ライバル同僚の甘くふしだらな溺愛

結祈みのり

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1巻

1-2

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 甘えてもだめ。クールでもだめ。

(じゃあどうしろって言うのよ……)

 勝手に期待して、勝手に落胆して、自分の理想を一方的に押し付けられても困る。
 結果、瑠衣は決めた。
 男に振り回されず、他人に何を言われてもぶれない。自立した人間になろう、と。
 その後、社会人になってからも異性から声をかけられることはしばしばあった。
 その中で気が合いそうな人と付き合ってみることもあれば、熱心なアプローチに根負けして交際に至ったこともある。だが、誰に対しても瑠衣は本気になれなかった。
 もちろん、人から好意を向けられるのは素直に嬉しい。けれど、相手に「好きだ」と言われれば、自分も同じだけの気持ちを返さなければならない。恋人という関係は一方の好意だけでは成り立たないのだから当然だ。でも、瑠衣にはそれが難しかった。
 経緯はどうであれ付き合うと決めた時点で、相手に対してそれなりの好意はある。
 しかし相手の男性が自分に向けるほどの情熱を、瑠衣はどうしても持つことができなかった。

『いつか自分のことを好きになってくれれば、今はそれでいい』

 初めはそう言っていた相手も、最後には『自分ばかりが好きでいるのに疲れた』と言って去っていく。そんなことを繰り返すうちに、いつしか瑠衣は恋愛すること自体を諦めた。
 相手に対して申し訳なくなるのも、好意の見返りを求められることにも疲れてしまったのだ。
 恋愛をするたびに心をすり減らすくらいなら、初めからしなければいい。
 ひとたびそう割り切ると、自分でも拍子抜けするくらい気持ちが楽になった。
 そうして恋愛から遠ざかること数年。気づけば二十九歳になっていた。
 現在は独身生活を謳歌おうか中だ。
 アラサーという言葉を気にしていた時期もあった。しかし三十路みそじまで残り一年を切った今となっては、そんなものはただの記号だと思っている。
 二十代から三十代になっても、きっと自分の日常は変わらない。
 毎日くたくたになるまで働いて、休みの日は趣味や美容など好きなことをして過ごす。
 かせいだお金は全て自分のために使って、そのためにまたかせいでを繰り返すのだ。
 そうした時間を過ごすうちに、いつの間にか三十代、四十代を迎えているのだろう。
 漠然と描いた青写真の中で、瑠衣は一人だ。恋人なんてもう何年もいないし、この先できる予定もない。そんな毎日を不満に思ったことはないし、むしろ生活は充実していると思う。
 ……それでもふとした時、とても寂しくなる瞬間がある。
 たとえば、友人に恋人ができた時、あるいは結婚した時。
 もしくは、同世代の女性に子供が生まれた時。
 愛する恋人、伴侶、あるいは家族を手にした女性の姿はとても綺麗だと瑠衣は思う。
 顔やスタイルのように上辺の美しさとは違う、体の内側からにじみ出る美しさだ。そしてそれは、自分がけして持ち得ないものでもある。
 自ら恋愛を遠ざけておいて、うらやましがるなんて都合のいい話だと思う。
 さりとて瑠衣も一人の女だ。人肌が恋しくなる時もあるし、人並みに性欲もある。
 自分のことだけを考えるなら、相手の気持ちなんて無視して「恋人」の立場を利用すればいい。けれど瑠衣は、相手を利用する度胸もずるさも持てなかった。
 相手も自分も傷つかず、それでいて寂しさも解消できる方法はないか。
 思いついたのは、セフレを作ることだったが、これはすぐに諦めた。
 ――互いに本気にならずに割り切った付き合いができる存在。
 そんな都合のいい相手、いるわけがないのだから。



   2


 十月初旬。
 山田商事の担当を外されてから一ヶ月経った金曜日の夜。
 仕事終わりの瑠衣は、行きつけの居酒屋にいた。
 いつもは一人でふらりと訪れてカウンター席で静かに飲んでいるのだが、今日は違った。
 瑠衣が座ったのは四人がけのテーブル席。暖簾のれんを下げれば半個室になるそこは、複数人で落ち着いて飲むにはぴったりの席だ。そんな中、瑠衣の対面には、今日も今日とて憎らしいほど顔の整った男が座っている。その表情がいつもの二割増しで輝いているのは見間違いではないだろう。

