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ただ会いたいだけなのに ~冬のパリ、甘々だったよね!

宣言させて貰います

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「何かしら、用って」

 厳とした室内は決して豪華なものではなかったが、存在する人物でこんなにも違ってくるのかと、ショーティは改めて思わされていた。その目の前の女性が口元でゆるく笑みを作る。

「私からアーネストに取り次いでというのはナシよ」

 どこか牽制するかのような声音は、しかしどこか軽やかな響きさえ含み、ショーティもまたのまれないようにと小さな笑みを浮かべる。

「えー残念。それもありかなと思ったのですが」
「………嘘つきなさいな。そんな可能性があるなんて思っていなかったでしょう?あなたは」
「万が一って可能性は捨てないので」
「じゃあ、用はそのことじゃないのね、やっぱり」

 世界有数の大企業サリレヴァントを築き上げた女性は、茶化すような響きにも一切動じることはなく、金の髪さえも乱すことはなく、凛としたグリーンの瞳でさらりと返した。

 さすがはアーネストの母親だ、とショーティは小さなため息をこぼす。

 今思うと不思議なことに、対話はこれが初めてであった。
 それでも、仕事ではないプライベートなことで時間を割いてもらったのは、素直に感謝の意を表したいと思う。
 親子でありながら少年期を離れて過ごしたアーネストが、多分、誰よりも欲していて、そして誰よりも認めて欲しいだろう存在。
 蘇るのはあのパリの日。
 降りしきる雪をみつめて語った小さな本音。

《雪は…嫌いなんだ…》

 危うく聞き逃しそうになったその言葉。それまで一切語ることのなかったアーネストの本心…?

《……永遠なんて、どこにもないんだ……》

 降りしきる雪を見据えて告げた言葉は、この母親を指しているのだと思った。
 代わりに、などとおこがましいことは言わない。だが、

《僕はそばにいるよ。そばにいたいんだ!》

 これは真実だった。
 そばにいさせてくれれば、多少の波風は受け止めてみせる。包んでみせる。守ってみせる!
 母親の愛情に勝てるはずもないが、アーネストさえ本気になってくれたら!
 だからこそ、そう叫んだのだが返ってきたのはどこか冷やかな腕。

《ありがとう…》

 抱きしめられ、耳元に滑り込んだ声に、真意を逃してしまった。摑みそこなったのだ。
 翌朝、目が覚めたその脇に温もりは既になく、僅かな残り香だけ。
 そのまま彼とは会えずじまいだ。既に残り香もなくなっている。

「…けれど、アーネストが“他人と一切会わない”なんてことを本当にするとは思わなかったわ。昔から、どんなに嫌なことも軽く笑って流してしまえる子だったもの。けんか程度でこんなことする子じゃなかったわ」
「え」

 ふと、思考を遮るようにエメラーダが口を開いた。
 対話を申し込んでおいて間を作ってしまった自分に思わず叱咤し、それから視線を上げると彼女の唇が笑った。

「これは、別れ話かしら?」

 激務といっても過言でない中での、この情報量と判断。やはり並大抵の女性ではないと感嘆したい気分にすらなる。
 何より同じ空間、同じ高さの椅子に座っているというのに、相手の方が大きく立派に見える。それは決して尊大という意味ではなく、その存在が光を放ち大きいように見えるのだ。人はそれを、カリスマと言うのだろう。
 そして威圧されて、言葉が喉でつかえる感覚……。

「別れ、話?」
「あら、違うの?」

 一見穏やかな笑みであるが、どこかに、何かが引っかかる。
 それでも。僕が負けるわけにはいかないんだよね、貴女に。
 そう思い、ショーティは笑みをこぼした。

「…単なる…痴話ゲンカというところですので…。会長が気になさることじゃないと思いますが」

 吉と出るのか凶と出るのか、どちらにしろアーネストを落とす前にこの難攻不落の城を撃破する必要があるのではないかとそう思えた。

 あのパリでの告白はアーネストの意図するところではなかったのだろう。けれど、全てがそこにあるようにも思え、しかし答えて欲しいはずのアーネストは今そばにない。

 アーネストを捕まえても、言葉を交わしても、ただ繰り返すだけだ。

 深入りをよしとはしないことは十分に承知していた。けれど、もはや進退できない場所にいるような気もしてショーティはゆっくりとエメラーダをみつめる。
 カップに伸ばしていた彼女の手が、一瞬、止まっていた。が、それもほんの一瞬のことで彼女は何事もなかったのかのようにコーヒーを口にする。
 似て、いるな。
 反応をみつめるように心でつぶやいた時であった。

