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第68話 点綴
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前傾した姿勢から、足の発条に力が籠る。その膂力は放たれるだろう、もちろん視線の先はしづると悠里へ向いて違えることはない。
どうする――?
自らに問いかける。
『そしてタバコの方は、もし荒事になってしまった時の為に戦うための魔術のメモ――絶対に連発するような真似はしないように。君の精神が灼き切れて廃人になってしまう可能性がある。それくらいかな』
一木の言葉が脳裏に過ぎる。
もし仕掛けてくるなら、やらねばならない。
俯く振りをして中身を覗く。時間はない。
一枚のメモに、文字列があった。
これを、呟けばいいのか――?
「!」
次の瞬間、しづるは鏡面で自らの像を見るような感覚に襲われた。
何かが移動したような、けれどどこにも何もないような――。
いや、明確に何かが足りない。
なんだ――? カリナはどこに――?
「う、ぐううっ――!!!」
胸の中の悠里が叫ぶ。
悠里の首元から紅い燐光が漏れ出でている。それはミミズ腫れのような不可解な模様をしている。
どこかで、見たような。けれど
「悠里っ……」
悠里の首元へ視線を送るつかの間、腕に何かが触れていた。
「しーちゃん、後ろ、後ろぉ!」
叫びにこたえて振り返る。指先に血液が滴っていた。
「っ――!?」
腕に触れていたのは、恐怖を感じるほど鋭く研ぎ込まれた一振りの槍だった。
空中にビタリと張り付いて、何かに固定されたように止まっている。この鋒が腕の皮に少し触れただけなのに傷口は恐ろしく鋭利で、しづるは痛みさえ感じなかったのだった。
しづるは身体が跳ねていた、そして踵を返したその先にはいつの間にか黒い影が立っているのが確認できた。
それはカリナだ、間違いなくそうなのに、今までとは全く雰囲気が違って――
「ッ――!?」
ガクン、地面が揺れる。世界がズレる。
四方八方に鏡が広がる。三面鏡の中に落とし込まれたように無限に自らの像が増殖する。
まずい、何かの幸運で今の一瞬は助かったに違いない――。ならこの先は
「やめてっお父さんっ! じゃないと死んでやるうっ!!!」
足下が浮いている。
急激に感覚が現実に追いついて、視界の端から端に色が付く。
緩やかに波紋が返る度に周りの状況に明るくなっていく。
「――!!!」
周りを取り囲む鋒の雨、それがお預けを貰ったように静止していた。
膝をついて、ただ息をすることしかできない。
「レイカ、下がりなさい。今から、処刑をする。お前をここに連れてきた者たちの」
「やめて、私がやめてって言ってるの!」
レイカは落ちた鋒の一つを首にあてがっていた。
だがそれが何になるというのだろう、無駄なことはわかっているのだ。それでもレイカはしづる達の為に時間を稼いでいた。
身じろぐことはできない、できることは?
俺に出来ることは?
左右へ視線を飛ばす、逃げ道はない。半球状に包囲されている――!
「はぁ、あ……待って、待ってくれ」
無駄、だった。なにもできない。
しづるはため息をついてへたりこんだ。
カリナの視線はレイカに向いたが、それだっていつまで持つのかどうかわからない。
「しーちゃん、集合」
「集合も何もここが袋小路だよ……助からないぞ」
「それがどっこい、助かるかも。今静かにして考えてたの」
「益体のない話はできないぜ、ほんとに」
汗だくになりながら、憔悴で早鐘を打ち鳴らす心臓でしづるは答える。
「しゃがんで!」
「うおぉァっ!」
空中で静止した鼻の先を掠めたのは、しづるの肌を傷付けた一振りだった。双眸の彼方まで平行に吹っ飛んでいく。あんなものに針の筵にされたなら、ひとたまりだってないだろう。
「時間がない。もうあの生き物もうかうかしてる内に落ちてきちまうぞ!」
「わかってるよぉ!」
一転して、レイカとカリナはその立ち位置を変えないまま、首元に当てられた鋒を眺めて口を開こうとしていた。どのように話せば良いだろう。こんな喧嘩腰にも匹敵するような剣呑なやりとりから始まってしまった。言葉が先走ってしまった、けれどあの剣幕で捲し立てる父を止めることができる言葉が他にあっただろうか。しかしそれでもいい、一分でも一秒でも、掠れ擦り切れてしまった父の暴走を止めることができることは二人を助けられる可能性があるということだ。
「お父さん、やめて。二人に酷いコトしないで!」
「無駄だ、レイカ。俺は君がそれを一ミリでも動かす前に取り上げることが出来る。意味が無いんだ」