「それじゃ、乾杯するか」

 運ばれてきたビールジョッキを片手に神宮寺はニヤリと笑う。対してカシスオレンジの入ったグラスを持った瑠衣は、むっと顔をしかめた。

「ちなみに何に対して乾杯するの?」
「それはもちろん、上半期最優秀営業成績を記録した俺のために」

 神宮寺はにっこりと満面の笑みを浮かべる。まさか断らないよな、と言外に細められた眼差しに、瑠衣は仕方なく「乾杯」とグラスを合わせた。

「そうふてくされた顔をするなよ。お前だって全国十六位だろ? 十分すごいよ」
「全国一位の人に言われてもね」
「まーたそういう可愛くないこと言って。いいじゃん、俺はむしろお前がうらやましいよ」
「一位が十六位の何がうらやましいのよ」
「ん? 伸び代があるところ?」
「……一応聞いておくけど、それって嫌味? それともなぐさめ?」
「どっちだと思う?」
「前者」
「正解!」
「……あんたって本当にいい性格してるわよね」
「だろ? 俺もそう思う。三雲にめられるのは嬉しいな」
「別にめてないんだけど」
「照れんなって」

 何を言っても暖簾のれんに腕押し、ぬかくぎ。相手にするだけ無駄だと瑠衣はため息をつく。

(ああもう、悔しい)

 つい先日、上半期の個人営業成績が発表された。全国各支社の営業職が評価対象で、上位三十名が十一月に行われる表彰式で優秀成績者として表彰される。
 前回十八位だった瑠衣は、今回は十六位。十分立派な成績だと思うが、十位以内を目指していただけに悔しい気持ちはあった。下半期こそはと思うものの、大口取引先の山田商事の担当から外された以上、次回は表彰対象の三十位に入るのすら難しいかもしれない。
 対して目の前のいけすかない男は堂々の全国一位。
 これが他の人なら素直に祝えただろうに、神宮寺だと悔しさしか浮かばない。しかし悲しいかな、その悔しさを発散する相手も神宮寺しかいないのだった。
 東京支社で表彰されたのは瑠衣と神宮寺の二人だけ。それなのに「神宮寺に負けて悔しい」なんて他の社員に愚痴を言ったら、それこそ何を言われるかわからない。
 結局瑠衣は、からかわれるのを覚悟して祝勝会――ただし神宮寺の――をしている。

(どこまで完璧なのよ、この男は)

 瑠衣はグラスの縁に口をつけてゆっくりと飲む。その間にも神宮寺はジョッキを傾けてあっという間にビールを飲み干し、次を注文していた。相変わらずいい飲みっぷりだ。
 目の前の綺麗な顔立ちには、ビールよりもむしろワインやシャンパンの方が似合いそうなのに、この男が好んで飲むのはもっぱらビールや日本酒、焼酎などだ。一部の女子社員からはそのギャップがたまらないと評判らしいが、あいにく瑠衣は全く興味がない。

「三雲は今日もカシオレか」
「欲しいの? あげないわよ」

 そう言うと、即座に「そんな甘いもんいらねえよ」と苦笑混じりに返ってくる。

「そうじゃなくて。お前が頼むのって、いつも甘い酒ばっかだと思って」
「しょうがないでしょ? お酒は好きだけど、体質的にすぐ酔っ払っちゃうんだもの」

 自分が酒に弱いと知ったのは二十歳はたちの時。大学のゼミの飲み会で、気になる酒を片っ端から飲んだ瑠衣は、見事に潰れてしまった。それ以降、瑠衣は自分にあるルールを課した。
 人目のある場所で飲む際は、アルコール度数の低いものを三杯まで。
 このルールのおかげで、社会人になってから酒の席で失敗したことは一度もない。度数の高い酒を飲んでみたいとは思うものの、醜態しゅうたいさらすくらいなら我慢した方がいい。

「意外だよな。いかにも酒に強そうな見た目のくせに、女子っぽい酒しか飲まないんだから。最初は狙ってやってるのかと思った」
「別に狙ってないわよ。それに私がお酒でか弱いアピールをしたってしょうがないもの」

