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終幕 ①

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Scene.13



 ——————アーネストが向かったのは、ニューヨーク郊外にある湖の畔だった。


 アーネストの乗っていた無人タクシーが引き返すことを確認したショーティは、付近に車を止めて降り立った。ケインに借りた車は、彼の契約している駐車場に戻るようセットした。問題ないだろう。
 そして降りて…気付く。ここは以前のコテージの辺りに雰囲気が似ていることに。

 まあ…でも、そうかなとも思った。ニューヨークから車を走らせて2時間の場所だ。都市と違って、ニューヨーク市と言えど少し開かれていない場所があって当然だった。
 そのため、陽も落ちようという時分になっていた。

 ……人を誘惑するかのようにある森への小道を、ショーティは小走りに…走った。アーネストにも発信機付けとくべきだったなぁと思いながら。これで見失ったら、アーネストの帰る場所がない状態では、本当の本当に探しようがない。

 それでも……アーネストは尾行しているショーティを、撒いたりはしなかった。今が感情的になり尾行する車に気付かなかったか…、もしくは気付いていてももはや彼にはどうでもいいと思って放っておいたか…であるが。ショーティは十中八九、後者だろうと思っていた。お茶会の間中、アーネストはずっと冷静だった。自棄すらなかった。どうすればショーティが煽られるかを知り尽くし、そして彼女から断らせるために何が効果的か計算し、………あまつさえあんな大人しい女性に叩かれることも許した……。アーネストなら、軽く躱せただろうに。

「ほんと……馬鹿……」

 本当にねぇ…と思う。アーネストが犯罪がらみで検挙されたとしても、どう引っくり返したって精神錯乱なんて言葉は出てこないと、心から思う。

 薄暗くなっていく中で短い小道を抜けると、目の前には小さな湖が広がっていた。
 湖のはるか向こうに、霞むようなマンハッタンの光の洪水の片鱗がちらついている。
 そして…小さなさざ波が寄せる畔に、見覚えのありすぎる背中。————アーネストだった。
 いくら世界が闇に覆われて混沌としようとも、ほんの少しのシルエットでわかる。間違えようもない程に、追いかけて追いかけてきた背中だった。
 ショーティが一歩踏み出した時に。

 アーネストが、振り返った。
 そのアーネストを見て、ショーティは悟る。やっぱ…わかってたんだ。

 今アーネストは、研ぎ澄まされた冬の月そのものだった。近づくものを、全て傷つけていくような感覚。今まで…こんなアーネストを見たことが、なかった。いつも、全てを隠して微笑んでいたから。彼の意識がある時は。

 “帰れ”と、無言のうちに告げていると思ったが…、それを言われてはいないし、何よりそんなアーネストだからこそ一人にできないと思ってしまう。

「アーネスト………」
「ゲームは終わったと言ったはずだ」

 容赦のない、声音だった。静かなのに圧がすごい……。第三者であれば、この彼には近づくことはないだろう。本当に…それが賢明なこととわかっているが、だからこそ絶対に彼を一人にできないと思う。
 ショーティは、更に一歩近づいた。

 あの時みたいな後悔は……二度としたくなかった。アーネストの心の傷に気付かずにいた…許せない自分を感じたくないし、何より一人で苛み続けるアーネストを二度と見たくなかった。

「……………ゲーム、ね。でもゲームって相手がいてこそ、だよね?」

 少しおどけたように、ショーティは返した。

「……そんな風にさぁ、一方的に終わらせられてもね。僕の人権はないの?」
「……………権利?……慰謝料でも払えと……?」

 アーネストは、皮肉そうな笑みを浮かべていた。ショーティもそうなのかと、ただ思った。何の代償もなく自由は…得られないのだと。それが自分のいた世界なのだと理解していても、鬱陶しかった。

「では好きなものを持っていけばいいよ、ショーティ」

 淡々と、アーネストは語る。

 ………本当にこの時は、例え全てを持っていかれても自分の持っている物で片が付くなら……構わなかった。それで本当に自由になれるなら、それで良かった。身ぐるみ全て剥がされても構わなかった。
 今はそれ以外に望みなどなかったし、誰にも…自分にすら期待など欠片もなかった。 ————それがスイであっても。…………たとえ…ショーティであっても。

「好きなもの?いいの?じゃあ…僕…アーネストの禁固300年」

 ショーティはにっこりと笑って、告げる。

 え?

 アーネストは、一瞬固まった。意表を衝かれるとは、まさしくこのことだった。
 それはアーネストが考えていたものではなく、……また意味が全く分からなかった。
 思わず……瞬きを繰り返す。
 …軽く混乱さえきたしていたが、そんな中で、どこかで聞いたセリフだと思う。
 ………どこで?
 そんなアーネストをどう思ったのか…、ショーティはゆっくりとアーネストに近づき少し腫れの残る彼の頬に手を添えた。

「………………………」

 温かな掌が…体温をアーネストに伝える。
 その感覚が、遠い日のものと……重なる。
 涼しいを通り越して…少し冷やかな夏の夜。冷え切った身体に———添えられた…温かな腕……。
 あれは…と思う。

「……………ショーティ……?」

 ショーティは、にっこりと笑い返した。よく出来ましたと言わんばかりの笑顔だった。

「うん、そうだよアーネスト。ショーティ・アナザーだよ」

 そしてショーティは、アーネストの両頬を優しく包み込んだ。

「馬鹿だよ、アーネスト。わざと叩かれるなんて……本当に馬鹿……」

 優しい、音だった。冷え切った身体にその温もりが浸みていくように、心に沁みていく。

「……ショーティ」

 アーネストの“音”に変わっていた。

「ねえ、アーネスト。罪状……覚えてる?」



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