その言葉は真実だろう。しかしまたレイカは逆手にそれを理解していた。
父は踏み込むことを恐れている。強制的に取り上げたなら、自分との信頼関係が壊れてしまうのではないかと考えている。だからこそその場しのぎ的に自分の身体を囮にしたレイカの行動はある視点ではカリナの心理的弱点を突いたクリティカルな解答だったとも言えた。
「ううんっ……お父さん、ダメだよ。二人はね、私と約束してくれたの。お父さんも助けてくれるって……」
「……レイカ、こんなことは言いたくない。でも見るんだ、彼らはもう手詰まりだ。ここまで来るに随分苦労したことだろう、けれど彼らは今、こう考えていることだろう。“元の世界で甘んじようか、それとも、君を説得して僕らの代わりに死んで貰おうか”ってね。俺はそんな都合の良いことは認めない。君が失われることをよしとなんてするものか」
レイカはその言葉を言い返すことも出来ずに涙が零れた。もう少し、時間があれば――そう言い返したいのにそれができない。空が覆われていくこの夜を、世界を眺めたなら、誰がそんな楽観をできるだろう。
「う、うあああああああんっ……お父さんのばか! 私が、なんとかするから――」
「それだけはさせない。もう、いいかい。君はね、絶対に俺が助けに行く。救う。それが彼女の願いだったから。それが、俺に唯一残った人としての約束だから。だから、待っていなさい」
「させない、お父さんをひとりぼっちになんて――!」
握った槍が手品のように消えて後ろで音を立てる。
「あ、ああ――! や、やめてよお父さん、お願い、その人たちだけは――」
何の手立てもないレイカはただ願うことしか出来ない。
どうすれば助けられる。どうすれば、どうすればいいの? 何度も思考は回って、無意味に帰着する。眼前に広がる真っ黒い地面だけがまるで嘲笑うようにこちらを睨む。お前にいる場所はない、ああ、知っている。何度でも味わった疎外感。自分だけが何もできない。
悔しかった。いつもいつも何も出来ない子扱いされて、それが本当でどうしようもない。レイカは呪った。しづるさんに任されたのに、お父さんとの交渉をがんばるって約束したのにまた何も出来ないまま、父の気紛れが起きないように祈るしかない自分の無力を。
「……篠沢一木!」
飛び出したように喉から絞り出した声が闇を切り裂いた。
レイカの声だった。レイカ自身も驚いていた。だがそれ以上に反応を示したのは、カリナだった。
「レイカ、何を」
天啓だった。何度か大きな息をついた後、喚くようにレイカは声を上げた。それは涙声を交えた嗚咽のような声だった。
「篠沢一木さん、あの人のお陰で私は助かったんです。お父さんが山の裏側で私を隠してくれてました。でも、お父さん全然帰ってこなくって、一人ぼっちで、火も迫ってきてて。でもその時に篠沢さんが助けてくれたんです。それに、ここに来るために、お父さんに会わせてくれるために時間を超えさせてくれたのは、篠沢さんだったんです……」
「……」
カリナは驚いて言葉を失っていた。
飲み込めない感情がカリナを釘付けにしていた。あの男のことを憎んでいた。自分から全てを奪った男の名がこうして娘の口から出て、そして恩人という。
「聞いたんです、お父さんの故郷を調査しにいったのは村から要請があったから、バケモノが出るって噂があったからだって。それで行ったら墓石にお父さんの名前があったのに骨がなかったからそれで湖まで探しに行ったって! だからお父さんは何か勘違いしてるんだと思うんです!」
「なにを、なにを言っているんだレイカ! アイツは……あの男は――!」
「言ってたんです! 本当かはわかんないですけど、篠沢さんはお父さんやお母さんを殺すために湖まで向かったんじゃない! だからきっとあの事件とは無関係なんです!」
「嘘を……」
「わかんない! わかんないもん! でも、聞いたもん。嘘じゃないって信じたいもん……!」
「……」
カリナは混乱していた。忘我自失で、展開した鋒の鳥かごが力を失って消えていくことさえ気が付いていなかった。
「だから、お父さんは復讐なんてしなくていいはずなのに、お父さんは、きっとまだみんなのこと死んじゃえってきっと思い込んでるんです。そんな必要、どこにも、ないのに、うっ、えぅ……」
「レイカ、レイカ……」
どうすればいいかわからず、カリナは泣きじゃくる我が子に声すらかけられず、ただ時間ばかりが過ぎていた。
「俺は、俺の敵、は」
篠沢一木。
異端狩り機関に属しており、罪のない異端を殺す。
娘を殺した人間。妻を殺し、故郷の友人達を殺し、それを正義だとなお言い張る偽善の徒。
違うのか?