 ああいうのは可愛らしい女性がするから効果があるのであって、見た目も中身もキツい自分がやったところで意味がないのだ。だが意外にも神宮寺はそれを否定した。

「そんなことないだろ。むしろ三雲みたいなのがやるから意味があるんじゃないのか? なんつーの、ギャップ萌えってやつ?」
「萌えって、親父臭いわよ」
「うっせ! ――まあ、俺は三雲のそういうところ、素直にすごいと思うよ」
「そういうところって?」
「三雲の外見ならいくらでも女を武器にできるだろ? でもお前はそうしない。むしろ俺や他の営業に負けてたまるかって泥臭く働いてる。そういうところ、尊敬する」

 ――まさかそんなことを言われるなんて。
 かあっと顔が熱くなる。
 瑠衣にとっての神宮寺は、いけすかない男であると同時に目標でもある。けれど神宮寺は瑠衣のことなど眼中にないと思っていた。
 何かと軽口を叩いたりからかってきたりするのは、身のほど知らずにも神宮寺をライバル視する瑠衣を物珍しく思っているからだ、と。
 そんな相手に「尊敬する」と言われて、嬉しくないわけがなかった。けれど、それを素直に伝えられない瑠衣にできたのは、顔を赤くしてはくはくと口を動かすことだけだった。
 もちろんそれを見逃す神宮寺ではない。

「なんだよ、急に黙り込んで。もしかして照れてんの?」

 悪戯いたずらっぽく唇の端を上げる男に、瑠衣は「まさか!」と慌てて否定する。

「神宮寺が急に変なことを言うから、驚いただけで……」
「声が震えてる。顔も真っ赤だ」
「からかわないで! 酔っ払い!」
「いや、全然酔ってねえから」
「私が酔ってるって言ったら酔ってるの」
「無茶苦茶理論すぎんだろ、どこの暴君だよ」
「うるさい。……もう」

 なんだろう。理由はわからないがとてつもなく恥ずかしい。
 動揺をしずめるために、瑠衣は目の前の酒の入ったグラスを手に取った。氷で冷えた液体が喉を通る感覚が気持ちよくて、半分ほど残っていたカシスオレンジを一気に飲み干す。からになったグラスを卓に置くと、呆気に取られたようにあんぐりと口を開ける神宮寺と目が合った。

「お前、酒に弱いんだろ? 一気飲みなんてして大丈夫かよ」
「一杯目だから大丈夫。それより神宮寺が今飲んでるのって、梅酒?」
「ああ。梅酒のロック」

 話題を逸らす目的半分、興味半分で聞くと、神宮寺は頷いてグラスをかかげる。
 グラスに半分ほどがれた液体は琥珀こはく色で、なんとも美しい。

「……綺麗ね。ロックってことは度数が高いのよね?」
「少なくともカシオレよりは強いな。俺のでよければ少しだけ飲んでみるか?」
「いいの?」
「三雲が気にならないなら、俺は別に」

 あいにく間接キスで騒ぐほど純粋でもなければ若くもない。彼の言葉に甘えて一口飲んでみれば、想像していたよりずっと飲みやすかった。

「……美味おいしい」
「気に入ったなら頼めよ。一杯くらいなら大丈夫だろ。飲みきれなかったら俺が飲んでやるから」
「じゃあ、そうしようかな」

 度数が高い分、今日は次の一杯でやめておけば問題ないだろう。瑠衣が頷くと神宮寺はさっと店員を呼んでオーダーする。瑠衣相手にもレディーファーストを徹底するなんて、相変わらず隙のない男だ。ほどなく届いた酒はやはり美味おいしくて、とても飲みやすい。

「今まで水割りかソーダ割りしか飲んだことなかったけど、ロックもいいわね」
「気に入ったなら気にせず飲めよ。もし酔っ払ってもちゃんと介抱してやるから安心しろ」
「神宮寺が私を介抱するの?」
「なんだよ、送り狼になるとでも言いたいのか?」
「まさか」

