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本当に欲しいもの 〜火星に行くのは拗ねたからじゃない

君は僕を好き…?

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 ラウンジを抜ける際に他人の窺うような視線を感じたが、それらも無視してエレベーターに乗り込む。そして動き出したその時になってエレベーターが上がっていることを知り、半歩前に立つアーネストを垣間見る。

 胸が少しずつ高鳴り初めていた。体温が上がり、指先が軽く震えてくる気すらする。
 まるで10代の女の子のようだ、と小さく自嘲さえ浮かべると、それは最上階を示す位置で止まった。

 部屋へと向かうまで終始無言。
 半年前のケンカの続きをここでやるのだろうか。
 もちろん、淡い期待の方が大きいのだが、その考えも捨てきれず、一室の扉が開かれる。
 室内は薄闇。かなり広さのリビングを思わせる室内には既にワインの準備が施され、通りに面した大きな窓にはブラインドが下ろされて、セピア色の闇が作り出されている。
 思わず入るのを躊躇ったショーティであったが、

「ここなら、靴を脱いでも大丈夫だろう?」

 振り返りざまににっこりといつものアーネストらしい笑みを携えて告げられ、ショーティはやや不快な面持ちでずかずかと室内へ入るなり、荒々しくソファへ腰を下ろした。そして、靴を脱ぎ捨てるなり、
「アーネスト、僕が火星に行ってる間に何かあった?」
 そう言い放つ。

 変わったような、変わってないような微妙な感覚。けれど、それは悪い方面ではないような気はしていた。全て感覚でしかないのだが、捕らえられそうで捕らえきれない何かが、また彼の中に生まれているのだとしたら、それはショーティにとっておもしろくない。

 アーネスト・レドモン。
 今、最も捕らえたくて仕方のない人物なのだ。が。

「僕もね、聞きたかったんだ。ショーティ」

 問いに答えることはなくソファに歩み寄るアーネストが、真っ直ぐにショーティをみつめて聞き返してきた。

「え?」

 思わず素のままの大きな茶色の瞳で見上げると、いつになく真剣な面持ちの彼に、少しだけ臆してしまう。

「君は…僕のことを好きなのかい?」
「————え?」

 問われた内容に、一瞬、ついていけなかった。

 確かに、どちらかと言えば好きな子に意地悪をするタイプだと自任している。しかし、あのアーネストにそう聞かれるとは思わなかった。人の先を見て、人の動向を探り、何しろ人也を見る事に長けているアーネストである。その彼が尋ねてくることに思わず笑みがこぼれる。

「うん。好きだよ、アーネスト」

 気にしていてくれたのだ、と言う思い。そして、伝えたかったその一言。
 男同士だのなんだのと言う前に、目の前の青年に心を奪われていた。いつからなのか、気付いた時にはもうどうしようもなく。そして。

「————セックスしたいくらいにね」

 思わず肩を竦めて首を傾げると、アーネストの茶金の瞳が薄く光を反射した。それが笑みだとわかってしまうショーティは小さく視線を伏せる。

 そう、これが事実。
 嘘偽りのない答えだった。
 だからとはいえ無理強いをしようと思っているわけではない。
 アーネストにはアーネストの感覚がある。それが合わないのならば諦める他ない。
 しかし、ショーティにも欲はある。だからこそ軽く身を乗り出すようにしてアーネストの双眸をみつめ返した。真っ直ぐに射抜くようなその視線で、

「アーネストは?……僕とのセックス、嫌だった?」

 どこか誘うような確信さえも含んだ声音で尋ねると、アーネストは小さく口元に笑み浮かべた。

「まるで否定はないかのようだけれど?」
「まさか。内心、すっごいドキドキしてるんだ。否定されたらどう言いくるめようって」
「その割には自信に溢れているかな」
「これで自信があったら、僕はグランドキャニオンだって飛び降りられるよ」

 告げながらも立ち上がったショーティは、肩に掛かる髪をさらりと手で払いながら、例えに一瞬面食らったように笑みを見せるアーネストを横目で見た。

「僕————シャワーを借りてもいい?」
「足の捻挫は?冷やさなくてもいいのかい?」
「シャワーで冷やしてくるよ!待っててくれる?」
「please」

 くすくすと笑みを零しながらアーネストが告げ、ショーティはバスルームへと滑り込む。
 心臓が並じゃなかった。
 こんな経験今までしたことがなく、手に汗を覚える。思わず洗面台に手をつき、軽い深呼吸を繰り返すショーティは肩にかかる栗色の髪を認め、顔を上げた。
 瞬間、目に飛び込んだのは洗面台の鏡に映されたトレイシー・リスキーと名乗る自身の女装であった。途端、眉根を寄せる。
 アーネストに会えるのならばこんな格好はしなかったのだ。彼の前ではいつも自分自身でいたいと思う。

「うん」

 ショーティは護身用に持つレーザーナイフを取り出すと、髪を無造作に掴んだ。そしてナイフを、肩と平行に滑らせて髪を断ち切る。
 ふわりと舞うように落ちる栗色の髪は手の中で動きを止め、軽く頭を振ると肩上で乱雑に切られたそれらが、少しちくちくと首元を攻めた。鏡に映る姿は薄化粧を施してはいるがショーティ・アナザー以外の何者でもなく、大きな瞳を軽く細めて鏡の中の視線を振り切り、手にした髪をダストシュートへ放り込む。
 そして、服を無造作に脱ぎ捨てた。

 シャワーの感覚は覚えていない。
 水滴の残る前髪を軽くかきあげ、バスローブを纏い出ていくと、何やら電話を掛けていたアーネストが電源を切り、顔を上げるなり少しだけ驚いたような表情を見せ、それからふわりと笑う。

「お帰り。ショーティ」

 笑みを惜しげもなく披露するアーネストに、深い意味があるとは思えなかった。
 それよりも、目の前の彼が愛しくて欲しくて、近づくなり、そっと手を伸ばす。

 指に絡む金茶の髪が室内のセピアを反映して茶を濃くしている。真っ直ぐに視線を絡め、小さく伸びをして口唇を奪うと、艶やかにも滑らかな感触を与えてくれた。
 軽く重ねるだけの柔らかなキスに、脳が、思考も行動も全てを止める。
 ただ、その唇を求め、更にキスを繰り返す。まだ湿った髪に触れる指先が首元から肩先に触れ、

「…っ…」

 思わずこぼれる声音を口内で打ち消した。
 こんなに簡単に煽られてしまうことを知られたくない。だが、繰り返す口付けが更に深いものとなった瞬間、

「ん…」

 求めるように甘い声音が鼻をついていた。
 触れる舌先の熱。身を包む香り。撫でるような指先。
 震えだす身体をどうすることもできずに、膝から力が抜けていくような感覚は、自分が全てを預けていることを知らしめる。
 悔しくて、けれど、それ以上に————。

「ねぇ…僕にしておきなよ」




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