娘を助け、娘を生き延びさせ、妻を殺しておらず、故郷の友人達を殺したのも違うのか?
カリナの心にあった大きな壁が壊れ始めていた。
憎しみで深く深く塗り込めた壁、外界から遮断した光を通さない壁。
俺をバケモノ扱いした人間共、違うのか?
違ったとして、俺の、何が変わる?
俺は、それでも彼女の為に契約を果たさねばならない。
カリナの前に闇黒に包まれた上り坂が見えた。
深く、深く、重く泥濘んだ泥の道だ。
空を見上げても星のない、太陽も照らない静かな道。
ただただ坂になっていて、向こうに光が見えることはない。
登り切ることは決してできない坂道だった。
今まで、空には太陽があった。
俺を嘲り喰らう熱、憎しみと断絶の空。
照り続け、身体を苛み続ける苦悶の火。
それが、ぱったりと死んだように消えた。
炎に誓った復讐が消えていた。
嘘、だ。
なら、どうやってこの坂を、昇れば良い。
この憎しみを、どうやって――!
レイカは洗脳されていて、嘘を吐かされているんだ。
ああ、憎い、全てが憎い。俺から、可愛い娘の心まで奪った世界が――
奥歯が鳴る。心臓が波打ち、体温が上がる。
瞳孔が開く。ああ、これだ。
俺には、憎しみの方が合っている!
『許せない』!
「殺してやるッ……貴様らァッ!!!」
「待って!!!」
声は同時に響いた。
悠里の声とカリナの声がぶつかった。
視線と視線に交わった炎があった。
しづると悠里は手を握り合って、しづるはもう片方の手で何かを握っていた。
「『これ』って、なんなんだ?」
どうする――?
自らに問いかける。
『そしてタバコの方は、もし荒事になってしまった時の為に戦うための魔術のメモ――絶対に連発するような真似はしないように。君の精神が灼き切れて廃人になってしまう可能性がある。それくらいかな』
一木の言葉が脳裏に過ぎる。
もし仕掛けてくるなら、やらねばならない。
俯く振りをして中身を覗く。時間はない。
一枚のメモに、文字列があった。
これを、呟けばいいのか――?
「!」
次の瞬間、しづるは鏡面で自らの像を見るような感覚に襲われた。
何かが移動したような、けれどどこにも何もないような――。
いや、明確に何かが足りない。
なんだ――? カリナはどこに――?
「う、ぐううっ――!!!」
胸の中の悠里が叫ぶ。
悠里の首元から紅い燐光が漏れ出でている。それはミミズ腫れのような不可解な模様をしている。
どこかで、見たような。けれど
「悠里っ……」
悠里の首元へ視線を送るつかの間、腕に何かが触れていた。
「しーちゃん、後ろ、後ろぉ!」
叫びにこたえて振り返る。指先に血液が滴っていた。
「っ――!?」
腕に触れていたのは、恐怖を感じるほど鋭く研ぎ込まれた一振りの槍だった。
空中にビタリと張り付いて、何かに固定されたように止まっている。この鋒が腕の皮に少し触れただけなのに傷口は恐ろしく鋭利で、しづるは痛みさえ感じなかったのだった。
しづるは身体が跳ねていた、そして踵を返したその先にはいつの間にか黒い影が立っているのが確認できた。
それはカリナだ、間違いなくそうなのに、今までとは全く雰囲気が違って――
「ッ――!?」
ガクン、地面が揺れる。世界がズレる。
四方八方に鏡が広がる。三面鏡の中に落とし込まれたように無限に自らの像が増殖する。
まずい、何かの幸運で今の一瞬は助かったに違いない――。ならこの先は
「やめてっお父さんっ! じゃないと死んでやるうっ!!!」
足下が浮いている。
急激に感覚が現実に追いついて、視界の端から端に色が付く。
緩やかに波紋が返る度に周りの状況に明るくなっていく。
「――!!!」
周りを取り囲む鋒の雨、それがお預けを貰ったように静止していた。
膝をついて、ただ息をすることしかできない。
「レイカ、下がりなさい。今から、処刑をする。お前をここに連れてきた者たちの」
「やめて、私がやめてって言ってるの!」
レイカは落ちた鋒の一つを首にあてがっていた。
だがそれが何になるというのだろう、無駄なことはわかっているのだ。それでもレイカはしづる達の為に時間を稼いでいた。
身じろぐことはできない、できることは?