 おどけるように肩をすくめる男の言葉を瑠衣は一蹴いっしゅうする。

「私に興味なんてないくせに、そんなことになるわけないでしょ」
「…………」

 てっきりすぐに同意されると思ったのに、意外にも神宮寺は何も言わなかった。それどころか、何が気に入らなかったのか、眉間みけんしわを寄せてにらむような視線を向けてくる。

「な、何よ」

 冗談に冗談で返して何がいけないのか。
 神宮寺が瑠衣を異性と思っていないのは身をもって知っている。普段の態度を見ていればそれは明らかだ。軽口を叩き合う程度には親しいが、二人の間に甘い空気が流れたことは一度もない。だからこそ瑠衣もこうして気がねなくサシ飲みができる。
 この関係が瑠衣にとってはちょうどいいのだ。
 神宮寺は違ったのだろうか。

「言いたいことがあるならはっきり言って」
「別に。なんでもねえよ」
「どう見てもなんでもないって顔じゃないでしょうが」

 あいにく気になったことはとことん追及するたちだ。
 それも相手がライバル視している男ならなおさらだ。しかし神宮寺は、「本当になんでもねえよ」と面倒くさそうに手をひらひら振って話を終わらせようとする。

「相変わらず鈍い奴だと思っただけだよ。変わらねえな、そういうとこ」
「なぁに昔からの知り合いみたいなこと言ってんのよ。同期って言っても初めて会ったのは二年前じゃない」
「ま、それもそうだ」
「それに、私別に鈍くないから」
「はいはい、それでいいよ」

 これでこの話は終わりだとでも言うように神宮寺は肩をすくめる。なんとなく話を逸らされた気持ちになりながら、瑠衣はグラスの縁に口をつけた。

(やっぱり、美味おいしい)

 神宮寺に勧められて注文した梅酒は、当然ながら割って飲むよりずっと強く梅の味を感じる。梅とアルコールの混じった芳醇ほうじゅんな香りもまた心地よくて、瑠衣のグラスはあっという間にからになっていた。

(……また注文しようかな)

 今日はこれで終わりにしようと思っていたが、思いのほか飲みやすいし、もう一杯くらいなら飲んでも大丈夫な気がする。悩む瑠衣の前で、神宮寺はブランデーを注文する。

「ねえ、それで何杯目? もうかなり飲んでるわよね、大丈夫なの?」
「問題ない。俺、ザルだから」

 酒の席で失敗したことはないと断言する男に少しだけ嫉妬する。
 酒が好きなのに体質のせいで自由に飲めない瑠衣とは正反対だ。
 見た目も仕事ぶりも完璧な上、人たらしで自然と周囲を笑顔にしてしまう。

「――ほんと、嫌味な男よね」

 ねたみ半分、おふざけ半分で呟いた声は神宮寺には届かなかったらしい。

「何か言ったか?」

 目をまたたかせる彼に「なんでもない」と首を横に振ると、瑠衣はその手元に視線を向けた。
 先ほどの梅酒も美味おいしかったし、彼の選んだ酒に興味がある。ブランデーは梅酒以上に度数が高いのは知っているが、もしかしたら意外と飲めたりしないだろうか。

「それが気になっただけ。ねえ、味見してみてもいい?」
「いいけど……その前に一つ聞いていいか」
「何?」
「お前、会社の他の奴と飲みに行った時もそうなのか?」

 俗に言う「一口ちょうだい」をやっているのか、と聞いているのだろう。瑠衣はすぐに「まさか」と否定する。

「普段は人の物を欲しがったりしないわ。こんなこと頼むのは相手が神宮寺だからよ」

 友人相手にもめったにしない。すると神宮寺は、唖然としたように目を大きく見開く。

「は……?」

 その表情を不思議に思いつつも、瑠衣は彼のグラスを取る。そして梅酒と同じ感覚で一口飲み――すぐに後悔した。
 喉が焼けるように熱い。かあっと一気に顔が火照ほてるのを感じた。生まれて初めて感じる強烈なアルコールに瑠衣は慌ててグラスを卓に置く。同時に唇の端に残っていた液体がつうっと肌を伝うのがわかって、慌ててそれをぺろりとめた。
 ちろりと覗いた舌を見て、神宮寺が息を呑む。