「……その冗談は頂けないわね」

 カップがソーサーに戻された途端、向けられたエメラーダの表情は冷やかすぎる笑みで、心音がいくらか早くなっていた。
 引っかかり、が全容を示す。
 頂けない冗談とは、痴話ゲンカ?
 それは売り言葉に買い言葉だ。そう、売られたケンカは……“別れ話”。
 友人同士でそのような表現は使用しない。つまり、別れるような存在であるのかと問われたことが、エメラーダの危惧するところなのだ。
 僕を、恐れている?
 まさか、と打ち消しながらもそれならば、願ったりだと腹を据える。

「僕としては本気のつもりなのですが」
「……冗談にしておく方が身のためだとは考えないの?」

 しばしの間を置きエメラーダの口から飛び出した言葉の真意に、ショーティもまた小さく喉を鳴らした。
 向けられる真剣なまなざし。
 この人物からこんな本気を出させたことに胸が高鳴った。そして、エメラーダのアーネストに対する執着をはっきりさせる時が来たのだと、覚悟を決める。
 真実を、解き放つ。
足が、微かに震えるのは武者震いだと言い聞かせ、

「アーネストに関しては、いつもどんな時でも本当のことしか言わないと決めたので」

 そうでなければどれが真なのかわからなくなるのだ。いつでもごまかすことのうまいアーネストなのだから。

「それで?用とは何かしら」

 エメラーダから笑みが完全に消えていた。
 ショーティもまたきっぱりと見据えて口を開く。

「…あなたは、あの日。アーネストを捨てたのですか?」

《あの人が出て行ったのは…》
《あの人…?》
《レディエメラーダ・M・サリレヴァント、だよ…》

 出て行った、と言う事実。置いていかれたと暗に告げたアーネストの言葉を思い出しながらそう疑問を投げかけると、

「捨てたわ」

 きっぱりとエメラーダが頷いた。動揺の欠片さえも見せることのない姿に、ショーティは苛立ちを覚える。

 自覚はあった。
 通常の対話になど成り得ないことの。
 通常ならばさすがと感嘆もするだろう。だが、私情が絡んでいる今、冷静に聞けるはずもない。
 エメラーダの言葉が脳裏にこだまする。

 夏の時期、アーネストの体調が思わしくなかったあの一件を彼女は知らない。知っていたとしても、なんら変わりがあるのだろうか。
 行方知れずになった息子の危機も感じえない母親が、今更何を求めるというのか。
 ショーティは自問しながらも真っ直ぐにエメラーダをみつめた。

「では、アーネストに今更何をさせたいのですか?」
「決まっているわ。この会社を継がせたいのよ」

 ならば、やり方があるはずだ。

「なぜ?」
「何故ですって?ショーティ・アナザー、それは愚問だわ」

 軽く首を振りながらエメラーダは口を開く。

「アーネストには確かに経営の才がある。それを欲しがらない経営陣があると思って?ましてやそれが血を分けた我が子なのよ!跡を継がせたいと思って然るべきだわ。そう思って何が悪いの?」
「それなら、もし、アーネストにその才がなかったら……?あなたは声をかけたのですか?」
「…それも愚問だわ」

 きっぱりと見据えてくる視線に、思わず椅子を蹴り立ち上がった。

「愚問?何が!?……あなたはアーネストを捨てたんだ。その才能も可能性も捨てたんだ。 なのに今更母親のふりをして近づく。アーネストが“お母さん”を求めていることを知っていて、必死なことを知っていてやっているのですよね?」
「————それが、何?」

 きっぱりと言い切るその視線はまさしく経営者のそれで、ショーティはこみ上げてくる怒りを飲み込みながら、きつく拳を握り締めた。

 そして、なぜ、わかってくれないのだろうと思う。
 あんなに必死なのだ。
 いつだってアーネストは、あなたのために、必死なのだ…。

 だからこそ許せなかった。

 母親であることを捨てたのに、母親であることを利用しているエメラーダの手段に。

 何をやってるのさ!アーネスト!
 心中でその名を呼ぶ。

 少なくとも、高校の時の彼はこんなに縛られてなどなかった。けれど、今のアーネストは縛られていることに気付いていないような気がした。

 変わっていない。社長就任の時となんら、変わっていないじゃないか!

「話が、それだけならば」

 ついと視線を落として口を開いたエメラーダに、瞬時、思考が止まった。

「————あなたにはアーネストを絶対に渡さない。アーネストが一度でも僕を選んだなら、その時には、僕が連れて行きます」

 そして叫んだ言葉に、やや驚いたような彼女の瞳を見たような気がしたが、ショーティの中には既にアーネストへの怒りが溢れ出しており、もはや何も言う事も聞く事もなく部屋を退室していた。

 会わなければ。
 アーネストに会わなければどうにもならないと思う。

 何を考えているのか。何をしようとしているのか。
 心配するなど苦手なのに、気になって仕方がない。
 こんなにも心を魅了して離さないなど、

「重症だよ、僕も…」

 サリレヴァントビルを背にしたところで、ふわりと舞い散る雪に気付いて空を仰いだ。

 アーネスト…この雪を、見ているの……?






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