俺に出来ることは?
左右へ視線を飛ばす、逃げ道はない。半球状に包囲されている――!
「はぁ、あ……待って、待ってくれ」
無駄、だった。なにもできない。
しづるはため息をついてへたりこんだ。
カリナの視線はレイカに向いたが、それだっていつまで持つのかどうかわからない。
「しーちゃん、集合」
「集合も何もここが袋小路だよ……助からないぞ」
「それがどっこい、助かるかも。今静かにして考えてたの」
「益体のない話はできないぜ、ほんとに」
汗だくになりながら、憔悴で早鐘を打ち鳴らす心臓でしづるは答える。
「しゃがんで!」
「うおぉァっ!」
空中で静止した鼻の先を掠めたのは、しづるの肌を傷付けた一振りだった。双眸の彼方まで平行に吹っ飛んでいく。あんなものに針の筵にされたなら、ひとたまりだってないだろう。
「時間がない。もうあの生き物もうかうかしてる内に落ちてきちまうぞ!」
「わかってるよぉ!」
一転して、レイカとカリナはその立ち位置を変えないまま、首元に当てられた鋒を眺めて口を開こうとしていた。どのように話せば良いだろう。こんな喧嘩腰にも匹敵するような剣呑なやりとりから始まってしまった。言葉が先走ってしまった、けれどあの剣幕で捲し立てる父を止めることができる言葉が他にあっただろうか。しかしそれでもいい、一分でも一秒でも、掠れ擦り切れてしまった父の暴走を止めることができることは二人を助けられる可能性があるということだ。
「お父さん、やめて。二人に酷いコトしないで!」
「無駄だ、レイカ。俺は君がそれを一ミリでも動かす前に取り上げることが出来る。意味が無いんだ」
その言葉は真実だろう。しかしまたレイカは逆手にそれを理解していた。
父は踏み込むことを恐れている。強制的に取り上げたなら、自分との信頼関係が壊れてしまうのではないかと考えている。だからこそその場しのぎ的に自分の身体を囮にしたレイカの行動はある視点ではカリナの心理的弱点を突いたクリティカルな解答だったとも言えた。
「ううんっ……お父さん、ダメだよ。二人はね、私と約束してくれたの。お父さんも助けてくれるって……」
「……レイカ、こんなことは言いたくない。でも見るんだ、彼らはもう手詰まりだ。ここまで来るに随分苦労したことだろう、けれど彼らは今、こう考えていることだろう。“元の世界で甘んじようか、それとも、君を説得して僕らの代わりに死んで貰おうか”ってね。俺はそんな都合の良いことは認めない。君が失われることをよしとなんてするものか」
レイカはその言葉を言い返すことも出来ずに涙が零れた。もう少し、時間があれば――そう言い返したいのにそれができない。空が覆われていくこの夜を、世界を眺めたなら、誰がそんな楽観をできるだろう。
「う、うあああああああんっ……お父さんのばか! 私が、なんとかするから――」
「それだけはさせない。もう、いいかい。君はね、絶対に俺が助けに行く。救う。それが彼女の願いだったから。それが、俺に唯一残った人としての約束だから。だから、待っていなさい」
「させない、お父さんをひとりぼっちになんて――!」
握った槍が手品のように消えて後ろで音を立てる。
「あ、ああ――! や、やめてよお父さん、お願い、その人たちだけは――」
何の手立てもないレイカはただ願うことしか出来ない。
どうすれば助けられる。どうすれば、どうすればいいの? 何度も思考は回って、無意味に帰着する。眼前に広がる真っ黒い地面だけがまるで嘲笑うようにこちらを睨む。お前にいる場所はない、ああ、知っている。何度でも味わった疎外感。自分だけが何もできない。
悔しかった。いつもいつも何も出来ない子扱いされて、それが本当でどうしようもない。レイカは呪った。しづるさんに任されたのに、お父さんとの交渉をがんばるって約束したのにまた何も出来ないまま、父の気紛れが起きないように祈るしかない自分の無力を。
「……篠沢一木!」
飛び出したように喉から絞り出した声が闇を切り裂いた。