「おまっ……!」
「え、何?」
「今のは……ああもう! なんでもねえよ、ほらもう返せ!」

 固まっていた神宮寺は、我に返ったように瑠衣の前からグラスを奪い取る。その素早さに呆気に取られる瑠衣に彼は言った。

「三雲にブランデーは十年早い」
「み、みたいね?」

 あまりの勢いに素直に同意する。神宮寺は苛立った様子でグラスをあおると、深く大きなため息をついた。

「……頭痛え」
「だからさっき『大丈夫?』って聞いたのに」
「酒のせいじゃないっての」

 よくわからないが、今はこれ以上刺激しない方がよさそうだ。常日頃から余裕な態度を崩さない男だが、密かにストレスを溜めていたのかもしれない。トップにはトップなりの苦労があるんだな、と同情しつつ水を飲む。そんな瑠衣を、神宮寺が胡乱うろんげに見つめてきた。

「今何か変なこと考えただろ」
「まさか。神宮寺も人知れず苦労してるのねって思っただけよ」
「……誰が原因だと思ってんだよ、ったく」

 まるで瑠衣のせいだとでも言いたげな物言いだが、聞こえないふりをした。

「今日はもう酒は終わりにしておけ。じゃないと俺の心臓がもたないから」

 それがどう関係しているのか、さっぱりわからない。先ほどはザルと言っていたが、案外もう酔っているのかもしれない。そんなことを思いながら、瑠衣はきっぱり「嫌よ」と答えた。

「あと一杯飲んだら終わりにするわ」
「お前な……。いいか、俺は忠告したからな」
「はいはい。もう、神宮寺、ちょっとうるさい」

 面倒くさそうに言うと、諦めたように「もう知らねえ」と嘆息されたのだった。


 その後も二人だけの飲み会は続いた。
 軽口を叩きながら神宮寺と過ごす時間が瑠衣はけして嫌いではない。もちろん二人の間に色っぽい雰囲気は皆無かいむで、会話のほとんどが仕事についてだ。さすがはエリート社員、しかも話題が豊富で話し上手とくれば楽しくないはずがなかった。
 神宮寺と一緒にいるのは、楽だ。
 調子がよくて何かとからかってくる性格はムカつくが、それでもこうして仕事について語り合う時間はとても充実していて居心地がいい。
 改めてそれを自覚した瑠衣の脳裏に、ふとあることが思い浮かぶ。

『互いに本気にならずに割り切った付き合いができる存在』

 神宮寺は、瑠衣が思い描くセフレの条件にぴたりと合致がっちしていた。

(――いや、ないわ)

 瑠衣はその考えを即座に否定する。
 仮に瑠衣がそれを望んだとしても、神宮寺に一蹴いっしゅうされて終わりだろう。

「どうした、急に黙り込んで」

 物思いにふけっていたからか、それともいつも以上に酔っていたからか。瑠衣は考えるより先に口を開いていた。

「え? ああ、セフレが欲しいと思って」
「ぶはっ……! は……セフレ……?」

 突然むせ始めた神宮寺の反応にはっと我に返るが、もう遅い。反射的に答えた言葉を彼ははっきり聞き取っていた。もしも素面しらふであったなら、なんとしてでもごまかしていただろう。
 けれど酔いの回った頭では無理だった。

(……別にいいか)

 セフレを望んでいることだけなら、話しても問題ないだろう。それを知ったところで周囲に吹聴ふいちょうするような男ではないはずだ。
 ――そう思ってしまうくらいには、自分は酔っていたのだと思う。
 それは神宮寺の目にも明らかだったらしい。しばらく咳き込んでいた神宮寺は、なんとか呼吸を整えると改めて瑠衣を見やる。その顔には驚愕きょうがくの色が浮かんでいた。

「……酔いすぎじゃね?」
「神宮寺にこんなこと話すんだから、そうかもしれないわね」

 素直に肯定すると、神宮寺はますます困惑したように眉根を寄せる。

「発言がぶっ飛びすぎてどこから突っ込んでいいのか……。というか、俺はてっきり三雲は男嫌いなのかと思ってた。だから誰とも付き合わないのかと……」
「まさか。男嫌いならこうして二人で飲みに来たりしないわよ」
「……相手が俺だから平気なだけじゃなくて?」
「神宮寺の目に私がどう見えてるかわからないけど、私はどこにでもいるただの独身女よ。性欲だってあるし、ふとした瞬間に寂しくなることもあるわ」

