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歩き出すために ~高階透は語り出す

再会 〜月が綺麗だから

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 2112年 1月


「A HAPPY NEW YEAR!!」

 22時を回った時間に鳴ったデバイスから、その声はほとばしるように響いた。
 見事な発音の英語が特定の人物を知らしめ、透はやや上ずったような声音で、

「…ショーティ?」

 しかし伺うように問いかける。

「YE~S!」

 声は間近で響き、途端、透の表情が見るからに明るくなった。
 予期せぬ連絡である。新年早々に聞けるとは思わなかったため満面笑顔で、これが画面付きでなかったことに安堵さえ含み、

「嬉しいな、ショーティから連絡を貰えるなんて」と心底からの想いを告げた。

 その声にクスクスと通話口で笑い声を零すショーティは、

「嬉しいな。透から優しい言葉をかけて貰えるなんて」と茶化した響きを持って真似をする。
「ショーティ!」

 叱咤する声も嬉しさが勝り、どこか甘い響きとなるが、

「ね、透」との呼びかけに耳を傾けた。

 ずっと聞いていたいような甘い声音は、しかし—————。

「良い夜だね」
「え?」

 今も心に残る一つの影。
 そうショーティ・アナザー、彼の幻影が透の中で違和感をかもし出す。彼が見せたのは強さだけではなかった。溢れ出る涙を、その儚さを、透は確かに目の当たりにし、そして想いを募らせたものだ。

 しかし、やはりショーティと言えば天下一品の気の強さ。
 可愛らしい少女のような容姿に似合わぬ気丈さに、心を引寄せられた。
 その彼が情緒的な言葉を発し、いや、彼の文章はそれらしいものもある。けれど彼自身どちらかと言えば良い夜だからなんだ、と言う性格で、そのギャップがいいなと思えるところでもあり、

「ショーティ?」

 透は、訝しげに名を呼んだ。

 第一、ショーティの自宅はニューヨークである。ここは間違うことなく日本で、その時差と言えば12時間余り、日本が22時を迎えたのだからニューヨークは朝のはずだ。とは言え、世界を飛び回るフリーライターの彼が、正月に大人しく自宅にいるかと言えば、違うと言えなくもない。

 自分の鼻の下が伸びた顔を見られなくて良かった、と安堵していたが、やはり画像つきの方が良かったのかもしれないと思い始めていた。
 写真家の透である。表情を見ればある程度の予測はつく。
 確信は、ないのだが。

「今、どこに居るの?」

 僕にできることは、ある?
 聞いてみたいが、多分かわされてしまうだろう。
 ショーティの性格からして充分考えられる為、無難な問いだけが口に上る。
 けれど————。

「透は?今、なにしてるの?」

 軽い含み笑いを交え、ショーティは同じような口調で尋ねてきた。相変わらず流暢な日本語で、出会った瞬間の「I don’t know Japanese」が聞いて呆れる。
「初冬の絵がまだ仕上がってなかったから、その続きを描こうかと思ってる」
「相変わらずだねぇ」

 茶化すような響きに含まれる嬉しそうな声音に透は小さく息を吐きながら、

「僕は相変わらずだよ。ショーティ…君は?今、どこに居るの?何をしてるの?」と尋ねた。乗ってくれれば良いが、ショーティがそう簡単に口車に乗るはずがないとも思う。

 何か、気になることがあるのなら、聞いてあげることくらいできるんだよ。
 透の思惑を知ってか知らずにか、少しの沈黙の後、ショーティはゆっくりと口を開く。

「うん。……月を、見てる。綺麗だよ。冬のよく澄んだ夜空に大きな満月が浮いている。僕、あそこに居たんだよね」

 どこか懐かしむような声音に何かを求めているような気配。そして何より、通話越しに響く風の音。

「ショーティ……?もしかして今、外?」
「YES!気持ちがいいよ」
「気持ちがいいって…」

 少なくとも今が夜の北半球、真冬の中、のんびり通話している場合ではないだろう。

「風邪ひくよ、とにかく部屋に戻って。ところで今どこに…」

 すぐにでも飛んで行きたい衝動に駆られていた。しかし、彼がそれを望むはずもない。本当に人の手が欲しい時には、彼は動く。いつだって自分自身で動いていたはずだ。今だって、もしかしたら単なる場つなぎなのかもしれない。
 しかし、透にとってそれならそれでも良かった。
 まだ、こんなにも惹かれているのだから……。

「透!聞いてる?……ね、外、見てよ。きっと綺麗だよ。突き抜けるような空に、星の灯りなんて蹴倒して……月が…孤高なまでに—————誰も寄せず……」
「え?なに?」

 通話越しの声が小さくなったことに慌てて、透は聞き返した。切れてしまわないようにと思いつつベランダに続く窓に歩み寄る。

 ショーティが綺麗だと言った夜の月がここでも見られるのか。

「ショーティ、良く聞こえないんだけど」

 少しでも彼と共有できるものがあるのか。

 軽快な音を立ててカーテンを開けて窓に手をかけるとすぐに、月の明かりが窓から差込み、室内に仄かな影を作った。
 思わず息を飲んだ透は、この場所にショーティを立たせてみたい、と思った。
 きっと、そう多分、よく似合うだろう。

 写真家としての欲望がうずく。何度もモデルを頼み込んでいるにも関わらず、一度たりとて良い返事を貰ったことがない。
 そして、唯一の写真と言えば、桜の木の下の望遠で取り収めたもの。
 彼を表現するのならば、望遠ではダメだ。
 きっともっと間近の、正面から捉える茶系の瞳…甘い容姿—————。

 カラカラカラと音を立て、ベランダに続く窓を開ける。

 年末から降りしきっていた雪は元旦と2日にかけて小休止。しかし、それ故にジンとくる寒さがあり、吐く息が白くなる様を横目に月を見上げた。

「うわぁ」

 めずらしくも満月。確かに、突き抜けるような夜空にその姿は神々しいまでの孤高であった。孤高というよりは孤独、そう淋しさを感じさせる。


 ——————が!

「ショーティ!?」
「やっほー!」

 見上げた月から、何の気なしに通りを見やった透は、そこにショーティ・アナザー本人の姿を認め、思わず身を乗り出し、その名を叫んだ。

 街灯からやや離れているものの、月明かりで姿ははっきりと見て取れる。

 栗色の髪が冬の乾いた風にさらさらと揺れ、大きな瞳で見上げる姿はやはり一見すると少女のようで、しかし、どこか艶やかさを増したような気もする。
 その彼がついと細く白い指で月を指差した。

「ね、綺麗でしょ?」

 受話器から零れる声音。その瞳が細い光を放つ。
 どんなに綺麗な夜の月でもショーティには勝てやしない。思わず指だけでカメラを探してしまう透は通話口から零れる笑みに、

「すぐ行く!」

 デバイスを放り出すように切ると、コートを手に部屋を飛び出した。
 理由などどうでもいい。
 今そこに彼がいる、それが事実ならば。


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