レイカの声だった。レイカ自身も驚いていた。だがそれ以上に反応を示したのは、カリナだった。
「レイカ、何を」
天啓だった。何度か大きな息をついた後、喚くようにレイカは声を上げた。それは涙声を交えた嗚咽のような声だった。
「篠沢一木さん、あの人のお陰で私は助かったんです。お父さんが山の裏側で私を隠してくれてました。でも、お父さん全然帰ってこなくって、一人ぼっちで、火も迫ってきてて。でもその時に篠沢さんが助けてくれたんです。それに、ここに来るために、お父さんに会わせてくれるために時間を超えさせてくれたのは、篠沢さんだったんです……」
「……」
カリナは驚いて言葉を失っていた。
飲み込めない感情がカリナを釘付けにしていた。あの男のことを憎んでいた。自分から全てを奪った男の名がこうして娘の口から出て、そして恩人という。
「聞いたんです、お父さんの故郷を調査しにいったのは村から要請があったから、バケモノが出るって噂があったからだって。それで行ったら墓石にお父さんの名前があったのに骨がなかったからそれで湖まで探しに行ったって! だからお父さんは何か勘違いしてるんだと思うんです!」
「なにを、なにを言っているんだレイカ! アイツは……あの男は――!」
「言ってたんです! 本当かはわかんないですけど、篠沢さんはお父さんやお母さんを殺すために湖まで向かったんじゃない! だからきっとあの事件とは無関係なんです!」
「嘘を……」
「わかんない! わかんないもん! でも、聞いたもん。嘘じゃないって信じたいもん……!」
「……」
カリナは混乱していた。忘我自失で、展開した鋒の鳥かごが力を失って消えていくことさえ気が付いていなかった。
「だから、お父さんは復讐なんてしなくていいはずなのに、お父さんは、きっとまだみんなのこと死んじゃえってきっと思い込んでるんです。そんな必要、どこにも、ないのに、うっ、えぅ……」
「レイカ、レイカ……」
どうすればいいかわからず、カリナは泣きじゃくる我が子に声すらかけられず、ただ時間ばかりが過ぎていた。
「俺は、俺の敵、は」
篠沢一木。
異端狩り機関に属しており、罪のない異端を殺す。
娘を殺した人間。妻を殺し、故郷の友人達を殺し、それを正義だとなお言い張る偽善の徒。
違うのか?
娘を助け、娘を生き延びさせ、妻を殺しておらず、故郷の友人達を殺したのも違うのか?
カリナの心にあった大きな壁が壊れ始めていた。
憎しみで深く深く塗り込めた壁、外界から遮断した光を通さない壁。
俺をバケモノ扱いした人間共、違うのか?
違ったとして、俺の、何が変わる?
俺は、それでも彼女の為に契約を果たさねばならない。
カリナの前に闇黒に包まれた上り坂が見えた。
深く、深く、重く泥濘んだ泥の道だ。
空を見上げても星のない、太陽も照らない静かな道。
ただただ坂になっていて、向こうに光が見えることはない。
登り切ることは決してできない坂道だった。
今まで、空には太陽があった。
俺を嘲り喰らう熱、憎しみと断絶の空。
照り続け、身体を苛み続ける苦悶の火。
それが、ぱったりと死んだように消えた。
炎に誓った復讐が消えていた。
嘘、だ。
なら、どうやってこの坂を、昇れば良い。
この憎しみを、どうやって――!
レイカは洗脳されていて、嘘を吐かされているんだ。
ああ、憎い、全てが憎い。俺から、可愛い娘の心まで奪った世界が――
奥歯が鳴る。心臓が波打ち、体温が上がる。
瞳孔が開く。ああ、これだ。
俺には、憎しみの方が合っている!
『許せない』!
「殺してやるッ……貴様らァッ!!!」
「待って!!!」
声は同時に響いた。
悠里の声とカリナの声がぶつかった。
視線と視線に交わった炎があった。
しづると悠里は手を握り合って、しづるはもう片方の手で何かを握っていた。
「『これ』って、なんなんだ?」
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