上 下
64 / 89

終幕 ②

しおりを挟む
 面白そうに問いかけてくるショーティに、アーネストも笑顔がこぼれる。しかしそれは引き攣ったものであった。それは話の内容にそうなったのではなく、まるで笑いを忘れて…うまく動かせないように……。
 が。
 ん?と思う。
 ———あのパリでの会話は、碌な罪状ではなかったようだが?

「…………まさかと思うけど…ショーティ?見て惑わされって奴かい?」
「違うよ」

 ショーティは、アーネストの首へと両腕を回していく。

「あれ?違わないかな?………アーネストさぁ、僕の何もかもを盗んだんだよ」

 栗色の双眸が…アーネストを面白そうに見上げてくる。………最初に惹かれた、双眸。秋の晴れた空のように…高く澄んでいる。
 けれども…アーネストは首を振った。今は…パリの時のようにショーティに酔うことなど出来なかった。あれは最後だと思っていたから…酔えたのだ。

「それは、盗んだとは言わないよ?君がただ…幻に惑わされただけだろう?」
「僕が?惑わされる?ああ、そうかもね。でもそれはアーネストが僕にとって本物だからだよ?」

 くすくす笑いながら、ショーティはアーネストを抱き締めた。

「ショー……」
「だから最後まで責任取ってよ」
「責任?………僕の意思に関係なく惑わされたのに?」
「じゃあ僕が責任取るよ。これ以上誰も惑わされないように」

 けれどもそう告げられた時に、アーネストの表情が曇る。…………そして、ゆっくりとショーティの肩を押し自分から離した。

「アーネスト?」
「ショーティ……。誰がどう惑わされるのか知らないけど…僕自身は、面白味のない人間だよ?」

 そんな価値はありはしない。その言葉は、暗にそう告げていた。

「………それは…アーネストの考えだよね。僕はそう思ったことはないよ」
「でも………君には…僕じゃなくてもいるだろう?」
「アーネストがいいんだよ。それに僕、アーネストとの会話楽しいし」
「辛辣なのに?」
「醍醐味だね。それに僕はアーネストの性格もお気に入りだし」
「………こんな計算高い、二重人格が?」
「うん、単純であり得ないところがいいんだ。僕には美味しすぎ」

 そう言って笑いながら、ショーティはアーネストの唇に触れるか触れないかのキスを落とす。こんなにムキになるアーネストが初めてだと思う。何か可愛くて仕方なかった。

「ショーティ……」

 アーネストが戸惑うように視線を動かす。
 そんなアーネストの表情が可愛くて、再度キス。

「ねえ、アーネスト。僕のものになりなよ」
「ショーティ?」
「アーネスト・アナザーって響き可愛いし?」

 うーん、今全部可愛いってほうに流れてるなぁ。そのことをおかしく思いながらも、アーネストの両腕を握り、キスをする。

「は…何を…。“レドモン”でなくなれば、爵位も付いてこないのに?」
「いらないよ。アーネストがいればいいんだ」

 頬にキス。

「もうサリレヴァントも退社した。以前みたいな情報提供も」
「…………アーネストだけが、ほしいんだ」

 ショーティは、アーネストを見上げてにっこりと笑いかける。

「……エメラーダが…このまま引き下がると?今回の僕の行動は社に迷惑をかけるものだった。そのことで何らかの制裁が」
「エメラーダ会長は、しないよ」
「でも僕はしばらく職につけないし」
「なんだ、それくらいなら僕が養うよ。アーネストは何もしなくていい」
「ショーティ、それがなぜ君に及ばないと言える?人の口に戸は立てられない。今回の件はマスコミに知られるし、君のライター生命にも関わってくるかもしれない」

 これは脅しでもあった。益になることはないから、自分に近づくなと告げる。さすがにここまで言えばショーティも諦めるだろうと思ったのだが。

 けれどもショーティは、晴れやかなまでの笑顔を向けた。
 ………アーネストはその笑顔に魅入られたように……立ち尽くした。

「アーネスト、僕のために全部捨ててよ」
「———でも…それじゃ君が」
「僕は大丈夫。別にニューヨークじゃないとペンを握れないわけじゃないし。どこでも、そうそう火星でもやっていけるよ。それに昔から言うじゃない。ペンは剣より強しってね。僕は真実だと信じてる」
「…………」
「だから、全部捨ててよ。爵位も会社の地位も、英国の家も、財産も。
僕は…アーネストだけが欲しいんだ。他のものは何もいらない」

 栗色の双眸が…優しく絡んだ。
 その視線が…アーネストの内に眠る琴線に………触れる…………。
 ——————本気で…………?僕を………?
 ショーティの本気を感じ…胸が震える。