 神宮寺は息を呑んだ。その姿を見て改めて自身の酔いを自覚する。
 目の前にいる男は、普段の自分なら絶対に弱みを見せたくない相手だ。そんな男相手にこうも内心をさらけ出しているのだから。

「それならどうして彼氏じゃなくてセフレなんだ?」

 至極しごく真っ当な質問。それに対する答えは決まっていた。

「恋人関係になったら必然的に見返りが発生するでしょ? それが嫌なの。どうしたって私は、相手と同じだけの気持ちを返せない。それなら、初めから恋愛感情がない割り切った関係の方がいい」

 勝手に理想を抱かれ、失望されるのはもうこりごりだ。

「……それは経験談? 忘れられない男がいるとか?」

 神宮寺は言葉を選びながらも質問を重ねる。まさか神宮寺が興味を示すとは思わなかった。それに驚きながらも瑠衣は否定の意味を込めて首を横に振る。

「そんな立派な理由じゃないわ。ただ恋愛に対して興味が持てないだけ。冷めてるのよ」
「だからセフレが欲しい、と」
「そういうこと」

 頷くと、神宮寺はどこか疲れたようにため息をつく。

「……驚きすぎて、正直何を言ったらいいのかわからない」
「神宮寺とこういう話をするのは初めてだものね。いつもは仕事のことばかりだし」
「俺は三雲がそういう話を望んでないと思ってたからな。プライベートについてずかずか聞かれるのは嫌いだろ? 特に恋愛については」

 さらりと言われた言葉は、正解だった。

「……意外。私のことよく見てるのね」
「意外じゃねえよ。お前のことを俺はずっと見てた」
「え……?」

 それはどういう意味――喉元まで出かけたその問いは、瑠衣を見据える神宮寺の視線にかき消された。痛いほどの強い眼差しが、瑠衣を射抜く。

「セフレが欲しいなら俺にしておけよ」

 酔いが見せた幻聴か、それともたちの悪い冗談か。本気でそう思うくらい、信じられない言葉だった。

「何、馬鹿なことを言って……わかった、やっぱり神宮寺も酔ってるんでしょ? そうじゃなきゃあんたがそんなこと言うわけないもの」
「茶化すな、俺は本気だ」
「っ……!」

 ひゅっと喉の奥が鳴る。ドクン、ドクンと心臓が一気に鼓動を速めて、体中に血液を送り出しているのを感じる。

「俺じゃだめな理由でもあるのか?」
「そういうわけじゃ……」
「ならいいだろ」

 話は決まりだとばかりに言い切る彼の姿に、瑠衣は混乱する。一瞬、神宮寺がセフレだったらと想像したのは事実だが、本当に実現すると思ったわけではない。
 意味がわからない。それでも一つだけわかるのは、このまま流されてはいけないということだった。何か――何か、言わなければ。そう思って浮かんだのは、彼に彼女がいるという噂だった。

「だめよ」
「どうして?」
「恋人がいる人とはありえない。私がこの世で一番許せないのは浮気なの」

 高校生の頃、瑠衣は彼氏に浮気されて振られた。今さら川瀬に未練なんて一ミクロンも存在しないが、あれ以来自分の中で浮気と不倫だけはありえない。
 浮気は絶対悪。それは唯一揺るがない瑠衣の恋愛観だ。
 だがそれに対して神宮寺は「恋人なんていない」と明言する。

「どこで聞いた噂か知らないけど、そもそも恋人がいたら他の女とサシ飲みしたりしねえよ」
「じゃあ、恋人を取っ替え引っ替えしてるっていうのは……?」
「それも嘘。俺がそうしているのを三雲は見たことあるのか?」
「ないけど……」
「なら、それが答えだろ。派手に遊んでそうとか、陰で色々言われてるのは知ってる。あえて否定しなかったのは、それで何か害があるわけじゃなかったからだ。でも、お前にそう思われるのだけは放っておけない」


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