行のように身軽な格好のショーティは、空港まで送ってくれた透に、にっこりと笑みをみせた。そして、ニューヨーク行きの最終搭乗案内が流れ、ちらりと時計に目を走らせる。

「ショーティ、ちゃんと眠るんだよ」
「? ああ、大丈夫。透の知らないところで眠ってたよ」

 そして心配そうに向けられる視線に一瞬考え、それから思い出したように頷いた。アーネストの休養宣言の後、すぐに携帯を鳴らしたがつながらず、不審に思ったショーティは休養先を調べた。しかし、その場所はわからず、奇妙な不安を覚えたショーティは、情報を駆使し、2日間不眠不休で調べたのだ。

 夜間の通話のやりとりやパソコン操作など、自然と声が洩れ聞こえ、透を起こしてしまう。わざわざコーヒーを入れてくれた透は柔らかな口調で、僕にできることがあるなら、と言ってくれた。ここにいると少なくとも透の邪魔になる。

 そして、一番不安を感じたのは、通信回線が切られていることだった。

 アーネストの通話は、ショーティもそうであるが、スイからも掛かってくる。何しろ今や大企業の社長。会社に連絡するものならばたらい回しされること覚悟の上、直接回線へ掛けた方が早い。滅多に掛かってこないスイからの通話はアーネストには安らぎにも似た感覚をもたらすものだとショーティは捉えていた。
 本人は気付いていないだろうが、その表情は目の当たりにしなければわからない。
 なのに、その唯一の安らぎースイとの交友-さえも断ち切っていることは解せなかった。スイのためにショーティと契約をし、スイのために母親と契約をした。アーネストが、自身を持ってスイを守る。自己を犠牲にしてまでもスイを思っているのに、休養だからこそ彼といたいだろうに、スイは日本にいる。そして繋がらない回線。

 不安なことはそれだけでも充分であったが、居場所がわからないということも、ショーティにしてみれば解せないことであった。

 あれだけ大きな企業の社長が、休養とはいえ訪れる先なのだ。それさえも宣伝効果があり、更にセキュリティシステムなどの面も強化しなければならないにも拘わらず、その行方は頑として掴めない。

 透の方も一息ついたために、ショーティは情報の本場であるニューヨークに、自分自身が一番動ける場所へと帰ることを決めたのだ。

 一刻も早くアーネストを見つけたい、いや、見つけなければならないような、そんな使命感にも似た感覚を覚える。何故かはわからない。つい先日まで和やかな笑みで記者会見をやっていたはずなのに、嫌な胸騒ぎがする。

「透に会えてよかった」

 にっこりと口元に笑みを浮かべたまま告げるショーティは、

「初めはなんて奴と思ったけど」と続けた。苛立ち、不安、哀しみ、幾多の思いを透は受け止めてくれた。自覚して人前で泣くなど初めてで、自分の未熟さを知らされた。けれど、透のお陰で不快だと思わなかった。本当に救われたと言えるだろう。

 そして、アーネスト。
 会いたいと思えることが、不思議な気もしていた。

「ショーティ…」

 時計に視線を走らせる透がその名を呼ぶ。別れの時間は刻一刻と近づき、ショーティも透を見上げた。

「…イメージが、ぴったりだったんだ」

 不意に透が口を開く。やや伏せ目がちな表情に、ショーティはふっと頬を緩める。

「月?」

 そして尋ねた。ショーティの言葉に惹かれ、月をイメージした写真を取りたがっていた透である。ぴったりというものが指し示すものは、それしかない。だが。

「どっちかって言えば…僕は川魚だよ。空にある月を見上げてる。その全てを見たいのに見えるのは川面に揺れる不確かな形だけ。それも正面のみ。捉え切れないんだ…」

 告げるショーティの脳裏をアーネストが過ぎる。
 そして、そうだ、と思う。
 アーネストは月に似ているかもしれない。誰にも背を見せない。月が地球の引力に引かれているように、なにかに縛られて軌道を描く。

 その手を離れ、飛んでいけたら——————どうなるのだろう。
 アーネストはどうするのだろう。

「ショーティ?」
「あ、」

 考え込んでいると最終アナウンスが流れ初めた。とにかく考えるのは後だと、ショーティは自分に言い聞かせ、

「透、世話になったね」

 透に向き直った。案内ギリギリの時間である。しかし別れがたいのも事実であり…。

「ショーティ、元気で!」

 手を差し出す透を見上げたショーティは、手を伸ばしかけるが、思い余ったように、両手をその肩越しに伸ばした。

「シ、ショーティ!」

 驚いて硬直する透の肩に頭を寄せる。

 この胸で泣いた。少しだけ雰囲気に乗せてしまった事は罪悪感を覚えるが、透はそのことについて、触れてこない。

 人が良すぎるよ、透。

 声にならない声を零し、驚いたまま直立不動の透の頬へ離れる間際柔らかなキスを落とす。

「またね。ありがと」
「ショーティ!」

 両手を解き、歩き出す後ろ姿に透が声をかける。
 最終案内のアナウンスに人々が駆け出す中、透の視界でショーティはゆっくりと振り返った。そして首を傾げるようにして、にっこりと笑みを湛える。陽光に照らされた栗色の髪がさらりと零れ、大きな茶系の瞳が笑みにより細くなり、艶妖な色を覗かせる。


「君は——————君は、恋をしたことがあるのかな!?」
「え?」

 流れる人波が、ショーティの肩にぶつかった。透は大きく手を振り、気をつけてと叫ぶ。その声に押され、歩を進めるショーティであったが、タラップに差し掛かった時、不意に吹く強い風に乱れる前髪を大きくかきあげ、透をみつめた。

 そして、もしかして、と思う。

 —————透、僕のこと、好き、だった?


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