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第7話④ 生きてさえいれば
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未明――御鈴波邸内治療室では、様々な生命維持装置が駆動音を鳴らしていた。ベッドには呼吸補助器に繋がれたままの零春が眠っている。
枕元に立っているのは、洋華と御鈴波、そして上海だった。幾つかの機械の電源を落としながら、手術衣を脱ぎ捨てた洋華は、隣の台に服を置いた。
「まあ、もう別状はないと思いますよ~、ボス。神経系の複合毒ですけど、生物由来のものだったので血清と人工呼吸器でなんとかなります。後は時間と共に代謝されて毒も出ていくでしょう。あと、そのちびっこに引きずられた傷はそのうち治りますから問題ないです」
「そっちはもとから心配してないけれど、なんの毒だったのかしら」
「フグ毒に近いですね。けど、意図的に吸収しやすいように化合させてある。
服毒したわけでもないのに効いているところを見ると、水かローションか、少なくとも液状のものに混ぜたんでしょう、アルコールが本命かな。けど、運が良かった。あと三分処置が遅れていれば間に合わなかった。呼吸困難で酸欠死ですよ」
「ふうん、助かったわ。深夜にも関わらず来てくれてありがとう。でもあなた――この子が玄明から処置を施されているのを知っていながら、わたしに伝えていなかったわね」
零春の顔を撫でながら、洋華は眉尻を下げる。
「やっぱりバレましたか」
「ええ。突然呼んだ割には察しが良すぎるもの。どういうつもり?」
「……零春くんのことを報告したら、始末したでしょう?」
「勿論よ。当たり前じゃない」
「だから、できるだけ伝えたくなかったんです。彼には、ハルくん――玄明に協力した理由があります。その目的さえ達成できたら、彼にとっては力なんて無用の長物なんです」
「……彼が無害だと言いたいの?」
「いいえ、その逆――有益だと言いたかったんです。本来なら、数日の間に彼を懐柔するつもりでしたから」
「あらそう。結果的に、それが証明できるかもね」
御鈴波はぼんやりと見つめる上海の小さな体を持ち上げて膝に乗せた。上海の大きな瞳は御鈴波の黒目を追って上に下に動き、やがて御鈴波に撫でられると目の前の男に向いた。
「上海。あなたもこの数日勝手に動いてたわね? 偶然で片付けられる問題じゃないわ」
「ニホンゴチョトシカワカリマセン」
「こら」
「いてっ」
頭頂を軽く叩かれて、上海の頭は左右に振れた。
「ゴッ太郎、怪我いっぱい。何も言わないから悪い。上海悪くないもん」
はぁ、と御鈴波は溜め息をつく。けれど叩いた頭をもう一度撫でくりまわして、餅のような頬に指を沿わせた。御鈴波は動いたことを怒ってはいない。無断で動いていたことを心配しているのだ。
「……あなたの行動、多分、めちゃくちゃ良いわよ。好きなものを買ってあげる。けど、今度からは動く時はきちんと連絡しなさい」
「ニホンゴワカ」
「わかりました、は?」
「ワカリマセン。デモゴホウビワホシイ」
「……」
言い合いも無駄だと悟ったのか、御鈴波の視線は零春に寄っていた。
「洋華、少し応接間に居て。彼とは私達だけで話をするから。どれくらいで目覚める?」
「そろそろでしょう。もしお急ぎなら、目覚めさせることもできますけど」
「いいえ、要らないわ。待つから」
では、と洋華は病室から離れた。病室の中には静寂と、刻々と刻み続ける時計の音だけが満ちていた。御鈴波の膝の上の上海は、時計の刻みに合わせて半分まぶたを閉じて眠っていた。
ややあって、ベッドからは反応があった。イモムシでも這いずったような鈍重な音が響いて、上海は背筋を立てて目を覚ました。
零春の瞼が開いた瞬間、彼は呻くように叫んだ。
「うぁううああああっ、死にたくない……! 死にたくないッ゙やめてくれ、助けて! 呼吸ができないんだ! 呼吸が……」
ベッドから転がり落ちた彼は、喉元を押さえて床に転がった。そして左右に身悶えをしながら大きく息を荒げる。更に十秒ほど経った後、喉を押さえながらゆらゆらと立ち上がると、目の前の御鈴波と上海を認めた。
「な、なぜ、俺は、生きている。あなたたちは……?」
事情を飲み込めないまま、零春は二人を困惑の表情で見つめる。
「わたしは御鈴波途次。こっちは上海。殺されかかっていたところをこの子が助けてくれたの。その調子だと、毒はいくらかなんとかなったみたいだけど、まだ呼吸補助を付けておかないと苦しいと思うわよ」
「あ……はぁっ……はぁっ」
さっそく息を乱した零春は、転がり込むようにベッドに戻ると呼吸器に手を伸ばした。
「鼻から酸素を供給する程度の呼吸補助で済んだのは、うちのドクターが優秀だったからよ。意識も十分はっきりしているみたいだし、質問を始めさせてもらおうかしら」
「しつ、もん……だと」
「ええ。まずはあなたの現状を説明してあげるわ。あなたは殺されかかっていたところをこの子、上海に救われて御鈴波の屋敷に持ち込まれたの。死にかけのあなたの治療をしたのはうちのドクター、わかるわね。何が言いたいか」
御鈴波は、呼吸補助器の電源に指をかける。
「あなたの返答次第で、これのスイッチを切ることもそのままにしておくこともできるわ」