 …永遠はないと……いつか離れると……そう信じているが、栗色の視線がそんなアーネストを正面から捉えた。

「でも…それで僕に…何が残ると………?」

 本当に、声が震えた……。自分に何が残るというのだろう……。自身が様々な言い訳をする前に……ただ単に自分には何もないと感じてしまうのだ。ショーティに差し出せるものは、何もないと。

 けれど。

「アーネストが残るじゃないか」

 淀みのない声と晴れやかな表情で、ショーティは告げる。
 アーネストは、静かに目を見開いた。

「——————僕……?」

 全くわからないと躊躇うアーネストに、ショーティは笑いながらしっかりとアーネストを捕まえてキスをする。

「ショーティ?」
「わからない?——————誰よりも速く先の展開を読んで、手を打ってゆく狡猾さ」

 アーネストの首に腕をからめ、彼を見上げながら嬉しそうに語っていく。

「貴族の見た目“お坊ちゃま”なのに、外観とは全く違う大胆な手腕。成功のためなら利用できるものは利用する非情さ。そのためなら脅しもするよね、アーネスト?」

「………ショーティ…、喧嘩を売る気かい?」

 思わず素に戻って、アーネストは聞き返した。

「ははっ、まさか。愛の告白ってやつ?」

 楽し気に堂々と語るショーティを、アーネストは疑わし気に見つめた。その表情は“どこが?”と語っている。アーネストは自覚しているだろうか。彼の表情が…心情が…ショーティに動かされて、少しずつ変化していることに。

「だって、それが僕の知るアーネストだよ?月学園で見つけたアーネストだ」
「………月……?」
「そうだよ。あの頃のアーネストは爵位も社会的地位も肩書も何もなかったよね?それでも…アーネストだった。いつもその手腕に期待してドキドキさせられて。一杯食わされると腹も立つけど、それよりも天晴れって思う気持ちの方が大きくて…、誇らしくて……。
————それが、アーネストだよ?僕のアーネストだ」
「……………それが…僕……?」

 声が震えて、それ以上言葉が出なかった。あの頃は……自分は一人だとそう思っていた。自分の価値を容姿でも仕草でもましてや家柄でもなく……探していた。スイを見つめることでしか自分を認められなかった時代だった。

 なのに………?

「それ以外も知ってるよ。そうだね、中でも一番は、お母さんを大切にしたかったアーネスト」

 一瞬、アーネストが止まった。
 湖からの風が、アーネストの髪を揺らす。
 空は、いつしか夜闇が占めていた。互いのシルエットが闇の中に浮かぶくらいしか、わからなかったろう。
 その時、ショーティのシルエットが揺らいだ。………なんだろう?アーネストが不思議に思った時と、ショーティにぎゅっと抱きしめられたのは同時だった。
 ショーティ?そう問いかけたつもりが、声にならなかった。
 ただ……次々に頬を濡らす露の存在を感じる。

 え………?

 自分が泣いているのだと気付いたのは、それからだった。

「そんなアーネストが、本当に好きなんだ」

 ショーティにエメラーダのことを語ったのは、1回だけだった。それほど自分の奥底に隠していた存在。ショーティも表面上のことしかわからないだろうと思っていた。奥底の期待など…知らないだろうと勝手に思い込んでした。

 けれど…と思う。

 君は…僕を見つけてくれていたのか…………。
 雫は…止まる事を知らないように、次から次と静かに溢れてくる。

「アーネスト。………僕は、どんなアーネストも好きだよ」

 耳元に届く吐息。落ち着いた囁き。
 それとも…風のいたずらだったのか。
 不思議と今は……ショーティの言葉は、アーネストの心の中に沁みわたってきた。なぜその言葉にふるえないのか、理由は本当にわからなかった。信じないと強く思いながらも、————実は心の底から欲していたからだろうか?

 アーネストは、ショーティを抱きしめ返した。ショーティの息を首元に感じる。
 ただ…それだけのことが嬉しくて嬉しくて、言葉にならない。



 急速に蘇るのは、あの日の記憶。母を呼びながら泣きまくり、しかし差し伸べられる手などなく、雪降る中で凍え怯えていた子ども……。


 今……その子どもに、温かな両腕が差し伸べられた……。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 本当に…暗いアーネストの話にお付き合いいただき、ありがとうございました。まだ完全にエンドではありませんが、過去から現在までの話はいったんは終了です。後は未来の選択をアーネスト自身がする必要があります。そこはsakura編で書きますので、また読んで頂けたら嬉しいです。


  

しおりを挟む

処理中です...