眉一つ動かさず、冷徹の女王は生殺与奪が恣であることを告げた。
視線が交錯する。零春に選択肢はなかった。
枕元に立っているのは、洋華と御鈴波、そして上海だった。幾つかの機械の電源を落としながら、手術衣を脱ぎ捨てた洋華は、隣の台に服を置いた。
「まあ、もう別状はないと思いますよ~、ボス。神経系の複合毒ですけど、生物由来のものだったので血清と人工呼吸器でなんとかなります。後は時間と共に代謝されて毒も出ていくでしょう。あと、そのちびっこに引きずられた傷はそのうち治りますから問題ないです」
「そっちはもとから心配してないけれど、なんの毒だったのかしら」
「フグ毒に近いですね。けど、意図的に吸収しやすいように化合させてある。
服毒したわけでもないのに効いているところを見ると、水かローションか、少なくとも液状のものに混ぜたんでしょう、アルコールが本命かな。けど、運が良かった。あと三分処置が遅れていれば間に合わなかった。呼吸困難で酸欠死ですよ」
「ふうん、助かったわ。深夜にも関わらず来てくれてありがとう。でもあなた――この子が玄明から処置を施されているのを知っていながら、わたしに伝えていなかったわね」
零春の顔を撫でながら、洋華は眉尻を下げる。
「やっぱりバレましたか」
「ええ。突然呼んだ割には察しが良すぎるもの。どういうつもり?」
「……零春くんのことを報告したら、始末したでしょう?」
「勿論よ。当たり前じゃない」
「だから、できるだけ伝えたくなかったんです。彼には、ハルくん――玄明に協力した理由があります。その目的さえ達成できたら、彼にとっては力なんて無用の長物なんです」
「……彼が無害だと言いたいの?」
「いいえ、その逆――有益だと言いたかったんです。本来なら、数日の間に彼を懐柔するつもりでしたから」
「あらそう。結果的に、それが証明できるかもね」
御鈴波はぼんやりと見つめる上海の小さな体を持ち上げて膝に乗せた。上海の大きな瞳は御鈴波の黒目を追って上に下に動き、やがて御鈴波に撫でられると目の前の男に向いた。
「上海。あなたもこの数日勝手に動いてたわね? 偶然で片付けられる問題じゃないわ」
「ニホンゴチョトシカワカリマセン」
「こら」
「いてっ」
頭頂を軽く叩かれて、上海の頭は左右に振れた。
「ゴッ太郎、怪我いっぱい。何も言わないから悪い。上海悪くないもん」
はぁ、と御鈴波は溜め息をつく。けれど叩いた頭をもう一度撫でくりまわして、餅のような頬に指を沿わせた。御鈴波は動いたことを怒ってはいない。無断で動いていたことを心配しているのだ。
「……あなたの行動、多分、めちゃくちゃ良いわよ。好きなものを買ってあげる。けど、今度からは動く時はきちんと連絡しなさい」
「ニホンゴワカ」
「わかりました、は?」
「ワカリマセン。デモゴホウビワホシイ」
「……」
言い合いも無駄だと悟ったのか、御鈴波の視線は零春に寄っていた。
「洋華、少し応接間に居て。彼とは私達だけで話をするから。どれくらいで目覚める?」
「そろそろでしょう。もしお急ぎなら、目覚めさせることもできますけど」
「いいえ、要らないわ。待つから」
では、と洋華は病室から離れた。病室の中には静寂と、刻々と刻み続ける時計の音だけが満ちていた。御鈴波の膝の上の上海は、時計の刻みに合わせて半分まぶたを閉じて眠っていた。
ややあって、ベッドからは反応があった。イモムシでも這いずったような鈍重な音が響いて、上海は背筋を立てて目を覚ました。
零春の瞼が開いた瞬間、彼は呻くように叫んだ。
「うぁううああああっ、死にたくない……! 死にたくないッ゙やめてくれ、助けて! 呼吸ができないんだ! 呼吸が……」
ベッドから転がり落ちた彼は、喉元を押さえて床に転がった。そして左右に身悶えをしながら大きく息を荒げる。更に十秒ほど経った後、喉を押さえながらゆらゆらと立ち上がると、目の前の御鈴波と上海を認めた。
「な、なぜ、俺は、生きている。あなたたちは……?」
事情を飲み込めないまま、零春は二人を困惑の表情で見つめる。
「わたしは御鈴波途次。こっちは上海。殺されかかっていたところをこの子が助けてくれたの。その調子だと、毒はいくらかなんとかなったみたいだけど、まだ呼吸補助を付けておかないと苦しいと思うわよ」
「あ……はぁっ……はぁっ」
さっそく息を乱した零春は、転がり込むようにベッドに戻ると呼吸器に手を伸ばした。
「鼻から酸素を供給する程度の呼吸補助で済んだのは、うちのドクターが優秀だったからよ。意識も十分はっきりしているみたいだし、質問を始めさせてもらおうかしら」
「しつ、もん……だと」
「ええ。まずはあなたの現状を説明してあげるわ。あなたは殺されかかっていたところをこの子、上海に救われて御鈴波の屋敷に持ち込まれたの。死にかけのあなたの治療をしたのはうちのドクター、わかるわね。何が言いたいか」
御鈴波は、呼吸補助器の電源に指をかける。
「あなたの返答次第で、これのスイッチを切ることもそのままにしておくこともできるわ」
眉一つ動かさず、冷徹の女王は生殺与奪が恣であることを告げた。
視線が交錯する。零春に選択肢はなかった。
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